2025年5月31日土曜日

『白日鬼』蘭郁二郎

NEW !

春陽文庫
2025年5月発売



★   二十五年前の光文社文庫式言葉狩りを踏襲




今日は蘭郁二郎長篇「白日鬼」に関する初出・初刊データから見てもらおうと思う。

 

 昭和103

同人誌『探偵文学』(月刊)創刊。

 

 昭和1110

「白日鬼」第一回、『探偵文学』第二巻第十号に掲載。連載開始。

 

 昭和1111

「白日鬼」第二回、『探偵文学』第二巻第十一号に掲載。

 

 昭和1112

「白日鬼」第三回、『探偵文学』第二巻第十二号に掲載。
この月をもって『探偵文学』は表面上廃刊。
12月号時点での発行元・古今荘はそのままに、『探偵文学』の巻号数を引き継ぎ、
次月より雑誌名を『シュピオ』と変更した上で続行。

 

 昭和121

「白日鬼」第四回、『シュピオ』第三巻第一号に残りのぶんを一挙掲載して完結。

 

 昭和169

「白日鬼」、『孤島の魔人』と改題され大白書房より初の単行本化。




平成12年、光文社文庫が「幻の探偵雑誌」というアンソロジーを刊行開始、三冊目にあたる『「シュピオ」傑作選』に初出誌テキストを用いて「白日鬼」は再録された。戦前以来の単行本収録だったのだが、過去の記事(☜)にてお伝えしたとおり何食わぬ顔で言葉狩りしている箇所が判明、そりゃ落胆したわ。そのあと初刊本『孤島の魔人』に準拠した正しいテキストで本作が復刊されるでもなく、平成30年刊『地底大陸』(河出書房新社)を最後に、蘭郁二郎の本は出ていない。そこへ再び「白日鬼」名義による春陽文庫からの新刊なのだが・・・。






「白日鬼」連載中の『探偵文学』『シュピオ』バックナンバーを私は所有していないので、発表当時の本来あるべきテキストを知るとなると、「白日鬼」初刊本『孤島の魔人』(大白書房)に頼るしかない。二十五年前、光文社文庫『幻の探偵雑誌 3 「シュピオ」傑作選』には次のような言葉狩りが行われていた(探せばもっと出てくるかも)。


■ 光文社文庫版『幻の探偵雑誌 「シュピオ」傑作選』所収「白日鬼」

267頁13行目

〝 と覗き込んだ。このは話し好きらしかった。〟



同じパートを初刊本で確認すると、こうなっている。

 大白書房版『孤島の魔人』

193頁11行目

〝 と覗込んだ。この低腦兒は話し好きらしかつた。〟

参考までに、初刊本の現物該箇所も御覧頂く。以下、必要に応じクリック拡大してどうぞ。


で、今回の本はどうかといえば、

 春陽文庫版『白日鬼』

188頁7行目

〝 と覗き込んだ。このは話し好きらしかった。〟


二十五年前に光文社文庫がやった改悪パターンを踏襲しているではないか!
昭和10年代、〝低腦兒〟という言葉を排除する風潮などあるはずもなく、雑誌発表時に何らかの横槍で〝この低腦兒〟から〝この男〟へ変更させられ、自著である『孤島の魔人』に収める際、ようやく元の〝低腦兒〟へ無事戻すことができた・・・なんて内幕はまず考えられない。

春陽文庫版『白日鬼』は光文社文庫を真似て岡村夫二男の挿絵を収録するばかりか、その挿絵の数が光文社文庫版「白日鬼」より増えている。なら当然『探偵文学』『シュピオ』の現物(最低でもコピー)は入手しているだろうに、まさか挿絵以外のテキストは光文社文庫版「白日鬼」のテキストを底本にでもしたのか?(この本、底本が何なのか明記されていない)



他にも、こんな改悪箇所がある。

 光文社文庫版『幻の探偵雑誌 「シュピオ」傑作選』所収「白日鬼」

363頁13行目

 泰堂先生は平然としていた。寧ろその音楽を楽しんでおられるかのようであった。
 その中ラジオは昼間のニュースに移った。



 大白書房版『孤島の魔人』

325頁11行目

 泰堂先生は平然としてゐた。寧ろその音樂を楽しんでをられるかのやうであつた。
「ニユースといふ奴は便利だナ、第一早いし、盲でも解る・・・・・・」
「聾には駄目ですねー」
「成るほど、一本参ったナ、ハツハツハ」
 その中ラヂオは晝間のニユースに移つた。

上段に挙げた光文社文庫版テキスト二行の間には、もともと白文字で表示した「ニユースといふ奴は」から「ハツハツハ」までの部分が存在していた。それを光文社文庫版「白日鬼」は完全に削除している。

再び初刊本の現物を。御手数だがクリック拡大する時、右画像から左画像へと見て頂きたい。


 春陽文庫版『白日鬼』

308頁4行

 泰堂先生は平然としていた。寧ろその音楽を楽しんでおられるかのようであった。
 その中ラジオは昼間のニュースに移った。


このくだりも春陽文庫は光文社文庫に倣い、同じ三行をそっくり削除。
要するに「低腦兒」「盲(めくら)」「聾(つんぼ)」、
この三つの言葉が標的にされちゃったと。




日下三蔵の唯一褒められるところといったら、自分の作る復刊本にて絶対に編集部の言葉狩りを許さぬ姿勢だったんだが、いよいよこの男もヤキが回ったか。ま、しかしこんな下らぬコンプライアンスの犬になるのは、いつも出版社の編集部。春陽堂書店にしても、近年復活してから以前のような言葉狩りはしなくなったと思っていたら、この為体(ていたらく)だ。

最も看過できないのは、これだけ言葉狩りをしておきながら「本作品中に差別的ともとられかねない表現が見られますが、著者がすでに個人であることと作品の文学性・芸術性に鑑み、原文のままとしました」なんて事実に反する大噓をヌケヌケとホザいていること。こいつら本当に出版界の人間?






(銀) 横溝正史『死仮面』甲賀三郎『盲目の目撃者』から始まった春陽文庫と日下三蔵の日本探偵小説復刊本。いつもならば自分の編纂したものには大抵【日下三蔵・編】とクレジットしていたのに、このシリーズは珍しく見当たらない。つまりそれが今回自分の作った本において言葉狩りを容認するサインだったってことね。







2025年5月26日月曜日

『翹望~橘外男戦前新聞小説集成』橘外男

NEW !

書肆銀月亭  沢田安史(編)
2025年5月発売



★★★★  「尽きせぬ喪失感」と「怨霊の呪い」




「翹望(ぎょうぼう)」。〝物事の実現を強く待ち望む〟という意味だそうな。この知られざる橘外男長篇は日中間の戦闘が激化していた昭和14年、幾つかの地方新聞へ掲載されたまま単行本には纏められず、八十六年の歳月を経て今回ハンディな文庫の形で待望の書籍化。以前私は日本の風土に根差した橘作品を愛でるにあたり、〝線香を焚きながら読みたい〟(☜)なんて呟いたけれど、本作こそまさしく「線香小説(勿論そんな用語は無い)」とでも呼びたいぐらい、極めつけの哀話なのである。




🕯 病床の父が逝去し、二親とも失くした松本美津子・英一姉弟は父の親友・楠瀬浩平の家に引き取られることになり、住み慣れた片田舎大村(長崎)を離れ牛込(東京)へ。その新しい環境は二人に温かく、中でも楠瀬家の次男・利樹の軍人らしいざっくばらんな明るさに英一は兄同然の親しみを覚える。だが寸善尺魔とでも言おうか、奸悪な長男の俊平がいやらしく美津子に付き纏い始め、それをどんなに美津子が嫌がっているか周りは知る由もない。事を荒立てたら楠瀬家の体面を汚してしまう・・・思い悩んだ挙句、美津子は夜逃げさながら英一を連れて大村の実家に帰る。




しかし、それ以上の凶事が姉弟を待っていた。こっそり大村まで追いかけてきた俊平に美津子は凌辱され、英一も元来抱えていた持病が悪化。絶望の果て、美津子は英一ともども夜の海に身を投げる。幸か不幸か、英一だけ奇跡的に助かり、利樹の看病の甲斐もあって彼の身体は少しづつ回復に向かう。死を選んだ美津子がどれだけ自分を慕っていたか、英一から聞かされた利樹は生涯妻を娶らないと誓い、英一と暮す家を逗子に建てるため一旦帰京。

その頃、長年松本家に仕えている藤造爺やが訥々と英一に語り聞かせていたのは、この家を代々呪う怨霊の存在だった・・・。




松本姉弟に降りかかる悲劇だけ見れば、戦前の民情・道徳観を考えるとありがちな題材に過ぎず特段ビザールな隠し味も無さげ。にもかかわらず、背脂ギトギトのラーメン並みに物語の密度は濃い。こういう小説なら当時いくらでもあったはず。それが橘外男の手に掛かると何故ここまで面白くなるのだろう?

加えて「翹望」というタイトルは誰が何を強く待ち望み、どんな意図を込めて作者はこの言葉をチョイスしたのか、ふと考えてしまう。というのも、本書353頁にある連載開始を目前にした「作者の言葉」を読む限り、戦場で斃れた英霊に思いを馳せる・・・そんな内容の予告に受け取れるからだ。




終盤、恋人を奪われた小姓の因縁話がクローズアップされる迄は伏線なんて毛筋ほども無かったところ、いきなり怪談モードに切り替わって戸惑いを覚えたのも事実。ここまでの流れは全部、松本左衛門尉一族を孫子の代まで祟る怨念を描く為の前置き?でもそれだと「翹望」というタイトルにそぐわなくなりはしないか?

思えば、本格的に作家として橘が世に出たのは、この新聞連載の三年前。頭の中の構想を具現化して原稿用紙に落とし込むスキルがまだ未熟だったとしたら、後発の怪奇長篇と異なり「翹望」の終盤がなんとなく竹に木を接いだ印象を与えるのも致し方ないことなのかもしれん。ただ完結時における作者の挨拶「終りに一言」を読むと、煙に巻くような発言してるんだな、これが。




〝「終りに一言」

 此の小説を書いている間に、私は英一といふこの少年も姉や利樹さん達の後を追ふて不帰の客となつたことを知りました。そして利樹さんは既に一年有半の昔、北支の野に壮烈なる戦死を遂げてゐられるのです。これ等の幽魂のためにも私は、この小説だけは何としても完結してしまはなければならぬ或る一つの責務を感じています。

 しかし始めて(ママ)新聞に筆を執つた素人の悲しさ、分量の推測を誤つて到底新聞社との約束の回数位では納まりさうにもありませんから、一先づ前篇のケリの付いたこの辺で筆を措かせて貰ひます。

 許されるならば、近い機会、必ず筆を新たにして、後篇を以て読者諸君に見(まみ)えたいと思ひます。
 杜撰な私の仕事っ振りで御迷惑を掛けました段、読者諸君にも新聞社の方々にも謹んでお詫び申上げます。〟




〝不帰の客となつたことを知りました。〟〝戦死を遂げてゐられるのです。〟とか他人事みたいに言ってるけど、アンタの作り上げたフィクションじゃないの? かくも先の展開をちらつかせておいて、続きを書かずほっぽり出したパターンは「妖花」(☜)も同じ。でもまあ本書解説にて谷口基が述べているように長崎を舞台にした橘作品のうち、死せる者への思慕や喪失感をテーマにした短篇の「幽魂賦」(昭和13年発表)と、似たような舞台設定で怨霊復讐譚として描かれた長篇「山茶花屋敷物語」(昭和26年発表)、この二作の橋渡し的な意味合いを持っているのが「翹望」であるのは確かだ。

本作が担っていた主題は最初から〝喪失感〟だったと考えるのが自然な気がする。ならば、どういう訳で橘外男の脳裡に怨霊ネタが鎌首を擡げてきたのか、この作家の本質を読み解く一つの鍵がそこにありそう。




今回の文庫は「翹望」だけでも大満足なのに、短篇「恋愛異変あり」も併録。強いて言うなら、紙面のスペースいっぱいにテキストを印刷しているため余白が殆ど無く、ノドに近い文章は本を強く開かないと読めない。想像するに、これ以上文字を小さくすれば高齢者中心のユーザーから字が小さいのなんのと文句を言われるし、逆に文字を大きく取ったら取ったで頁数が増すぶん、コストが掛かって価格もアップせざるをえず、それでこうなったんじゃないかな。結果、紙面の見映えはあまりキレイじゃなくなったけど、ほぼ満点に近い★4つ。





(銀) 発行部数がそれほど多くないのか、この本を入手できずお嘆きの方がいらっしゃると耳にした。せっかく珍しい小説を発掘したのだから、読みたいと思っておいでの方になるべく行き渡るよう一考してもらえないだろうか。橘外男クラスなら商業出版でも売れると思うし、どこか良識のある出版社から「翹望」が出ていたら本当は良かったのだけど、諸事情あって同人出版を選択したのかもしれず、本書の増刷でも構わない。買えなかった人のポストを肴に「X」ではしゃいでいる一部のアホを喜ばすため、この本作ったんじゃないですよね沢田さん?






2025年5月22日木曜日

『エンジェル家の殺人』ロジャー・スカーレット/大庭忠男(訳)

NEW !

創元推理文庫
1987年5月発売



★★★  乱歩の過大評価




二度目の邦訳単行本として初めて文庫に入った「エンジェル家の殺人」。戸川安宣は我が国に伝わってこないロジャー・スカーレットの来歴を明らかにすべく人手を介してあれこれ調査、本書解説にてそのレポートを綴っている。従来この作家に注目していたのは日本人ぐらいのものだったし、英語圏のRoger Scarlett wikipediaなんていまだに存在しないんだろうなと駄目元で検索してみたら・・・あった!おそらく2017年のCoachwhip Publications刊『The Roger Scarlett MysteriesVol.13に触発され、本国アメリカの好事家が立ち上げたに違いない。

 

 

ロジャー・スカーレットはイヴリン・ペイジ&ドロシー・ブレアという女性コンビのペンネームだった訳だけども、戸川安宣のレポートを一新しなければならない程の新情報はそのwikipediaにアップされておらず、今となってはペイジ&ブレアの遺族なり近しかった人が何らかの発信でもしてくれない限り、スカーレット関連情報がアップデートされる機会はまずあるまい。日本だと嘗ての鮎川哲也や島崎博みたいに、何が何でも幻の探偵作家とコンタクトを取ろうとする奇特な御仁がいたものだが、普通あそこまでやらんわな。



                   




私の「エンジェル家の殺人」に対する評価はあまり高くない。
結局〈オーバーを着た訪問者〉〈キャロラス(双子の弟)/ダライアス(双子の兄)殺し〉の謎が肝だとして、これ、戦前日本の長篇探偵小説だったらまだ積極的に褒められる。でも1932年(昭和7年)の海外本格長篇なら、もうワンランク上の完成度であってほしい。真犯人の行動原理は納得するが、例えばダライアスとキャロラスの親はなんでこういう争いの元となる遺言を残したのか、よくわからん。本格テイストを売りにしたいがため取って付けたような部分が気に入らない。




大庭忠男の訳が批判されているみたいで、確かにそれもある。素人目にもこなれた訳文とは言えないし、なんというか香りに欠ける。ただ、よく読むとスカーレットの原文自体が流麗じゃないようにも思えて仕方がない。「エンジェル家」に惚れ込み、「三角館の恐怖」を執筆した江戸川乱歩でさえ、後年こんなコメントを残している。

〝あとになってみると、この感動は少し買かぶりで、「面白倶楽部」に毎月書いているうちに、原本の文章があまりよくないこともわかり、その後の私のベストテンには入れていない。〟

〝この長篇は読み直してみると、それほどでもないが、トリックはたしかに面白い。第二の殺人のエレベーターのトリックは機械的で面白くないけれども、第一の殺人の意外な動機と、小道具扱いの妙は、やはり捨てがたい。最後のくら闇(ママ)の地下室での待ち伏せの場面には、私はほんとうにドキドキさせられたものである。〟

桃源社版「江戸川乱歩全集」の「あとがき」より

→光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第15巻 三角館の恐怖』640643頁「自作解説」より引用

ダライアス殺しのエレベーター・トリックより、出没するオーバーを着た男のトリックを褒めているあたりが実に乱歩らしい。「本陣殺人事件」評でも琴糸のトリックを「そんなにうまくいくものだろうか」って疑問視してたもんね。

 

 

私自身、英文の「エンジェル家」を読んだことはないが、「原本の文章があまりよくない」と乱歩が言っているぐらいだから、実際スカーレットの筆力にいささか難点はあるのだろう。人間が描けていないとまでダメ出しはしないものの、遺産を巡る反目の中に読者が共感を持てる要素をほんの僅かでも書き込んでいたら・・・。その点、同じドロドロした相続がテーマの「犬神家の一族」と違ってドライなままというか、良い悪いはともかく救いのある結末ではない。

捜査される側だけでなく、ケイン警部&アンダーウッド弁護士のアプローチにしても、理詰めが徹底しているようで後付けなところが幾つかあり、隅々にまで作者の目が行き届いている感触は薄い。
 
 
 

 

(銀) 四十年ほど前に大庭忠男の訳が出て、その後、東京創元社はこの文庫再発してたっけ?もし本格長篇として評価されていれば、「名作ミステリ新訳プロジェクト」などと銘打って最新訳が出されていてもおかしくない筈。それが無いということは・・・。

 

 

 


2025年5月19日月曜日

『The Sherlock Holmes Vault Collection』

NEW !

The Film Detective   Blu-ray Box(4枚組)
2021年12月発売



  こんなモリアーティは見たくない




前回は北米盤ブルーレイBOXセットThe Sherlock Holmes Vault Collection』のDisc-4収録「A Study In Scarlet」(☜)を単独で取り上げたが、今回はDisc-13にそれぞれ収められているアーサー・ウォントナー主演シャーロック・ホームズ映画三作を見てゆく。アーサー・ウォントナー版ホームズは全部で五作あり、そのうち第二作「The Missing Rembrandt」と第三作「The Sign of Four」は、このBOX未収録




映画の内容を語る前に注意点を幾つか。まず画質だが「Newly Restored」とは名ばかり、Disc-4A Study In Scarlet」ほどボヤけてはいないものの、気軽に購入を勧められるクオリティーとは言い難い。35mmフィルムが発掘できず、仕方なく16mmフィルムを使わざるをえなかったのかもしれないけど、この仕上がりに高評価は付けられないな~。

そしてDisc-3~4はともかく、Disc-12は登場人物がまだセリフをしゃべっている最中なのに、英語字幕の表示が短すぎて、ひとつひとつの会話内容を目で追えない。本来字幕とは別言語の国の人や耳の不自由な人のためだけでなく、フィルムの損傷が激しくてセリフを聴き取り辛い作品の鑑賞をサポートする目的もある。このメーカー、ちゃんとそれを理解してる?




  Disc-1「Sherlock Holmes' Fatal Hour」(1931)


シャーロック・ホームズ(左/アーサー・ウォントナー)




アーサー・ウォントナー版ホームズはUK製作「Sherlock Holmes' Fatal Hour」は米国公開時のタイトルであり原題は「The Sleeping Cardinal」という。以下、三作とも出演している役者はアーサー・ウォントナーの他、ワトソン役のイアン・フレミング及びハドソン夫人役ミニー・レイナーの二名。

「空家の冒険」にスポットを当てつつ、脚本に取り入れているのはロナルド・アデア卿のカード賭博に関する部分だけ。ホームズのベーカー街帰還を省略する以上、虎のような危険人物セバスチャン・モラン大佐の暗躍をどれだけ煽情的に見せてくれるかがポイントのはず。だのに本作の犯人はモリアーティ教授って・・・。



  Disc-2「The Triumph Of Sherlock Holmes」(1935)




モラン大佐(左/ウィルフリッド・ケイスネス)
モリアーティ教授(右/リン・ハーディング)


ベースは長篇「恐怖の谷」。バールストン館の殺人事件だけでなく、回想扱いで手短ながらバーディー・エドワーズがマッギンティ一味を壊滅させる迄の流れも描いているところは悪くない。しかしベン・ウェルデンという俳優の演じるテッド・ボールドウィンがちっとも札付きのワルに見えないばかりか、モリアーティとモラン大佐のコンビが実に安っぽくちょこまか動き回るので結果すべて台無し。



  Disc-3「Silver Blaze」(1937)




ベースは「銀星号事件」。「バスカヴィル家の犬」事件から相当年月が経っているらしく、父親になったヘンリー・バスカヴィル卿が旧知のホームズを屋敷へ招待。よくわからんけどクーム・トレイシーの近くに銀星号の厩舎があるみたい。競馬場のシーンなんかは意外と良さそうに見えたがモラン大佐が騎手を狙撃したり、毎度の事ながら興醒め。それより不審者のフィッツロイ・シンプソンが姿を現わす夜の厩舎のくだりを原作どおりに撮ってほしかった。




【 ホームズ/ワトソン/ハドソン夫人 】

アーサー・ウォントナーは骨格だけ見ればシドニー・パジェットの描くホームズにかなり近い。だが頭髪が薄くウォントナー自身五十を過ぎていることもあって、老けた印象を与えてしまう。スチールなどで真横からのショットを見るとシドニーの挿絵そっくりなだけになんとも惜しい。それとウォントナーの扮するホームズはドレッシング・ガウンをはじめ着ているものがやや草臥れて見えるのもイマイチ。名探偵なら着こなしもそれなりじゃないとね。

映像のワトソンは間抜けな男にされがちだけど、イアン・フレミングのワトソンは普通に紳士で口髭もあるし、ホームズと身長のバランスも釣り合っている。大きな欠点は無い。ミニー・レイナー演じるハドソン夫人は太った下町のオバちゃんなのか?ミスキャスト。


ワトソン(中央/イアン・フレミング)


ハドソン夫人(ミニー・レイナー)




【 Too Bad 】

このシリーズを★一つにした要因は、ソフトとしての作りの甘さもさながら、悪役のショボさ、モリアーティの大安売り、それに尽きる。ホームズを脅かす強敵でもなんでもないモリアーティとモラン大佐は只のチンケな悪党。「The Triumph Of Sherlock Holmes」に出てくるテッド・ボールドウィンまたしかり。私の思うモリアーティとは日本人だったら伊丹十三なんだがな。


「Sherlock Holmes' Fatal Hour」のモリアーティ教授
(左から二人目/ノーマン・マッキネル)


「The Triumph Of Sherlock Holmes」「Silver Blaze」のモリアーティ教授
(リン・ハーディング)
この男が〝犯罪界のナポレオン〟って冗談だろ?




現在ブルーレイで観ることのできるウィリアム・ジレット版ホームズは正典に沿ったストーリーじゃないし、ベイジル・ラズボーン版ホームズの脚本だってドイルの小説とはほぼ無関係。それを考えればアーサー・ウォントナー版ホームズはまだ原作を意識しているぶん好感を持てなくもない。でもあのモリアーティじゃあねえ・・・。所詮、映画屋さんもテレビ屋さんもミステリが好きで原作を忠実に映像化する人などいやしないのは海外も日本も一緒なのでありましたとさ。





(銀) 過去に取り上げた1929年の独サイレント映画「Der Hund Von Baskerville(☜)と本シリーズを並べてみると、カーライル・ブラックウェルよりアーサー・ウォントナーのほうがシルエット的にはずっとホームズっぽいし、ワトソンなんて比較対象にならないぐらいイアン・フレミングのほうがマシ。おまけに前者は途中のリールが欠損していて不完全な状態でしか観れない。


それでも面白いもので私はアーサー・ウォントナー版ホームズよりカーライル・ブラックウェル版ホームズのほうがイイ。要は原作の世界観をどれだけ壊さずにいられるか・・・そこさえ守っていれば、仮に正典から外れたオリジナル・ストーリーであっても楽しめるような気がする。






2025年5月12日月曜日

映画『A Study In Scarlet〈緋色の研究〉』(1933)

NEW !

The Film Detective   From『The Sherlock Holmes Vault Collection』   Blu-ray
2021年12月発売



  ドイルとアンナ・メイ・ウォンに懺悔しろ



門前払いが続いていたドイルの原稿「緋色の研究」をしぶしぶ受け入れたのは『ビートンのクリスマス年鑑』の版元ウォード・ロック社。とはいうものの印税払いを断られ、25£貰う替わりに著作権買取なんて条件は作者にとって耐えがたい仕打ちにも等しい。本盤のブックレットでライナーを執筆しているC.Countney Joynerは「緋色の研究」の著作権がドイルとウォード・ロック社の間で複雑になっていたため、1933年公開の映画「A Study In Scarlet」は作品名の使用権しか獲得できなかったと言うが、この人、映画界には詳しくてもドイルにはそれほど詳しくなさそう。そんな感じがする。

 

 

一夫多妻制。指導者ブリガム・ヤングに従わなければ死の懲罰。モルモン教徒がそういう描かれ方をしているぶん、昔から「緋色の研究」は風当りが強く、映画化するにしたって厄介な問題は想定できたんじゃない?それで予算的にも対外的にも強行突破できないのなら「緋色の研究」にこだわる必要は無いし、ホームズ映画を作りたければ原作の選択肢は他にいくらでもある。結局「名探偵のネームバリューさえ利用できれば、中身はどうでもいい」と思っているから、こんなタイトル詐欺の作品(Made in USA)が出来上がるのだ。








【 仕 様 】

リージョン・フリー:日本のBDプレーヤーで再生可能

本編:72

字幕:英語/スペイン語

封入物:ブックレット/オリジナル・ポスター・レプリカ・ポストカード



【 画 質 】

100点中45点。
傷や揺れこそ無いもののコントラストに乏しく、ブルーレイで堪能する画質とは言えない。
テレビがまだ地上波オンリーだった頃、
深夜に放送していた映画をVHSレベルでブラッシュアップしたぐらいのレストア。



パイク夫人(アンナ・メイ・ウォン)




まず「緋色の研究」なのに、ジェファーソン・ホープ/イノック・ドレッバー/ジョセフ・スタンガソン他、原作の重要人物は誰一人登場せず〝Rache〟の血文字さえも無し。企画立ち上げ時からアンナ・メイ・ウォン(Anna May Wong)を大きくフューチャーするよう決めていながら彼女を拝める時間は10分程度。ホームズ第一長篇完全無視でも、そこそこ楽しめる内容ならまだ許せるのだが、自分は殺されたかの如くカムフラージュする犯人のトリックにしろ良いところもあるわりには、退屈なムードから抜け出せぬまま終わってしまう。とにかく次の画像を見てもらおうか。本作におけるシャーロック・ホームズとワトソン博士である。普通、禿(ハゲ)の男優をワトソンにキャスティングする?




ホームズ(左/レジナルド・オーウェン)
ワトソン(右/ウォーバートン・ギャンブル)




ジジむさいワトソンだけでなく、レジナルド・オーウェン演じるホームズも深みやインテリジェンスに欠け、全く名探偵に見えない。戦前のミステリ洋画を何本か観ている人なら薄々気付いておられるだろうが、それらは脚本が弱いだけじゃなくテンポは悪すぎるし、音楽・SE(効果音)で盛り上げる演出も無い。さらに予算の無いB級映画はロケもろくにしてなかったり、セットのバリエーションが貧弱だったりで、これじゃ気の利いた映画は出来っこない。本作だってドイルの原作に頼らずともアンナ・メイ・ウォンの妖艶なマダムは確実に衆目を集められるんだから、ロバート・フローリー(本作の脚本担当)をせっついて、ホームズとは無関係なミステリのプロット書かしときゃ良かったんだよ。




 





(銀) プロデューサーがアホだと、当初優れた企画が取沙汰されていても、結果ダメになる。それは小林信彦『天才伝説 横山やすし』でがっつり学ばせてもらった。映画「A Study In Scarlet」には「そして誰もいなくなった」を思わせる趣向があり、ここからクリスティーはインスパイアされて六年後あの名作を発表したなどと放言している外人もいるみたい。まあ、100%ありえません。





2025年5月10日土曜日

『鏡は横にひび割れて』アガサ・クリスティー/橋本福夫(訳)

NEW !

ハヤカワ・ミステリ文庫
1979年9月発売



★★★★★  この動機に目を付けたクリスティーは偉い




自分的に思い出深い長篇。読むきっかけは映画「クリスタル殺人事件」(1980年公開)に非ず、横溝正史vs小林信彦対談(『横溝正史読本』/第四部「クリスティーの死と英米の作家たち」)なんだけど、「こんなことがトリックになるのか」と横溝正史が感心するのもむべなるかな、我々の生活に起こり得る奇禍を題材にしたクリスティーの目の付け所には敬服するばかり。読者を驚嘆させたい一心で実にバカバカしいフィクショナルな珍トリックをひけらかす作家とは雲泥の差ですな。

 

 

小林信彦が言うように、大抵クリスティー作品の滑り出しは日常的な描写で始まり、のっけからガンガン鐘を鳴らすスタイルではない。本作もベテラン女優マリーナ・グレッグの開催するパーティーの席にて口にチャックしておけぬ性格のヘザー・バドコックが謎の死を遂げる第五章まで読者は英国のオバちゃん連中・・・・もとい御婦人達の井戸端会議に度々付き合わされる。ただどんなに長閑なシーンであれ、時の移ろいと共に年齢を重ねたミス・マープルはもちろん、ゴシントン・ホール(シリーズ初期の事件にも出て来た邸宅)を売り払ったバントリー夫人その他、愛着あるキャラクターの流転を実なクリスティー・ファンは温かく見守っているのだろう。

 

 

ワタシなど細かいポイントに注意を払わず読み進んでしまいがちだが、これは衆人環視下の事件ゆえ、現場に居合わせる顔ぶれはしっかりインプットしておいたほうがよい。召使頭ジュゼッペの行動も要チェック。ヘザー・バドコックが死ぬ直前、マリーナ・グレッグの視線の先にあったものについ気を取られ、読者はミスリードさせられてしまうけれども、読み終わったあと強烈な印象を残すのは他に例を見ない特異な動機。本作は早川書房日本語版翻訳権独占と謳ってあり、現在流通しているのが同じ橋本福夫訳なのは別に構わない。しかし、旧版に使われている〝気ちがい〟〝白痴〟〝低能児〟、さらに〝模型きちがい〟みたいな言葉まで現行本で書き変えられていたら、そいつはゆゆしき問題だ。2004年以降出回っているクリスティー文庫版『鏡は横にひび割れて』をお持ちの方、どうです?

 

 

本国イギリスでの発表は1962年。ということはクリスティー72歳の時の作品か。必要最小限の分量で物語を終わらせる無駄のない書き方も秀逸だし、同じ年齢でやっと「仮面舞踏会」を完成させた横溝正史が冗長な長篇しか書けなくなっていたのと比べても、彼女の力量はまだそれほど衰えていないのがよく解る。初めて本作を読み、「終盤に来てあの二人を殺しちゃったよ。もう少し堪えて様子見していたほうがよかったのでは?」「片方はともかく、もう一人を手に掛けるのは性急だったんじゃない?」と思われた方、いませんか?そのあたり、前段階にてそうせざるをえなかった状況がシレッと書かれているのを見落としてるかもしれず、是非一度再読してみてはいかが?

 

 

 

(銀) 頻繁にくしゃみをしているエラ・ジーリンスキーの悩みの種がアレルギー性鼻炎なのは一目瞭然だが、今でいう〝花粉症〟を昔の人は〝枯草熱(こそうねつ)〟と呼んでいたらしい。







2025年5月6日火曜日

『戦前日本モダンホラー傑作選~バビロンの吸血鬼』高垣眸他/会津信吾(編)

NEW !

創元推理文庫
2025年4月発売



★★  満点を付けられる新刊も今や稀少




『怪樹の腕~〈ウィアード・テールズ〉戦前邦訳傑作選』(☜)が世に出て早や十二年が過ぎたのか・・・・それだけ長い年月を掛けたからこそ今回の企画も素晴らしい内容に仕上がっているのはわかっちゃいるけど、もう少し会津信吾にはハイペースで本を作ってほしいなあ。今や何の考えも無しに垂れ流される、このジャンルの新刊。作り手の知性とセンスを感じる書物なんて、どこを探しても無い。

 

 

「疾病の脅威」高田義一郎(『探偵趣味』昭和31月号発表)

「屍蠟荘奇談」椎名頼己(初出不明/底本は昭和3年刊『屍蠟荘奇談』赤木書房)

「亡命せる異人幽霊」渡邉洲蔵(『蜂雀』昭和41月号発表)

「火星の人間」西田鷹止(『冨士』昭和410月号発表)

「肉」角田喜久雄(『文学時代』昭和410月号発表)

 


「青銅の燭台」十菱愛彦(『グロテスク』昭和412月号発表)

「紅棒で描いた殺人画」庄野義信(『犯罪科学』昭和510月号発表)

「鱶」夢川佐市(『怪奇クラブ』昭和511月号発表)

「殺人と遊戯と」小川好子(『犯罪科学』昭和63月号発表)

「硝子箱の眼」妹尾アキ夫(『文学時代』昭和66月号発表)

 


「墓地下の研究所」宮里良保(『若草』昭和68月号発表)

「蛇」喜多槐三(『犯罪実話』昭和71月号発表)

「毒ガスと恋人の眼」那珂良二(『経済往来』昭和73月号発表)

「バビロンの吸血鬼」高垣眸(『少年世界』昭和81月号発表)

「食人植物サラセニア」城田シュレーダー(『犯罪実話』昭和82月号発表)

 


「首切術の娘」阿部徳蔵(『犯罪公論』昭和85月号発表)

「恐怖鬼侫魔倶楽部奇譚」米村正一(『犯罪公論』昭和86月号発表)

「インデヤンの手」小山甲三(『週刊朝日』昭和1051日臨時増刊号発表)

「早すぎた埋葬」横瀬夜雨(『奥の奥』昭和119月号発表)

「死亡放送」岩佐東一郎(初出不明/底本は昭和14年刊『茶煙亭燈逸伝』書物展望社)

 


「人の居ないエレヴェーター」竹村猛児
(初出不明/底本は昭和14年刊『物言はぬ聴診器』大隣社)

 

 

いつも学ぶべきところが多い会津の仕事。今回も各短篇の初出をチェックし『蜂雀』という雑誌の存在を初めて知った。ネット検索してみたものの殆どヒットせず、どんな感じの表紙なのか、それすら想像できん。あと、いかにも小説が載ってなさそうな誌名の『経済往来』は古書店で手に取って中身をチェックした記憶が無い。ここまであらゆる古雑誌を調べ倒しているがゆえの〝目利き〟なのだろう。耳慣れない作家と作品が多数並んでいるのは、作品の取捨選択に際し『新青年』掲載作が一切オミットされているのも大きな理由のひとつ。




『若草』は『文学時代』『冨士』『週刊朝日』と異なり、私のBlogとは縁遠そうな文芸誌だと思っていた。じっくり探せば「墓地下の研究所」みたいにヘンなのが紛れているのかも。そして『グロテスク』『犯罪科学』『犯罪公論』『犯罪実話』なんか探偵趣味と一見親和性がありそうなのに、評価を得て後世に残った小説が見当たらず、どちらかといえばイカモノ記事や実話で売ってた印象。でも上手く短編小説が拾い出されアンソロジーの一部になっていると、それなりのアイデンティティーも見えてくる。




歴史に淘汰されてしまった無名作家の作品を古雑誌の中に見つけて単体で読んでも、正直面白く感じられないことの方が多い。ところがこうやって一つのテーマを設け、似たベクトルの短篇をズラリ並べてみると、単体では発し得なかった輝きを放つようになるから不思議。フツーの読者に「気持ちワル~イ」と敬遠されそうなものばかり目立つ訳ではなく、小山甲三「インデヤンの手」は人種の壁に捉われない温かみがあったり、全体を通して単調じゃないのもGood。唯一ジュヴナイルだからか、本書のうち最も弱い高垣眸「バビロンの吸血鬼」が表題作になってて、つい笑ってしまうが、これの雑誌掲載時に挿絵提供していたのが岩田専太郎(325頁を見よ)。力の入った挿絵を描いてもらえてメジャーな作家は得だねえ。




河出文庫『盗まれた脳髄 帆村荘六のトンデモ大推理』に見られるこちらの記事を参照頭の悪いポリティカル・コレクトネスでもって製作されたトンデモ本を嘲笑うかのように、発表当時の表現を規制も改悪もせず正しく復元している本書。東京創元社と会津信吾はごく当り前の本作りを行っているだけだ。河出書房新社と新保博久はなぜ実写版の映画「白雪姫」が世界中で大不評なのか、よ~く考えるこってすな。





(銀) 本書における会津信吾・名言集。

〝戦前が暗黒時代だと思っているのは、教科書しか読んだことのないやつか、その教科書を書いたやつのどちらかだ。そんな奴らは放っておけ。〟

〝ある意味、ホラー小説の消長は平和のバロメーターだと言える。〟

〝『少年倶楽部』のモットーが「おもしろくてためになる」ならば、こちら(註:『少年世界』のこと)は「おもしろいけど、ためにはならない」で行こうとでも考えたのだろうか。〟






2025年5月4日日曜日

映画『Old San Francisco〈人肉の桑港〉』(1927)

NEW !

Warner Archive Collection   DVD-R
2009年9月発売



★★★  DVD-Rじゃ安っぽいぜよ




WarnerWarner Archive Collectionの名のもとクラシック・ムーヴィーを多数ソフト化しているのだが、購入に際し注意を要するカテゴリーもある。
以前記事にした『King Kong〈キング・コング〉』(☜)はじめ、ブルーレイで発売されている作品は問題ない。しかしブルーレイで発売されていない作品に使われているディスクはファクトリー・プレスでないDVD-R、つまりブートレグに毛が生えたレベルの品質なのだ。

 

 

DVD-R仕様にされた古い映画は殆どの場合、手間暇かけてレストアすることも無く、単純にトランスファーしただけなのだろう。あちらさんも商売だし、そこまで売れそうにないマイナー作品まで十全に修復するとなると、かかったコストをリクープする収益が見込めなくて、二の足を踏む気持ちは理解できる。けど西新宿の洋楽ブート業者じゃあるまいし、天下のWarnerDVD-Rはないよな。

 

 

本日取り上げる『Old San Francisco』もDVD-R。特典コンテンツなど皆無。
日本のDVDプレーヤーで普通に再生可能。音声はヴォリュームを上げて視聴する必要あり。台詞の音声は入っておらず、英語字幕の有無を気にせずともよい反面、目に負担がかかるほど荒れた画質ではないにせよ、もう心持ちノイズや揺れは除去してくれなくちゃ。ネット情報によれば、本盤リリースの為か定かではないものの、過去にこの映画、一応修復作業を行っているらしい。それホント?






ドロレス・ヴァスケス嬢(主演/ドロレス・コステロ)




【 ストーリー 】

18世紀。海を越え新大陸に渡ったスペインの貴族エンリケ・デ・サラノ・イ・ヴァスケスはのちにサンフランシスコと命名される天然の良港を発見。その地に根を下ろしたヴァスケスの一族は地主として代々繁栄するも1906年の今では斜陽期にあり、当主ヘルナンデスは牧場と僅かな土地を守るのが精一杯。

 

それに対し、チャイナタウンの実権を握る謎の怪人物クリス・バックウェルは弁護士マイケル・ブランドンと結託、ヴァスケス家の土地買収を画策している。甥のテレンス・オショーネシーを伴い交渉のためヴァスケス家を訪れたブランドンだが、誇り高きヘルナンデス老は耳を貸すはずもなく一蹴。皮肉にも好青年のテレンスはヘルナンデスの孫娘ドロレス・ヴァスケスに一目惚れしてしまい、ドロレスもテレンスを憎からず思う。

 

ところがバックウェルもドロレスの美しさを知り、ブランドンとは別に、さも善人らしくヴァスケス家に近付く。隙を見てドロレスを手込めにしようと迫るバックウェル。彼女の貞操の危機はテレンスによって救われる。激怒したバックウェルは態度を一変、強硬手段の脅しに出たところヘルナンデスは心臓麻痺を起こして急死。悲しみに暮れるドロレスは憎いバックウェルへの復讐を神に誓う。




アンナ・メイ・ウォン(Anna May Wong)の役どころはクリス・バックウェルの手下。
こういう中国系の妖婦みたいな役ばかり求められ、
彼女はハリウッドに不満を抱き始める。




白人として君臨するクリス・バックウェルだが、本当は中国人(本作しかり、どうも当時のアメリカ人は中国人とモンゴル人を混同しているフシがある)。内心ではバックウェルを嫌悪しつつ表向き服従の態度を示すチャイナタウンの中国系住民(上山草人も出演)。バックウェルの屋敷地下は魔窟になっていて、そこでのみ彼は素顔の中国人に戻ることができる。またバックウェルの弟は知能の低い奇形の小人ゆえ、地下室の檻に入れられている。悪役のバックウェルを演じるワーナー・オーランドはどことなくハナ肇が入った風貌ではあるけど、白人モードの時のバックウェルはわりかしダンディー。流石フー・マンチュー博士役でスターになるだけのことはある。




 
クリス・バックウェル(画像左/通常の白人モード、画像右/中国人モード)




小人(バックウェルの弟)
演じているのはアンジェロ・ロシット。
彼の存在によって作品に怪奇性が加わった。




 





公開時、客の入りは良かったのだが、ロレス嬢がレイプ未遂に遭い売春婦として売り飛ばされそうになるため、「何て猥褻な映画なんだ!」などと批判の声があったという。さもありなん。まあ邦題に「人肉の桑港」と付けるほどエログロでもないけどね。ヘルナンデスが死ぬ迄の物語前半は大時代的なアトモスフィアーに包まれ退屈だけども、途中からバックウェルの魔窟が話の中心となり、アンナ・メイ・ウォンの出番もグッと増えて面白くなる。急転直下の結末でさえ、ある意味〝見もの〟かも。




後半部分だけなら、これまで紹介してきたアンナ出演映画の中でもかなり当Blogの趣味に合っている。それだけにキチンとレストアせずDVD-Rでリリースされたのが惜しい。通常、サイレント映画はデジタルリマスター時に当時のサウンドトラックを外して、現代の音楽家が新たにダヴィングし直すケースが多い。このディスクは当時のサウンドトラックがそのまま使用されており、その点は良かった。






(銀) 100点中80点ぐらいの画質をキープし、ブルーレイは無理でも、せめてプレスDVDだったら、全体評価★3つ止まりなんてことは絶対ない。アンナ以外の出演者で印象に残る女優は滅多にいないが、本作後半のドロレス・コステロはちょっとなまめかしく思えた。