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創元推理文庫
1987年5月発売
★★★ 乱歩の過大評価
二度目の邦訳単行本として初めて文庫に入った「エンジェル家の殺人」。戸川安宣は我が国に伝わってこないロジャー・スカーレットの来歴を明らかにすべく人手を介してあれこれ調査、本書解説にてそのレポートを綴っている。従来この作家に注目していたのは日本人ぐらいのものだったし、英語圏のRoger Scarlett wikipediaなんていまだに存在しないんだろうなと駄目元で検索してみたら・・・あった!おそらく2017年のCoachwhip Publications刊『The Roger Scarlett Mysteries』Vol.1~3に触発され、本国アメリカの好事家が立ち上げたに違いない。
ロジャー・スカーレットはイヴリン・ペイジ&ドロシー・ブレアという女性コンビのペンネームだった訳だけども、戸川安宣のレポートを一新しなければならない程の新情報はそのwikipediaにアップされておらず、今となってはペイジ&ブレアの遺族なり近しかった人が何らかの発信でもしてくれない限り、スカーレット関連情報がアップデートされる機会はまずあるまい。日本だと嘗ての鮎川哲也や島崎博みたいに、何が何でも幻の探偵作家とコンタクトを取ろうとする奇特な御仁がいたものだが、普通あそこまでやらんわな。
♣
私の「エンジェル家の殺人」に対する評価はあまり高くない。
結局〈オーバーを着た訪問者〉〈キャロラス(双子の弟)/ダライアス(双子の兄)殺し〉の謎が肝だとして、これ、戦前日本の長篇探偵小説だったらまだ積極的に褒められる。でも1932年(昭和7年)の海外本格長篇なら、もうワンランク上の完成度であってほしい。真犯人の行動原理は納得するが、例えばダライアスとキャロラスの親はなんでこういう争いの元となる遺言を残したのか、よくわからん。本格テイストを売りにしたいがため取って付けたような部分が気に入らない。
大庭忠男の訳が批判されているみたいで、確かにそれもある。素人目にもこなれた訳文とは言えないし、なんというか香りに欠ける。ただ、よく読むとスカーレットの原文自体が流麗じゃないようにも思えて仕方がない。「エンジェル家」に惚れ込み、「三角館の恐怖」を執筆した江戸川乱歩でさえ、後年こんなコメントを残している。
〝あとになってみると、この感動は少し買かぶりで、「面白倶楽部」に毎月書いているうちに、原本の文章があまりよくないこともわかり、その後の私のベストテンには入れていない。〟
〝この長篇は読み直してみると、それほどでもないが、トリックはたしかに面白い。第二の殺人のエレベーターのトリックは機械的で面白くないけれども、第一の殺人の意外な動機と、小道具扱いの妙は、やはり捨てがたい。最後のくら闇(ママ)の地下室での待ち伏せの場面には、私はほんとうにドキドキさせられたものである。〟
桃源社版「江戸川乱歩全集」の「あとがき」より
→光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第15巻 三角館の恐怖』640~643頁「自作解説」より引用
ダライアス殺しのエレベーター・トリックより、出没するオーバーを着た男のトリックを褒めているあたりが実に乱歩らしい。「本陣殺人事件」評でも琴糸のトリックを「そんなにうまくいくものだろうか」って疑問視してたもんね。
私自身、英文の「エンジェル家」を読んだことはないが、「原本の文章があまりよくない」と乱歩が言っているぐらいだから、実際スカーレットの筆力にいささか難点はあるのだろう。人間が描けていないとまでダメ出しはしないものの、遺産を巡る反目の中に読者が共感を持てる要素をほんの僅かでも書き込んでいたら・・・。その点、同じドロドロした相続がテーマの「犬神家の一族」と違ってドライなままというか、良い悪いはともかく救いのある結末ではない。
捜査される側だけでなく、ケイン警部&アンダーウッド弁護士のアプローチにしても、理詰めが徹底しているようで後付けなところが幾つかあり、隅々にまで作者の目が行き届いている感触は薄い。
(銀) 四十年ほど前に大庭忠男の訳が出て、その後、東京創元社はこの文庫再発してたっけ?もし本格長篇として評価されていれば、「名作ミステリ新訳プロジェクト」などと銘打って最新訳が出されていてもおかしくない筈。それが無いということは・・・。