2024年2月18日日曜日

『讀切傑作/スパイ捕物帖』

NEW !

今日の問題社  大衆文藝戰時版4
1941年5月発売



★★★    猟奇も淫靡も無かったことにする昭和16年




パールハーバー・アタックで日米が開戦。その半年前、【大衆文戰時版】と名付けられた叢書の一冊として、本書は刊行された。巻末に打たれた広告のラインナップを見ても、殆ど時代ものばかり。捕物小説に身をやつすか、もしくはスパイ間諜小説で御国への従順を取り繕うしかなかった探偵小説の肩身の狭さよ。

 

 

【大衆文戰時版】

1.     本社編󠄁輯部編      『捕物名作帖』

2.     同           『特選讀切小説傑作帖』

3.     同           『大衆讀物傑作帖』

4.     同               『スパイ捕物帖』(本書)

5.     野村胡堂著       『隱密捕物帖』

 

6.   横溝正史著       『紫甚左捕物帖』

7. 角田喜久雄著      『仇討捕物短篇集』

8. 村雨退󠄁二郎著      『幕末維新小説集』

9. 國枝史郎著       『武俠仇討短篇集』

10. 角田喜久雄著      『勤王武俠小説集』

 

11. 山手樹一郎著      『讀切時代小説選集』

12. 湊邦三著        『源七捕物帖』

13. 山本周五郎著      『浪人一代男』

 

 

『大衆文藝戰時版』刊行趣旨を謳う最終頁のうち、次の部分は大衆文学を研究する人の一助になるかもしれないので転載しておく。 

 

〝近來本書が線への慰問書として活用せられ、銃後の家庭に、農村に、工場に多數愛讀せられつゝあるのに鑑み、小社如上の刊行趣旨を巖守して、内容を選定し過去の大衆文藝の持つ獵奇性と淫靡性とを拂拭した健全なる大衆的魅力に富んだ文藝作品を戰線に銃後に汎く贈らんとするものである。〟 

 

つまり【大衆文藝戰時版】の単行本は千人針なんかと一緒に慰問袋に入れ、戦地にいる日本兵へ送るためのアイテムとして発売されたようだ。上記に挙げた刊行趣旨にある〝内容を選定し過去の大衆文藝の持つ獵奇性と淫靡性とを拂拭した健全なる大衆的魅力に富んだ文藝作品〟みたいな文言を目にすると、ポリコレの如き奇病が生まれるはるか昔から日本人というのは、それまで歩んできた自らの轍を無かったことにするのがどうにも好きな人種だったんだなア、と薄ら寒い気分になる。

 

 

 

本書収録作品はこちら。 

時代小説「夜霧の捕物陣」野村胡堂

間諜小説「上海」木村荘十

時代小説「維新夜話」山手樹一郎

科學小説「怪兵器の自爆」蘭郁二郎

 

若様侍捕物「埋藏金お雪物語」城昌幸

黒龍團秘話「孔雀莊事件」甲賀三郎

鷺十郎捕物「いろは政談」横溝正史

間諜小説「混血の娘」大下宇陀児

 

 

 

捕物小説と探偵小説が半分半分とは、戦時下ならではの珍妙なセレクション。時代ものではない作品のみ簡単に触れておくと、木村荘十の「上海」はややこしいことに、『外地探偵小説集/上海篇』に収められていた「国際小説 上海」と作者は同じながら全くの別物。蘭郁二郎「怪兵器の自爆」はタイトルからある程度の内容を想像できるので、詳しい説明は要らないだろう。 

 

 

甲賀三郎「孔雀莊事件」は、まだ学校を出たばかりの新米刑事・塚越青年が主人公。経験不足な彼は探偵讀本から得た知識を頼りに、殺人事件を捜査する。日本の探偵作家がスパイ間諜ものでお茶を濁すしかない状況下、めげることなく探偵小説の存在意義を作中にてアピールしているのが甲賀らしい。大下宇陀児「混血の娘」に登場するルヰ子は、父をロシア人に持つハーフ。外国人の血が流れていると、今以上に差別的な目で見られていた戦前の日本社会。人情派の宇陀児がルヰ子にどんな役割を負わせているか注目。 

 

 

ご丁寧に本書は裏表紙にまで〝戰時下國民の健全娛樂 スパイに注意しませう〟の標語が入っている。大東亜戦争中あれだけパイに入りこまれて痛い目に遭いながら、21世紀になっても能天気なニッポンは相変わらずスパイ天国のまま。学習能力の無い人間ほど愚かな生き物はいない。

 

 

 

 

(銀) 昭和10年代後半に刊行された日本探偵小説のアンソロジーは、(出来の良い作品を期待し過ぎてもいけないけれど)その作家の著書に未収録な作品があったりして悩ましい。この年代のアンソロジーに一度収録されただけで消えていった短篇はそれなりに存在している。

 

 

 

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