2024年2月23日金曜日

『ゴルドン・ピム物語』エドガア・アラン・ポオ/岩田壽(訳)

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春陽堂 世界名作文庫 四三二
1933年3月発売



★★★★★   南極海の白き巨人




 オールドスクールな海洋探検小説にして、ポオ唯一の長篇。ヴェルヌやウェルズより先にSFの分野をシレッと開拓していたとは、この人の先駆者ぶりも神懸かってますな。ポオの短篇から窺える神経質なレトリックは、詩的で濃密。仮にストーリーの情景描写を映像のカメラワークに喩えてみると、(同じ海を舞台にした内容でも)渦巻に呑み込まれる卑小な人間の恐怖をスローモーかつ雄大なヴィジュアルで捉えた「メエルストロウム」に比べ、人の動きの多さなども考慮してか、本作は短篇の時より若干カジュアルなフレームでもって活写した趣きがある。

 

 

 

☪ この長篇は、探検から帰還したアーサア・ゴルドン・ピムの手記を基にしている。

冒険に憧れていたピムは、親友アウグスタスの父・バアナアドが船長を務める米國帆船グラムプス號に忍び込もうと計画。それが実行可能だったのは、アウグスタスも彼の父と共にグラムプス號に乗船するため。

さて、恙なく船は出航。船倉に潜んでいるピムは、アウグスタスが呼び出してくれるのを何日も何日も待ち続けているけれど、そんな気配が一切感じられない。それもそのはず、ピムの知らぬ間に乗組員達が暴動を起こしバアナアド船長は殺されていた。グラムプス號は乗っ取られていたのだ。

 

 

 

本書に没入していると、或る特徴に気付く。最初の数章こそ僅かに例外はあるにせよ、登場人物同士の会話がどれもこれも鍵括弧(「○○○○」)で表現されていないのだ。

これはポオが能動的にそうしたのか、あるいは自然とそういう風に落ち着いていったのか、推測するしかないとはいえ、(オーギュスト・デュパンの登場する)論理的作品にて会話の応酬を重んじているのと異なり、「メエルストロウム」や「陥穽と振子」など恐怖小説の場合、一人称の語りが優れた効果を生み出すことを偉大なるポオは実践してみせてるんだなあと、勝手に感心するばかりの私。

 

 

 

前半のハイライトは、咽喉の渇きや空腹によって極限状態に追い込まれた人間がケダモノと化すカニバリズム(!)の場面。とはいっても、19世紀の小説だから目を背けたくなるほど煽情的ではないが。嵐に襲われグラムプス號は崩壊、理性を失ったも同然のピムたちが死と隣り合わせの状態で漂流し続けるくだりをクライマックスに位置付け、この流れのまま幕を下ろすのも一つの選択だったかもしれないけれど、話はまだ終わらない。

 

 

 

☪ 幸運にもピムたちは貿易船に救出され、その船に受け入れられて一行は南極へ向かう。創作ではない現実の人類が南極大陸を発見したのは、1800年代前半と云われている。南の極地についての知識は、本作(1837年発表)を執筆していた頃のポオにはまだ無いと思われるし、おそらくここに書かれているランドスケープは架空のイメージだろう。水温や気温の数値なども想像で書いていたって不思議は無い。

で、一行は未開の群島に住んでいる野蛮な土人の集団と遭遇。酋長トオ・ウイトをはじめ、最初はピムたちに親しく接してきた土人どもだったが実は・・・というのが後半の粗筋。要点だけを紹介してきたが、これ以上は伏せておかねばなるまい。

 

 

 

まだ本作に接したことの無い方は今日の記事をここまで読んで、「後半やや盛り下がりつつ終わってしまうの?」と思うかもしれない。おっとどっこい、最後に意味不明な謎のラストシーンが待ち構えているんですね~。

幻想的な白い瀑布に向かって(このあたり、原作「デビルマン」の結末にも似た神聖な空気に包まれている)、ゆっくりと進むボートの上でピムが目にする〝人間とは比較にならないほど遥かに大きく、雪よりも純白な皮膚の色をした、人の姿をしたもの〟とは果して何だったのか?そこまで回想の手記を書いたところで肝心のピムが自殺してしまっており、最終的にどうやって彼は極地から生還したのか解らぬまま、The End

 

 

 

☪ 世界中どこを探しても、本作を「一部の隙も無く構築された長篇」だと誉めそやす人はまずいないだろう。期せずして江戸川乱歩が矛盾の無い長篇を作り上げるのが苦手だったのと同様、ポオも思いつくままエピソードを書き連ねた結果がコレだったのかもしれない。それでも凡庸な探検小説に終わらず、21世紀のいま読んでも作品の中に【イヤ~な感じ】や【神秘性】が保たれているのは立派だ。完成度だけ目を向けるなら★5つの高評価なんてありえない。それでも私は本作の【荒々しさ】と【不穏さ】を買う。テケリ・リ! テケリ・リ!

 

 

 

 

(銀) 本書の訳者・岩田壽(=岩田寿)だが、ネットで調べてみても、他にどんな訳業があるのか見つけられなかった。岩田寿の訳による「ゴルドン・ピムの物語」は2006年にゆまに書房が発売した『昭和初期 世界名作翻訳全集』のうちの第二期第69巻(本体価格4,300円)として復刊されているようだが、オンデマンドなんで、おそらくそこにも彼のキャリアに言及した解説は載っていない気がする。そもそもこのオンデマンド版、今でも売ってるのかな?

 

 

巻末に付された「譯者の言葉」を読むと、以前からすでに「ゴルドン・ピム物語」は訳していたらしく、この春陽堂世界名作文庫に入ることが決まって、訳し直そうとしたのだが実行できなかったという。「ついては将来もっと良心的な改訂をしたい」と述べているが、少なくとも岩田寿名義ではそのような改訂はなされていない。

 

 

翻訳者としてどれぐらいスキルがある人なのか皆目見当もつかないけれど、戦前の翻訳レベルを鑑みても、精度がもうちょい高かったらな~、と思った。本音を言えば、渡辺啓助・渡辺温兄弟の訳で本作を読めたなら、それこそ至福だったろう。

 

 

 

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