「殺された七人の女」(本書の扉頁、並びに目次では「殺された七人の娘」と表記)
「レビュー劇場の殺人」
「赤髭の男」(若狭邦男『探偵作家発見100』では「未髭の男」と誤記されて紹介)
「死化粧の女」
「夜の歩行者」
木内廉太郎については、本書『殺された七人の女』、そして『影なき殺人』(「影なき殺人」「三人目の被害者」「赤錆御殿の殺人」の三篇を収録/1950年1月発行)、それ以上の情報を持っていない。単行本二冊とも発行元は足立区千住の治誠社。探偵雑誌やアンソロジーに木内の作品が収録されていた記憶が無く、どういう人物なのか情報もゼロなので、とりとめなく推測してみるしかない。
お世辞にもこなれているとは言い難い文章。原稿用紙にペンを走らせている段階で作者が漢字に弱かったのか、もしくは本の発行時に(版元が空襲で焼かれて)満足な植字ができなかったか、普通に表記されておかしくはない漢字があっちでもこっちでも、ひらがなに開かれているのが目立つ。
〈例〉
一斉に → いつせいに
時折 → ときおり
仰向け → あふむけ
暗澹たる → あんたんたる
到底 → たうてい
推定 → すい定
丹念に → たんねんに
血痕 → 血こん
こういう傾向は終戦直後の本や雑誌にありえなくないけれど、なにげに本書は戦前の旧い漢字や表現も使われているし、青年らしい筆の蒼さが紙背から伝わってこないので、当時の木内廉太郎は既にある程度の年齢を重ねていたのかもしれない。
ここに描かれているのは、敗戦ですさみきった東京の犯罪。杉本三郎という探偵が「殺された七人の女」「レビュー劇場の殺人」「死化粧の女」に登場するが、おしゃれ好きな妻がいる事の他に、さしたる特徴は見当たらない。「死化粧の女」の文中にて(岡本綺堂の)半七に触れてみたり、作者が捕物小説の読者であることを匂わせるくだりはあっても、執筆を生業にしている人の仕事には思えぬ。おそらく文筆業とは無関係な市井の存在で、戦前からの探偵小説好きが高じたため、それっぽい小説を幾つか書いてみた、そんなところじゃないかな。全然違ってたら大笑いだね。
(銀) 若狭邦男『探偵作家発見100』における木内廉太郎の項では、本書より先んじて発行された「木内廉太郎探偵小説傑作選集」と称する五冊の小冊子(?)『レビュー劇場の殺人』『殺された七人の娘』『岩崎家の殺人事件』『赤髭の男』『死化粧の女』に言及している。これらの小冊子発行元は世田谷区北澤のルパン社であって、足立区千住の治誠社とは異なる。
本日の記事にupしたこの仙花紙本では「殺された七人の女」になっているが(下線は私=銀髪伯爵による)、「木内廉太郎探偵小説傑作選集」では「殺された七人の娘」と表記。治誠社版で再発する機会に〝娘〟から〝女〟へと変更したのだろうか。それでも本書の扉頁と目次では〝娘〟のまま、変更し忘れている。
「木内廉太郎探偵小説傑作選集」の『レビュー劇場の殺人』『殺された七人の娘』『赤髭の男』『死化粧の女』がそのまま本書に再録されているのであれば、当然「岩崎家の殺人事件」って「夜の歩行者」のことかと早合点してしまいがちなれど、本書に収められている「夜の歩行者」を読んでも、岩崎家なんて一家は出てこない。ルパン社版「木内廉太郎探偵小説傑作選集」を手にしたことがないから確実とは言えないものの、「岩崎家の殺人事件」だけは治誠社の二冊の単行本に入っている作品と重複していないようだ。
作家として特に名を成してもいないのに、「木内廉太郎探偵小説傑作選集」と銘打って予約広告を打ってみたり(本当に予約を募ったのかな?)、杉本三郎を有名な名探偵にしたり、そんな行動もアマチュアらしい稚気の表われに違いない。