2021年5月22日土曜日

『孔雀の羽根』カーター・ディクスン/厚木淳(訳)

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創元推理文庫
1980年12月発売



★★★★   他の作家ならともかく、カーゆえに厳しめの評価



例えば今、雑居ビルの1Fの室内にひとりの元高校球児がいます。雑居ビルの目の前には小学校のプールの横幅より少し短い位の道路が通っています。そこでTVのリモコンを彼に投げてもらい、雑居ビルの道路の真向かいに立っているコンビニ(駐車スペースは無し)の入口ガラス上半分の範囲に限定して、命中させてもらう実験をやってもらいましょう。たった一度限りのチャンスで見事に命中できるとあなたは思いますか?それとも「野球のボールならともかく、リモコンじゃ無理だろ」と思いますか?謎の核心のうち真犯人などには触れておりませんが、『孔雀の羽根』のストーリーを御存知無い方は本日の記事は読まないほうが無難かもしれません。

二年前「ロンドンのある番地に十組のティー・カップが出現するから監視せよ」という意味不明な警告が警察に送られてきた。その手紙に書かれていた空家でダートリーという男性が被弾して死亡、ハンフリー・マスターズ警部はその事件を解決する事ができなかった。再び、同じような文言の手紙が警察に届く。マスターズ警部は指定されたその日、問題の家の周りに人員配置していたが不審者の誰ひとり出入りの無い状況下、ダートリーと同じように室内でヴァンス・キーティング青年もまた被弾して命を落としたのであった。

 

 

自殺であるならば死者による二発目の銃弾発射はありえないような死に方なのに、なぜか二発目の弾痕が残っている処から不可能犯罪の疑惑が強まる。一発目のからくりはOKとしても、二発目におけるカーの創意は如何なものだろう?〝保護色の目眩まし〟と〝物の移動〟というトリックは実に面白いけれども実際にバレるかバレないかといったら、張り込み中の警察もしくは通行人の誰かにどうやっても〝保護色〟の点はバレるだろうし、一方〝物の移動〟にしたって「そりゃ無理だわ」・・・と私は本書を読みながら思ってしまった。せめてドイルの「ソア橋」みたいに紐みたいな物がないとこのやり方では確実に遂行できそうにない。終盤に至って家具のトリックがよかっただけに、あと少しリアリティをどうにかしてほしかった。

 

 

それだけの齟齬ならまだ★5つにしてもよかったけれど、タイトルにもなっている〝孔雀の羽根〟の意味はあって無いようなものだし、なによりも十組のティー・カップ=秘密結社の暗躍の気配を振り撒いといて、これまた揺るぎない必然性が無いのが物足りない。私はカー作品に対し常にオカルトとロマンスが必須だとは思っていないから、このふたつの要素が本作になくてもそんなに問題ではない。印象としてはH・Mの傍若無人さで笑わせる演出を控えめにしているぶん、苦戦するマスターズ警部のしんどさが物語全体の起伏を幾分か固いものにしている気がする。警部の部下であるポラード刑事にもっと活躍の場を与えてやってもよかったのではないか。

物語の起伏の固さというのは中盤の動きの無さから来ているのだけれども、その辺の問題は良い翻訳者の新訳でリニューアルされれば、もしかしたらすごく改善される可能性だってありうる。そんな再発を期待してこの旧訳版は満点ではなく★4つに留めたものの、実質的には評価の低い★5つのカー作品とほとんど差は無い。


 

 

(銀) 会話の中で『赤後家の殺人』事件に言及されているので、現実の執筆順に沿い、作中の時間軸の中でもこれはマントリング家事件後の話と見て間違いない。本作は1937年発表。翌年には『ユダの窓』が書かれるのだから、時期的に不調な訳では決してない。H・Mの謎解きにて〝32個〟にも及ぶ手掛かりを(伏線が張られていたのがどのページだったか)わざわざ並べているのも、カーのテンションが高い証拠。とはいえ毎回大傑作が生まれるとは限らず、翌1938年に文句なしのマスターピース『曲がった蝶番』があるかと思えば、あまり評価できぬ『死者はよみがえる』があったりもする。