2021年2月1日月曜日

『幽霊紳士』大下宇陀児

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東都我刊我書房
2021年2月発売



★★     本当に宇陀児本人が書いたものなのか?




大下宇陀児の長篇「恐怖の歯型」は博文館の月刊誌『朝日』に、江戸川乱歩「孤島の鬼」が完結した次月の昭和53月号から連載が始まった。『「新青年」趣味』ⅩⅦ 特集大下宇陀児』に載っている著作目録を見ると、最終回は昭和66月号と書いてあるけれども、同じ博文館の雑誌である『新青年』『文藝倶楽部』の手持ちの号を開いてみたら、『朝日』の広告の中に「恐怖の歯型」のタイトルが見られるのは昭和64月号まで。『朝日』の昭和656月号は持っていないため、最終回が本当は何月号だったのか現物にあたれないのが残念。

 

 

それはさておき今回発掘された「幽霊紳士」は昭和9年の夏から半年、北海道の『室蘭毎日新聞』に連載されたもの。ネットで調べたら、この新聞は現在の『北海道新聞』→『室蘭日報』の前身にあたるというからよく残っていたもんだ。で、この作品は実質「恐怖の歯型」のヴァリアントだったのである。

 

 

ある新聞に連載した小説をタイトルだけこっそり変え、離れた地方の別の新聞にも連載する前例は国枝史郎『犯罪列車』正木不如丘『正木不如丘探偵小説選Ⅱ』の記事にて紹介したが、これは月刊誌に連載した長篇をデイリーの新聞でも再利用し、元のタイトルの痕跡を全く残さない改題だけでなく登場人物名をも変更してしまったという、あまり無いパターンの珍品。 


 

                   



実際に読み進めてみると、どうにも気になる点があれこれ多いので箇条書きにしてみた。本書のテキストと比較をする際、博文館版初刊本『恐怖の歯型』は友人にあげてしまったので、昭和7年に出た同作の春陽堂日本小説文庫版(以下、【春】と略)を使用している。

 

 

    本書では、「~してくれ」という言葉の〝 くれ 〟がどれもこれも〝 呉 〟と書かれていて 物凄く違和感がある。宇陀児の他の戦前本で、こんな書き癖はしてなかったと思うのだが。ちなみに【春】を見ても、〝 くれ 〟は〝呉れ〟と書いてあった。

 

 

    更に「血痕」を〝 血こん 〟「失踪」を〝 失そう 〟などと書いているのも不自然。【春】をはじめ、景気が良い頃の戦前の本は総ルビが普通やぞ。戦後の春陽堂ならともかく、こんな中途半端に漢字を開く意味がわからん。

 

 

    地名などは変えてないのに、どういった理由で登場人物名だけ変えてしまったのか?それにどうして「幽霊紳士」なんてタイトルに? 「吸血紳士」ならまだわかるけどさ。「恐怖の歯型」の場合、最初はルブラン「虎の牙」を意識していたのかもしれない。歯型だけを死体に残すのならいいとしても、血を吸い出して殺す理由付けが無く、詰めが甘い。



   ちなみに初出誌『朝日』では、第一の死体が発見される場面にて「青年にのしかかって喉元に牙を立てようとしている巨大な蝙蝠」をイメージした挿絵が岩田専太郎によって描かれている。


 

                    



これらの特徴から「幽霊紳士」は本当に大下宇陀児本人が書いたものなんだろうか? という疑いが浮かんでくる。宇陀児の文章にしては妙にアラが多すぎるのだ。江戸川乱歩でいうところの井上勝喜みたいな小遣い稼ぎをさせなくちゃならない舎弟が宇陀児にいたなんて話は聞いたことが無い。序盤にて同一人物の名前を、変装している訳でもないのに「藤川忠司」と「仲木良三」でゴッチャに表記していたり、プロの作家がこんな恥ずかしい真似をする?  

 

 

他に考えられるのは執筆者以外の、原稿を活字にする人間に問題があったという可能性。「幽霊紳士」が連載された『室蘭毎日新聞』の担当が使えない役立たずだったとか。でも毎日そんなんじゃ新聞なんて作ってられないし、この本のテキストを打ち込んだ人物のほうがまだありえるかも。論創社のせいでヘボな校正には敏感になっているからな、私は。

 

 

昔の本だと、会話でもない地の文にまで鍵括弧(「」)を付けているミスはしょっちゅう見かける。こういうのは大体の場合において、間違いだとすぐ判断できるから、再発する際には校正の段階で訂正してしかるべき筈なんだが、本書を読むと訂正されぬままの箇所が、これまで善渡爾宗衛が盛林堂から出してきた本より多く感じられた。どっちにしても、初出の『室蘭毎日新聞』コピーさえ取り寄せて、そこでの文章が本書とそっくりであったなら、『室蘭毎日新聞』の当時の担当者及び本書テキストを打ち込んだ人物に対する容疑は晴れる。


 

 

本作は『大下宇陀児探偵小説選Ⅰ』に収録されている「蛭川博士」同様に、突出した犯罪者や探偵役がいないぶん、市井の人々がひたすら錯綜するので、最後まで読まないと主人公は誰だったのかはっきりしない。こういうのも宇陀児の戦前長篇の評価がされにくい原因か。

上記で触れた宇陀児特集の『「新青年」趣味』で、「恐怖の歯型」について横井司は、「戦前期の本格長篇としては完成度が高いといえよう」とコメントしているし、また本書巻末の解説にて編者・善渡爾宗衛は本作を「大下宇陀児の代表作」と書いている。え~、どう贔屓目に見ても本格長篇は言い過ぎだろ。単行本になった回数はそこそこあるけど、「恐怖の歯型」って宇陀児の代表作と呼べるかね?



 

 


(銀) レアな作を見つけ出して、本にしてくれるのは有難いけど、これはちょいと問題多し。今回の「幽霊紳士」も全一五七回のうち、五十八回/九十二回そして一五一回以降が欠落していたので、その部分はオリジナルの「恐怖の歯型」テキストを流用、人物名だけ「幽霊紳士」風に調整したそうだ。

 

 

ということは、真犯人の遺書が明かされ事件が解決したあと、或る二人の登場人物(一応伏せておく)の行末がもしかすると「恐怖の歯型」とは違っている可能性だって、無いとはいえない。それにしてもプロローグで、青年音楽家にネチネチ言い寄っていた××××(同じく自粛)の言動はいったい何だったのか? 謎を増やす為の無駄な動きは困る。

 

 

内容もさながら、善渡爾宗衛の宇陀児本は徐々に値上がりして本書はこのボリュームで5,000円だと。刷り部数が少ないからって、この価格は妥当なのか?