✤ 長篇「紅い顎巻」。ヒロイン中御門紅子と彼女を秘かに愛する、語り手であり探偵小説家の「私」。対するに養子ながら紅子の兄にあたる茂樹と従兄妹の大隅武夫・嘉子。元侯爵だった紅子の父・公友のせいで複雑なる過去を持つ三人。彼らに憎しみの殺意はあるのか、ないのか?ジリジリするような緊迫感を味わえる。
本巻は初出誌が底本だが、この作は後に「黒い疑惑」→「恐怖の影」と改題。本巻では全八章の章立てだが、「黒い疑惑」以降その章立てが無くなり細かく小見出しが付けられ、筋の変更は 無さそうだが単語の書き換えがされているようだ。岡田鯱彦描くところの主人公は男性ホルモンの少なそうな男が頻繁に出てくる印象がある。この作などもまさにそう。「私」がさっさと紅子をものにしていたなら、最悪な結末に誘う後半のスキー旅行・狼峠の惨劇を避けられたものを。
✤ 続いては、『地獄の追跡』(58年/和同出版社)に収録されていた鯱先生物盗り帳十篇。ライトタッチなルパン風の白浪物。その中ではケミカル・トリックの「生不動ズボン」が鯱彦にしては珍しい。
✤ 残る三短篇。「地獄の一瞥」はお得意の樹海サスペンス。「獺峠の殺人」は「紅い顎巻」の原型のようなプロットだが、発表は一か月こちらの方が遅い。「獺峠の殺人」で新進探偵作家として登場する尾形幸彦の存在は、前述の鯱先生シリーズの或る作品では私立探偵またはG大学教授として侠賊の偽名に使われている。鯱先生は明らかに尾形幸彦ではないが、本書以外の他の作品に出てくる尾形をすべて同一キャラと見做すにはよく検証が必要。この時代にはやたらと作品の改題・改稿が多く、その弊害でもある。「天の邪鬼」は初めて彼の小説が活字になったと云われる1949年の非ミステリもの。
✤ 80年代以降、『噴火口上の殺人』(01年/河出文庫)を除くと「薫大将と匂の宮」ばかりを中心に本が出ていたので、他の鯱彦作品にも光が当たる機会が廻ってきて喜ばしい。前巻の金来成がカテゴリ違いな上に愚作、どうにも首をひねりたくなる収録内容だったから、今後は期待を裏切るなかれ。次回配本は『岡田鯱彦探偵小説選 Ⅱ』。