2022年10月14日金曜日

『毒虫』宮野村子

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2022年10月発売



★★★★    そろそろ長篇も




まだまだ続く盛林堂ミステリアス文庫の宮野村子未刊作品集。本書の半分近くは雑誌『宝石』に発表されたものだし、それほど残りカスな感じは無い。その辺は制作者が最初のほうに良いものを集めすぎて後から出す本はクズばかりにならないよう塩梅しているのかもしれない。収録順は時系列に並べられている。

 

 

 

 「花の死」

戦前作を除くと、わりとキャリアの初期(昭和24年)に発表されたもの。この頃はまだ宮野叢子名義。戦争で身寄りの全てを失い、一人で生きていかなければならない冬子。仕事を求めて職業安定所に足を運んでいた冬子の前に現れた、上品で鄭重な老婦人の目的とは?てっきりドイルの某短篇翻案かと思いきや、また別のドイル短篇みたいな様相を一瞬呈しかけ、結局 (マナーとして伏字にしておく)の悲劇だった事がわかる。 を扱った短篇を集めて一冊のアンソロジーができるぐらい、日本探偵小説にはこのテーマがちょくちょく使われている。

 

 

 

❖ 「切れた紐」

これはもう探偵小説というより悲惨小説と呼んだほうがふさわしく、悲惨小説のアンソロジーがもしあったら是非入れてもらいたいほど救いの無いストーリー。本作に登場する不幸な娘・ナミに近い素材をかつて夢野久作も手掛けたことがあって、彼の作品は淡々とドライかつシニカルな視点で書かれていたが、宮野村子の場合はナミの母・お幾の心情が当時者としてドロドロに曝け出されているため、久作作品と対比してみるとその違いが興味深い。「切れた紐」は久作の某作よりずっと枚数が多いので、クドさも大盛り。

 

 

 

❖ 「轟音」

財産が目当てで片足が跛のハンデを持つ美根子と結婚した竜二。その財産もすっかり使い果してしまい、非情な竜二にとって美根子は最早邪魔な存在でしかなかった・・・。鮎川哲也だったらこのシチュエーションならきっと凝ったトリックをこさえるだろうし、大下宇陀児だったら子供をうまく動かしただろうな・・・と思う。その辺にちょっと食い足りなさが残った。

 

 

 

❖ 「一つのチャンス」

宮野には珍しく女性誌『新女苑』に書いた一篇。読者層を意識したのか、事件は舞踏劇「香妃」が開催されている歌舞伎座で発生。毒入りチョコレートのロシアン・ルーレット。

 

 

 

❖ 「花の肌」

事業に成功して金には困らない中高年男性が甘く柔らかい香りを放つ若い女に夢中になり、強引に再婚。しかし同居している(前妻の残した)長女が若妻に敵意を持ったり、些細な事から若妻に対して男は嫉妬と疑惑を持ち始めたり・・・といったありがちなパターンの展開は皮肉な末路を辿って、因果応報なThe Endへ。

 

 

 

❖ 「玩具の家」

中河家の人間関係や犯罪発覚の顛末よりも、明夫少年におみやげとしてプレゼントされた積木の玩具が私は気になってしょうがない。さまざまな形の木片を組み立てるこの玩具、数色のペンキというか塗料が付属していて、子供が好きな色に塗り変えられるというが、こんな塗料を小さな子供に持たせたら部屋の中がベトベトに汚されてしまうんじゃないんかい?

 

 

 

❖ 「護符」

宮野は少女時代を満洲の大連で過ごしたという。その頃、実際耳にしていた話なのか、それともフィクションなのかは判らないが、満鉄(南満洲鉄道株式会社)の社員を登場させている。これを当時リアルタイムで書いていたら日本人批判など絶対に許されなかっただろう。ここからクライマックス?というところでブツンと終わってしまうのが疑問。

 

 

 

❖ 「神の悪戯」

ウブな峰子は真面目な青年・行雄とつきあっているが積極的な恋愛行動を執れずにいる。そこへ学生時代の友人・千枝子と再会、若くして上流夫人になっていた千枝子は生来の我儘かつ歪んだ性格が増長しているらしく、峰子のカレである行雄に手を出したり、ホモの男達がホストとして集っている秘密クラブ「黒い薔薇」へ無理矢理峰子を連れてゆく。一応〝倒叙〟な結末ではあるけれど、千枝子や「黒い薔薇」に表現される汚れた世界とのバランスが不均等というか、うまく溶け合っていない感じがした。

 

 

 

❖ 「毒虫」

本書のタイトルにされてはいるが、それほど飛び抜けた佳作でもない。毒虫というのは言うまでもなく〝ゆすり〟を働く者の形容。

 

 

 

 

(銀) 巻末には「現在も宮野村子の著作権継承者を探しています。ご存じの方がいらっしゃいましたら、編集部までご連絡を頂けますと幸いです。」とある。宮野は新潟生まれだと云われており、裕福だったかどうかはわからないが平均水準以上の家庭で育ったと思われる。けれど晩年は視力を失い立川の老人ホームに入っていたようで、施設に入っていたから寂しい最期を迎えたと決めつけるのはよくないが、津野家の親族はもう完全に絶えてしまっているのだろうか。それとも盛林堂の人間が著作権継承者を探しきれていないのか・・・。正当に作家の印税を受け取るべき人がおらず、古本ゴロばかりが私腹を肥やすなんて絶対あってはならない事だ。

 

 

盛林堂書房はあと二冊(一冊は子供向けの作品集)宮野の単行本を出すつもりらしい。既に未刊作品短編集が四冊出ているから、マンネリ防止のためにもそろそろ「血」「流浪の瞳」など既刊長篇をかましてみるのも悪くない。が、店主小野純一によればそれらの既刊長篇をもし仮に復刊するとしても、現在の未刊作品短篇集を出し終わった後にしたいそうだ。そりゃそうだろうな。彼らにとっては長篇を復刊することで、5ケタの高値がまかりとおっている宮野村子既刊本の古書市場価格が下がってしまう状況は決して望んでいないだろうから。





2022年10月11日火曜日

『橘外男日本怪談集/蒲団』橘外男

NEW !

中公文庫
2022年7月発売



★★★   線香を焚きながら読みたい




「蒲団」

時は明治。舞台は上州多野郡とあるから今でいう群馬県高崎~藤岡あたりか。町の古着屋が東京で、掘り出し物の上質な四枚一組からなる青海波模様の縮緬蒲団を仕入れてきた。以来その古着屋の景気はどういう訳か下り坂になり、ある大雨の夜、丸髷を結った物凄いほど美しい一人の女が店を訪ねてくる。応対した店の主人の妻によれば、芸妓らしい腰巻(ゆもじ)姿のその女の顔は蠟のように青白く、腰から下が血に染まっていたそうで・・・。

 

昭和12年の傑作。橘外男の頭の中には阿部定事件がモチーフとしてあったのかもしれない。阿部定が逮捕されたのは「蒲団」が雑誌『オール讀物』に掲載される前年のこと。

 

 

 

「棚田裁判長の怪死」

旧藩城代家老の家柄である棚田家の先祖には癇癖が強く残忍な者がおり、家老職の力を振り翳し気にくわない下の身分の人間をたいした理由も無いのに虫ケラ同然に手討ちにしていた。棚田家の裏手にある杉の森や沼の近くにはその昔仕置き場があって、無惨に殺された人達の怨霊が今でもさまよっているから決して近づいてはいけない・・・というのが古老の口癖だった。

 

主人公の前島は数年ぶりに旧知の棚田晃一郎に会うべく九州の棚田家を訪ねる。彼は司法官試験に合格して判事にまで出世、今は名古屋に居るという話であった。それから数年が経ち、前島が海外の医療機関を視察するため西独逸のボンに滞在している時、晃一郎をよく知る判検事の集団と顔見知りになる。彼らの話では晃一郎は三浦襄のペンネームで作曲家としても才能を発揮しているそうなので、ドイツ一のピアニストとして知られる親日家のリーゼンシュトック教授にぜひ晃一郎の曲を弾いてもらおうと頼んでみたのだが、教授は異様な反応を見せる・・・ 。 

 

これも「蒲団」同様、『オール讀物』に発表された短篇。棚田家の所在地は九州大村とあるから長崎か。そういえば「双面の舞姫」にも長崎は出てきてたっけ。

 

 

 

「棺前結婚」

解説で「棚田裁判長の怪死」は〝構成的にやや緊密さを欠くきらいはある〟と評されているが、私はこの「棺前結婚」における杉村青年の描き方のほうが少々気になる。多少病弱である以外は家柄・ルックス・性格すべて非の打ちどころがない娘・頼子を娶らせてもらったのに、彼の母親がろくでもない奴でいたいけな頼子を追い詰め、杉村青年は頼子の苦悩に気付きもせず助けようともしなかったために悲劇が訪れる。悲劇が起こる前の杉村青年は悪い意味の真面目な学問バカで思いやりの欠片さえ見せなかったのが、悲劇の後では随分キャラが変化しているように見え、この作を読むたびに私は「母親も相当アレだけど、この朴念仁の杉村青年が後半こんな風に変貌するのはやや無理がないかなァ」と思ってしまう。

 

 

 

「生不動」

本書収録の他の短篇よりもかなり枚数が少ない作品。北国で起こった火事の物語だが、ここでは死者の〝念〟は描かれてはいない。

 

 

 

「逗子物語」

あの辺りをご存知ない方からすると、逗子は湘南のさわやかなイメージしかないかもしれないが小坪のお化けトンネルが有名だったり(トンネルの上には火葬場がある)、意外にコワイ側面も持ち合わせている土地なのである。逗子~葉山の後方にはこんもりとした山があって、かつてはこの作品みたいな現象が起きても不思議ではなかったに違いない。

 

 

 

「雨傘の女」

これも小品。『ミステリ珍本全集⑥ 私は呪われている』にも収録。

 

 

 

「帰らぬ子」

これはミスター・タチバナが語り手となって進行する橘家(?)の物語。怪談というよりは作者の子煩悩さ全開な、ラストにはほっこりさせられる内容。令和の時代でも山にて遭難する事故は発生しているから、くれぐれも登山にはご注意を。


 

 

 

(銀) この文庫の帯には「日本のポー」とか「現代ホラー界の先駆者」と書かれているが、本書に収められている橘外男怪談作品のルーツはポオのような海外ものではなくて、三遊亭圓朝など日本人ならではの信心深いマインドから来ているような気がする。ホラーって怪談と同義のように扱われているけど、情緒感が全然違うと思うのダ。

 

 

「雨傘の女」以外の、本書における底本は中央書院版『橘外男ワンダーランド』(1)と(6から採られている。今回の作品選定を行ったのは中公文庫編集部みたいで、探偵小説にあまり詳しくない人の仕事だから仕方ないけど、できれば底本は手抜きせずに初出誌から採ってほしい。作品の出来は文句なく満点だけど、その点に関しては★ひとつマイナスで、次回以降の本作りに活かしてもらいたい。

 

 

解説欄にて朝宮運河は〝外男の怪談をもっと読んでみたいという方には、山下武責任編集〈橘外男ワンダーランド〉全六巻がまずはおすすめである。〟と書いているが、この本は古本屋やヤフオク等でホイホイ簡単に買える程よく見かけるものではない。全国の図書館でもどれぐらい所蔵されているのだろう?だから橘外男の新刊は(精査されたテキストで)今後もリリースされなければならないのよ。





2022年10月3日月曜日

『sumus 第5号/第6号』

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編集人代表 山本善行
2001年1月発売〈第5号〉 2001年5月発売〈第6号〉




★★★★   熊谷市郎と『ぷろふいる』特集




2000年頃sumusというリトル・マガジンがあって、どこかの出版社に依存するでもなく、本好きな人たち数名の手で自主的にインディーズな形で発行されていた。このBlogでいつもなら版元を記している欄に編集代表人として個人名を表記しているのは、そういう理由があるから。今回紹介するsumus5号と第6号の奥付にクレジットされている顔ぶれは次の八名。

生田誠/岡崎武志/荻原魚雷/扉野良人/林哲夫/松本八郎/山本善行/吉川登






昨日の記事の主役だった九鬼澹は雑誌『ぷろふいる』に編集長として迎えられる。博文館から刊行されていた『新青年』と違って『ぷろふいる』は大手出版社がバックに付いておらず、関西の或る一人の探偵小説好事家が金主となって創刊した探偵雑誌だった。その金主というのが京都老舗呉服店の長男として生まれた熊谷市郎。80年代、西宮で古書店を営んでいた彼に接触した人があり、戦前~戦後に亘る探偵小説界での出版活動について老境を迎えていた熊谷にインタビューを行い、テープにしっかり録音していた。

そのテープの文字起こしをベースに、sumusが第5号でKIMM(くまがい・いちろうず・みすてりい・まがじん)~熊谷市郎氏の探偵小説出版~>と題されたレポート、第6号で<『ぷろふいる』五十年 熊谷市郎氏インタビュー>といった二つの特集を組んでいる。幻の探偵作家を追った企画はありがちだけど、このように出版人へと目を向けた資料は少なく、とびきり貴重で面白い読み物だ。






昭和12年に熊谷は事業でしくじりを犯してしまい、『ぷろふいる』は終刊に追い込まれる。その時彼は夜逃げ状態で京都を後にしたらしい。それでも探偵小説の出版をあきらめず、新しく熊谷書房を立ち上げ単行本を出し続けた。戦争で関西が焼け野原になっても、彼は大和郡山から神戸へ毎日通いながら再起を図る。結局『ぷろふいる』の権利は譲渡する事になったが、かもめ書房しかり、熊谷の出版に対する情熱の火が消えてしまうことはなかった。

昨日取り上げた九鬼澹の単行本『戦慄恐怖 怪奇探偵小説集』は八千代書院という版元から出ている。この八千代書院は竹之内貞和という人がやっていた赤本問屋だそうで、熊谷書房名義の単行本の中には熊谷がタッチしていないものが存在し、それらの本も竹之内貞和が資金を出していたと云う。既存の文献に書かれていた内容とはちょっと事情が異なっていたりもするので、こういう証言は有難い。






『ぷろふいる』は原稿料がかなり安かった。それが原因で「横溝正史も濱尾四郎も佐左木俊郎も延原謙も書いてくれんかった」と熊谷はボヤく。博文館の社員だった作家は(随筆なら結構寄稿してくれた水谷準以外は)小説を書いてくれなかったみたい。それにしても熊谷市郎はどっぷり関西の人でネイティブな関西弁を喋るため、文字に起こす際には細かいニュアンスを伝えるのが結構難しかったろうなあ、と第6号のインタビューを読んでいて感じる。

話の聞き手は川島昭夫と横山茂雄。文字起こしをしたのは扉野良人。横山茂雄は大阪の生まれだから、インタビューの会話の中で熊谷に合わせて関西弁を喋るのはいいとして、文字に起こした時に聞き手の言葉にまで関西弁が混じっていると若干紛らわしく見える。聞書きを文字に起こす作業というのは、方言で喋る人がいる場合には、いつも以上に繊細な作業が必要なんだなあ、とつくづく思った。






(銀) 当時の紙面では本名の熊谷市郎ではなく熊谷晃一と名乗っているが、『sumus』の特集記事においては熊谷市郎の名前で呼ばれているので、この記事でもそちらを踏襲している。この『sumus』第5号と第6号、古本市場でもそこまでバカ高い古書価格にはなっていない筈だから、興味のある方は是非見つけて読んでほしい。他の号にも面白い記事が載ってるヨ。





2022年10月2日日曜日

『戦慄恐怖怪奇探偵小説集』九鬼澹

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八千代書院
1947年5月発売




★★★    復刊するなら選りすぐりの短篇集にするか
               あるいは長篇「キリストの石」か




この人、昭和初期にはもう甲賀三郎の家に書生扱いで弟子入りしていて意外に日本探偵小説史への登場は古い。しばらくすると雑誌『ぷろふいる』編集長を務め、戦後には病死した甲賀三郎の全集刊行にも尽力している。九鬼が生前に発表した自著は(その多くが時代小説とはいえ)数十冊にものぼるというのに、今世紀に入って彼の探偵小説が一冊の本として復刊されることは一度も無く、アンソロジーに時々セレクトされるだけ・・・・といった状況。

 

 

 

昭和22年に出たこの『戦慄恐怖 怪奇探偵小説集』は戦前/戦後発表の短篇が混在。殺人方法に機械的ギミックを取り入れた「緑の女王」や、数ある豹助シリーズの一発目となる「豹助、町を驚かす」には師・甲賀三郎の影響が少し伺えるのが微笑ましい。だが本書に収められている短篇は多少荒っぽくても光るものがあればよかったのだが、コクが無いというのか読み終わったあと作品の残像が頭に残らなかった。

「神仙境物語」は北アイルランドの王家を舞台にした童話のような小品。「崩れる幻影」は一人の女性の自死を取り巻く男達の心理闘争。「三色菫」、この作にはA一號という名のスパイが登場することから、『ぷろふいる』昭和95月号より九鬼澹 →左頭弦馬 → 杉並千幹 → 戸田巽 → 山本禾太郎 → 伊東利夫というメンバーで書かれた連作小説「A1號」のうち、九鬼が担当した第一回〈密偵往来〉を改題したものだと思われる。

 

 

 

九鬼澹の場合、『ぷろふいる』あるいは甲賀三郎関連しか話題にならず、彼自身の作品の評判がちっとも聞こえてこないというのは探偵作家としてダメだということなのだろうか?いや、でも戦後の「キリストの石」(=「女と検事」)を古本で読んだ時そこまでつまらなくはなかった記憶があるし、あの辺の長篇、もしくは中短篇の一番よさげなものばかりを厳選した新刊本を一冊出して、改めて世に問うてみてもいいと思うけどね。

ただ、九鬼澹の長篇探偵小説の中には昭和10年代の防諜スパイ小説や昭和30年代のアクション・スリラーみたいなものも含まれるので、注意は必要。鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』の中で九鬼は「小栗虫太郎の短篇を代作したことがある」なんてショッキングな発言をしていて。それがどの作だったのか鮎川は作品名を明らかにしないまま亡くなったため、今も真相は藪の中だ。『「新青年」趣味』あたりでどの虫太郎短篇が九鬼の代作だったのか、アンケートを取ってみるのも面白い。え、私はどれだと思うかって? ム~、思い当たる作品が全然無いわい・・・。





(銀) 今日の記事に取り上げた『戦慄恐怖 怪奇探偵小説集』は、薄っぺらくて質の悪い仙花紙本だったから読んだ後の印象があまりよくなかったのかもしれない。新刊本で読んだらだいぶ景色が変わるかも。この本、普通の仙花紙本より文字のフォントが大きいのも好みじゃなかったしな。とはいえ本の再校をするのが面倒だなどと言う奴の同人出版なんかで復刊してもらいたくはないが。



九鬼澹というのは彼の最も旧いペンネームで、九鬼紫郎/三上紫郎と名乗っている時もあった。本名は森本紫郎。当Blogのラベル(世間のブログでいう〝タグ〟のこと)にはどの名前を使うか考えたが、彼が作家デビュー時に使った九鬼澹の名を登録する事にした。今後、九鬼紫郎や三上紫郎名義の本を取り上げる際にもラベルは九鬼澹としているので読者諒セヨ。





「豹助、町を驚かす」で始まった豹助シリーズ。豹助は「曙感化院」収容者のひとりで〝をかしなことに十五六の少年にも見えるし、獨特なデコ額や別個の生物のやうな兎耳を見てゐると二十すぎの若者とも思へる〟探偵小説が飯よりも好きな元・浮浪少年らしい。このシリーズも全部発表順に集めた本で読んだらどう映えるのか、気にかかる。





2022年9月26日月曜日

『川野京輔探偵小説選Ⅲ』川野京輔

NEW !

論創ミステリ叢書 第128巻
2022年9月発売



★★   まがりなりにも出版人の端くれならば
            校正ぐらいちゃんとしろ論創社編集部 




本巻278頁に載っているエッセイ「放送局と私」の中で川野京輔は〝世間によく、ブンヤ物と称する新聞記者物があるように、ラジオ、TVを舞台にした放送局物と云うジャンルを作り上げたいという野心も持っている〟(ママ)と書いており私は苦笑した。この人の探偵小説はそういった設定で書かれているものがあまりに多く、ちょっとカンベンしてほしいぐらいなのだが、御本人がそれほど意識的であったのなら、もう諦めるしかない。






またSFSMというエッセイでは、〝昭和二〇年代後半の風俗雑誌「奇譚クラブ」「裏窓」「風俗草紙」「風俗科学」などに掲載されたSM小説の中には探偵小説と呼べるようなものが多くあった。変態性慾は犯罪か、あるいはそれに極めて近い距離にあり、それをテーマにすれば、それだけで探偵小説といってもいいだろう。少なくとも戦前ならそうである。〟(ママ)とも語っている。

失礼を承知でいうと、川野作品には(小説だけじゃなくラジオドラマでも)❛オンナ好き❜ な性分が滲み出ていて、こういう人のほうが私は親しみを感じるし、逆に恋愛ひとつしようともしない令和の日本人のほうが間違いなく病んでいる。学生時代の投稿癖が抜けないまま、社会人となってからも楽しみつつペンを執り続けた人。そんな川野京輔は永遠のアマチュア作家と言えよう。

 

 

 

本巻に収められた創作探偵小説はこちら。
「暴風雨の夜」「コンクール殺人事件」「犬神の村」(中篇)「手くせの悪い夫」
「二等寝台殺人事件」「そこに大豆が生えていた」「御機嫌な夜」「警報機が鳴っている!!
「愛妻」「公開放送殺人事件 ~一枚の写真~」(未発表中篇) 

その他に単行本一冊分満たすには数が足りなかったのか、非探偵小説な読物が十三篇。
但し「剃刀と美女」はエロネタ探偵小説として扱ってもよかろう。
こういった作品で穴埋めすることを読者は喜んでいるのかどうか私にはわからない。
本巻をはじめ『川野京輔探偵小説選 Ⅰ/Ⅱ』を読むと、探偵小説以外のジャンルにおいても著作を様々残しているのが確認できる。川野にとって本業はNHK、執筆は副業であり、興味の対象をあちこちに向けて、(筆で生活費を稼ぐというのではなく)趣味として書きまくった。

 

 

 

だが探偵小説の出来を求めた場合、どうなのか?
彼の作品はどれも『宝石』のような探偵小説の主戦場でガチに戦えるほどアイディアも文章力も優れてはおらず、重篤な探偵小説読者以外の人々へアピールする訴求力に乏しい。上段に挙げた本巻収録の創作探偵小説にしても、危惧していたほど放送局ものばかりでなく川野なりのヴァリエーションがあるのはよかったのだが、「犬神の村」は単に長篇「猿神の呪い」のプロトタイプでしかなかったりする。昔、中国地方の山村にはびこっていた憑霊を原因とする差別=村八分に関心を向けさせるのはいいとしても、作ごとに何かしら変化は欲しい。

 

 

 

過去の記事に書いてきたように、やっぱり川野京輔にとって誇るべき作品は決して小説ではなくラジオドラマだ。エッセイ「ラジオドラマをアーカイブスへ」を読むと、本名の上野友夫名義で演出しNHKに残したラジオドラマ436本の音源はNHKアーカイブスへ寄贈したそうだ。それは大変嬉しい話だけれども、肝心のNHKがそれらの作品をWEB上でストリーミングできるようにするなり、NHKラジオの中で再放送するなり、活用してくれないことには宝の持ち腐れでしかない。

そのNHKも無駄なBSKチャンネルは残すくせに、現在二つあるBSチャンネルは一つに削減し、地上波のEテレもやめてしまうなど縮小路線へと傾いているのだから、我々が上野友夫演出作品を聴けるようになるのは果していつになるのやら。

 

 

 

(銀) 誰も何も言わないのをいいことに濫造しまくりの論創海外ミステリ。
それとは対照的に、テキストの雑さを銀髪伯爵から突っつかれるものだから、すっかり年に二冊程度しか出なくなってしまった論創ミステリ叢書。本巻も今年の二月に出た『飛鳥高探偵小説選Ⅵ』以来な訳で、一冊出すのにこれだけ時間を取っているのだから、ちっとは真面目にテキスト校正に取り組んでいるのかと思ったら、やはりダメだった。
 

 

 

奥付クレジットを見ると本巻の本編校正は横井司が担当していて、その部分はいいのだけれど、横井の担当ではないと思しき【解題】は相変わらずテキストの打ち間違いが多い。今回【解題】欄の正誤表を本の中に挟み込んだり、論創社の公式HPにupしてはいるが、たかだか15頁程度のテキストにて九箇所も間違いが生じているのだから、横井司以外の論創社編集部の人間がやっている仕事はやっぱり酷いと言わざるをえない。『川野京輔探偵小説選Ⅰ』の【解題】担当だった小谷さえり同様、今回も河瀬唯衣という聞き覚えの無い女性の名がクレジットされていて、論創社編集部/黒田明のペンネームであることは見え見えのバレバレ。




当Blogでも以前取り上げたことがある論創社の刊行物『近代出版史探索』(小田光雄)における校正の問題を、先日SNS上で指摘している方があった。























そのツイートに対する黒田明らしき論創社からの返答がコレ。















「誤植や誤情報につきましては読者様からご指摘を受ける事もございますので参考とさせていただいております。」って、まるっきり自覚の無い他人事みたいな物言いだな。この論創社のツイートを見て、数日前に会見を開いた旧統一教会の勅使河原秀行本部長と福本修也弁護士の白々しさを思い出した。あのさあ~「一箇所たりともミスすんな」なんて無茶は言わんから、せめて私の気付かないようなところでミスするとか、一冊の本で五箇所以内のミスに収めるぐらいの仕事はできんものかね?論創社の本造りの粗さに気が付いている人はただ沈黙しているだけで、上段にて紹介したazzurroさん以外にもきっといる筈だぞ。






2022年9月20日火曜日

『影なき女』大倉燁子

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春日書房
1954年12月発売



★★★    四つのタイトルを持つ長篇





大倉燁子のキャリア初期に(おそらく書下ろしで)発表されたこの長篇は、なんだかもう復刊はされなさそうな雰囲気だから、本当に探偵小説が好きな人の為に、ここに書き留めておきたい。タイトルが変更された日本探偵小説の長篇というのは他にも例はあるが、この長篇の改題は実に三度にも及んでいる。時系列に並べてみよう。





A 『殺人流線型』(柳香書院 昭和107月発行)

 

B 『復讐鬼綺譚』(柳香書院 昭和1211月発行)

 

C 『女の秘密』(永和書館 昭和2212月発行)

 

D 『影なき女』(春日書房 昭和2912月発行)→ 本書

 



初刊時に付けられた「殺人流線型」Aというタイトルだが、主人公が物語の中で次々に起こる連続殺人を「まるで、殺人流線型ですよ」と形容するシーンがあるだけで、どうも意味がわかりにくい。この〝流線型〟というのは当時流行った言葉ではないのかと思ってネットで調べてみると、構造化知識研究センター・昭和世相研究所がupしている「昭和の流行語ランキング」というwebサイト上で、昭和5年の流行語の第四位に「流線型」が入っていた。

また別のどなたかのブログには「流線」「流線型」のワードを冠したレコードが昭和10年に多数発売されていた事が記されている。後述するが、大倉燁子のこの長篇は数年かけてじっくり練り込んだ内容とはとても思えなくて、おそらく昭和10年に流行った言葉から手軽に付けられたタイトルっぽい。

 

 

 

二つめのタイトル「復讐鬼綺譚」Bは同じ版元の柳香書院から、本の装幀もガラリと変えてAの二年後に再発。ここまでは函入りの立派な本だったが戦争で日本は負けてしまって、戦後最初の再発「女の秘密」Cは仙花紙本の粗末な作りに。

国内の情勢も落ち着いてきた頃に出た本書「影なき女」Dは、ハードカバー仕様には戻ったものの、これは貸本屋向けとしてのリリースだったようだ。作品の改題というのは殆どの場合、出版社サイドの意向であると思うのだが、この長篇はどうだったのだろう?それはともかくA)~(Dのどのタイトルにしたところで、プロットの芯が明確になっておらず、どれもみなしっくりこないのが問題でしてね。

 

 

 

映画会社東洋活動の社長・團野求馬の妻・寵子は、宛先も署名も無く復讐を宣言するのみの文言が書かれたハンカチを拾って不安を覚える。團野求馬は以前、印度の宗教団体・紫魂團に救われて加入、東洋活動を立て直す経済的な援助を受けていたにもかかわらず彼らを裏切ったため紫魂團は壊滅し、教祖・薊罌粟子は日本国内で獄中の人となっていた。

紫魂團一味の仕業を疑う求馬は伴捜査課長に相談するも、罌粟子は一週間前に獄中で全身が紫色になって苦悶の末、中毒死したという。黒幕は何者かわからぬまま團野寵子が誘拐され、東洋活動の関係者が罌粟子同様に突然紫色になって突然死する怪事が次々と発生。伴捜査課長の甥であり、映画業界で働いている主人公・細谷健一は謎の解明に乗り出す。

 

 

 

戦前にありがちな活劇スリラー。活動写真(映画)を意識した展開にしたかったんだろうけど、メインとなる謎の設定の詰めが甘いし、各場面における状況描写も雑だったり、数行先/数ページ先まで伏せておくべき事柄をポロッと漏らしていたりするので、御都合主義といえどもテンションが続かない。

紫色になってバタバタ犠牲者が出る殺人方法(?)も予想どおり、その原因となるものが現場で見つからないのがあまりにも不自然だったりで、昭和初期の日本の探偵作家が長篇を書くのが如何に下手だったかを露呈する結果に終わっているのが痛い。例えば紫魂團の巨悪ぶりなり、薊罌粟子の怨念の深さなりがじわじわ読者へ伝わるよう書けていたら、もう少し褒めるところも見つけられたんだが。

 

 

 

Aと本書Dには二短篇を併録。
『大倉燁子探偵小説選』に収録されていた「むかでの跫音」は、寺の住職が割腹自殺する、いわゆる霊媒もの。もうひとつの嗤ふ悪魔」はずっと年下の若妻の浮気に悩まされる博士と、博士から逃れたい若妻、その夫婦のエグい結末に至るまでを描く。大倉燁子の長篇は「殺人流線型」一作しかなさそうだが、やっぱりこの人は短篇で読んでいるほうが楽しめる。

 

 

 

(銀) ただでさえ少ない女流探偵作家、その上、戦前から活動していて長篇創作探偵小説を発表している女性は貴重なんで、その点は評価したいのだけど、「殺人流線型」の出来はどうにもいただけない。でも二短編はそれほど疵瑕を感じず読むことができるので相殺してようやく★3つといったところ。





2022年9月19日月曜日

書店では売られてこなかった三上於菟吉の研究文献

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三上於菟吉は埼玉県の中葛飾郡桜井村、今でいう春日部の出身。
大正から昭和初期にかけて第一線で活躍した大衆作家にもかかわらず、今では「雪之丞変化」の作者、あるいは長谷川時雨のパートナーぐらいにしか認知されていない。作品群の全体像を知ろうにも手引きとなるリファレンス・ブックがないばかりか、著書さえ二十年以上復刊されていないのが現状。

そんな於菟吉、まんざら探偵小説と無関係という訳でもなく、当Blogでは彼の短篇「嬲られる」を収録したアンソロジー『挿絵叢書 竹中英太郎(三)エロ・グロ・ナンセンス』や、長田幹彦『蒼き死の腕環』の項などで触れている。世間では於菟吉のことを気にする人は誰もいないのかといえば、さにあらず。ヒラヤマ探偵文庫『謎の無線電信』セクストン・ブレイク/森下雨村(訳)の裏表紙には、湯浅篤志が『三上於菟吉探偵小説集』なる本を準備している旨の近刊予告が載っていた。その本が於菟吉久方ぶりの新刊として無事リリースされるよう、今回は三上於菟吉をプッシュ。

 

 

 

え? さっき「三上於菟吉を知る為の手引きとなる本は無いって言ったばかりじゃん」って?いやいや、それは一般商業書籍の話であって、過去には於菟吉の故郷・埼玉県春日部方面から有志たちによる四冊の資料が世に放たれているのだ。


 

 

   『三上於菟吉讀本 生涯編/作品編』 春日部高 文學部/庄和高 地理歴史部 

 


バブル時代の1990年秋に発行されたこの二冊は、奥付に〈庄和高校地理歴史研究部 年報第四~五号〉とクレジットされている。そう、なんと高校の先生と生徒によって作られた本で、素人らしい手作り感があふれてはいるが、ペラペラのプリント用紙をホッチキスでまとめたような簡素なものではなく、ちゃんと印刷業者によって製本された、一冊あたり200ページ前後のしっかりした同人誌なり。

 

 

ただ単純に原稿を書いているだけではなく、於菟吉著書の書影/於菟吉作品の挿絵/当時の関連記事など図版がたくさん転載されていて参考になるし、さすがに30年前のアマチュアの手になるものだからプロの編集技術には及ばないけれど、材料を収集する手掛かりも少なかったろうに、よくここまでの本を作り上げたものだと感心する。情報量だけでいうなら、この二冊を超える三上於菟吉研究文献はいまだ世に出ていない。価格が書いてないところを見ると、図書館や文学館や学校へ配布する目的で作られた非売品らしく、古書として入手するのは大変そうだから、埼玉エリアの図書館蔵書を探して読むほうが早いかもしれない。

 

 

 

   『図録 三上於菟吉と長谷川時雨』 埼玉県庄和町教育委員会 


 











一方こちらは199912月から20001月にかけて、埼玉県春日部市の大凧会館にて開催された企画展「三上於菟吉と長谷川時雨」の販促物。価格は500円。庄和町は現在春日部市の一部として編入されている。30ページ強のいかにも企画展パンフレットといった内容で、庄和町いや春日部市には彼の著書や作品発表雑誌が沢山所蔵されているようだ。

 

 

 

   『生誕一三〇周年記念誌 三上於菟吉再発見』 三上於菟吉顕彰会 













そしてこれが昨年発行された最新の於菟吉研究本。136ページ。頒価1,000円と謳ってはいるが発行部数はあまり多くなさそうなので、在庫があるうちに購入しておきたい。講演録及び9つの論考、於菟吉の随筆「原稿贋札説」そして「雪之丞変化」後日譚にあたる短篇「雪之丞後日」を再録している。

 

 

 


といった具合に、この作家の研究文献は皆無ではなく、春日部の人々がなんとかして三上於菟吉を忘れないよう尽力しているのが泣かせるじゃないの。でも残念ながら於菟吉が探偵小説に関係している部分については①~のどれも抜けがあるのは惜しい。例えば①の『作品編』には多くの於菟吉作品がずらっと紹介されているのだけど、探偵小説として雑誌『キング』に連載された「幽霊賊」は漏れている。この長篇、戦前の初刊は大人ものとして、戦後はジュヴナイル扱いとして単行本化されているが、両方ともレアでなかなか見つからないから仕方ないんだけどね。

 

 

 

その「幽霊賊」が③では「幽霊城」とされていたり、また探偵小説読者の間では江戸川乱歩/直木三十五ら大物作家の翻訳は名義貸しだと認識されている平凡社版「世界探偵小説全集」のドイル/三上於菟吉(訳)『シャーロック・ホームズの帰還』(1929年)『シャーロック・ホームズの記憶』(1930年)も、やはり於菟吉自身の訳ではなく代訳である可能性が大なのだが、③にて堂々と「見事な翻訳」などと書いているのはどんなもんか。もっとも、本当に於菟吉本人がドイルを翻訳したという証拠を掴んだ上で発言しているのであれば、私のほうが詫びなければならないが。

 

 

 

③の冒頭には於菟吉と同じ高校卒業生というので北村薫が「三上於菟吉先輩のこと」という短文を寄せており、その中で長年伝えられてきた某於菟吉作品の粉本がサッカレー「双生児の復讐」だと放言するのは恥ずかしい間違いだと指摘してくれている。①~③の中で、ある程度以上探偵小説に詳しい書き手は北村薫ただひとりだし、少なくとも③全体の監修も北村に頼んでおけば、いくつかのミスも避けられたのに。いずれにしても、そんな探偵小説に関する不備を解消するような三上於菟吉研究本が(できれば一般商業書籍の形で)いつの日か作られるといいけど、力量と熱意を持った適任者が果して存在するかどうか・・・。

 

 

 

(銀) 三上於菟吉の作品で探偵小説の角書きが付いた中長篇と言ったら、上記に挙げた「幽霊賊」以外に「銀座事件」がある。あと探偵小説とはいえないかもしれないが『日本幻想文学大全Ⅲ 日本幻想文学事典』(ちくま文庫)の三上於菟吉の項にて東雅夫が紹介していた「黒髪」、ミステリ専門古書店落穂舎の古書目録『落穂拾い通信』にて巻頭のカラー・ページ上に掲載されていた「美女地獄」など、探偵小説のテイストに近い作品が存在する。湯浅篤志が『三上於菟吉探偵小説集』にどんな作品を収録するつもりなのか楽しみだ。



江戸川乱歩「魔術師」に登場する〝音吉(オトキチ)じいや〟、漢字こそ違えど同じ読みのこのキャラクターのネーミング、乱歩は三上於菟吉から採ったものではないかと私はニラんでいる。