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春日書房
1954年12月発売
★★★ 四つのタイトルを持つ長篇
大倉燁子のキャリア初期に(おそらく書下ろしで)発表されたこの長篇は、なんだかもう復刊はされなさそうな雰囲気だから、本当に探偵小説が好きな人の為に、ここに書き留めておきたい。タイトルが変更された日本探偵小説の長篇というのは他にも例はあるが、この長篇の改題は実に三度にも及んでいる。時系列に並べてみよう。
B 『復讐鬼綺譚』(柳香書院 昭和12年11月発行)
C 『女の秘密』(永和書館 昭和22年12月発行)
D 『影なき女』(春日書房 昭和29年12月発行)→ 本書
初刊時に付けられた「殺人流線型」(A)というタイトルだが、主人公が物語の中で次々に起こる連続殺人を「まるで、殺人流線型ですよ」と形容するシーンがあるだけで、どうも意味がわかりにくい。この〝流線型〟というのは当時流行った言葉ではないのかと思ってネットで調べてみると、構造化知識研究センター・昭和世相研究所がupしている「昭和の流行語ランキング」というwebサイト上で、昭和5年の流行語の第四位に「流線型」が入っていた。
また別のどなたかのブログには「流線」「流線型」のワードを冠したレコードが昭和10年に多数発売されていた事が記されている。後述するが、大倉燁子のこの長篇は数年かけてじっくり練り込んだ内容とはとても思えなくて、おそらく昭和10年に流行った言葉から手軽に付けられたタイトルっぽい。
二つめのタイトル「復讐鬼綺譚」(B)は同じ版元の柳香書院から、本の装幀もガラリと変えて(A)の二年後に再発。ここまでは函入りの立派な本だったが戦争で日本は負けてしまって、戦後最初の再発「女の秘密」(C)は仙花紙本の粗末な作りに。
国内の情勢も落ち着いてきた頃に出た本書「影なき女」(D)は、ハードカバー仕様には戻ったものの、これは貸本屋向けとしてのリリースだったようだ。作品の改題というのは殆どの場合、出版社サイドの意向であると思うのだが、この長篇はどうだったのだろう?それはともかく(A)~(D)のどのタイトルにしたところで、プロットの芯が明確になっておらず、どれもみなしっくりこないのが問題でしてね。
映画会社東洋活動の社長・團野求馬の妻・寵子は、宛先も署名も無く復讐を宣言するのみの文言が書かれたハンカチを拾って不安を覚える。團野求馬は以前、印度の宗教団体・紫魂團に救われて加入、東洋活動を立て直す経済的な援助を受けていたにもかかわらず彼らを裏切ったため紫魂團は壊滅し、教祖・薊罌粟子は日本国内で獄中の人となっていた。
紫魂團一味の仕業を疑う求馬は伴捜査課長に相談するも、罌粟子は一週間前に獄中で全身が紫色になって苦悶の末、中毒死したという。黒幕は何者かわからぬまま團野寵子が誘拐され、東洋活動の関係者が罌粟子同様に突然紫色になって突然死する怪事が次々と発生。伴捜査課長の甥であり、映画業界で働いている主人公・細谷健一は謎の解明に乗り出す。
戦前にありがちな活劇スリラー。活動写真(映画)を意識した展開にしたかったんだろうけど、メインとなる謎の設定の詰めが甘いし、各場面における状況描写も雑だったり、数行先/数ページ先まで伏せておくべき事柄をポロッと漏らしていたりするので、御都合主義といえどもテンションが続かない。
紫色になってバタバタ犠牲者が出る殺人方法(?)も予想どおり、その原因となるものが現場で見つからないのがあまりにも不自然だったりで、昭和初期の日本の探偵作家が長篇を書くのが如何に下手だったかを露呈する結果に終わっているのが痛い。例えば紫魂團の巨悪ぶりなり、薊罌粟子の怨念の深さなりがじわじわ読者へ伝わるよう書けていたら、もう少し褒めるところも見つけられたんだが。
(A)と本書(D)には二短篇を併録。
『大倉燁子探偵小説選』に収録されていた「むかでの跫音」は、寺の住職が割腹自殺する、いわゆる霊媒もの。もうひとつの「嗤ふ悪魔」はずっと年下の若妻の浮気に悩まされる博士と、博士から逃れたい若妻、その夫婦のエグい結末に至るまでを描く。大倉燁子の長篇は「殺人流線型」一作しかなさそうだが、やっぱりこの人は短篇で読んでいるほうが楽しめる。
(銀) ただでさえ少ない女流探偵作家、その上、戦前から活動していて長篇創作探偵小説を発表している女性は貴重なんで、その点は評価したいのだけど、「殺人流線型」の出来はどうにもいただけない。でも二短編はそれほど疵瑕を感じず読むことができるので相殺してようやく★3つといったところ。