2021年7月17日土曜日

『黒星團の秘密』大下宇陀児

NEW !

光文社 痛快文庫
1949年7月発売



② 全体に細かく手が入れられた光文社痛快文庫版




前回は戦前の『黒星章』( A 及び戦後の靑柿社版『黒星團の秘密』( B )のテキストを比較するつもりが、靑柿社版テキストを用いて同人出版再発している筈の B のテキストは何を底本にしているのか不明なのが判明したので無視し、国会図書館デジタルコレクション上で閲覧できる靑柿社版原書テキストにて検証を続けたところ、第一ヴァージョン( A )と第二ヴァージョン(靑柿社版テキスト)基本的に同じであって、タイトル改題以外には支那人 → 中国人程度のミニマムな変更しかされていない事が解った。

本日はその続きで、第三ヴァージョン/光文社痛快文庫版『黒星團の秘密』( C のテキストがどのようになっているのか、 と C を比較検証する。は再発本が出ておらず、1949年の原書を使用。


                   

 


● 各章のタイトルが下記のとおり、若干変更されている。
は原書と違って再発に際し現代の文字遣いに改めているので、ここでもそれに準拠した。
最も目立つのは にあった「雪の夜の惨劇」の章立てが C では無くなっていること。
そして漢字を開いたり、同じ意味でも言い方を少し変えたりしている。 


 A                                    C 

奇怪な広告        ぶきみな廣告

三日月の痣        三日月のあざ

伯爵邸の危難         ねらわれた銀行家

金蝙蝠座事件         金蝙蝠座事件

魔法の蜥蜴        まほうのトカゲ

 

 

怪老人の出現          首つりの刑

神人龍旺明           ふしぎな老人、龍旺明

首領の正体         首領の正體

雪の夜の惨劇          灰色のビルジング

怪ビルディング       この世の地獄

 

 

この世の地獄        ついに降伏

降伏            恐ろしい復讐

恐るべき復讐        龍旺明の身のうえ

龍旺明の身の上         毒液の針 

毒液の針

 

 

● 次に挙げるオープニングの文章を見てみると、
 C より子供向けにやさしい表現に書き換えられてはいるが、元の内容にほぼ近い。
こんな感じで細部こそ変更はあるが、物語の基本は A から大きく変わってはいない。

 

 

〝こゝは或る建物の奥まった一室。室の中央にはマホガニー製のテーブルがあり、それを取巻いて天鵞絨張りの安楽椅子がある。壁に沿っては、どっしりとした模様硝子入りの書棚が置かれているし、その書棚の上には大きな油絵の額もかけてある。〟

 

 C

〝ここはある建物の一室である。部屋のまん中には、マホガニー製のテーブルがあり、それを取りまいてビロードばりの安楽椅子がある。壁にそつて、どつしりとした模様ガラス入りの書棚がおいてあるし、その書棚の上には、大きな油絵の額もかけてある。〟



 

 

● 前回の記事でも触れた塚原少年が夜歩いていた場所について、「玉置(〝某〟は削除された)という金持(富豪から変更)のやしきの塀にそつて」という風に、表現は変えても内容は同じ。

 

● C の改稿によって、靑柿社版ではそのままだった東京市ようやく東京都へ訂正された。
黒星團首領が使っている撞木杖松葉杖へと変わっている。

 

● 園村玲吉少年の父親の身分が、敗戦後の華族制度廃止に伴い伯爵から銀行頭取へ変更。これにより、 A の巻末解説で触れている「黒星章」とのテキスト比較に参照された「黒星團の秘密」は第二ヴァージョンの靑柿社版ではなく、第三ヴァージョンである光文社版(もしくはその後の1953年刊ポプラ社版)を使っている事がわかる。

 

● 「魔法の蜥蜴」の章(二)の冒頭、 A の「一九三一年キャデラックセダン型」という自動車の詳しい説明は C では削除され「自家用自動車」と表記。

 

● 「魔法の蜥蜴」の章(四)三行目から数行分を C では短く短縮している。
この後も A にはあった部分が、 C では削除されている箇所が見られる。





● A「私は、龍旺明という支那人です」    C「わたしは、龍旺明という中国人です」
同様に龍旺明の部下シーメルも黒人Aからインド人Cへ変更。

 

● 金庫に押し込められていた辻本支配人は、
A ではすでに殺されていたが では気を失っていただけ。
同様にその後龍旺明が過去の黒星團を説明するシーンで、
A では「誰でも構わず人を殺し」という残忍さが C では無くなっている。

 

● A「雪の夜の惨劇」の章では、殺されたと思われた梅吉老人を龍旺明が救出して二人は再会を果たすも、龍旺明は賊に腕を撃たれてしまう。ここから次の章「怪ビルディング」(一)までの部分が では消去、梅吉老人は結局死んだ事にされてしまった。

 

   「青爐閣」主人の名は A 及び靑柿社版原書の深澤源五郎から変更なし。

 

    戦前A及び靑柿社版原書は警官が佩剣を持っていたが、戦後Cは無い。




 

● 鈴村要助が若い頃跛(びっこ)になった原因が、では日露戦争出征のせいだとしているが、ではそれをカット。

 

● ラストの処刑シーンで毒液注射を打つ際に、
贋首領は では解毒剤の存在を口にしているが、ではその事を口にせず塚原少年の腕に注射。


                   



こんなところですかね。
光文社痛快文庫版( C )の後に出たポプラ社ハードカバー版(1953年刊)は、目次を見ると章立てが C と同じだから、おそらくテキストも大下宇陀児本人ではなくて編集部サイドが手を加える些細な変更(漢字を開くとか)以外は一緒じゃないだろうか。いずれにしても本作の場合は第一ヴァージョン第三ヴァージョンさえ押さえておけばOKだろう。



(銀) それにしても湘南探偵倶楽部叢書版『黒星團の秘密』のあのテキストは一体何だったのだろう?同人出版本は普通の書籍みたいに店頭で立ち読みができないから、今後本を買う前に内容を確認するのも不可能だし。とにかく今回の記事はいろんな意味でくたびれた。




           

2021年7月13日火曜日

『黒星章』大下宇陀児

NEW !

東都我刊我書房 2019年1月発売
湘南探偵倶楽部叢書 2018年12月発売



① 春陽堂版(戦前)と靑柿社版(戦後)のテキスト異同





大下宇陀児のジュヴナイル長篇「黒星章」には、次のようなヴァリアントが存在する。

 

A  『黒星章』

オリジナルの戦前ヴァージョン。1933年の春陽堂少年文庫版を底本にして2019年に東都我刊我書房から同人出版により再発された。初出誌『日本少年』連載が完結し単行本化される時にも宇陀児が手を入れている可能性が無いとは言い切れないが、『日本少年』のテキストを揃えるのは非常に困難だそうなので、便宜的に本日の記事ではこれを第一のヴァージョンとする。

 

B  『黒星團の秘密』

戦後になって改題された第二ヴァージョン。
1948年の靑柿社版仙花紙本を底本にして、湘南探偵倶楽部叢書より2018年に同人出版再発。

 

C  『黒星團の秘密』

靑柿社版が出て一年ちょっとしか経ってないのに、
1949年に版元を変えて、またまた刊行された第三のヴァージョン。
この光文社痛快文庫版テキストについては、次回の記事にて言及する。

 

 

物語のあらすじを に沿って最低限紹介しておくと、
十五年の沈黙を破って、黒星團なる強盗グループが再び動き出す。
園村玲吉と孤児の塚原浩太郎、この二少年に救いの手を差し伸べる謎の老人・龍旺明、
彼ら黒星團を向こうに回して戦いの火花を散らす冒険探偵小説だ。

 

                   


最初にお断りしておきたいのは、私は昔からこの作品を C =光文社痛快文庫版『黒星團の秘密』しか読んでいなくて、初刊本のテキストは = 東都我刊我書房版『黒星章』で初めて読んだ。だから二種のテキストしか知らないまま現在に至っており、B=湘南探偵倶楽部叢書版『黒星團の秘密』つまり、ここで底本に使われている筈の靑柿社版テキストは本日の記事を書く為にやっと目を通したような次第だった。

ところが、こんな混乱する羽目になるとは・・・。とりあえず、本日の記事では初刊本テキスト(  から戦後最初の再発版( )に至る変更箇所を見ていこうと思う。


 

 

● オープニング「奇怪な廣告」(一)の二行目で、
「マホガニー製のテーブルが」の直前に「室の中央には」とあるべきなのに、B には無い。
ところが靑柿社版原書テキストを見ると、ちゃんと「室の中央には」で始まっている。
え、どういうこと? 私は の原書を持っていないから、いま国会図書館デジタルコレクションで原書テキストとも見比べているんだけど、下記に示すとおり国名などごく一部の変更を除けば靑柿社版では のテキストをそのまま使っているみたいだし。
じゃあ の湘南探偵倶楽部が制作したテキストの底本は、一体どこから引用したのか?



●  B の8頁 56行目、

〝このため、市民の中には心の内で快哉を叫ぶ人達もいたようである。
そうは言っても犯罪は犯罪である。
                                   
このような にも靑柿社版原書にも無く、
次回取り上げる予定の にさえも無い文章が加えられているのは何故?



● 靑柿社版が刊行された1948年(昭和23年)の五年前に東京市は廃止されているのだが、
 での設定を書き換え忘れてしまったのか、靑柿社版原書も も東京市のままになっている。



● 「奇怪な廣告」(三)にて塚原少年の歩いていた場所が、
 及び靑柿社版原書では「玉置某という有名な富豪の邸宅に沿つて」となっているのに、
 では「四十八願」という違った富豪の名前へ変わっている。



● 園村伯爵の息子の名前は A 及び靑柿社版原書では玲吉になっているが B では雅光に。
これではもう 靑柿社版原書と見做すのは無理そうだから、この後は別物として話を進める。





● 「魔法の蜥蜴」の章(二)の冒頭で、 及び靑柿社版原書では、
「一九三一年キャデラックセダン型」という自動車の詳しい説明があるが では削除。


●  では「神人龍旺明」となっている章題が、
靑柿社版原書及び では「魔人龍旺明」に変更。
 の目次で「魔神龍旺明」となっているのは制作者のタイプミス。
もっともここまで湘南探偵倶楽部叢書版のテキストが疑惑だらけだと、
同じく原書ではない の「神人」も本当にそれで正しいのか、だんだん不安になってきた。

 

● 龍旺明の部下ジーメルは A 及び靑柿社版原書では黒人だったのが、
ではインド人に変更。
龍旺明が自己紹介をする場面における支那人→中国人への変更も同様。

 

● 捜査課長の名も、野口( 及び靑柿社版原書)ら日真名( )に変更。

 

●  では「この世の地獄」の章立てを無くし拷問シーンを縮小、
「恐るべき復讐」の章立ても無くなり、後半では削られた部分が実に多い。
しかし、靑柿社版原書だと そのままに「この世の地獄」「恐るべき復讐」の章立てはちゃんとあり、文章のカットもされていない。




 

● 「青爐閣」主人の名が 及び靑柿社版原書の深澤源五郎から では辰巳源五郎へ変更。

 

● 龍旺明の本名が 及び靑柿社版原書では鈴村要助だったのが だと富木原亘へ変更


 

                    



全ての異同を挙げると際限がなさそうだし から への変更点はこれぐらいにしておこう。
のテキストは、ネットで見ることができる国会図書館デジタルコレクション上の靑柿社版原書を底本にしている筈なのに、何故こんな違いが発生しているのか?

ちなみに の解説にて、この件について触れられてないのは当たり前で、東都我刊我書房と湘南探偵倶楽部は別々かつ同時期に制作を進めていただろうから、『黒星章』の解説を東都我刊我書房サイドが書いている段階では、まだ出来上がっていない筈。



靑柿社版原書と が一致しない、この混乱の原因として考えられる事はふたつ。
靑柿社版には版によって、テキスト違いがあるということ。
でも、国会図書館デジタルコレクションも も両方、昭和23年4月30日発行って書いてあるし。もうひとつは湘南探偵倶楽部の制作者が勝手に自分でテキストを改竄してしまったということ。それもちょっとありえない推測だなあ。



私が単に無知なだけで、国会図書館デジタルコレクションに原書の画像が公開されている靑柿社版テキストと湘南探偵倶楽部叢書版テキストに異同がある真っ当な理由がもし存在するのなら、湘南探偵倶楽部に謹んでお詫びしなければならないが、なんでこういう事になったのか是非とも真実を知りたいものだ。




(銀) 次はいよいよ(?)光文社痛快文庫版。これは同人出版本じゃなくて原書だから、今日みたいな混乱も無く記事が書けるものと思いたい。


(☜)へつづく。





2021年7月11日日曜日

『悪の比重』島村喬

NEW !

日本週報社
1960年12月発売


★★      島村喬 = 百瀬三郎 ?



内容をよく確かめずに古書を買って、運悪く〝ハズレ〟を引いた例がコレ。現物を手に取れない通販ならば仕方がないけれども、何年も前に古書店でまとめ買いをした時、全然時間が無くて急ぎで会計しなければならなくなり、タイトルと奥付を一瞬見ただけで「これは二度と再発されなさそうな胡散臭い探偵小説に違いない」と早合点してしまった。

 

 

著者の島村喬については何も知らない。戦争に関するノンフィクション本を出している事、百瀬三郎という別のペンネームでも著書があるらしいという事、そんな程度だ。『探偵雑誌目次総覧』を眺めたが、島村喬百瀬三郎どちらもヒットする作品が見つからない。今回取り上げる『悪の比重』が探偵小説っぽい内容だったらもう少し調べたかもしれないが、あまり深追いしたくなる気持にもならず。


                   

                  


この長篇の主役は日銀の地下に眠っている、軍部が戦時中日本人から供出させたダイヤモンド。昭和30年代の相場にして八千三百万ドル、その個人所有者なきダイヤを米国に売り捌く事で発生する莫大なリベートを得ようとハイエナ達が暗躍する長篇小説。

 

 

🔳 星野省蔵     

日本一の宝石商。裏でナイトクラブを経営し、政界とも人脈があるダーティーな実力者。

🔳 蜂谷辰治     

星野とヘクトの仲立ちとなる国内の宝石ブローカー。

🔳 ジョン・ヘクト       

米国の大物宝石ブローカー。

 

 

🔳 江藤伸      

元は普通のサラリーマンだったが警察に無実の罪を着せられ人生が狂う。八年の刑を経て、今は冷血な殺し屋に変わってしまった。クライマックスを〆るのはこの男。

🔳 古河得武

情報屋。日銀地下のダイヤ売却ネタをいち早く掴み、関係者に接近しまくる。

🔳 戸部        

『朝陽新報』青年記者。めぐみと付き合っている。

🔳 有吉めぐみ     

有吉勇太郎の娘。『朝陽新報』婦人部記者。

 

 

🔳 影山        

赤坂一帯を仕切っている裏社会のボス。三十七、八歳で誰も彼の過去を知らない。

🔳 篤子        

影山の店の、まだ二十を過ぎたばかりのマダム。蜂谷とねんごろになるよう送りこまれる。

🔳 麦子        

ナイトクラブで働く江藤の恋人。カラダ目的ではない愛情を注がれている。

 

 

🔳 有吉勇太郎    

保守党総裁以上の力を持ち、財界とも繋がりが深い。

🔳 萬谷古志朗        

汚職まみれの代議士。有吉勇太郎の腹心。

 

 

探偵小説の味わいは無く、一種のピカレスク的な群像劇。私の好む内容じゃなくて残念だった。大藪春彦とか好きだったら楽しめるかも。ただ書き方が雑なんで安っぽい感じはする。


                   


(銀) こういう再発される見込みが無さそうな戦後貸本時代の古本をヤフオクで森英俊が「入手困難なB~C級ミステリ」とか言って転売しまくっているのは周知の事実。『悪の比重』など市場で見かけないぶん正に森の転売の標的にされそうな本だが、実際はここに書いたようなピカレスクだったり単なるアクション・スリラーに過ぎないものが殆どで、無理くり広義な範疇のミステリではあるかもしれないが探偵小説だとは思えない。森に釣られてヤフオク転売本に何万も浪費するのは愚の骨頂。




2021年7月9日金曜日

『緑のカプセルの謎』ジョン・ディクスン・カー/三角和代(訳)

NEW !

創元推理文庫
2016年10月発売



★★★★★   地味だからこそカーのテクニックが光る



本作には〝およそ五千六百個の桃の種をつぶして茹でれば致死量となりうる青酸が抽出できる〟という意味の一節があります(122頁を見よ)。非科学的で未熟な昔の見識なんだろうなと思いがちですが、ネットで調べると満更間違いでもないようで、桃・ビワ・梅・アーモンドといったバラ科に属する植物の未成熟期の種にはシアン化合物という青酸の元となる成分が確かに含まれているそうです。種さえ大量に食べなきゃ問題は無く、またこれを知ったからといって謎の真相には全然直結しません。だから安心してここに書いている訳でして・・・。

60年前、1871年のブライトン。毒入りチョコを子供に持たせて、買った店で別のチョコと返品交換してもらう事でこっそり店頭商品の中に混入、気付かぬままそれを他の客が口にするというクリスティアナ・エドマンズの非道な事件は誰でも知っているほど有名だった。

 

 

それと全く同じ出来事が四ヶ月前ソドベリー・クロスで起きる。ミセス・テリーのよく繁盛している雑貨屋で売っているチョコレート・ボンボンを食べて死者が出たのだ。マージョリー・ウィルズ嬢は周辺の住民から毒を仕込んだ犯人だと思われ、不穏な状況にある。この事件捜査のため本作の狂言回し・エリオット警部がスコットランド・ヤードから村へ派遣されてきた。

 

 

一方、マージョリーの住むベルガード館。彼女の叔父マーカス・チェズニーは桃栽培の実業家で心理学の研究にもうるさい。この当主マーカスが「人の観察はいかにあてにならないか」を実証する寸劇仕立ての実験を行うと言い出す。寸劇鑑賞者はマーカスの友人であるイングラム博士、マージョリー、そして彼女のフィアンセ/ジョージ・ハーディング。ハーディングにはこの寸劇をシネカメラで映像撮影する役目も。夜も更けて邸内の一室で寸劇が始まると、シルクハットに長いレインコートそして黒サングラスとマフラーで身を包んだ誰だかわからぬ第二の演者が現れマーカスに無理やり緑色のカプセルを呑ませてしまった。

 

 

短い寸劇が終わり桃果樹園の責任者ウィルバー・エメットが第二の演者としてマーカスのヘルプをしていると思いきや一同は彼が窓の外で殴打され倒れているのを発見。その直後苦しみ出したマーカスは死亡、案の定カプセルには毒物が入っていた。外出先から急いで帰ってきたマーカスの弟ジョセフ・チェズニー医師も含めベルガード館の人間には皆アリバイがあり、小煩いクロウ本部長らを指揮しなければならない若きエリオット警部は頭を抱えてしまう。

大がかりな因縁や飛び道具も無く一見地味に受け取られそうな作品だが、寸劇に際しマーカスが用意していた十の質問の矛盾点や、ミセス・テリーの店で毒物混入が行われた本当の理由など、どれもごまかし無く説明がなされるから読み終わってスッキリする。大広間ほどに広くない暗闇の部屋で、傍にいる者に動きがあったかどうかそんなに解らないものかな?というちょっとした疑問。それと、246頁でジョセフがリボルバーを発射してしまうシーン。銃口を他人のうなじに押し当てて発射したら軽傷では済まないと思うんだが。注文を付けるとすればそのふたつ。




訳文の中で読み手が首を傾げそうな単語がある。それは筥崎丸(23頁)と早生銀(24頁)。前者は当時の日本の欧州航路客船。カーにも認知されているほどメジャーな船だったのかな。後者はマーカスが栽培している桃のうち、早めに収穫できる品種のことを言っているのでは?どちらも原文ではどう表現されているのか気になる。

 

 

ロマンスや派手な演出にあまり寄りかからず、細かい謎の論理を積み重ねて物語を面白く成立 させるワザは(残念ながら)日本の探偵小説には見られないものだ。なんで作者はわざわざマーカスに十の質問を拵えさせたり寸劇を撮影させたのか?物事には必ず意味がある。初めて読む方はタイトルになっている〝カプセル〟ばかり気を取られぬように。        

 

 

 

(銀) 事件と片想いと。エリオット警部が悩みを打ち明けるシーンでのギデオン・フェル博士のリアクションには温かみがある。これがH・Mだったらボロクソに皮肉を言われてエリオットは相談どころではなかったに違いない。



本書の帯には「名探偵フェル博士 vs ❛ 透明人間 ❜の毒殺者」と書いてあり誤解を生みそう。本作でいう透明人間というのは寸劇中にマーカスを毒殺した第二の演者の姿がまるで「H・G・ウェルズの描いた(服を着ている時の)透明人間のようだ」と譬えられている処から来ているのであってInvisible Man の姿なき殺人者がフェル博士と対決する訳ではない。


 


2021年7月5日月曜日

『断崖の悪魔』朝山蜻一

NEW !

同星出版社
1959年6月発売



★★★★★   朝山らしくもあり、らしくないところもあり




この本にはやや短めの長篇二作、表題作「断崖の悪魔」「海底の悪魔」が収録されている。
私は後者がとにかく好きなので、今日はこちらを中心に取り上げよう。

 

                   


私の書棚に無い朝山蜻一の著書に『処女真珠』1957年/榊原書店)という本があって、
調べてみたらどうやら「海底の悪魔」「処女真珠」は同一の作品に思える。
例によって、戦後貸本時代の荒っぽい売り方の中でタイトルも小見出しも変えられ、
あたかも新作であるかのような装いで再度売り出されたのだろう。
テキストにも異同があるのかは未確認。

 

 

知る限り、本作はこの二回しか単行本になってないし、初出は書下ろしなのか雑誌発表なのかもわかっていない。『処女真珠』のほうがタイトルとして魅力があるし断崖の悪魔』の二年前に刊行されているからおそらくオリジナルだと思うけれど、『処女真珠』手元に無いから「海底の悪魔」ヴァージョンを用いて話を進める。

 

                    


20201129日の当blog記事に書いたとおり、近年再発された『白昼艶夢』(出版芸術社)と『真夜中に唄う島』(扶桑社文庫)の二冊は悪趣味極まる内容で、特に長篇である後者にはついつい嫌悪感を抱いてしまう(何故なのかは後述する)。それに比べると「海底の悪魔」は、現代のようにウェットスーツなど着る習慣が無かった時代の、はち切れそうなカラダをそのまま晒して伊勢志摩真珠養殖の為に働く海女の生態が、なんとも豊かに描かれているのが素晴らしい。

 

 

朝山にしては珍しくミステリ色のある作品で、主人公の平岡順児は戦後の混乱の中、手段を選ばぬ真珠ブローカーとして財を成した青年実業家。そんな彼にとって大事な真珠の産地である南紀の海で、魚並みに泳ぎに長けている筈の海女の中の一人・君代が謎の死を遂げ、それを追うように「作業を止めろ」という脅迫状も届く。その裏には、戦争に巻き込まれた人間の醜い欲望が隠されていた・・・。

 

                     


戦後の日本には風俗探偵小説とでも呼べるような作風が芽吹き始める。朝山蜻一なんて正にその代表格みたいな人だけれども「海底の悪魔」(=「処女真珠」)は、潮の香りの中で育ち都会の事など何も知らない漁村の女性達のフェロモンが物語に彩りを添えていて、朝山作品のみならず風俗探偵小説の中でもよく出来ていると個人的に思う。
広く読まれてほしいから、適切な人が適切な再発をしてくれるのを待ちたい。
(勿論、その際には「処女真珠」ヴァージョンで)


 

 


(銀) 本日の記事は変わった装幀の本という事で樹下太郎『最後の人』(1959年/東都書房)にしようかと思っていた。この本は昭和30年代の探偵小説にちょくちょく見られるカバーの一部をくり抜いたデザインで、本体にもグリーンのセロファンが装着しているという、なかなか凝った作りが売り物だったようだ。

 

 

最近になって『最後の人』を読んだ。手短に説明するなら、卒業を目前にして酒に酔った大学生三人が、夜更けの路傍に通りかかった見ず知らずの若い女性を輪姦、その報いを受けて一人ずつ命を奪われてゆくという物語。上記の『真夜中に唄う島』にもある輪姦みたいな行為は、たとえ活字やマンガや映像のフィクションであっても、どこか不愉快な気分にさせられる。

 

 

また、この大学生が骨の髄まで腐った連中で、自分達が復讐の的にされていると気づいた途端、恐れ慄き見苦しい振る舞いをする。この長篇の謎の中心はヒロイン・入船なぎさがレイプされている時に足が竦んで助けようとしなかったなぎさの恋人、そして学生達に復讐してゆく人物とは誰だったのか?というところ。もっとも、読んでて早い段階でその正体は薄々解ってしまうからミステリ的にも優れているとは言い難い。

 

 

群れていないと一人では何もできないこの大学生どもは、SNSで一人の人間を集団リンチをしておきながら、被害者が自殺したり風向きが変わると急に履歴を削除したり手のひらを返すネット上のクズにそっくり。『最後の人』はそれがどうにも気に入らなかったから記事のメインにするのを止めて、朝山蜻一に差し換えた。




2021年7月3日土曜日

『折蘆』木々高太郎

NEW !

春秋社
1937年11月発売



★★★   評価に困る代表作




木々高太郎の書く小説の一面として(作者はそんなつもりじゃないのかもしれないが)登場人物は誰もみな emotional さがダイレクトには伝わってこず、あたかも能面のようにヒンヤリとした表情の演者達が織り成す舞台劇のような手触りがする。冷たい炎とも呼べぬ本作の空気感など、傑作か否かはさておき正に木々ワールドの好サンプル。

 

 

〝折蘆〟とは、パスカルの言葉を引用して登場人物の有り様を形容したタイトル。他にも作中にチュッチェフとかストリンドベルヒとか出てきて、理論武装ならぬ知性武装をしてしまうのも、この人の特徴。90年代に再結成したYMOが『テクノドン』を制作した時、坂本龍一がウィリアム・バロウズやウィリアム・ギブスンを参加させた例がそうだったように、ユーザー側(YMOにとってのリスナー/木々にとっての読者)からすると、大して必要の無い作意だと捉えられがちではあるが。

 

 

これは天下の『報知新聞』に半年間連載した、比較的初期の意欲作。ということは『新青年』のように探偵小説に好意的な読み手ばかりではない大舞台で勝負しなければならなかった長篇でもある。上り坂にある探偵作家はそのような場合、持ち駒の飛車角、つまり最も売り出したい自分の探偵キャラを惜しげもなく投入し、読者を獲得しようと目論んでも不思議ではない。ところが本作では志賀司馬三郎を一歩引かせた位置に置いて事件を担当させず、大心池章次も一瞬名前が出てくるだけというキャスティングからして非常に変わっている。 

 

                    

 

 
東儀四方之助は大学卒業後も研究室で愚図愚図していられるような生活が許された恵まれた環境にあり、嘉子という女と結婚はしたが、独立もせず親の家に同居したまま。嘉子がどうにも気が利かない妻ゆえ、東儀はいつもムスッとしている。怠惰な日常から脱するため私立探偵事務所を開設(最初の相談者が訪れるけれど、長くなるんでそこは省略ね)。友人の岡田警部から声を掛けられた東儀は殺人事件の捜査に参加する。

 

 

銀行家・永瀬貞吉が針金か何かで首を絞められ身体中を刀傷だらけにされて自宅の一室で死んでおり、軒下の土の上には誰かが小便をした跡が残っていた。永瀬家には脳溢血で会話もままならない貞吉の父、肺病で死期が近そうな貞吉の弟、運転手の牧山をはじめとする使用人らがおり、弟の友人など第三者の出入りもある。東儀を戸惑わせたのは自分が昔つきあっていた節子という女性が現在は貞吉の妻になっていることだった。
 
 

                     

 
 

実に木々作品らしいのだけど、この東儀が頭でっかちで好感度に欠け、物語冒頭から志賀博士の紹介で自分を頼ってきた相談者に対し〝上から目線〟で接しているように映る。さらにその相談者・福山みち子がまたハッキリしなくてモゴモゴモゴモゴしているものだから〝いらち〟な読者は「はよテキパキ喋れよ!」とジリジリしそうな滑り出しだ。

 

 

さて改めて申すまでもなく木々は本格派の作家ではない。一見なんとなく本格っぽく大きな動きも作らず事件の経過を描いてはいるが、手掛かりや伏線を提示して読み手に謎解きの挑戦を仕掛けるような fairness は望むべくもない。もっとも最初から最後まで内向きにモゴモゴしている訳ではなく、警察と東儀が寝たきりな永瀬の父を聴取する際、節子が通訳として仲介になるシーンでの、会話ができぬ老人の真に伝えたい事を節子は果たして包み隠さず通訳しているのかという心理的疑惑が渦巻くサスペンスはなかなかの名場面。

 

 

そして本格ミステリらしい手順を踏まず一旦事件は解決したかに思えたのだが、皮肉などんでん返しがあり東儀は探偵としてだけでなくひとりの男としても一敗地に塗れ、普通の探偵小説には見られぬ恥ずかしい結末に終わる。私は最初からこの主人公・東儀四方之助がいけ好かなかったから、このエンディングは快哉を呼ぶもの(?)だったけれども、世の読者はどのように感じただろうか。




「折蘆」も収録されているベリー・ベスト・オブ・木々高太郎




芸術的表現というよりもインテリ臭が鼻に付く問題点はどうやっても拭い去れず高評価は難しいけれど、上に述べたサスペンス及びどんでん返しの結末、この二点は認めたいので★3つあたりが妥当かな。それでも木々の良いものを集約した『日本探偵小説全集 〈7〉 木々高太郎集』 (創元推理文庫)には本作が選ばれているのだから考えさせられることは多い。ただ、この文庫の「折蘆」以外の収録作品はどれをとっても名作ばかりだし、逆の言い方をすれば「折蘆」をスンナリ受け入れられるのなら、その読み手は木々作品全体にアレルギーを感じず没入できるのではないか。
 
 

 

 

(銀) とどのつまり読み終わった後で木々が一番書きたいのは何だったのか、その解りにくさが厳然として残る。もしも本作の主題が東儀四方之助の挫折だったとすれば探偵小説にする必然性はあっただろうか?いや、無い。「人間を描きたい」と口にする探偵作家は木々の他にも確かに居た。思いっきりpositiveに解釈するなら、小栗虫太郎や夢野久作のように木々高太郎もまたオルタナティヴ探偵小説の担い手だったと評価もできようが、日本探偵小説に通常使われる演出やストーリーテリングと比較してしまうと相当違和感を抱く作品であるのは言を俟たない。

 

 

本日の記事の書影に使っている初刊本は木々が自ら装幀しているみたいで、函から出したハードカバー本体の〈表1〉にはご丁寧にも「私もまた、物思ふ蘆でございました。しかも、その蘆は、折れ葉となつて了つてから、初めて物思ふやうになつたのでございます(四七八頁)」とクライマックスの一行が刻印がされている凝り具合で、こんな所にも芸術性のアピールが見られる。

 

 

どんなに解りにくい作品であろうとも、日本人はエライ人の言うことに流されやすいから、戦後虫太郎と久作が再評価されたように、木々にもしつこく支持するキュレーターがいたなら、もう少し歴史は変わっていたのかもしれない。度々書いているが今木々の新刊が出そうな気運が無いのは残念だ。「折蘆」みたいなのもあるけど木々にも面白い作品はあるんだって。『「新青年」趣味』の木々特集を後押しするような記事を書くつもりが、それに見合う内容にはならなかったものの、横井司ら数少ない木々研究者の動きは今後も見守っていくつもり。







2021年6月29日火曜日

これまで『「新青年」趣味』に特集された作家達

NEW !



左上にupした書影は、まだ『新青年』研究会が結成されてすぐの1988年に刊行された懐かしい『「新青年」読本』。今でも総目次、使わせてもらってます。これが全ての始まりで、その後『新青年』研究会の機関誌『「新青年」趣味』1991年に創刊、今年もキッチリ第21号が発売された。第12号から第14号の間に八年のブランクがあり(現在のところ第13号は欠番扱い)、会員の多くは本業を持ちながら、ほぼ年一ペースでリリースを継続してきたのだから立派なものだ。初期の会員だったが今は参加していない人もいて、それが残念。





『新青年』という雑誌は戦後も存続したのだが、『「新青年」趣味』も各会員の活動も、主に戦前の『新青年』をターゲットにして研究が行われている。下記の一覧に見られるとおり、会員の偏愛から探偵作家でも『新青年』作家でもない中井英夫が『「新青年」趣味』の巻頭に特集されるという例外はあったが、今後は戦後版『新青年』への作品発表にこだわらず、戦後探偵作家へのアプローチも見られるかもしれない。

 

 

今年は『「新青年」趣味』創刊30周年でもあるし、これまでの号でどの作家が大きく特集されてきたかを振り返ってみたい。一人の作家について複数記事を組んだ大きな枠の特集を始めたのは 第4号(1996)からなので、それ以降のバック・ナンバーから集計。作家名の右側にある⦅ ⦆は特集された号をを示し、上から特集回数の多い順に並べた。別冊として刊行された『渡辺啓助100』(2001)『江戸川乱歩で行こう!』(2018)もカウントしている〝別〟と表記)。

 

 

江戸川乱歩  ⦅4⦆⦅8⦆⦅12⦆⦅16⦆⦅〝別〟⦆

渡辺啓助       ⦅7⦆〝別〟

横溝正史       ⦅10⦆⦅11⦆

佐藤春夫   ⦅6⦆

海野十三       ⦅9⦆

 

中井英夫       ⦅11⦆

森下雨村       ⦅11⦆

夢野久作       ⦅12⦆

久生十蘭       ⦅15⦆

谷崎潤一郎    ⦅16⦆

 

大下宇陀児    ⦅17⦆

小栗虫太郎    ⦅18⦆

濱尾四郎       ⦅19⦆

甲賀三郎       ⦅20⦆ 

木々高太郎    ⦅21⦆ 

 

 

この一覧に記されてない号は単独作家の特集を行っていない。やはりと言おうか、乱歩の特集が多いですな。あと渡辺啓助の記事が多いのは彼が2002年まで長寿でいてくれたのもあるだろう。この他例えば、大倉燁子の記事などは内容からして非常に読み応えのある内容で、本来なら第16号の谷崎特集よりボリュームもあるのだが、一括特集ではなく第910号に分載となったため、不本意ながら上記の一覧にカウントしなかった。執筆者の阿部崇には申し訳ない次第。



小酒井不木と大阪圭吉の大特集が無いのが意外だが、各号に分散しているものの不木の記事はちゃんと存在する。圭吉が十分読めるようになったのはつい最近の事で、盛林堂がいろいろと圭吉本を出しているから、なんとなく機会を逸したか。さて今後特集が考えられる作家は、戦前デビューの作家にこだわるなら橘外男か蘭郁二郎が予想される。そうなると蘭郁二郎に詳しいそうな研究家、すなわち三一書房版『海野十三全集』に参加したメンバーの協力が必要だろう。なんせ読めない作品が多過ぎて。



現会員には橘推しの谷口基がいるし、この夏三冊新刊が出るから橘外男のほうが手を付けやすいのかもしれない。そのためにも橘外男の代表作、もう少し手に取りやすくなってくれたら。