2021年7月5日月曜日

『断崖の悪魔』朝山蜻一

NEW !

同星出版社
1959年6月発売



★★★★★   朝山らしくもあり、らしくないところもあり




この本にはやや短めの長篇二作、表題作「断崖の悪魔」「海底の悪魔」が収録されている。
私は後者がとにかく好きなので、今日はこちらを中心に取り上げよう。

 

                   


私の書棚に無い朝山蜻一の著書に『処女真珠』1957年/榊原書店)という本があって、
調べてみたらどうやら「海底の悪魔」「処女真珠」は同一の作品に思える。
例によって、戦後貸本時代の荒っぽい売り方の中でタイトルも小見出しも変えられ、
あたかも新作であるかのような装いで再度売り出されたのだろう。
テキストにも異同があるのかは未確認。

 

 

知る限り、本作はこの二回しか単行本になってないし、初出は書下ろしなのか雑誌発表なのかもわかっていない。『処女真珠』のほうがタイトルとして魅力があるし断崖の悪魔』の二年前に刊行されているからおそらくオリジナルだと思うけれど、『処女真珠』手元に無いから「海底の悪魔」ヴァージョンを用いて話を進める。

 

                    


20201129日の当blog記事に書いたとおり、近年再発された『白昼艶夢』(出版芸術社)と『真夜中に唄う島』(扶桑社文庫)の二冊は悪趣味極まる内容で、特に長篇である後者にはついつい嫌悪感を抱いてしまう(何故なのかは後述する)。それに比べると「海底の悪魔」は、現代のようにウェットスーツなど着る習慣が無かった時代の、はち切れそうなカラダをそのまま晒して伊勢志摩真珠養殖の為に働く海女の生態が、なんとも豊かに描かれているのが素晴らしい。

 

 

朝山にしては珍しくミステリ色のある作品で、主人公の平岡順児は戦後の混乱の中、手段を選ばぬ真珠ブローカーとして財を成した青年実業家。そんな彼にとって大事な真珠の産地である南紀の海で、魚並みに泳ぎに長けている筈の海女の中の一人・君代が謎の死を遂げ、それを追うように「作業を止めろ」という脅迫状も届く。その裏には、戦争に巻き込まれた人間の醜い欲望が隠されていた・・・。

 

                     


戦後の日本には風俗探偵小説とでも呼べるような作風が芽吹き始める。朝山蜻一なんて正にその代表格みたいな人だけれども「海底の悪魔」(=「処女真珠」)は、潮の香りの中で育ち都会の事など何も知らない漁村の女性達のフェロモンが物語に彩りを添えていて、朝山作品のみならず風俗探偵小説の中でもよく出来ていると個人的に思う。
広く読まれてほしいから、適切な人が適切な再発をしてくれるのを待ちたい。
(勿論、その際には「処女真珠」ヴァージョンで)


 

 


(銀) 本日の記事は変わった装幀の本という事で樹下太郎『最後の人』(1959年/東都書房)にしようかと思っていた。この本は昭和30年代の探偵小説にちょくちょく見られるカバーの一部をくり抜いたデザインで、本体にもグリーンのセロファンが装着しているという、なかなか凝った作りが売り物だったようだ。

 

 

最近になって『最後の人』を読んだ。手短に説明するなら、卒業を目前にして酒に酔った大学生三人が、夜更けの路傍に通りかかった見ず知らずの若い女性を輪姦、その報いを受けて一人ずつ命を奪われてゆくという物語。上記の『真夜中に唄う島』にもある輪姦みたいな行為は、たとえ活字やマンガや映像のフィクションであっても、どこか不愉快な気分にさせられる。

 

 

また、この大学生が骨の髄まで腐った連中で、自分達が復讐の的にされていると気づいた途端、恐れ慄き見苦しい振る舞いをする。この長篇の謎の中心はヒロイン・入船なぎさがレイプされている時に足が竦んで助けようとしなかったなぎさの恋人、そして学生達に復讐してゆく人物とは誰だったのか?というところ。もっとも、読んでて早い段階でその正体は薄々解ってしまうからミステリ的にも優れているとは言い難い。

 

 

群れていないと一人では何もできないこの大学生どもは、SNSで一人の人間を集団リンチをしておきながら、被害者が自殺したり風向きが変わると急に履歴を削除したり手のひらを返すネット上のクズにそっくり。『最後の人』はそれがどうにも気に入らなかったから記事のメインにするのを止めて、朝山蜻一に差し換えた。