2021年7月13日火曜日

『黒星章』大下宇陀児

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東都我刊我書房 2019年1月発売
湘南探偵倶楽部叢書 2018年12月発売



① 春陽堂版(戦前)と靑柿社版(戦後)のテキスト異同





大下宇陀児のジュブナイル長篇「黒星章」には次のようなヴァリアントが存在する。

 

A  『黒星章』

オリジナルの戦前ヴァージョン。1933年の春陽堂少年文庫版を底本にして2019年に東都我刊我書房から同人出版により再発された。初出誌『日本少年』連載が完結し単行本化される時にも宇陀児が手を入れている可能性が無いとは言い切れないが、『日本少年』のテキストを揃えるのは非常に困難だそうなので、便宜的に本日の記事ではこれを第一のヴァージョンとする。

 

B  『黒星團の秘密』

戦後になって改題された第二ヴァージョン。
1948年の靑柿社版仙花紙本を底本にして湘南探偵倶楽部叢書より2018年に同人出版再発。

 

C  『黒星團の秘密』

靑柿社版が出て一年ちょっとしか経ってないのに、
1949年に版元を変えて、またまた刊行された第三のヴァージョン。
この光文社痛快文庫版テキストについては次回の記事にて言及する。

 

 

物語のあらすじを に沿って最低限紹介しておくと、
十五年の沈黙を破って、再び黒星團なる強盗グループが動き出した。
園村玲吉と孤児の塚原浩太郎、この二少年に救いの手を差し伸べる謎の老人・龍旺明、
黒星團を向こうに回して彼らが戦いの火花を散らす冒険探偵小説。

 

                   


最初にお断りしておきたいのは、私は昔からこの作品を C =光文社痛快文庫版『黒星團の秘密』しか読んでいなくて、初刊本のテキストは = 東都我刊我書房版『黒星章』で初めて読んだ。だから二種のテキストしか知らないまま現在に至っており、B=湘南探偵倶楽部叢書版『黒星團の秘密』つまり、ここで底本に使われている筈の靑柿社版テキストは本日の記事を書く為にやっと目を通したような次第だった。ところが、こんな混乱する羽目になるとは・・・。とりあえず、本日の記事では初刊本テキスト(  から戦後最初の再発版( )に至る変更箇所を見ていこうと思う。


 

 

● オープニング「奇怪な廣告」(一)の二行目で、
「マホガニー製のテーブルが」の前に「室の中央には」とあったのが B には無い。
ところが靑柿社版原書テキストを見ると、ちゃんと「室の中央には」で始まっている。
え、どういうこと? 私は の原書を持っていないから、いま国会図書館デジタルコレクションで原書テキストとも見比べているんだけど、下記に示すとおり国名などごく一部の変更を除けば靑柿社版では のテキストをそのまま使っているみたいだし。
じゃあ の湘南探偵倶楽部が制作したテキストの底本は、一体どこから引用したのか?



●  B の8頁 56行目、

〝このため、市民の中には心の内で快哉を叫ぶ人達もいたようである。
そうは言っても犯罪は犯罪である。
                                   
このような にも靑柿社版原書にも無く、
次回取り上げる予定の にさえも無い文章が加えられているのは何故?



● 靑柿社版が刊行された1948年(昭和23年)の五年前に東京市は廃止されているのだが、
 での設定を書き換え忘れてしまったのか、靑柿社版原書も も東京市のままになっている。



● 「奇怪な廣告」(三)にて塚原少年の歩いていた場所が、
 及び靑柿社版原書では「玉置某という有名な富豪の邸宅に沿つて」となっているのに、
 では「四十八願」という違った富豪の名前へ変わっている。



● 園村伯爵の息子の名前は A 及び靑柿社版原書では玲吉になっているが B では雅光に。
これではもう 靑柿社版原書と見做すのは無理そうだから、この後は別物として話を進める。





● 「魔法の蜥蜴」の章(二)の冒頭で、 及び靑柿社版原書では、
「一九三一年キャデラックセダン型」という自動車の詳しい説明があるが では削除。


●  では「神人龍旺明」となっている章題が、
靑柿社版原書及び では「魔人龍旺明」に変更。
 の目次で「魔神龍旺明」となっているのは制作者のタイプミス。
もっともここまで湘南探偵倶楽部叢書版のテキストが疑惑だらけだと、
同じく原書ではない の「神人」も本当にそれで正しいのか、だんだん不安になってきた。

 

● 龍旺明の部下ジーメルは A 及び靑柿社版原書では黒人だったのが、
ではインド人に変更。
龍旺明が自己紹介をする場面における支那人→中国人への変更も同様。

 

● 捜査課長の名も、野口( 及び靑柿社版原書)ら日真名( )に変更。

 

●  では「この世の地獄」の章立てを無くし拷問シーンを縮小、
「恐るべき復讐」の章立ても無くなり、後半では削られた部分が実に多い。
しかし、靑柿社版原書だと そのままに「この世の地獄」「恐るべき復讐」の章立てはちゃんとあり、文章のカットもされていない。




 

● 「青爐閣」主人の名が 及び靑柿社版原書の深澤源五郎から では辰巳源五郎へ変更。

 

● 龍旺明の本名が 及び靑柿社版原書では鈴村要助だったのが だと富木原亘へ変更


 

                    



全ての異同を挙げると際限がなさそうだし から への変更点はこれぐらいにしておこう。
のテキストは、ネットで見ることができる国会図書館デジタルコレクション上の靑柿社版原書を底本にしている筈なのに、何故こんな違いが発生しているのか?

ちなみに の解説にて、この件について触れられてないのは当たり前で、東都我刊我書房と湘南探偵倶楽部は別々かつ同時期に制作を進めていただろうから、『黒星章』の解説を書く際には、まだ出来上がっていない頃合いだ。



靑柿社版原書と が一致しない、この混乱の原因として考えられる事はふたつ。
靑柿社版には版によって、テキスト違いがあるということ。
でも、国会図書館デジタルコレクションも も両方、昭和23年4月30日発行って書いてあるし。もうひとつは湘南探偵倶楽部の制作者が勝手に自分でテキストを改竄してしまったということ。それもちょっとありえない推測だなあ。



私が単に無知なだけで、国会図書館デジタルコレクションに原書の画像が公開されている靑柿社版テキストと湘南探偵倶楽部叢書版テキストに異同がある真っ当な理由がもし存在するのなら、湘南探偵倶楽部に謹んでお詫びしなければならないが、なんでこういう事になったのか是非とも真実を知りたいものだ。




(銀) 次はいよいよ(?)光文社痛快文庫版。これは同人出版本じゃなくて原書だから、今日みたいな混乱も無く記事が書けるものと思いたい。


②へつづく。