2021年5月7日金曜日

『龍山寺の曹老人』林熊生

NEW !

大陸書館(楽天ブックス POD)
2021年4月発売



★★★★    1940年代台湾の探偵小説




大陸書館による林熊生の二冊目はシリーズもの。台湾の龍山寺(日本でいえば浅草寺?)にいつも屯している曹老人という街の生き辞引のような不思議な年寄りがいる。彼のもとに厄介事を運んでくるのが堂守りの范さん、そして陳警官。この三人のレギュラーを中心に巻き起こる事件七篇を約200頁の短篇集として纏めている。

 

 

「許夫人の金環」

時節柄〝金(moneyではなくgoldのほう)〟を供出せねばならないのに、許夫人が「わたしの金の腕環が盗まれた!」と言って曹老人に詰め寄り騒動になる。

 

「光と闇」

龍山寺から見える民家の二階の壁に不思議な光が明滅しているのを曹老人と王錦泉(雑貨店の男)は発見した。暗号が扱われているのに注目。

 

「入船荘事件」

〝これは完全な密室の殺人だ〟と刑事課長は嘯くが、果してどうなるか読んでのお楽しみ。改めて言っておくけど、内地では取り締まりの目を恐れて誰もが探偵小説を自粛していた時に、当時日本の統治下にあった台湾で林熊生はこんなミステリを書いていたのだ。

 

「幽霊屋敷」

「住み手がつかなかった屋敷の新たな住人達がそこで撮影した写真に幽霊の影が写っていた」という怪談を陳警官は范さんと曹老人に話してきかせる。これも既読感のあるトリックではあるがラストのセリフが意味深。



 

「百貨店の曹老人」

シチュエーションからして万引きものに落着くのは仕方がないとはいえ、内地探偵小説でも〝スリ〟の物語は食傷気味だから台湾ならではの特色を見せるべく別の一手が欲しかった。


「謎の男」

インサイダー取引。当時はまだその行為に該当する言葉が無かったのだろう。この話のオチを読んで私はなぜか『ルパン三世』の原作や1st シリーズ後半を思い浮かべた。

 

「観音利生記」

溺愛する息子が病死してしまった母・李氏銀は、息子と将来結婚させるため貰い子(媳婦仔)として育てていた娘・玉児を虐待する。いかにも東洋人っぽい人情話。 

 

                       


曹老人シリーズがこの七篇でコンプリートなのか確かな資料が無いので解らないが、これらの短篇は19431947年の間に執筆されている模様。曹老人を〝台湾のブラウン神父〟と呼びたいところだけれども、残念ながら完成度もトリックの独創性もそこまで高くはない。しかしながら同時期の内地探偵文壇の惨状を考えたら、よく頑張っているほうだ。



林熊夫こと金関丈夫って本当は日本人だし最初は京都帝国大学を卒業しているが、台湾の大学に行き教授になってからどうしてまた探偵小説に手を染める事となったのか、その辺の動機も知りたい。金関丈夫名義の本は多種存在するので、どこかにコッソリそういった回想録は残ってないかな?          

 

                        


捕物出版と比べて、一回り本のサイズが小さいのがいいね。これで文字のフォントもグッと小さくしていたらもっと見栄えが良くなるんだが。年寄りの老眼対策にここまで文字を大きくしないと見えないものかな。むし私は昔の本のように、字は小さくとも行間を少し空けたほうがずっと読み易くて好きだ。


 

 

(銀) 大陸書館の前作『船中の殺人』は楽天やhontoでの発売が遅いぞと書いたが、今回は楽天でもわりと早めに発売開始してくれたので、そんなに待たされず本書を入手する事ができた。『船中の殺人』の項で☆4つにして曹老人シリーズを☆5つにしたらなんとなく気が引けるので本書も☆4つにしたものの、「出してくれて有難う」的な意味では間違いなく満点の価値がある。


 


2021年5月5日水曜日

『ぼくのミステリ・コンパス』戸川安宣

NEW !

龜鳴屋
2021年4月発売



★★★★    龜鳴屋の作る本は素晴らしい




1978年から1992年まで月一ペースで『朝日新聞』に連載された国内外ミステリ・コラム。それは鮎川哲也がまだ現役で『沈黙の函』や『死びとの座』を発表していた時代。基本的にこの十五年間に発表された新作ミステリを取り上げている項が多いけれどクラシック・ミステリにも言及していたり、時には業界への苦言など話題は広範囲。私はこの時代の新作を自分の読書対象とはしていないから例えば逢坂剛なんて一冊も読んだことは無いが、そんな人間が読んでも十分楽しめる内容になっている。





むしろ私にとって重要なのは、これが金沢でひとりコツコツ愛情のこもった本を作り続けている個人レーベル龜鳴屋からのニュー・リリースであること。通常の文庫の背を少し高くしたようなハードカバー仕様に誂えていて、なんとなく戦前の改造文庫を思わせもする、わかる人にはよくわかる美しい装幀。それに加えて、前回の『雪割草』の記事にて書いた角川文庫のティッシュ・ペーパー並みに薄いpoorなページとは月とスッポンの上品な紙質が嬉しい。読み進めていたら〝投げ込み〟まで挟まっていて、その内容は初出コラムの「コンパス」を当時担当していた草薙聡志の、著者・戸川安宣からの手紙に対する返信の形態をとったエッセイ〈「コンパス」の想い出〉だった。草薙といい戸川の巻末あとがきといい連載時の裏話がこれまた面白くて「へえ~」と頷かされる。

 

                   



本書はところどころに注釈が付いてはいるのだが、今の時代だと解りにくミステリ以外の単語もあるから90年代以降に生まれた読者の為にここでフォローしておきますか。まず覆面作家トレヴェニアン『シブミ』を扱った64頁の項〈『将軍』以上の日本描写〉における『将軍』って何?と疑問に思う人もいるだろう。これは1980年アメリカNBCが制作した有名なTVドラマで、徳川家康が江戸幕府を制定する直前に日本へやってきたイギリス人・三浦按針を題材に使い、オリジナルの物語に仕立てたもの。日本でもオンエアされ、かなり話題になった。

主役の按針(ジョン・ブラックソーン)を演じたのはリチャード・チェンバレン。舞台が日本なので島田陽子・三船敏郎・フランキー堺・高松英郎・金子信雄ほか日本人俳優の出演が圧倒的に多い。角川映画『犬神家の一族』の四年後だから、まだ島田陽子に時代のニーズがあった頃だし近年CSにて再放送されたので久しぶりに観たけど、ガイジンの眼を通して見た日本人像が笑えて(ストーリー自体はシリアス)、つまらん大河ドラマなんぞよりずっと面白かった。

 

 

105頁の原・石毛というのは、のちに監督になってグータッチを定着させた読売巨人軍の原辰徳そして元西武ライオンズの石毛宏典のルーキー時代の話。この二人の名は本書巻末の人名索引にもちゃんと載っているが、こういうコラムに引用されるほど人気があったのよ。もっともその後の選手時代の原はいつもここぞという時に打てない四番バッターだった印象しかない。あと356頁はピンク・レディじゃなくてピンク・レディーね。どうでもいいけど。

 

                    


本書の評価を☆4つにしているとはいっても、それは上記でも述べたとおり私の興味範囲外のミステリ作品に関する書評が多いので、それらの作品を読んでないのにああだこうだと発言する資格は私には無い・・・という意味から☆1個分差し控えたのであって、執筆・制作サイドにマイナスされるような落ち度は何もなし。龜鳴屋の仕事だけならば満点。だいぶ前に発売された倉田啓明譎作集『稚兒殺し』みたいな本をまた出してほしい。

 

 

 

(銀) 本書は限定613部だそうなので興味のある方は早めに龜鳴屋HPへどうぞ。それにしてもハードカバーで613部作って価格が2,200+税か。個人レーベルにしては多めの部数かもしれないけど、良心的な価格だなあと思う。これに比べて盛林堂書房の出す新刊本は部数が200300部ぐらいのソフトカバー本(カバー付き)で価格が3,0003,500円あたり。サイズが文庫より大きくなったり、カラーページ中心の本になるともっと値段は高くなる。

 

 

本の制作に関する内部事情はそれぞれ異なるとはいえ、盛林堂は黒っぽい探偵小説の古本に対し状態が悪かろうがおかまいなしに非常識な高値を付けて売っている印象が強く、そこまで超レアではなかった古本まで相場を軒並み吊り上げようとしているようにも思えるので、龜鳴屋の本に見る丁寧な造りと価格を鑑みると、「盛林堂の新刊はゴリゴリに利益を乗せた価格で売ってるんだろうなあ」とつい詮索したくなる。でも盛林堂はテキスト打ち込みやデザインとかを第三者に発注しているから、その点で龜鳴屋以上に人件費コストはかかっているのだろうが。





2021年5月1日土曜日

『雪割草』横溝正史➁

NEW !

角川文庫
2021年4月発売



★★  最低なセンスの帯とカバー・イラストにゲンナリ





戦時下に新聞連載された非探偵小説である小栗虫太郎「亜細亜の旗」(1941年)/大坂圭吉「村に医者あり」(1942年)/そして雑誌連載だが大下宇陀児「地球の屋根」(1941年)。当blogではこれらの作品を最近記事にしてきたが、各長篇に共通していたのは男性主人公が医師や科学者といった理系分野で御国の為に奉公する志を持っている点であった。





だが横溝正史の「雪割草」(1940年)は少し視点が異なっている。市井の女性を主人公に置き、日本の勢力拡大を賛美する台詞は、ありそうで無い。蓮見邦彦と山崎先生の大陸への出立にのみ多少のポジティヴさを感じる程度で、大抵はわびしい銃後や傷痍軍人の光景が書かれていたり、出征する者を「バンザーイ!」と鼓舞しながらも人々の心は悲しみに暮れている。読み手であるこちらは正史の軍国主義嫌いを知っているだけに、お上に難癖を付けられないよう、ギリギリのレベルで「戦争を礼賛する文言は絶対書くまい」と誓う秘かな抵抗が透けて見える。

 

                    


この小説は流転するヒロイン緒方有爲子の苦難の物語なのだが二つのポイントを内包していて、一つは「有爲子の本当の父は誰なのか?」という彼女の出生の秘密。これは「八つ墓村」の主人公・寺田辰弥の状況に近いので、探偵小説の読者も感情移入しやすい筈。

もう一つは賀川仁吾に嫁ぐ事で貧しい画家を支えなければならず、新たな茨の道に踏み込まざるをえない有爲子の運命。結婚しても子供みたいに仕事以外の事は何もできない仁吾に度重なる試練が訪れ、喀血が続いて癇癪を起したり欝状態になったり。そんなダメな夫をひたすら守って耐え忍ぶ糟糠の妻の姿には、1933年以降、結核に苦しんできた正史を支える横溝孝子夫人の存在が重なってくる。

 

 

現代の眼から見ると、上記に挙げた四作はほぼ同時期に書かれたように感じるだろうが、なにせ短期間に国内外情勢が刻一刻変わっていった時代だ。数ヶ月ではあるが四作の中で最も早く執筆された「雪割草」は、「亜細亜の旗」「地球の屋根」「村に医者あり」よりも(ごく僅かだが)運良く表現の余地がまだ残されていたのかもしれない。

というのも有爲子が上京して最初に住むことになる五反田の住人の柄の悪さや、『南総里見八犬伝』の蟇六+亀篠よろしく有爲子から金を搾り取ろうとする恩田勝五郎+お常夫婦の小悪党ぶりなど、時代ものの「人形佐七捕物帳」でさえ風紀を乱すという理由に博文館が脅えて連載中止になっているのに、よく本作は御目溢ししてもらえたもんだ。

 

 

後半には悪役たちの跳梁が段々収まってゆくので、実際「雪割草」にも連載中に何らかの警告があった可能性は想像できるが、最初から予定していたプロットかもしれないし断定はできない。それにしても横溝正史という人は一族の血筋というネタをよく使いたがる作家だ。加えて、関西人が生まれ持つねちっこさから来るものなのか、仁吾の日本画の師である五味楓香の夫人・梨江によるいじめの底意地の悪さも強力だし、日本人の好みそうな要素が巧みに盛り込まれている。たとえ探偵小説でなくとも、現代の読者にも退屈させず読ませる技量はさすが。

 

                     


以前の記事にも書いたように、賀川仁吾が初めて登場するシーンでの風貌描写が、まるで金田一耕助の原型だと山口直孝(二松学舎大学)が大騒ぎしていたが、そんなのどーでもいい事に過ぎないのよ。戎光祥出版のハードカバー初刊本をお持ちの方は247頁でも359頁でも393頁でも、どれでもいい。挿絵を担当した矢島健三の描く賀川仁吾の姿を御覧頂きたい。小説家の書く内容と挿絵画家の造形が常に一致しているとは限らないが、挿絵の仁吾はどうみても〝長い、もぢやもぢやとした蓬髪〟ではない。



初刊本に収録された挿絵は連載時のもの全点収めていないのが残念なのだが、「雪割草」発見の報道がNHK『ニュースウォッチ9』でオンエアされた時、(山口直孝が画面の中で指し示していた)汽車の中で初めて有爲子が出会う賀川仁吾の姿を描いた挿絵も初刊本から漏れていたので、参考までにオンエアで紹介された時の画像をupしておく。ほ~ら、単に帽子被ってマント着てるだけの人で、何の特徴も無いでしょ?こういう格好をした男性は戦前ならいくらでもいたんだってば。


 

      NHK『ニュースウォッチ9』の映像より 

      

                       


                     



ヴィジュアルでいうと、今回の角川文庫版『雪割草』カバー・イラストは有爲子をイメージしているのだろうが、何? このお多福のおかめ顔? もともと有爲子は器量良しの設定やぞ。昔から杉本一文は、横溝正史の角川文庫カバーに小説の内容と時代考証が全然合っていないイラストをよく描いてて、何がそんなにいいのか私にはちっとも理解できないイラストレーターだったが、いくらなんでも今回のカバーはないよな。(この記事の最上部画像を見よ)

           

   昭和初期にこんなジーンズみたいなボトムを穿いていた日本女性なんていません

 


それ以上に馬鹿まるだしなのが帯の宣伝文句。
三上延さん驚嘆!「犯人も探偵もいない。でも、横溝らしい一流のエンタメです。」だってさ。このコピーを考えた人物はアタマが小学生レベルなのかな。南無阿弥陀仏・・・。


 

 

(銀) 『雪割草』初刊本(戎光祥出版)の淡い菫色を使った装幀は、内容にとても合っていて私は気に入っていたのに、文庫になると案の定、最低のデザインにしてしまう角川。本体のページだって、ちょっとでも手汗かいてたらすぐにシワシワ状態になりそうなペラペラの紙質。そういや緑304の頃、角川春樹がやたら相見積で原価を叩きまくり、しまいにゃ韓国の印刷業者まで使っている版もあった。あの頃から一片の誇りも無い出版社だ。

 

 

小説自体はよく書けていて面白い。正史は戦後、「雪割草」の存在を明かさなかったけれども、黒歴史として闇に葬りたくなるような内容では決してない。もし隠蔽すべき必要があったとするなら、有爲子と仁吾の関係が自分達夫婦をモデルにしているのが周りから見え見えで、小っ恥ずかしかったのか。納得できる理由はそれしか考えつかない。



初刊本に対する評価は★4つ。新聞連載時の挿絵を漏れなく収録し、①(昨日の記事)で紹介した欠落文字さえなかったら、躊躇いなく★5つ進呈しただろう。いくら欠落箇所を正しく表記できたからといって、目を疑うようなこのダサいカバー絵では、角川文庫版をどう褒めろというのか。





2021年4月30日金曜日

『雪割草』横溝正史➀

NEW !

戎光祥出版
2018年3月発売




■ 初刊本制作時に不完全だった最終回のテキストが確定





今回の記事は基本、再発された角川文庫版『雪割草』を軸に書いている。幻の長篇だった「雪割草」は最初に出た戎光祥出版のハードカバー本(以下、初刊と略す)を所有してるし、角川文庫版など買う気などサラサラなかったのだが、底本に使われた新聞のマイクロフィルムにて最終回冒頭における一部分の文字がごっそり欠落していたため、初刊では仕方なく浜田知明が欠落箇所を推測して埋める処置を施していた。つまり横溝正史が書いた本来のテキストの完全な復刻ではなかったのだ。

もっとも、正史の著書は昭和末期から今に至るまで、角川書店をはじめ各大手出版社による言葉狩りを何度も喰らってきたのだから、テキストの正常な再現がされていないのは今に始まった事ではない。「死仮面」なんて未だに一度も正しい形で再発されていない体たらくだし、ただ「情けない」と冷笑するばかり。 

 

 

で、「雪割草」最終回の欠落していた部分が首尾よく判明し、今回の角川文庫版(以下、本書と略す)を用いて正しい文章へ戻すというので、しぶしぶ入手せざるをえなかった。但し初刊にはあった【校訂通則】【連載予告(作者の言葉)/初めて読まれる方に】、そして『新潟毎日新聞』~『新潟日日新聞』に矢島健三が描いた味わいのある【挿絵】、これらが省かれてしまっている。



                    



それじゃあ小栗虫太郎「亜細亜の旗」の時と同じように、今回、沢田安史が見つけ出した新潟以外の掲載新聞も含む「雪割草」連載紙を一覧にしてみたい。


 

『京都日日新聞』  1940611日~1231日連載

ぴったり大晦日で完結しているのは、編集局側と横溝正史の間で年内に完結させる擦り合わせが滞りなくできていたからだと思われる。
「雪割草」の後に連載されたのは、小栗虫太郎「美しき暁」(「亜細亜の旗」の旧題)。


 

『九州日日新聞』  1940107日~1941715日連載

この新聞のみタイトルが「雪割草」でなく「愛馬召さるゝ日」にされていて、なぜ他の新聞より三~四ヶ月長い連載だったのかも、よく解らない。物語の大詰めで、馬が御国のため供出される重要なシーンがあり、先行紙『京都日日新聞』でその場面へ辿り着くのは『九州日日新聞』が連載を始めて既に二ヶ月経過した頃。まさか九州は雪が少ないから〝「雪割草」じゃなく別の題名にしてほしい〟なんて要望が『九州日日新聞』から出された・・・とは考えにくいけど、いずれにしろ「愛馬召さるゝ日」より「雪割草」のほうがはるかに、この物語の全体像を歪める事なく伝えうるタイトルであるのは、衆目の一致する意見だろう。


 

『徳島毎日新聞』  1941111日(?)~82日連載


 

『新潟毎日新聞』→『新潟日日新聞』  1941612日~1229日連載

初刊本書ともに、テキストの底本として使われているのは、最初に発見されたこの新聞。
途中で掲載紙名が変わっているのは、例の「一県一紙令」が発令されたから。


 

という具合に、現在判明している掲載紙はこれだけ。このように当時は未刊だった新聞小説の場合、後から手を加えられる可能性も考えてやはり後発テキストを優先すべきなのか、それとも、最初のテキスト(「雪割草」でいうと『京都日日新聞』)を重んじるほうが良いのか、判断が難しい。しかし悲しいかな、どの新聞も完全に保存されている訳ではなく、どうしても欠落した回が出てくる。そうなると、なるべく全ての回が揃っている新聞を使って、欠けている回がもし見つかったなら他紙テキストで補う、そういった手順を踏まざるをえない。


 

                    



次に、今回の文庫化で最大の売りとなる〝初刊制作時欠落していた部分のテキスト確定〟だが、本書を見ても最終回のどこの部分が欠落していたのか解りやすいように記してないので、ちょいと長くなるが該当箇所をここに挙げて比べてみよう。本書には収録されていないが、初刊421頁『新潟日日新聞』マイクロフィルム複写図版を見ると、最終回の数行にわたる上部数文字がゴッソリ空白になっているのが確認できる。



下の【初刊】テキストで色付けした部分が、
本来のあるべき【本書】テキストとは異なっていた箇所。


 

【初刊】  407頁下段 「花の宴」(八)

昨日、楓香先生の奥さんがいらしてくださったのね。どこでお聞きになったのでしょうか、
餞別だといわれて、本当に沢山のものを頂戴したのよ」
爲子は驚いてしばらくは言葉が出なかった
わりに仁吾が感慨ふかく呟くのだった
「そういう人なんだよ、あの人は。そうして何事も徹底しなければいられない性質なんだ
ああいう人がこうと決めとすれば、こちらは従うしかない。木實さん」
改って
「僕からもお願いします。その餞別は快く受取っておいて下さい」
頭を下げる
木實は声を昴めて、
「あたし余りに嬉しかったので、餞別を頂戴したのが嬉しかったというより畏れ多くて。あたしのような者にまで、気を配って下さる。というのも、つまりはそれだけ、奥さんは有爲子さんがお気に召しているのだと思って仇やおろそかには受取れませんでしたの」


 

【本書】  567頁 「花の宴」(八)

「ええ、楓香先生の奥さんがいらして下さいましてね。どこでお聞きになったのですか、餞別だといって、ずいぶん沢山のものを頂戴したんですよ」
「まあ!」
有爲子も仁吾もしばらくは言葉もなかった。
やがて仁吾が感慨ふかく呟くのである。
「そういう人なんだよ、あの人は・・・・・恩讐ともに徹底しなければいられない性質なんだ。ああいう人に怨みを買ったとすれば、こちらが悪かったのだ。木實さん」
「はい」
「僕からもお願いします。その餞別は快くおさめておいて下さい」
「ええ」
木實も力をこめて、
「あたしも実は嬉しかったので。いいえ、戴きものが嬉しかったという意味ではなくて、あたしのような者にまで、気を配って下さる。というのも、つまりはそれだけ、奥さまに有爲子さんがお気に召しているのだと思って仇やおろそかには受取れませんでしたの」


(注/下線部の箇所は【初刊】【本書】のどちらが正しいのか、新聞のマイクロフィルムを見てみないと判断できない)


 

 

こうして見ると浜田知明が埋めたテキストは、殆ど的中していないのがよく解る。
我々に馴染み深い戦前の正史作品以上に、「雪割草」では旧くて美しい言葉遣いがされており、正史オタの浜田のみならず、現代人がその文体を真似するなんて土台無理な話だったのだ。




(銀) 以上、書誌データを書くのに思ったよりスペースをとってしまった。内容その他の話題は明日。(☜)につづく。





2021年4月25日日曜日

『童女裸像』宮野村子

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2021年4月発売



★★★★   この作家に従来見られなかった
           「童女裸像」における少年目線の青い性




『無邪気な殺人鬼』に続く宮野村子未刊作品集第二弾。
改めて掲載誌一覧を見るとマイナー雑誌への発表多し。以下、カッコ内は初出年度。


 

   「狂い咲き」(昭和24年)

『無邪気な殺人鬼』はなかなかエグい作が入っていたが、本書もいきなりヒステリーにまかせて猫を殺すという、動物愛護にうるさい人が読んだら激怒しそうなシーンからスタート。美津江は人並み外れた美しさを持ちながら、度が過ぎて傲慢かつ奇矯な女に育ってしまった。後半の展開を読んでも、果して読者は美津江にシンパシーを感じるだろうか。 

 


   「かなしき狂人」(昭和25年)

タイトルに〝狂人〟とあっても、こちらにはまだ哀切がある。
終戦から三年後突然復員してきた正春だったが、酒に溺れてすっかり荒れた性格に変貌。
正春の母に仕えるユキは今に起こるかもしれない凶事に脅える。



   「草の芽」(昭和27年)

探偵趣味は無いが、『無邪気な殺人鬼』収録の「運命の使者」とも通じる温かさを覚える一篇。主人公・お重は生活こそ困らねど、とっくに夫はこの世を去り息子・弘一も戦死。女の悦びとも縁遠くなっていたのだが、部屋を貸してほしいと突然やってきた老人に世話を焼きつつ、愛情を抱き始める。この頃宮野村子はまだ30代半ばの年齢だが、孫に「お祖母ちゃん」と呼ばれるような初老女の面倒見の良い性分がよく書けている。

 

 

    「山の里」(昭和31年)

若い時分、命がけで愛していた妻が、自分が目をかけていた若い男と密通したため両者もろとも射ち殺した過去があるという赤沼。酒場を辞め山中の村でそんな赤沼と一緒に住み始めた絹枝。この作品を読んで、どっちに非があるとアナタは思いますか?ぶち殺される狐。ここでも動物に容赦ない宮野。

 

 

    「蝋人形」(昭和33年)

地方新聞の部長をしている敬治は街娼ルミと出会う。まるで蝋人形のような冷やかさを持つ彼女を囲おうとして、戦争で不具者になってしまい人目を嫌って隠遁生活している旧友・勝也の家に匿わせる。男性探偵作家にはよくピグマリオン嗜好が見られるが、この作の蝋人形はどうなる?

 

 

    「狂った罠」(昭和35年)

たいした趣向でもないけれど香りを用いた殺人トリック。そのためにシェパードが利用される。動物に対して、もうやりたい放題じゃん。


 

   「雨の日」(昭和38年)

⑧  「花の影」(昭和37年)

宮野村子には珍しく、この二作どちらにも広岡巡査というキャラクターが出てくる。両方とも『別冊週刊漫画TIMES』という雑誌に発表したせいだろうか。あと「花の影」にも冒頭の「狂い咲き」にも〝種子〟という登場人物の名が見られるが、特に関係はなさそう。この本、発表順に並べているのに「花の影」だけ「雨の日」より後に載っているのはなんで?

 

 

   「童女裸像」(未発表「宮野村子」名義)

これのみ中篇で、生原稿を高木彬光が預かったままになっていたもの。同じ未発表原稿でも、『無邪気な殺人鬼』収録の未発表作「死者を待つ」よりこちらのほうが良い。少年の眼を通して描かれる少女の透き通った裸体から匂い立つ青い性なんていうのはいつもの宮野には見られない題材。男性作家が書きそうな肉のエロティシズムとは少し違って、どちらかといったら精神的なな性表現。



戦争前、とても可愛がってくれた深見義行のもとに、自分は愛する三重子殺してしまったかもしれないと言って頼ってきた淳。しかし、弁護士であり少年時代の淳をよく知っている義行は、どうしてもそれを信じることができない。三重子の死の真相は?淳の脳裏に今もハッキリ残っている子供の頃の清らかな三重子の裸体はなぜ汚れているというのか?

折角余韻を残すエンディングで終わるのに、本書のテキストを打ち込む人間がそこでまたミスをしており興醒め。

淡くほのぼとの → (✖)

淡くほのぼのと → (〇)




(銀) 宮野村子の新刊が読めるのは嬉しいけれども、前回の解説を書いたのが彩古(古書いろどり)で今回は野地嘉文。盛林堂書房の本だとこういう奴等に御鉢が回ってくるから嫌だ。解説執筆を頼むべき適任者はもっといるだろうが。



その解説の中で野地は宮野村子を酒豪扱いしているが、実際どうだったんだか。
その都度どういう状況にあって、宮野がどういう飲み方をしてたのかわからんし。
でも山田風太郎との一件(2020年7月7日当blog記事を見よ)を読む限り、
飲み過ぎて「抱いて」と絡んでくるような女性のことを酒豪とは普通言わんけどな。




2021年4月23日金曜日

『秋聲翻案翻訳小説集/怪奇篇』徳田秋聲(訳)/蓜島亘(編)

NEW !

徳田秋聲記念館文庫
2021年3月発売



★★★★   金沢発のオシャレな文庫本



通販で北陸方面の古書店を利用すると、一体どういうつもりで商売しているのか腹に据えかねる店が時たまあって、その代表が石川県の金沢文圃閣。本の状態を正しく記載せずに販売している杜撰さでは日本一。昔から福井人が好きじゃないし、私は北陸とウマが合わないのかもしれん。

この店は出版業も行っており、そっち方面の業績は認められているのかどうか知らないが、古書通販の面ではなんでこんなに年中いい加減なんだ?片や、通販における古書店員の対応の無礼さNo.1はダントツで都内の古書ワルツ。青梅店・荻窪店いずれも同様に、店長の性格が捻じ曲がっているとしか思えない。






同じ金沢でも今回取り上げる文庫を発売した徳田秋聲記念館はとても感じのいい接し方だった。だいたい個人作家の記念館を経営する事だけでも困難を伴うのに、帯まで付いたシックな装幀の文庫を制作できるなんてたいしたもの。そのポテンシャルは街の人口の多さだとか作家の知名度とは全然関係なく、運営者のセンス・実行力・愛情が揃っているからここまで実践できているのに違いない。勿論、自治体など地元の金銭面バックアップも行き届いているんだろうけど。 


                    



さてさて徳田秋聲という作家について、私は全くの門外漢。
シャレたこの文庫本にはどんな小説が収められているのか、興味津々。




前半はナサニエル・ホーソン『トワイス・トウルド・テイルズ』から採られた三篇。
どれもイソップみたいな、あるいは三橋一夫「まぼろし部落」シリーズのような寓話風。




△「楓の下蔭」(原作「デイヴィッド・スワン」)翻案
本書中これだけが「~にあらずや」「~なりき」といった涙香みたいな明治調の文章なのは秋聲の師・尾崎紅葉補ゆえ?粗末な身なりだが人品賤しからぬ旅の少年が、川のせせらぎの心地良い叢で熟睡している。そこに通りかかった数組の通行者が、少年の寝姿を見つけてそれぞれ一悶着あるのだが、そんな騒ぎなど何も知らぬまま少年は目を覚まし、その場を去ってゆく。


△「霊 泉」(原作「ハイデガー博士の実験」)翻案
老境の将軍と政治家、そして昔は美人だったのに、独り者のまま汚れた身に堕ちてしまった媼。この三人に対し、仙人のような医師が〝それを飲むと昔の相貌を取り戻すという支那の霊泉〟を勧める。すると・・・。


△「人の哀」(原作「大望を抱く客」)翻案
凍える夜。前に断崖、後ろに山裾が聳える過疎の地に住む貧しい家族の住処に一人の旅人が立ち寄る。人の好い家族は旅人と打ち解け、彼の大望の話を聞いてゆくうちに・・・。 


                      

 


▲「一 念」(原作ウィルキー・コリンズ「奥様のお金」)翻案
伯爵未亡人・磯子が振り出した為替券が紛失し、磯子が目を掛けている十八の娘・美津子に容疑が向けられる。


▲「肖像画」(原作マーガレット・オリファント「肖像画」)翻案
主人公の冬吉は産まれてまもなく母を亡くしている。暫く家を空けており実家へ帰省してみると客間に一枚の肖像画が据えてある。やもめの父はそこに描かれた可憐なる少女こそお前の母親だと云うが、その絵については秘められし因縁があった。


▲「氷美人」(原作コナン・ドイル「ポール・スター号船長」)翻案
最もメジャーな作なので説明の必要も無いとは思うが、これも紹介しとこう。日本の海軍軍医・敷島太郎は英国北洋捕鯨船の一員。北極海を航行中に船長が奇怪な行動を取り始めたり、身震いするような謎の叫び声を耳にする現象が発生。ある夜、船長は誰もいる筈の無い氷上の霧に向かって突然語りかけ、そして遂には・・・。 

 

▲「ロッシア人」(原作アレクサンドル・プーキシン「その一発」)翻訳
露西亜人なのに、名を異国風にシルヴィオと呼ぶ男がいる。ピストル射撃に長けた剛の者ながら乞われた決闘に応じなかったシルヴィオは人々の尊敬を失う。数年後、この物語の語り手はさる村へ引っ込む事になり、その土地の伯爵邸でシルヴィオの名を話題に出したところ、意外な反応があった。

 

                       



【怪奇篇】とはいっても広義的で、本当にそう呼べるのは「霊泉」「氷美人」ぐらいだが、編者の蓜島亘が丁寧な解題・解説を書いてくれていて有難い。今後もこの文庫シリーズは続いていきそうな感じ。内容的に★4つにはしたけれど、徳田秋聲記念館の挑戦は諸手を挙げて支持したい。

 

 

 

(銀) これだけかぐわしい文庫がたったの1,000円で入手できるのだから、誠に素晴らしい。以前、徳島県立文学書道館が発売している「ことのは文庫」ラインナップの中の海野十三『三人の双生児』『十八時の音楽浴』を紹介したが、こんなインディーズの形で各地の文学館も今まで読めなかったマテリアルを単行本化してくれると、より楽しい。





2021年4月20日火曜日

『臨海荘事件』多々羅四郎

NEW !

春秋社
1936年5月発売



★★★★  戦前のアマチュアが挑戦した本格長篇



 

春秋社書き下ろし長篇募集企画で蒼井雄「船冨家の惨劇」北町一郎「白昼夢」と争い、二席に入選した作品。しかし過去に一度雑誌『幻影城』に再録されたのみで、2021年現在に至るも再発されそうな気配が一向に無いので救済のため古書ではあるが取り上げることにした。


            ◆


多々羅四郎という人は医者が本業で、何作かの小説をメディアに投稿した経歴はあるけれども、『新青年』『ぷろふいる』といった探偵雑誌との関わりが無い。再び注目される機会がなかったのはそういう処にもハンデがあるのだろう。「臨海荘事件」の六年前『サンデー毎日』大衆文芸一般公募枠に入選した「口火は燃える」という短篇がある。彼の小説で私が読んだ事があるのはおそらくこの二作だけだと思う。他にも別のペンネームを持ち、俳句を作ったり鉄道唱歌の本を出しているようだから、一種の投稿マニアだったのか。昭和18年病死。

 

 

「臨海荘事件」は多々羅自身が探偵作家とはいえぬアマチュアながら本格長篇にチャレンジした戦前では珍しいケースだ。東京大井町にある高級アパートメント「臨海荘」、その13号室に住む本野義高は昔鉱山関係の仕事で成功を収め今は悠々自適の日々を送っている裕福な独り者。その義高が内側から完全にロックされた自室の中で、彼の所有物である鉱石で後頭部を殴られ心臓を鋭利な刃物かなにかで刺されて息絶えているのが発見される。加えて彼が金庫の代わりとして通帳等を入れていたスーツケースが紛失していた。死体の傍の机の上には「高砂」の謡本が開いたまま放置されており、この謡本の存在は終盤まで覚えておくべきアイテムとなる。

 

 

警察サイドが容疑者として睨んだのは義高殺害当日、13号室周辺にいた次の五名。

本野義夫  (被害者である義高の甥)

大枝登   (声楽家)

秋川澄江  (映画女優)

太田耕作  (「臨海荘」の管理人)

中居村二郎 (太田に雇われている小使)

これに対し酒癖が悪いのが玉に瑕の老刑事・長瀬幸太郎が食らい付く。

 

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アマチュアのわりに文章そのものは読み易い。反面、物足りないのは登場人物や状況設定の在り方が良くも悪くも現実的で、どこか犯罪実話ものを読んでいるような気分にさせられる点。その分リアルではあるし、後半近藤医師襲撃事件が起きたり怪しい人物の尾行シーンなどサスペンスが無い訳では決してないけれど、各キャラクターのアイデンティティにもう一癖二癖あってもいいし、何よりいけないのは(ネタバレになるから詳しくは書けないのだが)13号室を密室状態にしなければならない ❛ある小道具❜ のトリックがいかにも御都合主義であること。この部分さえ誰からも文句を言わせないぐらいの真相に仕立てていれば、もっと評価をグンと上げられるのに。★4つにしているけど実質は★3.5。

 

 

地味でハッタリが少ない分、もし現行本になってもウケがあまり良くないかもしれない。ただ私の場合は『幻影城』の再録ではなくこの春秋社版初刊本で初めて接したせいか、とてもサクサク読み終えることができたし、北町一郎「白昼夢」よりはこっちのほうが好み。本格にトライした長篇だから「口火が燃える」等の短篇探偵小説をプラスして再発してもいいと思うのだけど、「臨海荘事件」は戦前に単行本で出されていながら多々羅四郎が人々の口に上がる事は不思議と無い。

 

 

 

(銀) 古書で小説を読むと、どうしても二~三割、いや時にはもっと面白く体感してしまう。だからあまりに過大評価するのは禁物・・・とはいえ、これよりずっと面白くないのに現行本になってる作家・作品はいくらでもある。なぜ誰も多々羅四郎の再発に動こうとしないのだろう?