2021年4月5日月曜日

『亜細亜の旗』小栗虫太郎②

NEW !

春陽堂書店
2021年3月発売




❉  なんと複雑な新聞連載事情



長い長い年月を経て、初めて単行本に収められた「亜細亜の旗」とは___。細民も多い上海の街角に日本人が建てた病院の顔として、内地での名誉に背を向け日本思想を支那人に理解してもらえるよう現地医療に心血を注ぐ生真面目な医師・峰島譲治が主人公。そこへ慎み深い自己犠牲心を持つ複数の女性が譲治への愛を秘めて苦悩したり、彼らの恋愛を妨害しようとする敵役の男が複雑に絡み合うという、あの小栗虫太郎が書いたとはとても思えないベタな展開に、読了して私はある意味膝カックンされてしまったような気分でいる。

相関図の背景は真っ最中だった日中戦争の不穏さに包まれているが、とどのつまり話の骨子は、一昔前の民放でよくやっていた昼メロ・ドラマと何ら変わり無い。昔から日本人女性のDNAには惚れた腫れたのすれ違い物語に抗えない何かがあるのだろう。

 

 

しかも、上海の異国性や東亜の新秩序建設の重要さを小難しい漢字+ルビでコテコテに表現する事さえ忘れてしまったかの如く、会話パートが多いばかりか、全体に亘って改行が十分なされているので文章の晦渋さはゼロ。登場人物の中に抗日テロリストが混じっており、終盤で峰島譲治が命を狙われる場面はあるものの、探偵趣味もほぼゼロと言っていい。清廉潔白なる男性医師とそれを取り巻く女性の恋模様で読者を引っ張る筋立てから、戦時下における探偵小説家の異色作としては横溝正史「雪割草」よりも大坂圭吉「村に医者あり」(「ここに家郷あり」)に近いなと感じた。

 

                   



「亜細亜の旗」において興味を引かれる要素はストーリーよりもむしろ混迷を極めた当時の新聞連載事情にある。掲載新聞が(判明しているだけで)なんと七紙にも及んだというのだ。しかも当初のタイトルは「亜細亜の旗」でなく「美しき暁」。では、その過程を見てみよう。



『京都日日新聞』    194111日 ~ 630
「美しき暁」179回にて連載打ち切り(理由は不明)
虫太郎の直前に同紙で連載していたのは横溝正史の「雪割草」。
つまり「雪割草」の最も早い発表誌は『新潟毎日新聞』でなくて、この新聞だったとの事。
「美しき暁」というタイトルだと、ヒロインの一人・亀井暁子を特に想起させる。
それを避ける為に「亜細亜の旗」へと改題したのか。


 

『東奥日報 夕刊』   1941124日 ~ 919
「亜細亜の旗」196回まで連載したが、919日に残りの回の粗筋を記して打ち切り
夕刊をタブロイド判へ紙面減少するという新聞社側の都合によるものか?


 

『九州新聞』      1941317日 ~ 1126
「亜細亜の旗」/全245回 ➤ 初めての完走
本書の底本は(いくつかの欠落回を除き)この新聞のテキストが使用されている。


 

『伊予新報』      194146日 ~ 121
「亜細亜の旗」186回で中絶
掲載新聞が地元他紙と合併する事によるもの?


 

『防長新聞』      1941516日 ~ 1942130
「亜細亜の旗」235回にて打ち切り
あと一息で完結したのに、これまた掲載新聞の合併によるもの?


 

『紀伊新報』      1941730日 ~ 1942614
「亜細亜の旗」/『九州新聞』に次いで、二紙目の完走


 

『加州毎日新聞』    194195日 ~ 127
「亜細亜の旗」93回以降の掲載を確認できず、詳細不明



                   



如何だろう?こうも度々、不運な打ち切りに遭う事なんてあるのか?
思えば1941~1942年の日本は新聞統制を目的に、一県一紙令を推し進めた。その煽りをモロに食った作品の一例が「亜細亜の旗」だとも言える。また、戦前の新聞小説事情に詳しい研究者にとっては周知の事実なのかもしれないが、同一長篇が(しかもほぼ同時期)こんな多くの新聞に連載されていた事が私には衝撃的だった。戦時下ゆえ、大衆の娯楽にも喧しい縛りが多くなり、新聞小説の世界では「なるべく既存の作品を各地の新聞で使い回して掲載しろ」みたいな不文律でもあったのだろうか? まさか、ね。



今回の発見は山口直孝がたまたま熊本出張中に熊本県立図書館を訪れ、前回の「雪割草」のお宝発見に味を占めたのか、『九州新聞』のマイクロフィルムを閲覧していたら偶然「亜細亜の旗」を見つけたと報告している。で、その事を回りに知らせたら、熊本以外の新聞からも続々と同作の連載が見つかったそうなのだ。最初に出会ったのが無事にエンディングまで完走した『九州新聞』だったから単行本の発売までスムーズにこぎつけられたけれど、これがもし打ち切り・中絶した新聞(特に『加州毎日新聞』とか)で「亜細亜の旗」を発見していたら、完全なテキストを揃えるまで、とんでもなく余計な時間と労力を要したかもしれない。



本書には、『九州新聞』連載時に付された坂本仁という画家の挿絵も(全部ではなさそうだが)収録されている。585頁には『京都日日新聞』『東奥日報夕刊』『九州新聞』『紀伊新報』の紙面が紹介されていて、それを見ると少なくともこの四紙においては共通に坂本仁の挿絵を載せていたようだ。

そして本作に関して山口直孝は〝家庭小説〟だと形容しているが、この585頁『紀伊新報』紙面の「亜細亜の旗」というメインタイトルの右側には〝東亜建設小説〟なる小さな角書きが読み取れる。この東亜建設という言葉をどう解釈するかにもよるのだが、誰がどう読んでも本作はすれ違いドラマにしか見えないとはいえ、小栗虫太郎の小説である事を考えると、作家本人の執筆時における意識に相応しそうなのは〝家庭小説〟よりもやっぱり〝東亜建設小説〟のほうだったんじゃないかな、と愚考してしまう。




虫太郎スペシャルは二日分の記事で終わらせるつもりだったが、
もう少し言い足りない部分が残っている。という訳で ③ につづく。




2021年4月4日日曜日

『亜細亜の旗』小栗虫太郎①

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❉  NHK朝のニュースの第一報



私は朝、テレビを見る習慣が無い。202132日(火)の朝もたまたまNHK総合にチャンネルを合わせていなかったら、この第一報は間違いなく見逃していただろう。それは早朝6時台の『おはよう日本』放送中のこと。ふと画面右側の〝本日のメニュー〟に目を向けると、「小栗虫太郎が家庭小説も」という項目が。なんでまた虫太郎がテレビのニュースに?

 

 

その情報がオンエアされる順番は一番最後のほうだから、録画する余裕は十分にある。ゆっくりセッティングを済ませ待機して見ていると、桑子真帆がこう切り出した。「昭和初期に活躍した探偵小説家で『黒死館殺人事件』等の作品で知られる小栗虫太郎が、昭和16年に他の作品とは作風が全く異なる家庭小説を発表していた事が確認されました。」おお~。

 

 

次に画面に映し出されたのが二松学舎大学の山口直孝。今回の虫太郎作品発見者は彼だという。は?この人、多少なりとも虫太郎を読んだ体験あるの?以前、横溝正史「雪割草」を発見した時にもNHKの『ニュースウォッチ9』で、発見された「雪割草」の中にくちゃくちゃのお釜帽を被りもじゃもじゃした蓬髪の男性芸術家が出てくるもんだから、「これは金田一耕助の原型だ!」と大騒ぎしていた俗物だ。自分で何か発見したら、毎回NHKに報道してもらうよう手配しているのかな。                                    

 

 

このニュースでわかったのは、発見された長篇が九州地方その等各地の新聞に連載されていたということ。恋愛うんぬん家族うんぬん紹介されているけれど、家庭小説って言ってもどんな内容なのか、全然想像がつかない。で、今回発見されたその作品のタイトルは「亜細亜の旗」というらしい。そして探偵小説ではなく虫太郎の特徴である難解な節回しが全く無いとも。しかし昭和16年っていったら「女人果」よりも後でしょ。「女人果」も新聞に連載した長篇で、虫太郎は既に初期の晦渋さが無い文章の作品を書き始めていたから、虫太郎の事をよく知らずに山口直孝がまた話題にしようと思ってオーバーに盛って言ってるんだろうなと、私は思った。


                   

 


その後ネットでもこのニュースが出回り、『亜細亜の旗』早くも単行本として春陽堂書店から刊行される告知が。「雪割草」の時とは違って、今回は作品発見のニュースから間を空けずに発売するつもりみたい。春陽堂はコロナ禍になって、(在庫は十分あるのに)自社オンライン通販の発送がやたら遅くなっていたけれど、ちゃんと改善してくれたようで最近はスムーズな購入ができている。よって今回はwebサイトで予約を開始したその日にすぐさま春陽堂へオーダー。

 

 

『おはよう日本』のニュースから一か月も経たぬうちに、その新刊本『亜細亜の旗』は届いた。『完本人形佐七捕物帳』に似た函・カバー・帯の仕様が施されており、かなり厚みもある。梱包を解き、待ちかねた未刊長篇を読み始めた。すると、こちらの予想を裏切るような点がいくつも見つかった。




   につづく。



2021年3月30日火曜日

図録『永遠に「新青年」なるもの』

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神奈川近代文学館
2021年3月発売



★★★★    コロナ・ウイルス下の「新青年」展




B  1995年に世田谷文学館は『横溝正史と「新青年」の作家たち』という企画展をやりましたが、今回、神奈川近代文学館は「新青年」そのものを前面に出し、探偵小説だけじゃなくファッションやスポーツにもスポットを当てて、この雑誌の懐の深さを強調しようとしてますね。



A  「新青年」って探偵小説オンリーじゃないからな。この前ちくま文庫に入った獅子文六の『金色青春譜』なんて今回の企画展開催に合わせて発売されたようなものだし、スポーツにも注目する構成はいよいよ間近に迫ってきた東京2021を多少意識してる感じがする。いやまったく、どうなるんだろうな、今年のオリンピックは。この図録には載ってないけど戦前に笠置山というインテリの力士がいてさ。「新青年」に寄稿したり、ちょうど双葉山が無敵の連勝記録を伸ばしていた時には、双葉山を攻略するための研究文を雑誌に発表したってんだから、今じゃ考えられないだろ?

 

 

B  文筆家の力士がいたんですか? 増井山が歌手として売れて人気あったのは知ってますが。いまやどオワコンですけど、「新青年」の頃が大相撲の一番幸せな時代だったみたいですね。話を戻すと、この図録の50ページに載っている各国フィギュアスケート女性選手の写真の中で、一人だけ子供が紛れ込んだような風情の日本代表・稲田悦子がすごく浮いてます。ファッションでいうと、やっぱ中村進治郎ですか。探偵作家以外で顔写真が載ってるのは彼だけ。この写真、ホームズみたいにパイプを咥え英国紳士が着そうなガウンを羽織ってるのが流石。

 

 

A  彼は探偵作家じゃないから探偵小説を書いてないんだけど、博文館の他にも映画や実話系の雑誌などあちこちに読み物記事を結構書き散らかしているんだよ。進治郎の書いたものを集めて一冊の本にしてくれないかな・・・と前から思ってるんだが、それを実現してくれそうな人はなかなかいないね。

 

 

B  個人的に気になったのは、27ページ左上に編集長時代の一枚として掲載されている水谷準の写真でして。準はともかく、その左に並んで写っているのは横溝正史と書いてあるんですが、これってホントに横溝ですか?

 

 

A  正史には見えないよな。準の編集長時代といっても期間が長いし、撮影した年月が書いてないから推測するしかないけども、この写真の準はどう見ても戦後の外見っぽいね。戦前の準はまだこんなふっくらした顔付きじゃないもの。となると敗戦後の準はパージにかかってるから、この〝編集長時代〟というキャプションも疑わしい。左側の男性は正史ではなく、戦後の「新青年」編集長を任された弟の横溝武夫じゃないの?この写真は準の御遺族の方が提供して下さったそうだけど、同じ横溝姓だもんだから武夫と正史を取り違えたのかもしれない。

 

 

B  我々がよく知っている好々爺としての笑顔に比べると、戦前の正史の容貌って細面で全然違うから、ボーッとしてると見落としてしまいがちなんですよね。その上、横溝武夫の顔ともなると頭に浮かばないですし。今回の企画展の特徴ですが、戦後の「新青年」も展示の対象になっています。約70ページの図録に手際よく「新青年」の概要が紹介されて900円だから、早めに買っとくほうがいいでしょうね。ヤフオクで三倍の値段で売ってるバカ・そしてそれを買うバカがいるみたいですけど、そういうのには決して手を出さないように。




(銀) 『永遠に「新青年」なるもの』展は神奈川近代文学館にて、2021年3月20日~5月16日まで開催中。同時期にさいたま文学館が開催している企画展『江戸川乱歩と猟奇耽異』の図録は「部数が少ないので来館者優先」という理由から、日程が終わって図録の残部が余ってなければ通販はしないなどと、転売を煽るようなケチ臭い事を担当者が言っているが、「新青年」展図録のほうは神奈川近代文学館が開催初日と同時に通販でも販売してくれており、会場へ行けない人にも優しい対応がされている。詳しくは公式HPを。





2021年3月29日月曜日

『とりあえず、本音を申せば』小林信彦

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文藝春秋
2021年3月発売



★★★★  『決定版 日本の喜劇人』を準備中?




コンビニで『週刊文春』を立ち読みしても、このコラムがまだ続いているの確認するだけで、「本音を申せば」シリーズの単行本を買って読むのも近年はすっかり惰性になっていた訳です。(桑田佳祐が『文春』にエッセイを連載しているのは、大森隆志の事とか自分やサザンのヤバい部分を極力ほじくり返させなくする為だと思う)

脳梗塞をやって骨折もして気分も沈みがちになっていそうで、これ以上小林信彦に仕事をさせるのはさすがに酷なんじゃないか、と。昨年までは発売日をキッチリ押さえ通販で買っていたけど今回は楽天ブックスで予約注文するのをてっきり忘れ、書店の新刊コーナーに並んでいるのを見つけて慌てて買うような始末だったんですわ。

 

 

その上にコロナでしょ?もし五体満足であっても映画館へは行けない有事なんだから、信彦氏が欝状態になっててもおかしくないな・・・と思いつつページをめくると『決定版 日本の喜劇人』の出版準備をしているそうで。最終形だと思われた『定本 日本の喜劇人』(新潮社) 収録分「日本の喜劇人」の増補改訂だろうか? まもなく発売予定との噂だが、萩本欽一との『ふたりの笑タイム』について書いた当blog記事(20201127日)で述べたとおり、執筆できる体力があるのは喜ばしいけれど、まっさらな新作の喜劇人本を望むのは難しそう。
はてさてどうなる?


 

 

2020年は志村けんの死がショッキングだったこともあり、本書でも紙面が割かれている。故いかりや長介以外ドリフは興味の対象ではなかったため、改めて小林は志村の自伝『変なおじさん』を読んだそうだが、私がビックリしたのは『ドリフ大爆笑』で志村と(〝一等賞〟にこだわっていた頃の)沢田研二、この二人がやる鏡コント(志村が鏡を見ている体裁で、鏡に映っているかのように志村と向かい合っているジュリーが志村の仕草を真似して、そのうちジュリーをおちょくるため志村がフェイントをかけたり、品の無い事をして笑わせるというもの)を、今回の志村の死によって小林は初めて知ったそうで。

あれのオリジナルはマルクス兄弟の〈ミラー・シークェンス〉だと本書は教えてくれるけれど、昭和の人ならほぼ誰でも覚えていそうな志村とジュリーの名コントをまさか小林が知らんかったというのは意外(トシだし忘れてしまったのかも)。



                 志村+ジュリーの鏡コント

                 youtubeにもupされている



『全員集合』ならばともかくスタジオ・コント、しかも大スターのジュリーなら嫌がりそうな事を『ドリフ大爆笑』で演っていたのは、ジュリーもドリフも元は同じ渡辺プロ所属だったから、その縁で仕方なくやってるんだろうな私は思っていた。しかし後年ジュリーと志村が再び組んで歌とコントのショーをやっているのをTVで見た時、「この二人はガチで仲が良かったんだな」とわかり、なんとなく嬉しかった。



その他、菅義偉が「ガースー」と呼ばれる理由は『ガキの使い』のプロデューサー・菅賢治からきているのも、どうやら最近知った様子がうかがえる。元祖ガースーはとっくに日テレを辞め、『ガキ』の現場からも離れて数年経っているが、ダウンタウンは小林にとって志村以上に興味の無い存在。博覧強記とはいかない事がいろいろ存在するのでアル。逆に『週刊プレイボーイ』で小林が下着グラビアをチェックしたという林田岬優って誰?ググって見たけど・・・・ま、深田恭子しかり氏のオンナの好みは時として私には理解不能なところがあるからな。

 

 

車椅子生活で外出も不自由なのだから本やDVD買うのはネット通販を使えばいいのに、いまだにPCとかスマホとかネットを使う気はないみたい。このお年で、今更使い方なんか覚えたくもないか。その流れでDVDの再生機を〝白いキカイ〟などと書いてて、つい笑ってしまう。

そう、時代から取り残されていようが取り上げるネタに変化が無かろうが、この感じでクスッと笑わせる筆の調子が暗くなっておらず、現在の体の不便さのわりに明るさを失ってなかったからホッとした。激励の意味を込めて、★1つおまけでプラス。




(銀) 本書の中で当blogに沿うようなネタといえば、獅子文六と谷崎潤一郎か。あ、あと『野呂邦暢ミステリ集成』にも少しふれてあったっけ。世の中には志村けんが亡くなった途端『志村どうぶつ園』を見てほのぼのしたり、時には泣いてるバアさん達がいて閉口する。昔、ドリフやバカ殿は俗悪番組だ!とか言ってさんざん叩いてきたくせに。バカ殿もある時期からエロ・ネタを控えるようになってしまった。スケベじゃないバカ殿なんてちっともバカ殿らしくなくて私は物足りない。



話を小林信彦に戻すと、元気な時にネットの味を覚えなかったのならば、それは正解だったと思う。ナーバスな気質の上、ネットの陰湿さを知ったら、現在のような体になってしまうと余計に絶望感が増してしまって、生きることもきっとイヤになりそうな氏の気持が想像できるからだ。





2021年3月25日木曜日

『江戸川乱歩大事典』落合教幸/阪本博志/藤井淑禎/渡辺憲司(編)

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勉誠出版
2021年3月発売



    間違いとデタラメをすべて訂正して出し直せ




乱歩に関するこの種の文献というと、まず『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』(新保博久・山前譲/編)がある。国内の探偵作家(専業でない人も含む)について乱歩が書いたルーブリックやエッセイを纏めており、どちらかといえば何かを調べる本というよりも、乱歩随筆集の中の一冊として認知されているかもしれない。




次に、平山雄一による『江戸川乱歩小説キーワード辞典』。これは乱歩の小説に出て来る単語や事柄を拾い出して作った、文字通りの辞典スタイル。光文社文庫版江戸川乱歩全集で見せた平山の註釈は、ウィットのあるツッコミが笑えて面白かったのだが、ここでは辞典のアカデミックさを守る目的なのか、そういった遊びの部分は一切無くしており〝読み物〟としてのキャッチーさは持ち合わせていなかった。

 

                   💀



今回勉誠出版から出た『江戸川乱歩大事典』の特色は、項目の対象が乱歩その人、及びそれを取り巻く大衆文化へと向けられ、執筆者もかなりの人数に及んでおり、『小説キーワード辞典』とは全く趣が異なっている。本書で褒められる点はほんの僅かだし、先にそれを挙げとくか。どちらの本も基本二段組なのだが、『小説キーワード辞典』は 1ページの中に詰め込んだ文字のサイズが大きくてギチギチ感があったのに対し、『大事典』は文字を小さくしてレイアウトし、書かれている内容が〝読み物〟の形になっているところは良い。

 

 

編者からして阪本博志以外の三名は立教大学関係者。そして彼らが指名したであろう各項目の書き手のうち、乱歩や探偵小説の専門家、あるいは一定のレベル以上理解していると言える人は(平井家と岩田家の令孫御二方を除くと)中相作・戸川安宣・堀江あき子らに加えて、川崎賢子/浜田雄介/小松史生子/谷口基といった『新青年』研究会のベテラン勢。編者の中では唯一、落合教幸のみ。つまり全体(約70名)の二割弱しかいなくて、そんなオーソリティほど担当している項目の数が少ない。あとは下川耿史のような高齢の風俗史家もいるが、立教あるいはどこかの大学に属している人の名前がズラッと並んでいる。


                   💀 

 

読み始めて気付いたのは、先週320日(土)の当Blog記事にて酷評した藤井淑禎の新刊『乱歩とモダン東京』のテキストが、藤井の担当する項目にほぼそっくりそのまま流用されている事。本書には【土蔵】の項目もあり、そこでぬけぬけと藤井は『乱歩とモダン東京』同様、「旧乱歩邸土蔵=幻影城」というありもしない虚言を、凝りもせず繰り返している。

 

 

こういった事典の類は編者の嗜好によって内容が左右されてしまう。その一方で、小林信彦や『ヒッチコック・マガジン』、あるいは大衆文化を掲げながら乱歩の扁桃腺手術で執刀したドクトル高橋らの名前は無く、【戸板康二】に【水上勉】、更には乱歩の事典になぜ必要なのか誰もが疑問に思うであろう【山手樹一郎】の項目が紛れ込んでいたりする。

その理由は簡単。本書は『江戸川乱歩大事典』と言いながら、その実、藤井淑禎~立教大学人脈の研究発表の場に乱用されているから。水上勉は藤井の得意科目だそうだし、樹一郎の項を執筆した影山亮は現在さいたま文学館の学芸員だが元は立教の人間で、彼が樹一郎の研究をしてきたのは私とて聞き及んでいる。樹一郎と乱歩の間にそれほど関係性も無いのに、わざわざページが割かれているのはこういう内部事情があるからなのだ。



                    💀 

 


海よりも広い寛容な心で、仮にそういったやり口にも目をつぶったとしよう。
これほど間違いだらけの本をアナタは事典として認められますか?
さ、おなじみ〝間違いを探せ!〟のコーナー。
本書を読んで発見した誤記や不注意の数々をご覧あれ。
(ていうか、本の間違いを見つけ出す為にBlogを始めた訳じゃないんだが)
なお、ここに挙げたミスが全てでは決してなく、気付いたけどあまりに数が多いんで鬱陶しくて拾わなかったものもあるし、実際誤っている箇所はもっとあちこちに隠れている筈である。
(【 】内は該当項目/執筆者/該当ページを指す)

 

 

◆ 巻頭口絵3ページ キャプション/執筆者不明/上から2行目

  なんとも意気(×)   →    なんとも粋(〇)




第 Ⅰ 部 人間乱歩

◆ 【江戸文学】/渡辺憲司/135ページ 上段1行目

  『伊勢の散歩者』(×) →   『伊賀の散歩者』(〇)


◆ 【レンズ・鏡】/浜田雄介/166ページ 上段10行目

  『青銅の魔神』(×)  →   『青銅の魔人』(〇)




第 Ⅱ 部 社 会

◆ 【百貨店/アパート】/前田志保/198ページ 下段17行目

  『江戸川蘭子』(×)  →   『江川蘭子』(〇)


◆ 【京浜国道】/藤井淑禎/259ページ 上段19行目

   乱歩が愛してやまなかった(?)京浜国道  (×)

   → 書いた本人はシャレのつもりなんだろうが、これも「土蔵=幻影城」同様の虚言


◆ 【地下鉄】/近森高明/312ページ 下段11行目

   大曾根龍二(×)   →    大曾根龍次(〇)


◆ 【気球・飛行船】/原 克/328ページ 下段9行目

   大曾根五郎(×)   →    大曾根龍次(〇)

   久留須左門が空からアジトを監視する「大暗室」の後半に大曾根五郎は登場しない


◆ 【猟奇殺人】/下川耿史/341ページ 上段12行目

   乱歩も第二巻の『変態殺人篇』を担当している(×)

   → 天人社「世界犯罪叢書」の事で、これは名義貸しであり、乱歩の執筆には非ず


◆ 【エログロナンセンス】/斎藤光/348ページ 下段7行目

  『猟奇の果て』(×)  →    『猟奇の果』(〇)


◆ 【ルパシカ】/後藤美緒/386ページ 上段3行目

   渡辺剣二(×)    →     渡辺剣次(〇)




第 Ⅲ 部 ミステリー

◆ 【ジョン・ディクスン・カー】/松田祥平/412ページ 上段10行目

   ワンシントンDC(×) →      ワシントンDC(〇)


◆ 【大下宇陀児】/小松史生子/456ページ 上段13行目

  『宇宙船の情熱』(×)  →        『宇宙線の情熱』(〇)


◆ 【浜尾四郎】/小松史生子/474ページ 下段19行目

   藤枝真太郎(×)   →      藤枝慎太郎(〇)


◆ 【怪人二十面相】/宮川健郎/579ページ 上段4行目

   黒蜥蜴である緑川夫人も二十面相も、殺人をきらい(×)

   → 黒蜥蜴=緑川夫人は殺人嫌いではないし、現に明智は水葬礼にされたではないか




第 Ⅳ 部 メディア

◆ 【円本】/柴野京子/630ページ 上段6行目

   第一巻『蠢く触手』(×) →     第一巻『蠢く触手』(代作)(〇)

 

◆ 【『ぷろふいる』】/落合教幸/751ページ 下段8行目

   名中島河太郎(×)    →    中島河太郎(〇)


◆ 【全集】/村松まりあ/801ページ 上段1213行目

   代作である「蠢く触手」が収録されている(×)

   → これは1950年代に出た春陽堂版江戸川乱歩全集についての文章だが、

    「蠢く触手」が乱歩全集に収録された事はかつて一度も無いし、今後も無いだろう

     この項は他にもあちこち間違いだらけだ



なんでここまで間違いが発生するのか?
しかも浜田雄介と落合教幸までこんなミスをするとは思えないし。このような仕事を任せられるほどの力量を持ち合わせていない人が多いのも問題とはいえ、ミスをやらかしている書き手は自分の原稿を見直したり推敲したりしないの?原稿を回収した編者はそれらひとつひとつに目を通さないの? はたまた、この事典に校正という作業は存在していないの?探偵小説の新刊本を出そうとする最近の中小出版社は何考えて本作ってんだか、私にはも~さっぱりわからん。




(銀) 何事もそうだけど、そのジャンルに聳え立つ既存の考えに物申してそれを少しでも変えたいのなら、事実を踏まえてまず自分の意見を聞いてもらえるような姿勢でアピールしないと、藤井淑禎のようなやり方では(私ほど極端に冷淡ではなくとも)乱歩ファン/探偵小説ファンは彼の云う事に耳を貸すどころか、完全にシャッターを下ろしてしまうだろう。



藤井の執筆している項目で、あたかも探偵作家(や探偵小説ファン)が「自分達の仲間以外の作家(非探偵小説ファン)を排他する傾向がある」みたいな物言いをしているページがあった。そういう面は確かにあると認めるけれど、少なくとも探偵作家の中で、松本清張をはじめ新しく世に出てきた社会派作家の芽を摘もうとするような言動をした人なんて私は思い当たらないけどな。

むしろ探偵作家に対する「探偵小説を〈お化屋敷(ママ)〉の掛小屋からリアリズムの外に出したかった」発言にはじまり、偉そうな態度を取っていたのは圧倒的に藤井の大好きな清張のほうだったのだから、探偵小説ファンが清張嫌いになったとしても、そりゃ自業自得というものさ。


 

 


2021年3月21日日曜日

『大乱歩展記念講演会/小林信彦「乱歩の二つの顔」』

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神奈川近代文学館 デジタル文学館
2021年3月公開



★★★     17分のアーカイヴ音源




2009年秋、神奈川近代文学館にて「大乱歩展」が開催され103日(土)午後2時オープニングトークショーのゲストとして小林信彦が登場した。その日のレポートは当blog 202079『森繁さんの長い影』(小林信彦)の記事に書いておいたが、あの時のトーク音声をまさか神奈川近代文学館がwebサイト上にて公開するとは思わなんだ。小林側もよくOKを出したな。だって前述の記事に書いたように、小林が壇上で喋っている時に(かなりの間)約一名のうすら馬鹿なオヤジが発する大イビキがホール中に響き渡り、そりゃあもう静寂の中の地獄絵図みたいだったんだから。

 

 

このweb音源を聞いてみると、upされたのは約90分の講演時間のうち約1/6,つまりたった17分程度。江戸川乱歩によって『ヒッチコック・マガジン』編集長に取り立てられるキッカケから急に音声が始まり、雑誌作りのやりとりを乱歩邸で行う際のエピソードやら、馘を通達される話、小林から見た乱歩と松本清張の関係、晩年の乱歩の悲哀、今回聞くことができるのはこういった話題。聴衆の笑い声もかすかに聞き取れる。

 

 

普通の人はこの17分のトークを聞いて「おお~」と喜ぶのかもしれないけれど、乱歩についても小林信彦についてもある程度知り尽くしている人間からすると、これまでの小林著書に書かれてきた以上の初公開ネタは無い。本当は宇野浩二のこととか話したかったらしいのだが、どういう聴衆が聞きに来るかわからないのでマニアックなネタは一切控えたみたい。あの場では、当時都知事だった石原慎太郎の「慎太郎ミステリ」について言及しようとしていた。その「慎太郎ミステリ」は今日に至っても盛り上がりそうな気配は全く無し。(作家・石原慎太郎が再評価される日なんて来るかね?)

 

 

壇上の小林がどんな話をしていたにしろ、さすがに例の大イビキが鳴り響いている部分は跡形も無くカットしているので、この音声だけ聞いた人は小林が終始楽しそうに話していたものと誤解してしまいそう。今回の音源はブツ切りをつなぎ合わせた感じには聞こえないけど、全体の90分から都合の悪い部分を排除しただけではなく、実際使えそうな部分を編集している様子。こんな事ならあの場でトークの全編を録音しておけばよかったかな。

 

 

 

(銀) あれから10年位経っているので懐かしくもあったが、このトーク音源を公開するのは(あの時の小林信彦の気持を考えると)ちょっと可哀想。あと改めて思ったのだけれども、小林ひとりにずっと喋らせるのではなくて、神奈川近代文学館長を当時務めていた紀田順一郎が聞き役になっていれば、より望ましい内容になったかもしれない。「大乱歩展」そのものは、2004年に池袋東武百貨店にて立教大学の仕切りで行われた「江戸川乱歩と大衆の二十世紀展」と比べてはるかに素晴らしい内容だった。



え~、よそのブログでは関連サイトへすぐ移動できるリンクを文中に張っておられますが、私のところは不便さが売りでして。神奈川近代文学館のHPへ行けるリンクも本来ならば張っておいたほうが便利に違いありません。しかし、そのリンク先にあるデジタル文学館上の音源とて、いつかは儚く消されてしまう運命にあります。誠に御手数ですが、ご自身でググったりしてデジタル文学館の場所を見つけて下さいませ。





2021年3月20日土曜日

『乱歩とモダン東京』藤井淑禎

NEW !

筑摩選書
2021年3月発売



    このセンセイは何も進歩していなかった




立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター長だった藤井淑禎。いや、こう紹介すべきかな。メディアに対して「池袋の旧乱歩邸の土蔵を乱歩は【幻影城】と呼んでいました」という、全くの事実無根情報を2000年以降懲りずに拡散してきた人物、と。

 

 

以前、彼が文章にしてきたテーマを集めてアップデートした単行本とでもいうか、乱歩通俗長篇に絡めた帝都東京の文化的発展を俎上に載せたもの。前置きに『探偵小説四十年』への疑問から始める(それは中相作が常々提言してきたことの受け売りに過ぎないのに、参考文献+メディアリストが本書に一切記されていない)。2004年に藤井が編纂及び執筆も手掛けた「国文学解釈と鑑賞」別冊『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』の頃に比べ、少しは乱歩を読み深めて進歩したのか御手並拝見。

 

 

2章で、通俗長篇スタート後に明智小五郎が居を構える御茶の水/開化アパートとは、当時どれほどの超ハイクラス物件だったのか、開化アパートのモデルと見られる文化アパートの見取図等から、そのリッチさを想像する。第34章は蜘蛛男による里見芳枝嬢誘拐ルートを実際の地名と照らし合わせたり、東京市内幹線道路のインフラ拡張に目を向ける。

 

 

56章はエンターテイメント施設。
蜘蛛男による四十九人娘殺しの舞台に選ばれたのは鶴見遊園のパノラマ館だが、実際、あの時代の鶴見には(パノラマ館こそなかったものの)花月園というアミューズメント・パークがあったらしい。片や、両国国技館が出て来るのは「吸血鬼」。ランドマークな面以上に、あそこで開催されていた菊花大会の明治風おどろおどろしさのほうが、乱歩テイストには重要かと(横溝正史にも「菊花大会事件」という短篇がある)。
7章は芝車町への転居が交通の騒音で落ち着けず、乱歩が逃げ込むことになる麻布の張ホテル8章では文代と結婚して住むようになった名探偵の龍土町一戸建て、その文化住宅をチェック。9章になると、新東京というか三十五区になり、作品にも乱歩自身の住居にも郊外志向が現れてくると著者は言う。

 

 

 

こんな感じで、ほぼ各章の題材を紹介したのは、春陽堂みたいに漢字をいくつも開いていたり(顰蹙 → ひんしゅく、謙遜 → けんそん etc)、そういうのは今回あるけれど、前述の『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』で連発していた〝三色パン〟のような意味不明な形容は止めているし、それなりに本書は評価できるかなと思えたから。

けれども第11章に至って、またもや〝土蔵 - 幻影城問題というささやかな論争がある〟などと持ち出し、乱歩の連載エッセイに「蔵の中から」「幻影城通信」というタイトルのものがあって「蔵」と「幻影城」は完全に置き換え可能だから〝話題作りに忙しいマスコミ等によって土蔵が幻影城と呼ばれたとしてもやむをえないことだったかもしれない〟という風に藤井は反論する。え? このBlogで何度も指摘してきたこの人の発言は、いつの間にかマスコミのせいへとすり替わってるじゃん?



改めて言っておきます。江戸川乱歩こと平井太郎氏が一回でも「あの蔵の事は心の中で幻影城という名で呼んでいました」などと言ってる証拠、又は、近しい家族・知人がそのような乱歩発言を聞いたことがあるというのならば、「土蔵=幻影城」という呼び名をここまで否定しないかもしれません。しかし残念ながら、そんな第三者証言さえ只のひとつも誰も(勿論私も)見聞した事が無い。ありもしない事をあたかもあったかのような発信をいつまでも続けていると、それはもはや妄想どころではなく、虚言癖のある人だとしまいには思われますよ。

 

 

藤井ひとりによる作り話でしかないのだから、そんな馬鹿馬鹿しい議論なんて行われた事も無いし、そもそも(識者が「アナタそれは違いますよ」と何度もたしなめたのに)藤井が同じ立教の渡辺憲司と一緒に散々「あの蔵は幻影城でーす!」って言いふれまわったからだろうが。なんでこうもありもしない事実に固執するのか・・・・別に「謝れ」って言っている訳じゃないから、もう二度と発信しなけりゃそれで済む事なのに。この人、もともと自分は松本清張の研究者だと自分で言っているけど、江湖の清張研究者に藤井の論考はどう見られているのか、是非一度質問してみたい。

 

 

 

(銀) 「国文学解釈と鑑賞」別冊『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』にて藤井は、乱歩通俗長篇の最高傑作を「吸血鬼」だと臆面も無く述べていた。わざわざここに書くまでもなく、あの作品は「一寸法師」同様に苦手な長期新聞連載であり、自己嫌悪から休筆へと繋がった出来の悪い長篇だ。今回その発言は削除していたから、恥ずかしい過去はすべてdeleteしたものだと安心していたけど、「土蔵=幻影城」というホラに相変わらずしがみ付いているとはねえ。今迄こんな人が運営のトップにいながら、江戸川乱歩センター(長いから略する)が稼働してきたのは、落合教幸学芸員(当時)がいたからだ。

 

 

研究のテーマが乱歩であれ何であれ、またいくら「通説をひっくりかえしたり、陽の当たっていなかったところに光を当てようとする」(237頁)のがこの人の姿勢とはいえ、明らかな嘘を堂々とばら撒く人間のことが研究者として信用されるだろうか。