2020年9月19日土曜日

このままAmazon.co.jpをのさばらせておくな

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【一】 協賛金という名の〈みかじめ料〉を
                                               業者から搾り取るAmazon


 


「アマゾンジャパンが取引のある納入者のうち、約1400社に計約20億円を返金することを決めた」という、202091011日にかけて報じられたニュース。新聞各紙によると公正取引委員会は近年、次のような案件でアマゾンジャパンに疑惑の目を向けてきた。



2016年   競合サイトと比べて最安値価格および有利な品揃えを業者に要求する、
      「最恵待遇条項」が独禁法違反の疑いありと指摘

 

2018年   「優越的地位の乱用」にあたる疑いがあるとして、3月に立ち入り検査

 

2019年   商品の出品者に原資を負担させる値引きポイント還元について調査 


表現を変えて言うと、今日までAmazon.co.jpが納入業者に対して強要してきた〈みかじめ料〉がこれだ。 

 

1.   値引き額の一部補填 

2.   過剰在庫の返品対応 

3.   仕入価格の最大10%にあたる協賛金(!)
 
 

 

 

日本において「デジタルプラットフォーム取引透明化法」が施行され、隠されていた巨大企業の問題が堂々と公表されるようになるのは2021年春以降の予定。国はAmazonへの対処が甘すぎるんだよ。これからは「お前らの悪行、全て晒したる!」ぐらいの勢いでやってもらわないと。でないと、アマゾンジャパンにとっちゃこの程度では、ちっとも懲罰になってない。アマゾンからブン取った20億円は課徴金扱いで国庫行きだそうだから、苦しんでいる国内業者には一銭の助けにもならない。おそらくこの法律が施行されても、従来の協賛金以外の汚いやり口で、業者側はアマゾンジャパンから〈みかじめ料〉を締め上げられるのは目に見えている。

 

 

ホームである米国のAmazonで作った英語のアカウントが、海外の殆どのAmazonにおいて共通で使えるのは御存知だろうか。Amazon.co.jpでは「日本のAmazonは米国のAmazon本社とは別会社ですから」という言い分で個別にアカウントを作らせてきた。そりゃ日本人がアカウント上で使用する言語はアルファベットじゃなくて日本語なのだから、その点はまあ納得できる。

 

 

問題は、上記のように言っておきながら「本社がアメリカだから、日本には税金を納めません」なんて、あべこべな事をしていること。日本人がAmazon.co.jpに使ったカネは、日本人の為の税金とはならずに、(いくら同盟国とはいえ)米国にジャブジャブ流れっぱなし。なんで日本人はアマゾンジャパンの舐めた矛盾を根底から暴き出さないのか?

 

 

地上波のTVでは最近、Amazon.co.jpの偽善的なCMスポットの量がとみに増加しており、不快この上ない。これまでも松本人志ら芸能人をCM起用して〈プライム月額500円〉をゴリ押ししてきたが、今回20億円返金が公になったのとほぼ同時に(いや途端に、か?)、Amazon倉庫で雇われている役を演じるジジイに「働き甲斐があります」などと言わせたり、その次はモノ作りをしている人達を応援していますみたいな「私どもは健全な企業です」という大嘘をアピールする映像へ内容をシフト・チェンジしている。

 

 

世の中、「三浦瑠璃がCM出てるから、ボイコットの為にプライムを止める」とか言ってる莫迦がいるんでしょ。プライム会員になんかなっちゃイカンのは三浦瑠璃が出てるからじゃなくてさ。コロナ騒ぎ発生から数ヶ月が経って、他の通販サイトどこでも頑張って発送作業を通常どおりにこなしているのに、Amazon.co.jpはプライムで別料金取っときながら、ちっともお急ぎ便ではない、クソ遅い発送をしていたからだろうが。



 

 

◎「konozama」 

Amazon.co.jpで早々に事前予約をすると、発売日を過ぎても商品が発送されず、カスタマー・サポートへ問い合わせしたら引き当てをしそこなっているという毎度おなじみの不手際。買いたかったものを買い逃してしまったという理不尽な腹の立つ被害は、きっと誰でも一度は喰らっているはず。

 

 

◎なにか買物をすると、スパムメールよろしく「レビューを書きませんか?」と頼んでくるくせに、彼らにとって都合の悪い、本当の事を書いたカスタマー・レビューはすぐに削除する。

私は『ウルトラセブン』北米盤ブルーレイBOXのレビューで、「スペル星人に難癖をつけて第12話そのものを抹殺してしまった元凶は朝日新聞であり、Amazon.co.jpのやっているレビュー削除も全くこれと同じ事だ」と書いた。すると段々「参考になった」票が増えて、私の投稿がレビュー欄で目立つようになった途端に削除。

 

 

更にYMO『テクノドン』リイシューのレビューで、その盤は「ハイブリッドSACDだから通常のCDプレーヤーでも聴ける/それなのに普通のCDまで発売したって誰が買うの?」と書いたら、たったそれだけでまた削除。きっと私のことはAmazonのレビュー管理部門ではデカデカとブラックリストに掲載されているんでしょうな。

 

 

それまでにも、わざわざ書いた文章をレビュー管理部門によって勝手に消された事は幾度もあったが、さすがに堪忍袋の緒が切れて、もうAmazonのレビューに本やCDなどの自分の好きなものに対するレビューを書いてやるのは一切止めることにしたし、Amazon.co.jpから無料のVineサンプルをブン取る事はしても、金は一切使わないことに決めた。周囲にも機会があれば「もうAmazonは止めたほうがいいよ」と勧めている。

 

 

Amazon.co.jpからやくざのような取引条件を強要されるので書籍の流通を止めてしまった出版社、そしてAmazon.co.jpが隠蔽する数々の悪事を告発してやろうとしている人には微力ながら応援・協力したい。逆に、まだあの会社に尻尾を振っている企業に対しては、ひたすら批判するだけだ。日本の中で着実にアンチを増やしているAmazon.co.jp。「身から出た錆」とはまさにこの事なり。





2020年9月18日金曜日

『怪談入門/乱歩怪異小品集』江戸川乱歩

2016年7月28日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

平凡社ライブラリー  東雅夫(編)
2016年7月発売



★★★★    乱歩教授、真夏の怪談講座
  



怪談文学の雄・東雅夫による乱歩本。かつて2005年に角川ホラー文庫より発売されるも、映画のタイアップだったせいで短命に終わった『火星の運河』の再編・拡大版。




冒頭に「火星の運河」「白昼夢」「押絵と旅する男」の傑作三短篇を、戦前の平凡社版『江戸川亂歩全集』を底本にして収録。旧仮名遣いこそ本来あるべき正しい表現で、遠雷のような乱歩のドロドロ太鼓を存分に堪能できる。

そして随筆パートを「懐かしき夢魔」「怪談入門」に分け、前者は乱歩自身の〝 怖いもの 〟への尽きせぬ想いを、後者は国内外の怪談小説をモーパッサン・ウェルズ・マッケン・ラブクラフト・萩原朔太郎・谷崎潤一郎・香山滋ほか多数、駄菓子屋でラムネを飲むようなどこか懐かしい味わいの語りで紹介。これは平井太郎(乱歩の本名)教授による極上の怪談講座といって差し支えない。巻末には、怪談に纏わる3つの座談(三島由紀夫・佐藤春夫・長田幹彦ほか)。



 

著作権が切れ、各出版社が紙・電子書籍でやたら乱歩本を濫造するも、従来からの乱歩読者には残念ながらこれはというものがない。本書はその中でも数少ない良いもので、乱歩世界を的確に表現している中川学のカバー絵を含め、乱歩や怪談小説にこれから踏み込もうとするビギナーにお薦めするにはぴったり★5つなのだが、既存の乱歩本をあれこれ揃えている方々には目新しい(=単行本初収録)コンテンツがひとつもないのが惜しい。強いていうなら、名義貸しでなく珍しく乱歩本人が翻訳したといわれるポオの「赤き死の仮面」が本書で手軽に読めるようになった点は good。2012年に藍峯舎より限定豪華本として、初めて乱歩訳「赤き死の仮面」は単行本収録された)

 

 

以前、東雅夫が手掛けていた学研M文庫「伝奇ノ匣」シリーズは名状し難い素晴らしさだった。彼にはもっと日本の探偵小説寄りの仕事をしてほしいと思っている。三上於菟吉や畑耕一の、東雅夫編集による本の刊行を是非検討してもらえないだろうか?


 

 

(銀) 東雅夫が、自分が作る本の活字のフォントの種類までこだわっているのはいつも感心する。平凡社ライブラリーは選書らしくなくて大好きなレーベルなんだけど、毎年一冊リリースされるこのシリーズ、泉鏡花 → 内田百閒 → 宮沢賢治 → 佐藤春夫 → 江戸川乱歩(本書)→ 夢野久作 → 谷崎潤一郎 → 小川未明 → 三島由紀夫という流れで、どれも既に全集の存在する大家しか扱ってくれない

 

 

表立ってクレジットしてないけれど版元は〈文豪小品シリーズ〉と呼んでいるようだし、それが東のやりたい案なのか、平凡社から「メジャーな作家だけでやって下さい」と希望されているのかはわからないけれど、マニアックな作家を取り上げるつもりは一切無さそうなのでガッカリ。ただ私のような欲張りな事を望まないのであれば一冊一冊の内容は実によく出来ている。




2020年9月17日木曜日

『大下宇陀児探偵小説選 Ⅱ 』大下宇陀児

2012年7月13日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第53巻
2012年7月発売



★★★★★   「ロマンティック・リアリズム」と
            「探偵小説である必然性」の狭間で



長篇「鉄の舌」、短篇「金口の巻煙草」「三時間の悪魔」「嘘つきアパート」「悪女」「親友」「祖母」「宇宙線の情熱」、中篇「欠伸する悪魔」を収録。長いキャリアのわりに個人名義全集がない不運はあるが、昭和30年代までは殆どの著作が一応単行本化されており、宇陀児を古書で読んできた人にとって本書の白眉は後半の評論・随筆篇及び解題という事になろうか。

 

 

探偵・犯人問わず、超人的キャラそして本格風トリックを不自然だと嫌った宇陀児。市井の人々を描いてリアリズムな路線に行ってしまった事を編者・横井司がどんなにその意義を強調しても地味な印象は拭えず、良い意味でのハッタリが足りない。エッセイを読むと宇陀児なりの主張は解るのだが、「鉄の舌」に代表されるトリック・謎解き趣味に乏しいメロドラマ風犯罪小説長篇の場合、私など全ての探偵小説に寛容なつもりでも、何作も読み続けているとややアナクロに感じてしまう。「大下宇陀児は短篇のほうが良さが活きる」というのが衆目の一致する意見だろう。

 

 

それでも木々高太郎の幾つかの作のように、もはや探偵小説に見えず只の普通小説に成り果てるところまでは到っていないので、その人間味を楽しめるかどうかが宇陀児作品を評価する生命線であり、今回結構難しかったであろう横井の宇陀児分析には敬意を表する。しかし本書のうち「悪女」は良い出来だが現行の創元推理文庫に収録済みだし、「宇宙線の情熱」の収録だけでSFものが解題でも一切触れてないというのは・・・。

 

 

一人複数巻出す必要がある作家は迷わず続刊してほしいし、大下宇陀児『 Ⅲ 』がもしあるなら「百年病奇譚」「飼育人間」等のSFものにも目を向けてもらいたい。宇陀児初心者の方はまず『大下宇陀児探偵小説選Ⅰ』 傑作短編集『烙印』(国書刊行会〈探偵クラブ〉)本書 『風間光枝探偵日記』 『日本探偵小説全集 大下宇陀児・角田喜久雄集』(創元推理文庫)と読み進めていくのをオススメする。

 

 

で、宇陀児が二冊出たのだから、本書の「魔人論争」「馬の角論争」においてその発言が特別収録されている甲賀三郎もどこか良い出版社が選集を出して欲しいね。なんといっても日本で最初に理化学トリックを定着させた男なのだから。




(銀) 『 Ⅱ 』は『 Ⅰ 』以上にオーソドックスで代表的なものばかりというか、サプライズの無い収録作品選択。『新青年』に連載された「鉄の舌」だが、このタイトルは人造人間的な意味では決してなく、喋ってはならない事をひたすら黙っている登場人物の口の堅さをシンボライズしたもの。以下「鉄の舌」を未読の方はお読みにならないほうがよろしいかと思います。

 

 

「鉄の舌」のエンディングでは悪人が逃亡してしまうという、やや後味の悪い終わり方をする。ハッキリとは書かれていないが、これと似たパターンは甲賀三郎の代表長篇「姿なき怪盗」の エンディングでも見られた。「もしかして続篇となる作品を書くつもりなのかな?」と思った当時の読者もいただろうが、結局宇陀児も甲賀もそんな作品は発表してないんじゃなかったっけ? 



江戸川乱歩は短篇「お勢登場」を書き上げた時、主人公である悪女のその後の物語を考えていたらしいが、それは実現せぬまま立ち消えになってしまっている。「鉄の舌」にしろ、「姿なき怪盗」にしろ、逃亡した悪人はそこまで存在感の強くない小物だったので、たまたま宇陀児も甲賀もそういうちょっと思わせぶりな結末にしたかっただけなのでは?と、私は見ている。





2020年9月16日水曜日

『大下宇陀児探偵小説選 Ⅰ 』大下宇陀児

2012年6月10日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第52巻
2012年6月発売



★★★★★   岩田専太郎の全挿絵付きで
             復刻してほしかった「蛭川博士」



戦前は江戸川乱歩・甲賀三郎と並ぶ探偵小説三大巨頭だった大下宇陀児。「おおした・うだる」と読む。一部の評論家は彼の長篇代表作を戦後の「虚像」「石の下の記録」だという。一小説としての纏りはあるが、探偵小説として向き合う限り、あの二長篇は妙味の薄いアプレ風俗ものとしか思えない。私なら完成度はさておき、横溝正史が推すように本巻収録の「蛭川博士」(昭和4年作品)に軍配を上げる。


                 🎈


登場人物のうち読者は誰の目線で筋を追えばいいか少し掴み辛いといった粗さもあるが、宇陀児が初期だけで放棄してしまったトリック志向がここにはある。前半、黒水着の男が沖へ泳ぎに出ていった後でビーチパラソルの陰から屍体が発見される片瀬海岸での犯人消失がまず第一の謎。この場面は当時のファッションをヴィジュアルで見せないと現代人には理解しづらいのもあり、岩田専太郎によるビアズレーばりに妖美な殺人現場の挿絵が解題に一点のみ掲載されている。



後半、癩病の怪人物・蛭川博士の死を巡る第二の謎。得体の知れない人間の××トリック(ネタバレになるので伏字 読者諒せよ)を横溝正史が本作の数年後、某長篇にて自分流に仕立て直しているのが興味深い。

 

 

宇陀児の特徴としてレギュラーの探偵キャラは無いように思われがちだが実は地味に存在する。併録「蛇寺殺人」「昆虫男爵」に登場する歯医者の老探偵・杉浦良平がそれで、山田風太郎の茨木歓喜を先駆する雰囲気も少々ある。他にも杉浦良平ものは数点あり、完全制覇とならなかったのは残念。その他「風船殺人」と二随筆を収録。


               🎈


戦前の宇陀児のエキスを絞った本書。この叢書の定石どおり、初出誌テキストからの校訂で過去の単行本とは異同あり、カバーデザインにて初出誌挿絵をコラージュしているのも高得点。欲を言えば「蛭川博士」が復刻されるなら、初出連載誌『週刊朝日』及び初刊本(朝日新聞社・刊)口絵頁の岩田専太郎挿絵全点を本文中に付してほしかった(其のごく一部が表カバーに使用されている)。そしたらこの長篇のグルーサムぶりが二倍三倍にも増したろう。





(銀) 戦前から戦後にかけての長い期間執筆活動を続けてきたのに、大下宇陀児には「全集」が存在しない。もしかするとそういったものを出そうとする商売っ気が欠けていたのかもしれないけれど、「全集」って作家自ら動いて出すというより、回りが働きかけて出すものでもあるし。

 

 

宇陀児にはアイ・キャッチとなるようなシリーズ・キャラクターが無く(映画化された作品ってあったっけ?)、エキセントリックな文体や題材とかで一般層にアピールする部分も無い。没後も宇陀児の研究家だったり熱烈な読者がファンサイトを作ることが無く、80年代~00年代の間はなんとも不遇な扱いをされてきた。

 

 

いまさら「漏れの無い完全収録の全集出してくれ!」と無茶を言うつもりはないが、せめて論創ミステリ叢書みたいなマニアックな商業出版 + ニッチな同人出版といった方面からだけでも彼の本を少しずつ出していって、最終的に全集の代わりになるぐらい全作品をほぼ網羅した単行本の数が揃ってくれたらそれに越した事はない。



 

2020年9月15日火曜日

『本の雑誌/2019年12月号』

2019年11月14日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

本の雑誌社
2019年11月発売



★    藤原編集室は日下三蔵と違って杜撰な仕事はしない



アンソロジスト対談という、いかにもこの雑誌の編集長が仕込みそうな企画だが、藤原編集室は作品のセレクトだけでなく校正も自分でやるし、必要があれば面倒な索引作りだとて日下三蔵のように他人任せにはしない。


日下の作った本だと、こういうことが起こる。


[A]  論創社の少年小説コレクションというジュヴナイル・ミステリ・シリーズでの話。山田風太郎 仁木悦子ときて、次の鮎川哲也の巻がいつまでも出ないと思っていたら、「収録しようと思っていた作品の載っている古雑誌に入手できない号があり、ペンディングになっている」と弁解する編者・日下の言葉が。結局鮎川の少年ものは「論創ミステリ叢書」で無理矢理出されたけれども、少年小説コレクション続巻の噂はついぞ聞かなくなり、最後の順番だった高木彬光ジュヴナイルがまとめて読める機会はどこかへ消えてしまった。

 

 

ふつう復刊させたいものを編者からプレゼンされた時に、出版社側は「必要なテキストが全部揃っているのかどうか」をはっきり確認した上でOKを出し、刊行開始するもんじゃないのかな? 論創社のような適当な見切り発車って、どこにでもある事例? 一介の読者である私からすると、こんな理由で楽しみにしていた本の刊行を途中で頓挫させられてしまっては、上記のような素朴な疑問を編者にも出版社にも抱いてしまうのは当然だろう。

 

 

[B]  柏書房から近年出された日下編集による横溝正史本の解説などに見られるごとく、ケアレスな間違いでお詫びする機会が多くて情けない。先日の論創社『幻の探偵作家を求めて(完全版)』校正の杜撰さは既に指摘したので、ここでは詳しく繰り返さないが、要は探偵小説に通じていない人間に校正をやらせたがため、それはそれは酷いもんだった。アンソロジストの仕事には契約によって、作品セレクトだけでなくゲラ・チェック等も含む場合とそうでない場合があるのかもしれないが、仮にそうだったとしても、編者が藤原編集室だったらあんな見苦しい事にはなっていなかった筈。

 

 

「日下三蔵のSNSへの執着・ふるまいが見苦し過ぎる」と最近よく耳にする。私はtwitterなんて喫煙・あおり運転以上の害悪だから、世の中から一掃してほしいと本気で思っていて、日下だけを吊し上げるつもりは毛頭ないけれど、例として上段に挙げたようなことが続けば、誰にだって「日下三蔵はSNSと本を買いこむ事ばかり執心していて、本業は実にいいかげんな奴だ」などと疑念を持たれかねない。SNSをやり始めたおかげで〝よろしくない人となり〟を露呈してしまった者はこの業界、他にも大勢いる。

 

 

「ミステリ珍本全集」など、せっかく面白い本を作っているのにもったいない話である。




(銀) 昨日の当Blogの話題は論創社+日下三蔵による少年小説コレクションだったが、この雑誌のレビューでも同じ内容に触れているので二日続けてupした。ちなみにAmazonへの私のこのレビュー投稿を見たのだろうか、論創社編集部の黒田明がまたtwitterで「高木彬光少年小説コレクション、ようやく出します」などと呟き出している。今迄何遍同じ事を言ってきたんだか。

 

 

出すなら出すでそりゃ結構だけど、印刷業者が作業を始める段階とかリリースが本決まりになってから世間にオープンにすりゃいいものを、論創ミステリ叢書といい、発売が決まってもいない本を「次はこれ出します!」などとふれ回ったり、やらなくてもいい事をやる前に他にやるべき事があるだろうが。まったく学習能力が無いな。

 

 

『本の雑誌』は毎回〈直いい親父〉というレビュー業者が何の役にも立たぬレビューを投稿している。音楽方面でもよく見るけど頭の悪そうな中身の無い文章で、果して本当にこの人物のレビューを読んでる人なんて実際存在するのかね。こういうのはとどのつまり「参考になった」票を得たいだけのヨイショ・レビューな訳で、Amazon.co.jpのレビュワー・ランキング上ではこういうのばかりが厚遇されている。




2020年9月14日月曜日

『夜光珠の怪盗』山田風太郎

2012年6月26日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創社 山田風太郎少年小説コレクション① 日下三蔵(編)
2012年6月発売



★★★★★  ❛ 吉 ❜ と出るか?論創社「少年小説コレクション」




ソフトカバーの小ぶりなサイズで、いよいよ少年小説コレクション刊行開始。もともと本の雑誌社から出ていたこのシリーズは都筑道夫だけで打ち切られ、今回論創社がサルベージ。カバー・デザインを本の雑誌社の時とほぼ同じテイストに継承したのは良かったのか? 悪かったのか? 初出誌挿絵付きというのが大きなセールス・ポイントだが、古い雑誌からのスキャンという事情があって綺麗に採取できないものはオミットされ、常に挿絵全点収録という訳でもないらしい。


                    


で、第一弾は相変わらず日下三蔵がゴリ押しする山田風太郎。光文社文庫『山田風太郎ミステリー傑作選』の落穂拾いと思っていたが、茨木歓喜ものがあるし巻頭の「黄金密使」は終戦直後の雰囲気もよく書けているし、読者に背負い投げを喰わせる見所もあり、風太郎の味は十分楽しめると思う。

 

 

「軟骨人間」の冒頭5行目(58頁)「中西先生が来て変な話をしていってから」のくだり、その前後に中西先生が茨木歓喜と千吉少年にどんな話をしたか記述がないので流れがどうも不自然なのだが、これって初出誌がそうなってるの? まさか校正ミスじゃないよな?

 

 

巻末に編者解説のほかエッセイもあり、本巻の有栖川有栖はなんだかミステリ作家の自己弁護っぽいが、まあ納得できる内容。ジュヴナイル本の巻末エッセイというと、本編と全く関係ない輩のしょーもない個人的な思い入れ話で興醒めさせられるものが多くて、いつもイラッとさせられる。本シリーズではそういう事のないよう、編集部にはくれぐれもお願いしたい。

 

                     


今後は鮎川哲也(全3巻)→ 仁木悦子(全2巻)→ 高木彬光(全7巻)が一応リリースの予定で、それ以外の作家は売れ行き次第らしい。本音を言うと、風太郎を含むこの四人は他社でわりかし刊行に恵まれており、わざわざ論創社がやらなくても・・・・という感がない訳でもない。とはいえ高木彬光の少年ものは長篇も多いし、この四人の中では最も要望が高く売上が期待できるので、四番手でなくもっと早いリリースを乞う。更に言えば、横溝正史の全少年ものをこの形態で出してもらえたら一番嬉しいのだけど。

 

この少年小説コレクションが探偵小説プロパー読者以外の一般層にどれだけ受け入れられるか、そして論創ミステリ叢書のように発展していくのか、じっくり見守りたい。





(銀) 版元が本の雑誌社から論創社に移っても少年小説コレクションは と出なかった。鮎川哲也の順番が来ても初出誌が揃わない作品があるとかで仁木悦子が二番手に繰り上がったが一冊目の『灰色の手帳』の時から売上がどうにもイマイチだったと聞く。にもかかわらず、予定に無かった三冊目の大井三重子名義童話ものを多数収録した『タワーの下の子どもたち』まで刊行して余程状況が悪くなったのか、それ以降は論創社側がシリーズを「再開する、再開する」と何度も煽ったものの口先だけで鮎川哲也と高木彬光は発売されず、鮎川の少年ものは『鮎川哲也探偵小説選』へと押し込まれてしまった。



私個人は(都筑道夫を含めた)日下三蔵によるラインナップを見て「挿絵付きで読むなら、高木彬光以外はもっと別の作家のほうがよかったな」と内心思っていたけれど、どんな作家でも見境なしに食い付いてくるのがミステリ・マニアの習性ゆえ、こんな風に途中でシリーズが頓挫してしまうとは意外だった。もっとマイナーな作家でさえ論創ミステリ叢書で出しているのに、仁木悦子はどうして版元の期待を裏切るほど売れなかったのだろう? メジャーすぎて需要がほとんど無かったとも思えんし。


                    


強いて思い当たる事と言ったら、2018年に戎光祥出版が〈少年少女奇想ミステリ王国〉というジュヴナイル企画を立て『西條八十集 人食いバラ 他三篇』を出したが、たいして盛り上がりもせず一冊のみの刊行でそれ以後何の音沙汰も無い。編者が芦辺拓なのでラノベ・マンガみたいなオタク臭が匂ってくる装幀にされてしまい、これだったら少年小説コレクションの見栄えのほうがはるかに洗練されているのだが、どちらのシリーズも続かないとなると「乱歩や正史ならともかく、世間的には意外とジュヴナイル本って売れないのか?」とつい考えてしまう。



同人出版では盛林堂などがいくつもジュヴナイル本を出しており、売り切れる速さこそ本によって違えど、とりあえず完売してはいるが商業出版とは違って発行部数がずっと少ない。つまり200部ぐらいなら捌けるだろうが、おそらく500部以上は絶対刷っているであろう少年小説コレクションや少年少女奇想ミステリ王国であれば、初版分で結構残部が余ってしまい採算がとれなくなる、という事か。論創ミステリ叢書はかなりボッタくって利益率が高いから、こんなに長く続いている?





2020年9月13日日曜日

『断頭台/疫病』山村正夫

NEW !

竹書房文庫 日下三蔵(編)
2020年7月発売



★★    異常心理に感情移入できず





「ぼくらの年代になると、鮎川(哲也)くんぐらいまでしかほんとにぴったりしないんだ。」
生前、横溝正史がこんな事を語っていた。その通りだと思う。ワタシにとって日本における探偵小説と呼べるものは、明治末~大正を経て昭和20年代までにデビューした作家が(ごくごく一部の例外を除き)昭和40年までに書いた作品。だから読書の対象として上記の範囲に当たる作家・作品しか手を出さないようにしているし、それ以降のものを読んだところで頭が受け付けない。というか、さして感銘を受けないのだ。




小説が時代と不可分一体なのは、日本だけでなく海外も一緒。人間に貧富の差が有り過ぎず無さ過ぎずなぐらいでないと、王と大勢の家来の二種類しかいないような世界ではお話にならんし、文明の近代化がある程度なされてなければ推理も捜査も出来ない。かといって社会がデジタルになってきたらきたで、人間の思考の在り方が随分変わってくる。

 

 

本書巻末にボーナス収録されている昭和52年頃の山村正夫との対談にて森村誠一曰く、

「現代に即した推理小説は、だんだん書きにくくなってきているの。例えば容疑者が浮かぶよね、(中略)コンピューターで身元を割り出せるわけね。(中略)昔はその時点で不明にしといてよかったんだけど、いまは調べる手段がいくらもあるからね。」

つまりそういうこと。敗戦の痕が残っていた昭和30年代迄の日本なら、まだなんとか探偵小説の舞台としてギリギリ成立するかもしれないが、高度成長と東京オリンピックを境に、旧い時代の面影は一掃され、国民は一律みな中流階級者になっていくため、もうそこに探偵小説の題材は生まれてこない。


                   

 


山村正夫は昭和24年、若干18歳でのデビュー。このスタートは上記に述べた探偵小説の時代を考慮しても遅くはない。江戸川乱歩の〈本格派〉志向グループ一員と見られがちだが、〈文学派〉の作家連中とも友好な関係を保っていたのは『わが懐旧的探偵作家論』『推理文壇戦後史』から一目瞭然。本書を読むと文章的にとても上質できめ細やかに書かれているし、昭和28年頃に丹羽文雄のもとで純文学を学ぼうとした過去を鑑みても、木々高太郎率いる〈文学派〉探偵作家グループのひとりと呼んだって差し支えないぐらい。

 

 

ここに収録されている作品は当時の社会性をストレートに描かず、思い切り全然違う遠い古代の異国設定を持ってきたりアプレゲールとも言えないような異常心理を扱うことで、上記に書いた時代の制約みたいなものから逃れようとしている。

ただ、ちょいと陰鬱過ぎやしないか。本書の短篇が書かれた時期は「ノスタルジア」を除けば、みな昭和30年代。にしては同時代の探偵作家と比べて現代(令和)の感覚で読んでも山村の文章に時代的なズレはそれほど無い。この点は〈評論家〉という肩書のオッサン達なら褒めるところかもしれないが、昭和の旧い風俗・風習を好む私にはそれが美点と受け取れないね。

 

                    



探偵小説に猟奇・凄惨・変態的行為はよくある光景で、大人の御伽話でもある訳だから、例えば小酒井不木の残酷医療ミステリのような現代のリアリティから少し離れた旧い世界観の中で描かれる heaviness なら非現実のエンターテイメントとして楽しめもする。

しかし本書の中での heaviness は山村の文章があまり旧さを感じさせないが故に、妙に嫌なリアル感を醸し出し、物語の中に自分の気持ちが入り込む余地が無い。❛人の意識がまだのんびりしていた時代のギスギスしていない空気❜ を作中に漂わせていないと、いくら探偵小説とはいえ ❛悪のマインド❜ は単にエグいだけの厄介者でしかない。




(銀) 個人的な趣味でいうと全篇古代ローマ譚であるpart Ⅱより、まだpartⅠのほうがマシ。(「part Ⅱは要らん」という人は古書で安く角川文庫版『断頭台』を探した方がお得 )


そのpartⅠでも、〈「短剣」の主人公・岳夫に最終的に殺されてしまう露子〉〈他人に愛されると窒息してキレる「暗い独房」の紘一少年〉〈聖女のような心と躰を持つ月姓聖名子を惨殺する犯人〉、どいつもこいつも理解の範疇外にある異常行動が、我々の生きる社会で実際に発生している狂気の事件と地続きに思えるほど現実的で、よく書けてはいるんだけど自分の趣味には合わなかった。



バブル以降に生まれた若い世代の読者からしたら、本書なんかより横溝正史「本陣殺人事件」の犯行動機のほうがずっと異常な心理に思うんだろうな。

 

 

強いて言えば「女雛」にだけは日本的なロマンティシズムがあるけれど、いくら昔の高知の漁村の話ったって、若い娘に立ったまま小便をさせるのには萎える。あ、でも本書の装幀仕事は悪くなかった。