矢田喜美雄は事件当時『朝日新聞』の記者をしており、下山総裁の遺体を鑑定した東大法医の人々とも近しい関係にあった。東大/桑島博士のサゼスチョンを受けた矢田は、常磐線の現場で機関車が人体に最初に接触した位置より手前の線路にも血痕が残っているかもしれない可能性を求め、ルミノールを使って実地調査を行ったところ、血液反応が線路だけでなく土手下のロープ小屋からも発見された。その詳細な模様は『謀殺下山事件』にて語られている。こうして矢田は他殺説を代表する関係者のひとりとして知られるようになった。
それとは別に、時効成立と時を同じくして元・東大総長の南原繁を中心に下山事件研究会というグループが結成される。会員は松本清張/広津和郎/木下順二、その他法学のエキスパートが名を連ね、警察が自殺他殺の解明を放棄した「下山事件」を改めて検証するのが目的だった。当然彼らは他殺説を唱える論者の集まりであり、その研究会の事務局にならないかと声をかけられたのが松川事件容疑者グループのひとりで、昭和38年に無罪判決となり自由の身になっていた佐藤一。
佐藤も最初は他殺説の側だった。しかし自力で「下山事件」の調査を進めるうち次第に自殺説へ意見を変える。彼の最初の著書『下山事件全研究』はそれまで旗色が悪かった自殺説の信憑性を一気に高めるきっかけになったのは間違いない。なぜなら『日本の黒い霧』であたかも謀略の一味であるかのように書かれていた、常磐線を走る機関車に事件当日乗っていた機関士達にインタビューし、誹謗中傷に苦しんだ彼らの生の声を聞く事に成功していたからだ。
ここからは、単なる一読者にすぎない素人の私がどうしても拭い去れない「下山事件」の疑問点を、ごく一部だがアトランダムに並べてみる。
『謀殺下山事件』は手際よくまとまっていて読み易いけれど、何年も経って「自分は事件に関係していたかもしれない」などと言い出す証言者はどうも信じられん。しまいに〝夜の事件現場で下山さんの人魂がそれまでの捜査で気付かなかった血痕の跡を教えてくれた〟などと云われた日にゃ、なんだか小説みたいでリアリティが感じられない。朝鮮人暗躍説とて、まるで明治時代の安重根の幻影をいまだに引き摺っているような見方だし、ストーカーみたいに夜中電話をかけて脅してきたCICフジイなる人物の話なども、どこか胡散臭い気がするし、今世紀に入って続々と刊行されている柴田哲孝/森達也らが書いた近年の「下山事件」本の売りになっているその手の情報は、相手にせずスルーしている。
一方、自殺だと仮定しよう。下山総裁はずぶとい神経の人ではなかったとの証言がある。さらに自殺説を掲げていた『毎日新聞』の記者・平正一は『生体れき断』なる著書を昭和39年に発表(この本も時効が成立した年の刊行だ)、総裁は米軍から強要される国鉄職員の大量人員整理に悩んだ挙げ句、初老期欝憂症になっていたため自殺したと見ており、佐藤一『下山事件全研究』も最後はこの病気にふれてクロージングしている。
Q: もひとつ言うと、下山総裁の死体はどういう訳か発見時に血液が殆ど残っていなかったから(これも動かし難い事実)、松本清張は米軍が総裁を拉致し血を抜き取って殺害、そのあと自殺に見せかけるため死体を線路上に置く犯行手順を推理した。しかし発見後の解剖で、轢断時に負った傷以外に注射針の跡の有無がどうだったか、明快ではない。局部が内出血していたそうだが、もし機関車に轢かれて陰茎と睾丸が内出血する可能性が無いのならば(要するに自殺だとするなら)、総裁の局部の内出血は何によってもたらされたのかという事になる。
(銀) この事件は本当にツッコミどころ満載で、他にも日暮里駅で発見された落書き、いわゆる「5.19下山缶」って何だったんだ?とか気になる点はあるけれど、それはまた別の機会に。
今回取り上げた三冊には載ってないのだが、当時の探偵作家も意見を訊かれて江戸川乱歩/横溝正史/水谷準/香山滋/高木彬光といった殆どの作家が他殺説を採った。唯一、最初は他殺説派だった木々高太郎が自殺説に変更。木々の属する慶応大学医学部の中館久平が自殺説の代表みたいな人だったから、そこには木々もそっち側へ意見を変える理由があったと云われている。










