❖ 常々「暗さの無い探偵小説なんて好きじゃない」と言っている私でも、バイオリズムが著しく低下していたのか、この本に収められているルヴェル作品の救いの無さには消耗させられた。これまでエニグマティカ叢書のルヴェル本はもれなく目を通してきたし、創元推理文庫版・田中早苗(編訳)『夜鳥』を読んだ後に、こんな疲れは感じなかったのだけど。
〈本書収録作〉
「髪束」「恐れ」「狂人」「金髪の人」「変わり果てた顔」「足枷」「どちらだ?」
「消えた男」「壁を背にして」「仮面」「妻の肖像画」「雄鶏は鳴いた」「鐘楼盤」
「街道にて」「接吻」「悪しき導き」「執刀の権利」「最後の授業」「古井戸」
「奇蹟」「大時計」「遺恨」「先生の臨終」「太陽」「忘却の淵」「鴉」「鏡」「嘘」
「誰が読んでいる?」「高度九千七百メートル」「強迫観念」「ひと勝負やるか?」
「窓」「伴侶」「生還者」「小径の先」/「編訳者あとがき」
❖ 同人出版・エニグマティカ叢書にて中川潤が近年リリースしてきたルヴェル本のうち、本書(白水Uブックス版『地獄の門』)にも創元推理文庫版『夜鳥』にも入っていないのは次の作品だ。
『ルヴェル新発見傑作集 仮面』(2018年5月発売)
「視線」
『ルヴェル第一短篇集 地獄の門 完全版』(2018年11月発売)
「赤い光のもとで」「罪人」「対決」
『ルヴェル新発見傑作集 遺恨』(2019年5月発売)
「バベルの塔」
『ルヴェル新発見傑作集 緑の酒』(2020年5月)
「緑の酒」「家名を穢すな」「栗鼠を飼う」
❖ 本書収録作には貧しき者の身の回りに付き纏う現実的な絶望感を描いているものが多くて、最初のうちはまだしも、中盤を過ぎると少しだけ辛抱しながら読んでいる自分に気付く。なので「高度九千七百メートル」みたいな日常生活からかけ離れた上空での怪異譚に出くわすと、それなりのガス抜きになる。戦前の日本にはプロレタリア小説や悲惨小説といったカテゴリーがあるけれども、本国フランスでルヴェルがそのような扱いをされているとはまず考えにくい。身分・階級差への怒りをテーマにしている訳ではないからね。
なんだろう・・・作品の方向性は大きく変わっていないのに、『夜鳥』収録作のほうが良い塩梅で暗い美しさを楽しめるような気がする。これは中川潤の訳がダメだとかそういう事ではなく、やはり戦前における田中早苗のセレクトが素晴らしすぎたとしか言いようがない。良いとこ取りして翻訳した田中の『夜鳥』と違って、後続の中川はもっと広くルヴェル作品を拾い集めているのだから、本書『地獄の門』と『夜鳥』の読後感に違いが生じても不思議ではない。
以前からルヴェル作品には長篇の存在も報告されているわりに、そちらのほうは翻訳されそうな気配が全く無い。仮に長篇も同じような作風だとしたら、短い尺に我々は慣れ切っているため、下手すると、ただ長いだけで退屈する可能性もある。とにかく一度読んでみなければ何とも言えないし、良いものがありそうならば中川潤にルヴェル長篇の刊行もお願いしたい。