2023年5月26日金曜日

『馬屋古女王』山岸凉子

NEW !

角川書店 あすかコミックス・スペシャル 山岸凉子全集9
1986年3月発売




★★★★★  「あの力を持つ者がもう誰もいない!」





本編「日出処の天子」80年代の漫画界を代表するマスターピースゆえ、細かい説明などは不要だろうから全部すっ飛ばし、後日譚である「馬屋古女王」の話に前置き無く入っていきたい。「日出処の天子」は月刊少女漫画誌『LaLa』の19846月号にて終了。同じ『LaLa』の198411月号にて「馬屋古女王」がスタートするのだが、早々行き詰ってしまい翌年掲載誌を『月刊ASUKA』に変え、上宮王家の終焉を暗示する物語の決着が付いたのは19859月号だった。

 

 

「日出処の天子」の終わらせ方では不完全燃焼だったのか否か、作者・山岸凉子の証言のウラを取っていないからなんとも言えないが、『LaLa19843月号では休載しているし「日出処の天子」も大詰めを迎えた段階で結末をどうするべきか作者が呻吟していたのは間違いない。本編終了から半年も経たぬうち「馬屋古女王」に着手しているので山岸凉子は最初から「馬屋古女王」までを一括りと考えていたように映りがちだけど、真実は如何に?読者からのリアクションが編集部へのように届いていた可能性は想像に難くないし、おそらく散々出版社サイドに粘られて「馬屋古女王」を描いたのでは?と私はみている。



コミックスでしか追っていなかったため、この辺の初出事情をリアルタイムでは正確に把握していない。ただ、花とゆめコミックス版『日出処の天子』最終第11巻は通常の半分ほどのページ数しかない薄っぺらいもので、最終巻のリリースを話が完結するまでもう少し待って、第10巻は他の巻よりボリュームを持たせてもよかったのに・・・と思ったのはよく覚えている。これは要するに「日出処の天子」人気があまりにヒートアップしていた影響もあって、コミックスの営業的にはたとえ第11巻が120ページ弱の厚さになってしまおうとも、第10巻を少しでも早く発売して目先の収益を上げたいのだろうな・・・そんな雰囲気が漂っていた。

 

 

 


主人公・厩戸王子の死。そして彼の葬儀の場面から「馬屋古女王」は始まる。改めて、「日出処の天子」に登場していながら本作では既にこの世の人ではない事が明らかにされているキャラクターを整理してみたい。

 

 

 厩戸王子

突然の御隠れ。死因は不明。山背大兄王の言葉によると、登場はしないが蘇我馬子/蘇我毛人はいまだ健在の様子。

 

 膳美郎女

厩戸三人目の妻ながら、元は下層民でクルクルパーの少女。厩戸と同時に亡くなっているのが発見されたが、絞殺死の噂あり。

 

 間人媛

厩戸の母。厩戸より三ヶ月前に逝去。彼女の再婚相手・田目王子も既に故人。

 

 来目王子

間人媛の子にして、厩戸の同母弟。山背大兄王によると、二十年も前に亡くなっているらしい。とすれば「日出処の天子」のラストシーンから本作までの間には最低でも二十年の歳月が流れている。

 

 刀自古

蘇我毛人の同母妹。厩戸二人目の妻。「馬屋古女王」血縁関係図より故人と判明。毛人と刀自古の母・十市も山背が十五歳の頃に亡くなっているようだ。

 

 

霊のようにチラチラ姿は見せるものの、その表情は描かれないため神感がいや増した厩戸王子。それ以外に、赤子だった佐富女王/山背大兄王/蘇我入鹿の三名を除く「日出処の天子」の登場人物を回想シーンの類であっても一切登場させず、それぞれの行く末を読者に気を揉ませるよう仕向けたのは実に上手いやり方だった。超人である厩戸が死に至っても美しいままなのは不自然じゃないけれど、厩戸と一緒でなければフツーの人でしかない毛人があの美青年ルックスのままでいられる筈がなく、老けた毛人なんてファンは見たくもないだろうし。(そうでもない?)

 

 

容姿こそ厩戸並みの美しさを最も受け継いでいるとはいえ、馬屋古はただ本能に忠実なだけで、知性も理性も一切持ち合わせていない。それでいて、厩戸の超能力だけは見事に遺伝しているのだから単に禍々しい怪物でしかない。そんな馬屋古に人々が戦慄することで、死せる上宮王子がなお一層〝神がかった〟存在に昇華されたのは、毛人に去られて低能児の膳美郎女を妻にするという本編エンディングでの彼の悲惨さを多少なりとも払拭する結果になったとは言えまいか。

 

 

後日譚でスベってしまえば、いくら本編が傑作でもすべて台無しになりかねない。今後の記事でエンディングがいまいちだった漫画を取り上げるつもりだが、「日出処の天子」に関して言うと山岸凉子が踏ん張って「馬屋古女王」を描き上げてくれたおかげで、これ以上考えられないほど深みのある結末を我々は享受できるのである。あすかコミックス・スペシャル版の本書には「日出処の天子」とは全くリンクしない「神かくし」+「神入山」が併録されており、特に時代ものの「神かくし」はスーパーナチュラルな題材と思わせといて人間の愛憎を描いた佳作。


 

 

 

(銀) ちばてつやが「あしたのジョー」について語った過去のインタビューをコラージュした『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』という名著がある(著者の豊福きこうがこの本を出した2010年に亡くなっていたのを今知って驚いた)。山岸凉子がこれまで「日出処の天子」についてどれくらい語ってきたのか私は知らないのだが、もし取捨選択できるほどにインタビューやエッセイの量があるのならば、作者が自作を語り尽くす『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』のような本の「日出処の天子」版もぜひ欲しい。「日出処の天子」の現行本は『日出処の天子 完全版』(MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)が流通していて最終巻には山岸凉子ロング・インタビューが収録されているけど、全体的にわざわざ買い直すメリットが少なかったので私は持っていない。