2024年11月18日月曜日

『大浦天主堂』木々高太郞

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春秋社 甲賀・大下・木々傑作選集 木々高太第一卷
1939年5月発売



★★★★  精神病学教授・大心池章次のカルテ




この巻は木々高太郎にとって最も重要なシリーズ・キャラクター大心池章次教授の登場する短篇のみで構成されている。だからといって出来の良いものばかり揃っているとは言えないが。

 

 

「大浦天主堂」(昭和12年発表)

大浦天主堂の屋内に掲げられている二十六聖人の殉教図(御存知ない方でもググればすぐヒットします)が残酷だというので、県警部長は司祭達に公開を禁止し撤回せよ(ママ)と通達。長崎を訪れていた大心池も騒ぎに巻き込まれる。表題作とするには地味な内容だが、本巻附録『探偵春秋』第九回/「探偵小説團樂」(その九)に木々のコメントがあるので紹介しておこう(読みづらい文だけれども、そのまま御覧頂く)。

 
〝大浦天主堂はそのうちの最近のもので、一昨年夏、長崎に遊ぶ機會があつて、その時に心のうちに芽生えたもの、そのテーマが或ひは檢閱に觸れるかも知れぬと心配したこともあつたが、今尙讀みかへしてみて、少しもその心配が、ないどころか日本の大きくして深いところに横はる一つのポイントを取り扱つてゐると言ふ點で遠慮をしなかつたのである。〟

 

 

「文學少女」(昭和11年発表)

木々自身、自分の書いたものの中で一番反響が多かったと振り返っているし、探偵小説としてではないものの江戸川乱歩も本作に敬意を表した。確かに力作と言って差し支えは無いだろうが、好きな木々作品の中で必ず上位に来るかと言えば、私はそうでもないかな。こういう作風を評価されてしまったがため、ミステリ・マニアからウケが悪くなってしまった事は否定できない。

 

 

「愁雲」(昭和10年発表)

デパート勤めの留女子(るめこ)が男に夢中になっていったら急にトンズラされて・・・。頁数が少なく、これでは大心池も腕の振るいようがない。

 

 

「窓口」(昭和11年発表)

送金目的でしょっちゅう郵便局の窓口にやってきて書留を送る男性に対し、局員の苫子は勝手に心を寄せてしまい、皮肉にも犯罪隠蔽の廉で警察に捕まってしまう。これも短めのストーリー。「愁雲」同様、大心池は話を締め括るべく最後に一瞬登場するだけ。

 

 

「女の復讐」(昭和12年発表)

小学校しか出ていない無知で純情なチンピラ・完太と同棲していた女が病死。肺病で瘦せていたけれど外見は相当な美人だし、なにより彼女は大学出の高等教育を受けており、とても下層階級の完太と付き合うような出自ではない。そんな女がどうして完太と付き合ったのか?奇妙な間接殺人。

 

 

「隣家」(昭和13年発表)

病人でもない美少女の来院に始まり、隣り合う家同士の見栄の張り合いかと思ったら、支那事変に伴う抗日外国人も絡んで、概況を説明しづらい作。終局で大心池が曲者に「個人同士の爭ひを捨てて、この非常時日本のために身を捧げるのが、日本男子の本懐ではないか。」と諭しているけど、却ってそれが当時の国内状況悪化を感じさせる。そういえばこの巻、あちこちに伏字処理アリ。

 

 

「法の間隙」(昭和13年発表)

守銭奴の叔父をやっつけて莫大な財産を自分のものにしようと企む野田健。乱歩「心理試験」の木々版とも言うべき内容とはいえ、大心池が明智小五郎のようにメフィストフェレス的な役割を果たす訳ではない。乱歩とは違ったアプローチで木々が見事な論理の闘争を創造できていたら、本格ファンの見る目も多少変わったのだろうけど、犯人の殺人実行部分にほぼページが割かれていて、大心池の出番少なすぎ。

 

 

「完全不在證明」(昭和10年発表)

華やかな恋愛を経験することも無く三十代半ばを迎えた山川京太郎は、周到なアリバイ工作を設えた上で妻殺しを敢行。この作品にしても大心池が山川の精神反応を鑑定する心理試験を行ってはいるが、捜査陣が山川をネチネチ攻めるというより全く別の角度からアリバイを崩しにかかるので好みは分かれるだろうな。最終的に山川本人の動機とは離れたところで思想問題がクローズアップされるのも微妙といえば微妙。

 

 

「精神盲」(昭和10年発表)

精神病院の入院患者~実業家・山吹甲造が自ら顔に熱湯をぶっかけて大火傷を負う。詳しく書けないのが残念だけど、木々作品にしてはトリックがあるので注目。医学界における大心池のライバル、精神病學敎授・松尾辰一郎博士が出てくる点も見どころ。

 

 

「妄想の原理」(昭和10年発表)

癲癇ってそんなに詐称が簡単なんだろうか。松尾博士再び登場。「精神盲」で彼の所属は帝大とされていたのに、本作では官立✕✕大學、大心池の役職も私立✕✕大學敎授となっている。容疑者の癲癇について松尾と大心池、二人の学説がバチバチに対立。鑑定が正しかったのはどっち?

 

 

戦後、本格派グループの仇敵のように云われた木々にも本格っぽい作品はそれなりに存在する。しかし、そこで用いられるイディオムがオーセンティックな本格探偵小説のものとは随分異なるため、おいそれと受け入れられにくい。あと本書に収められた作品は初出誌の編集部から枚数を制限されるケースが多かったのか、せっかく大心池ものだというのに食い足りなさが目立った。







(銀) 誰だかよく分からないようなマイナー作家、あるいは名の知れている作家でも似た作品ばかり繰り返し復刊されて、木々高太郎は殆ど無視されたまま。このギョーカイの偏向を正す人はどこにもいやしない。







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2024年11月15日金曜日

『合作探偵小説コレクション⑧悪魔の賭/京都旅行殺人事件』

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春陽堂書店 日下三蔵(編)
2024年10月発売



★★   あってもなくてもいいもの




二年前に始まった「合作探偵小説コレクション」も今回が最終巻。全八巻における数々の合作・連作・競作を振り返ってみると、一つの傾向が見えてくる。もし戦前の「江川蘭子」(昭和5年/第一巻収録)が成功していれば、目鼻立ちのハッキリした主人公を押し立てて物語を進行させるパターンはそのあと度々繰り返されたかもしれない。だが、そうはならなかった。江戸川乱歩が担当した第一回のインパクトを後続メンバーが理想的にバトンリレーすること儘ならず、「江川蘭子」は尻すぼみに終わってしまう。

 

 

「畸形の天女」(昭和28年/第二巻収録)もまたしかり。「全体のストーリーならまずまず整ってるんじゃないの?」と評価する声があったとはいえ、「江川蘭子」と同じく第一回にて乱歩が提示した女子高生・北野ふみ子の淫靡さを他の作家達が十全に引き出せたとは言い難い。

連作のプロットも様々あるだろうが、一人の強力なキャラクターを軸に物語を拡げてゆく場合、一番手を担当する作家が主人公を魅力ある存在に設定できるかどうかがまず最初の課題になる。だがそれは言い方を変えれば、箸にも棒にも掛からぬ主人公を立ててしまった日には、その時点で全てがおじゃんになってしまう訳だし、一番手の背負い込む責任は小さくない。

更に、いくら一番手の作家が主人公の造形に凝ったところで、回を重ねるたび方向性がどんどんブレてゆくのも事実。「楠田匡介の悪党ぶり」(昭和2年/第六巻収録)だとか「桂井助教授探偵日記」(昭和29年/第七巻収録)のような一話完結型ならそこそこ上手くいくものの、書き手側はメインキャラの個性を売りにする続きものに対して、あまり意欲を喚起されなかったようだ。




最近文庫化された小森収の対談本で誰かが言っていたと思うのだけど、社会派ミステリがつまらない理由のひとつにヒーローが生まれない点が挙げられていた。合作・連作・競作にも同じことが言える。一般の読者に認知してもらえる良作さえ作れないのに、どうやってポピュラーなアイコンが生まれるというのか。オブラートに包まず率直に言えば、そこまで力を注ぐ必要性を作家は感じておらず、個人名義の作品に比べたら合作・連作の如き企画なんて取るに足らないお遊び的な仕事。あってもなくてもいいようなものにすぎない。

 

 

漠然とした印象だと、この手の企画には文学派より本格派の探偵作家のほうが個々の良さを発揮できている気がする。文学派の作家とて、大下宇陀児が楠田匡介と組んで書き下ろした「執念」(昭和27年/第七巻収録)みたいに合格点を与えられるものもなくはないが、総体的に見たら、本格派作家の奮闘が記憶に残る。結局のところ纏まりが良いのは、第四巻に収録された「十三の階段」(昭和29年)はじめ戦後派の面々が頑張った数作(☜)で、あのレベルのクオリティーを備えた作品にはなかなかお目にかかれなかった。
 

 

 



順序が逆になってしまったが、
本書第八巻『悪魔の賭/京都旅行殺人事件』についても触れておこう。

 

 

「鯨」(昭和28年)

島田一男 → 鷲尾三郎 → 岡田鯱彦

 

「魔法と聖書」(昭和29年)

大下宇陀児 → 島田一男 → 岡田鯱彦

 

「狂人館」(昭和30年)

大下宇陀児 → 水谷準 → 島田一男

 

この三作は『狂人館』(東方社)の記事(☜)にて言及しているので、御手数だが左記の色文字をクリックし、そちらを御覧頂きたい。本巻の中でも私はやっぱり「鯨」が好きだな。

 

 

「薔薇と注射針」(昭和29年)

前篇  薔薇と五月祭      木々高太郎

中篇  七人目の訪客              渡辺啓助

後編  ヴィナス誕生              村上信彦

 

前篇を受け持つ木々高太郎がそれなりに状況設定を拵えており、本格派の作家なら、そこに登場している顔ぶれだけでケリを付けようと苦心して続きを書きそうなもんだが、なんと渡辺啓助は新たな登場人物・天宮寺乙彦を追加投入。そのあと彼が少なからず事件の鍵を握る存在になってしまって、池田マイ子殺しの犯人と動機を推理する物語として読むには甚くバランス悪し。

 

 

「火星の男」(昭和29年)

前篇  二匹の野獣        水谷準

中篇  地上の渦巻         永瀬三吾

後編  虜われ星          夢座海二

 

永瀬三吾と夢座海二が無理くりフォローしてはいるが、シリアスなオチで終わらせたいのなら、前篇の水谷準がここまでぎくしゃくしたプロローグにするのは間違っている。前篇の終りで殺人を犯した男が酔って崖から転落してしまうため、てっきり読者は「ああ、これは笑わせる方向に持っていこうとしているんだな」と思ってしまうよ。加えて大した必然性も無いのに、殺人者の男を火星人(カセイジン)などと呼ばせているのも「プリンプリン物語」じゃあるまいしダサイなあ。

 

 

「密室の妖光」(昭和47年)

大谷羊太郎/鮎川哲也

 

「悪魔の賭」(昭和53年)

問題編①   斎藤栄

問題編②  山村美沙

解答篇     小林久三

 

「京都旅行殺人事件」(昭和57年)

問題編①  西村京太郎 

問題編②   山村美沙

解答編      山村美沙

 

「鎌倉の密室」(昭和59年)

渡辺剣次/松村喜雄

 

昭和生まれの作家、また乱歩が没した昭和40年よりあとに発表された作品となると、もはや私の読書対象では無いので、これら四作品についてコメントすべきことは何も無い。とは言うものの強いて一言述べるとすれば、鮎川哲也と松村喜雄がそれぞれ関与している「密室の妖光」及び「鎌倉の密室」はいかにもあの二人らしい内容で、本格好きの読者には良いんじゃない?


 

 

 

編者解説にて、日下三蔵が全八巻の収録から漏れた十四作品を挙げている。
そのうち昭和30年代までに発表された七作がこちら。

 

「皆な国境へ行け」(昭和6年)

伊東憲/城昌幸/角田喜久雄/藤邨蠻

 

「謎の女」(昭和7年)

平林初之輔/冬木荒之介

 

「A1号」(昭和9年)

九鬼澹/左頭弦馬/杉並千幹/戸田巽/山本禾太郎/伊東利夫

 

「再生綺譚」(昭和21年)

乾信一郎/玉川一郎/宮崎博史/北町一郎

 

「謎の十字架」(昭和23年)

乾信一郎/玉川一郎/宮崎博史/いま・はるべ

 

「幽霊西え行く」(昭和26年)

高木彬光/島田一男

 

「一人二役の死」(昭和32年)

木々高太郎/富士前研二(辻二郎)/浜青二/竹早糸二/木々高太郎

 

これらの作品は底本を揃えきれなかった訳ではなく、既巻に収めるスペースが足りなくなりドロップせざるをえなかったそうだ。この「合作探偵小説コレクション」は各巻がキチンと発表年代順に並べた編集にはなっていないから、西村京太郎/斎藤栄/大谷羊太郎/山村美沙/小林久三らのものよりも上記七作を優先して本書第八巻へ収めたところで何ら問題無いのに・・・と私は思うのだが、かつて横溝正史が口にした「ぼくらの年代になると、鮎川(哲也)くんぐらいまでしかほんとにぴったりしないんだ。」という日本探偵小説の定義(☜)を、日下三蔵や論創社の黒田明は全然共有していない様子。




江戸川乱歩/山田風太郎の参加した合作・連作はこれまで単行本化されていたけれど、それ以外のものとなると放置状態だったので、「合作探偵小説コレクション」の刊行により相当数の作品が(過去の春陽堂がご執心だった言葉狩りの被害も無く)読めるようになったことは喜ばしい。

ただそのわりには、合作・連作に該当しない江戸川乱歩の中絶作「悪霊」「空気男(二人の探偵小説家)」を無駄に収録したり、本来収録すべき昭和前期の作品を押しのけてまで西村京太郎や斎藤栄を入れてしまう日下の方針はいつものことながら私には理解不能である。 

 

 
 

 

(銀) それにしても春陽堂書店と日下三蔵の相思相愛ぶりが・・・。人を見る目が無いというのは実に危ういことだ。







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2024年11月9日土曜日

『飛妖』角田喜久雄

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地平社  手帖文庫Ⅱ~201
1948年3月発売



★★★★  「蒼魂」のアナザー・ヴァージョン「飛妖」




先日、手のひらサイズの同人出版文庫本『南幸夫探偵小説集』(☜)を取り上げたもんで、敗戦直後に出回っていたという手帖文庫のことを思い出した。手帖文庫には何点か探偵小説家の巻も存在しているが、今回は角田喜久雄の『飛妖』を紹介したいと思う。版元は地平社となっており配給元は鉄道弘済会。キオスクの前身にあたる鉄道弘済会売店などでこの文庫は販売されていたそうだが、一般書店への流通はあったのだろうか?

 

 

138頁しかないので文字のフォントはかなり小さく、印刷が鮮明でない古書に慣れていない人は読むのに難儀しそう。巻末には手帖文庫のリストも載っていない。定價二十三圓。

 

 

「飛妖」    

江戸川亂歩編『黄金の書①/日本探偵小説傑作集 第一輯』(昭和226月刊)収録

元々この作品のタイトルは「蒼魂」といい、初出誌は『日本評論』昭和124月号。現行本だと『角田喜久雄探偵小説選』で読むことができる。その後敗戦を挟みタイトルを「飛妖」と変え、テキストにも若干手を加えた新しいヴァージョンが上記のアンソロジー『黄金の書』に登場。翌昭和23年には手帖文庫における角田喜久雄の巻が刊行され、初めて「飛妖」が角田名義の著書に収められた。

 

 

航空機操縦士かつ語り手でもある主人公・延原のもとへ新聞記者の遠矢と最上が車でやってくるシーンからいきなり始まるの初出ヴァージョンの「蒼魂」に対し、「飛妖」はそのシーンの前にアバンタイトル的な序章が書き足されている。

その部分は、加賀美敬介シリーズでも見かける作者の本音と思しき日本軍への怒りの呟きがまずあって、次に大型帆船メリイ・セレスト號から乗船していた人々が悉く消失してしまった奇怪な逸話を紹介。そして「蒼魂」の冒頭シーンへと入ってゆく。「蒼魂」は現在進行形の物語だったけれど、「飛妖」は延原が十年前の出来事を回想する設定に変更され、これから語られる内容は昭和12年(初出発表の年)に起きた事件なのだと改めて角田は読者(いや、検閲にウルサイGHQかな?)に認知させるのである。

 

 

メリイ・セレスト號に乗っていた人間全員が姿を消したのと同じく、当時の最優秀八人乗旅客機フオッカーから乗客が消え失せる大空の怪談かと思わせといて、そこには金に纏わる一族の欲望が絡んでおり、少々強引ながらも謎の核心を犯罪へ持っていくのが面白い。初出発表が戦前とは思えぬ空中での手に汗握る展開も、一歩間違えたら007みたいなテイストに陥りシラけてしまいそうだけど、ギリギリの線で探偵小説のサスペンスを保てている。

 

 

「印度林檎」

『新青年』昭和222月号発表 

こちらも初出ヴァージョンが『角田喜久雄探偵小説選』に収録されていて、横井司が解題で説明しているとおり、本書テキストとの異同がある。単行本ヴァージョン(=本書)に出てくる二人の登場人物、事件を担当する岡田警部及び謎の女性・美々の名前は『角田喜久雄探偵小説選』に収録されている初出ヴァージョンでは高岡警部/由利になっていた。また各チャプターの区切りが本書では[✕]表示にされているが、初出ヴァージョンは一/二/三・・・・といったナンバリング。

 

 

明石良輔ものの中ではややトリッキーな作品。本書版「印度林檎」よりも先に、鳥飼美々は夕刊新東洋における良輔の同僚女性記者として長篇「歪んだ顔」と「虹男」に登場していた。角田がもっと美々の存在を活かそうと考えて、「印度林檎」のヒロインを由利から美々へと書き変えたのかもしれないが、「印度林檎」では恋人同士に発展しそうな気配が漂っていた良輔と美々だったのに、「歪んだ顔」「虹男」では男と女のムードは感じられない。以後美々が登場しなくなることから考えても、角田の美々への思い入れはそれほどでもなかったみたい。明智小五郎と文代の例を挙げるまでもなく、探偵に美人の恋人を助手に付けると色々使いにくいのかも。

 

 

「エンマと芳公」

~「ペリカンを盗む」/『探偵』昭和66月号発表

~「浅草の犬」/『探偵』昭和67月号発表 

これはヴァリアントと言っていいのか分からないが、初出時は「ペリカンを盗む」「浅草の犬」のタイトルで個別に雑誌掲載された。また春陽堂書店の日本小説文庫『下水道』(昭和1110月刊)にて初めて単行本に入った時も同様に、二短編セパレート形式。それが本書手帖文庫に再録の折、二短篇を一つに纏めて「エンマと芳公」と題し、第一話「ペリカンを盗む」第二話「浅草の犬」という構成になった。「浅草」にはエンコ、「犬」にはカメと、それぞれルビが振られている。内容は角田のホーム・浅草を舞台にしたユーモアもので、特記すべきことは無い。

 

 

 

(銀) 昭和23年といったら、まだ敗戦から完全に立ち直れていない日本国民は衣食住に困っていた筈。そんな状況下で作られている本なのに読んでみると誤字誤植の類は見当たらない。それに対して、一冊たりとも誤字の無い本を作れない、いや、作ろうとする責任感さえ無い大陸書館の長瀬博之ときたら・・・一体何百冊の本を乱造すれば〝政送局〟だの〝分らないとろがあるのです〟といったミスを無くせるのか?たまにある間違いならともかく、こういう連中が存在する限り、正しいテキストで復刊本を作れない人間には何かしらのペナルティ―を与えるか、資格を得なければ勝手に復刊できないシステムを作らないと、もはやダメだと思う。
 
 
 
 

 

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2024年11月5日火曜日

乱歩の旧友・井上勝喜の足跡を追って

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前回の記事(☜)からのつづき。




井上勝喜。二十代の江戸川乱歩、いや平井太郎が鳥羽造船所に勤めていた時、職場で出会った旧い友人。「二人の探偵小説家」など勝喜をイメージして書かれた作品が存在するぐらい、青年期の乱歩を語る際に欠かすことのできぬ人物だ。彼らの交流は平凡社版『江戸川亂歩全集』の配本が完結する昭和7年あたりまで確認できるのだが、そのあと勝喜の消息がプッツリ途絶えてしまうため、この男の情報をもっと得たいと私は常々洩らしてきた。

 

そこへ今回の『大衆文化』第三十一号に掲載された宮本和歌子の投稿【昭和二年(一九二七)の江戸川乱歩最初の休筆と放浪についてが飛び込んできた。タイトルどおり、この論考の主役は決して勝喜ではない。けれども高知新聞記者としてのキャリアだとか、初めて知る情報が多分に含まれていて、これを見逃す手は無い。よって記事一回分を費やしてでも井上勝喜のことを書き留めておこうと思ったのである。

 
 

まずは『江戸川乱歩年譜集成』『江戸川乱歩推理文庫 第64巻 書簡対談座談』『子不語の夢』『貼年譜 完全復刻版』『探偵小説四十年』より江戸川乱歩と井上勝喜の動きを抽出、二人の年表みたいなものを作り、そこへ宮本和歌子投稿に記されている井上勝喜の新情報を加え、果たして齟齬が無いか検証してみたい(こういう作業は結構嫌いじゃない)。支那ソバ屋の商売や智的小説刊行会の募集など、煩雑になる細かな事柄は省略した。ちなみに『大衆文化』第三十一号にて宮本和歌子が引用している文献に基づく部分にはマークを付けたり色文字で表記する。

 

1 = 高知新聞社史編纂委員会編『高知新聞五十年史』

昭和29年(1954年) 高知新聞社

 

2 = 高知新聞社文化事業局出版部編『高知年鑑 昭和36年版(1961年)』

昭和35年(1960年) 高知新聞社

 

3 = 内田福作編『高知年鑑 昭和31年版(1956)』

昭和30年(1955年) 高知新聞社

 

 

 

 

明治26年(1893年)

1214日 井上勝喜、高知にて誕生。 2

乱歩は勝喜のことを年下だと記述してきたが、「この生年月日が正しければ井上のほうが一歳上になる」と宮本和歌子は言う。 

井上勝喜は高知県立第一中学出身とのこと。 1
また関西大学卒業。 2

 

 

大正6年(1917年)

11

乱歩(平井太郎)、三重県志摩郡鳥羽町の鳥羽造船所に就職。

12

佐藤紅録劇団「日本座」が高知を訪れた折、紅録の野球チームと対戦したのが井上勝喜を中心とする地元のチーム・黒潮倶楽部。 1

関西大学を卒業した井上勝喜だが、この年の暮までは高知に居住していたと思われ、鳥羽造船所に就職して乱歩と知り合うのは翌大正7年の話か?

 

 

大正8年(1919年)

1

乱歩、鳥羽造船所を辞めて上京。

2

乱歩、弟二人と団子坂上にて古本屋「三人書房」を開業。

4

井上勝喜も鳥羽造船所を辞めて上京、「三人書房」の乱歩の住まいに同居。
このあとしばらく乱歩と勝喜の共同生活は続く。

11

乱歩、村山隆子と結婚。


 

大正9年(1920年)

1

井上勝喜、監督として少年野球チーム・白洋倶楽部を率い、徳島に遠征。 3
なぜこの時期、東京にいる筈の勝喜が四国で野球チームの監督をしているのか?

8

乱歩と井上勝喜、レコード音楽会を開催。

10

乱歩、大阪時事新報社の編集記者になるため「三人書房」を廃業して大阪へ。


 

大正10年(1921年)

3月

乱歩、日本工人倶楽部の書記長にならないかと誘われ、再び上京。

4

「三人書房」廃業後も東京に残っていた井上勝喜、日本工人倶楽部の事務員に。
早稲田鶴巻の乱歩の家に勝喜も時々居候。


 

大正11年(1922年)

2

乱歩、日本工人倶楽部書記長を辞任。

7

乱歩失業。大阪守口町に住む父・繁男の家に身を寄せる。
夏以降、いよいよ探偵小説を執筆。書き上げた原稿を森下雨村へ送る。 

12

乱歩書簡控えによると、この頃、井上勝喜は支那・青島にいる。
翌大正122月、勝喜から乱歩へ届いた返信によって、青島で興信所の編輯長をしていたところ横痃(梅毒のような性病の一種)を患い馘になり、金が無く藪医者に治療してもらったのが裏目に出て、青島病院に長期入院中だということが判明。5月位までは動きが取れない様子。





12年(1923年)

3月

乱歩、作家デビュー。「二銭銅貨」が『新青年』に掲載される。

7

乱歩、大阪毎日新聞社広告部に入社。

11

井上勝喜は郷里の高知市に戻っており、乱歩が勝喜へ手紙を書く。
広告の仕事で香川や愛媛に行く予定はあるが、高知までは行く余裕が無いとグチる乱歩。

昭和10年の項で後述する『杉指月集』への寄稿より、勝喜が高知新聞社へ入るのはこの年の後半から翌年にかけてのことだと思われる。



 

大正13年(1924年)

11

乱歩、大阪毎日新聞社を辞め、文筆一本の生活を決意。


 

 

大正14年(1925年)

この年刊行された日本電報通信社編『大正十四年 新聞総覧』(日本電報通信社)に、
高知新聞社編集部員として井上勝喜の名前があると宮本和歌子は言う。

4

乱歩・西田政治・横溝正史・井上勝喜ほか、関西方面在住の者九名で「探偵趣味の会」を結成。勝喜も高知新聞社入社時は地元高知の勤務だったようだが、この頃には同社大阪支局へ異動している模様。

5月

大阪で探偵趣味の会・第二回の集まり。乱歩・井上勝喜、出席。

 

 

大正15年(1926年)

1

乱歩、東京に転宅(牛込区築土八幡町)。

6

乱歩、ラジオ出演のため来阪。それに伴い、井上勝喜と一緒に神戸の横溝正史を訪ねる。

 

 

昭和2年(1927年)

乱歩、3月より一年間ほど休筆して日本各地を放浪。

秋から冬にかけて関西に滞在。大阪に住む井上勝喜を訪ね、文楽などを楽しむ




昭和3年(1928年)

34

乱歩一家、戸塚町に仮住まい。上京した井上勝喜がこの家に暫く滞在する。

 

 

昭和4年(1929年)


5月(『貼雑年譜』鳥瞰図を参照)

乱歩、平凡社版『世界探偵小説全集』にて翻訳者を江戸川乱歩名義で刊行するコナン・ドイルの巻を代訳してもらうため、井上勝喜を大阪から呼び寄せる。


高知新聞創設者の一人である富田幸次郎が明治41年(1908年)衆議院議員に当選した際、その時の東京の住居を高知新聞の東京支局として開設したとの情報(☜)がある。であれば、昭和4年の段階で高知新聞東京支局はそれなりの人員を抱えて稼働している筈。


勝喜は乱歩の要請を受けて、大阪支局から東京支局へと転勤させてもらったのか、あるいは大阪支局の仕事をこなしながら度々上京していたのか、それとも一度高知新聞社を辞めて無職の身で東京にやってきたのか、断定できる資料は無い。昭和4~7年の間、勝喜は乱歩の助手的な仕事を継続的に請け負っており、東京~大阪間で離れてそのようなことを続けるのは些か無理がある。


昭和6年に『江戸川亂歩全集』の仕事を手伝う際、勝喜は平凡社から月給を得ている。高知新聞社から給料をもらいつつ、一方で平凡社より月給を出してもらったら、二重給与になってこれまた問題がありそう。乱歩が勝喜の実入りを気にしている点から考えても、勝喜は一旦高知新聞社を辞めたと考えるのが一番自然に思える。ともあれ勝喜が大阪から東京へ移住したのは間違いないだろう。

8

乱歩、自分名義の短篇「渦巻」を井上勝喜に代筆させる。
昭和6年までの間、博文館の雑誌『朝日』『文藝倶楽部』『講談雑誌』には井上勝喜が創作したと思われる髷物小説がいくつか存在する。勝喜は作家を志したらしいが、自分の力だけではとても生活できない。しかし平凡社版『世界探偵小説全集』におけるドイル/江戸川亂歩(訳)の巻を代訳したことにより、勝喜は一年暮らせるぐらいの収入を得た。

この夏、歩一家は避暑目的で鎌倉に家を借りて過ごし、そこに勝喜も来訪。

 

 

昭和5年(1930年)

8月

乱歩、昔からの旧友である二山久を助手に雇う。平井家に住み込みで月給五十圓。
しかし、翌年1月に口論となって決裂。
では井上勝喜はどの程度の助手だったのか?
『貼雑年譜』のスクラップ記事によれば、のちに二山は報知新聞の記者になっている。

11

乱歩名義の天人社版『世界犯罪叢書 第二巻 変態殺人篇』が刊行。
これも井上勝喜の代作と云われている。

 

 

昭和6年(1931年)

年初

乱歩、平凡社から『江戸川亂歩全集』の企画を持ち込まれ承諾。
井上勝喜を附録雑誌『探偵趣味』の編集者に推薦。
十三ヶ月の間、平凡社から勝喜に支払われた月給は七十圓。

5

井上勝喜、結婚。この時の費用は全て乱歩が負担。




昭和7年(1932年)

2

森下雨村の博文館退社に際し、東京にて「森下雨村氏の会」開催。乱歩、井上勝喜出席。

3

乱歩、全ての連載が終了したのを機に休筆宣言。

5

平凡社版『江戸川亂歩全集』完結。この時点で乱歩の周辺から井上勝喜の情報が無くなる。
 
 

 

昭和8年(1933年)

4

乱歩、博文館を辞め無職となった山本直一を12月まで助手に雇用。
(任意勤めで月給五十圓)
もうこの頃には、井上勝喜との繋がりは完全に消滅してしまっているようだ。

宮本和歌子によれば、この年刊行された『ディスク年鑑』(グラモヒル社)にレコード愛好家として井上勝喜の名前が載っているそうだが、この文献を自分の目で確認しなければ勝喜が高知に帰っているのか否か判断できない。 

 

 

昭和10年(1935年)

この年に刊行された杉指月著・中島成功編『杉指月集』に井上勝喜の寄稿文「杉さんの横顔」があって、その中に「僕が高知新聞社へ入社してから既に十年以上になる」という発言が見つかると宮本和歌子は言う。



昭和16年(1941年)

高知新聞社と土陽新聞社の合併話が持ち上がり、合併協定に際して作成された人事案大綱に体育部長として井上勝喜の名があるとのこと。 1 

 
 

 

昭和38年(1963年)

この年刊行された『高新シリーズ7 土佐人物山脈』には、高知市錦川町在住/元高知新聞記者/井上勝喜(当時六十八歳)の談話が掲載されていると宮本和歌子は言う。







宮本和歌子が今回引用している一連の高知ローカル文献など、よく見つけ出したなと思う。とはいえ、こういう風に一覧にして、乱歩が書き残した井上勝喜の足跡に宮本の新発見情報をひとつひとつ当て嵌めてゆくと、しっくりこない点が多くて頭が痛い。実はワタシ、井上勝喜とは全然関係無く、明治生まれのある人物のちょっとした年表を以前作成したことがあるのだが、様々な資料に点在するデータを拾い上げて年代順に並べてゆくと、どうにも矛盾する箇所が出てくる事を思い出した。昔の人の記憶に頼った発言は必ずしも正しいとは言えないから、ひょっとすると宮本が発見した文献もそうなのかもしれない。





とにかくこれだけ近しい間柄だった乱歩が、自分と勝喜のどっちが年上かを間違えるだろうか?また団子坂で金に困りながら乱歩と同居している筈の勝喜が、同じ時期に四国で少年野球チームの監督をしているとは思えない。文献3は、本来大正6年だったものを大正9年と誤記してしまっていると私は推測する。

更に高知新聞大阪支局勤めをしていた勝喜が、乱歩に呼ばれて三年ほど東京で本職を持たぬ生活を送っていたようだが、一方では昭和10年の文献にて「僕が高知新聞社へ入社してから既に十年以上になる」と書いており、これも辻褄が合わない。あの頃の高知新聞社に三年もの休職制度があったとは考えられないし、仮に昭和4年の段階で一度新聞社を辞めたとして、三年後そう簡単に復職できるかなあ?





という訳で、納得のゆかぬところは多いけれども、とりあえず井上勝喜が高知の生まれであり、高知新聞社員として勤め上げ、音楽・スポーツを好む人物であったことは素直に受け取っておくとしよう。







(銀) 話は『大衆文化』第三十一号に戻るが、今回の内容は楽しめた。このところの研究センターは著名人と乱歩を絡めた企画が目立つけれど、そういうのは要らない。芦辺拓の講演会などやるヒマがあったら、中相作の作る乱歩本に匹敵するレベルの書籍を一冊でも作って頂きたい。








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2024年11月3日日曜日

『大衆文化』第三十一号

NEW !

立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター
2024年9月発売



★★★★★  乱歩の未発表小説草稿はまだあった!
       密室殺人をテーマにした「秘中の秘」




立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター機関誌『大衆文化』最新号が出た。今回は通常よりページ数が多く、しかも殆ど江戸川乱歩関連のテーマで占められていて嬉しい。

 

 

これが人生というものであったか  ―江戸川乱歩「毒草」論―

栗原宗吾(立教大学文学部文学科日本文学専修) 

競争する探偵小説  ―「五階の窓」における乱歩の狙い―

茂木杏樹(立教大学文学部文学科日本文学専修) 

初期の地味な短篇「毒草」にしろ、乱歩初の連作もの「五階の窓」にせよ、正面切って語られる機会の少ない作品なので私にはフレッシュに感じる。「芋蟲」ほど鮮烈ではないが、発表当時、乱歩の思惑とは裏腹に政治的イデオロギーの面から妙に評価されたという「毒草」。堕胎作用を引き起こす植物の名称はここでも記されてないけれど、光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣』748ページ註釈にはそれらしきものが挙げられている。実際食べたらホントに堕胎するのかな?

 

「五階の窓」を取り上げた茂木杏樹にアドバイスをひとつ。今回の論考は執筆背景を各方面から浮き彫りにしていてとても面白かった。ただ、春陽堂書店の本のテキストは今後引用に使わないほうがいい。なにせ、昭和中盤から平成が終わるまでの間に刊行された春陽堂の本は、言葉狩りばかりでなく校訂にも問題がありすぎるからだ。

 

 

旅する乱歩 ~大島・熱海編~

丹羽みさと(武蔵大学助教) 

戦前流行した三原山の投身自殺を分析すると、男女の心中のみならず、男性同士/女性同士の死もあったらしい。頻繁に同性婚がニュースで取り沙汰される令和の現代から見ても一聴に値する話題やね。乱歩と探偵作家達の熱海旅行にて撮影されたフィルム、現物をルサイズで観たい。

 

 

〈資料紹介〉 江戸川乱歩旧蔵書簡にみる乱歩と戸板康二の交流

後藤隆基(立教大学大衆文化研究センター特定課題研究員) 

乱歩からの要請で戸板が『宝石』へ自作を発表するその頃の様子が伝わってくる。
乱歩宛て戸板康二書簡は十八通あり。

 

 

〈研究ノート〉 男たちはなぜ「脱毛」するようになったのか

― 一九八〇年代以降の大衆雑誌をめぐる言説史研究 ― 

勝盛智花(立教大学大学院博士前期課程) 

これのみ江戸川乱歩とも大衆文学とも全く無関係なテーマ。
本号で注目すべき投稿が少なかったら、インテルに所属していた時代のスナイデルと長友佑都のアンダーヘア処理の話をしたいところだけど、今回は書くべきことが多いので割愛。

 

 

 

さて、本腰入れてお伝えしなければならないメインディッシュはここから。

〈資料紹介〉 江戸川乱歩未発表小説草稿「秘中の秘」翻刻と解題

高野奈保(立教大学日本学研究所 研究員) 

乱歩が発表せぬまま手元に保存していた小説草稿は今迄にも度々『大衆文化』へ掲載されてきた訳だが、この期に及んでまだ未知のものが残っているとは思わなんだ。「秘中の秘」と言っても後輩作家へお題を出し回答篇で競作させる目的の出題篇として書かれた昭和33年のアレ(光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第21巻 ふしぎな人』収録)ではないし、ル・キュー/菊池幽芳の例の長篇とも関連性の無い、初めて目にする未完作品である。

 

元刑事の主人公はかつて警察に務めていた時の上司から、或る年寄りの資産家をガードする話を持ち掛けられる。その資産家・赤沼重兵エの身の回りには不気味な黒い影法師が出没するというのだ。化物屋敷の如き赤沼邸には鉄の部屋と呼ばれる完全無欠な侵入不可の空間がある。しかし厳重な警護を嘲笑うかのように、曲者は密室の中で脅える赤沼老人の胸に短剣を突き立てて息の根を止めると、跡形も無く消え去った。
 
 

残存しているのは前篇のみ。前後篇の構成で、漠然と『キング』あたりへの発表を考えていたと見られ、翻刻者は昭和117月から昭和143月の間に執筆されたものと推定している。本作は密室トリックを主題に創案したようで、既に登場している人物の誰かが真犯人だと作者は煽っているものの、「悪霊」での大失敗を挙げるまでもなく、自分でアイディアを組み立てた本格ものを乱歩に期待するのは残念ながら難しい。しかもここに翻刻された前篇を読む限り、あの年代に連載していた「少年探偵団」「緑衣の鬼」の影が纏わり付いている印象しかなく、論理的な解決へと導けるかどうか微妙。

 

この「秘中の秘」が物にならないわ、国内の情勢は探偵小説の執筆を締め付けるわで、なんとか本格ものを生みだそうと足掻いていた乱歩も(戦前はひとまず)ギブアップせざるをえない状況を迎える。「秘中の秘」の発表を考えていた雑誌が『新青年』でなくて『キング』というのが寂しい。






(銀) 本日『大衆文化』第三十一号の記事にて私が一番書きたかったのは、宮本和歌子【昭和二年(一九二七)の江戸川乱歩 ― 最初の休筆と放浪について ― 】の中で言及されている乱歩の旧友・井上勝喜の話なのだが、そこに行き着くまで相当の文字数を連ねてしまった。


よって、残りの部分は次回の記事にて述べようと思う。






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