2021年7月9日金曜日

『緑のカプセルの謎』ジョン・ディクスン・カー/三角和代(訳)

NEW !

創元推理文庫
2016年10月発売



★★★★★   地味だからこそカーのテクニックが光る



本作には〝およそ五千六百個の桃の種をつぶして茹でれば致死量となりうる青酸が抽出できる〟という意味の一節があります(122頁を見よ)。非科学的で未熟な昔の見識なんだろうなと思いがちですが、ネットで調べると満更間違いでもないようで、桃・ビワ・梅・アーモンドといったバラ科に属する植物の未成熟期の種にはシアン化合物という青酸の元となる成分が確かに含まれているそうです。種さえ大量に食べなきゃ問題は無く、またこれを知ったからといって謎の真相には全然直結しません。だから安心してここに書いている訳でして・・・。

60年前、1871年のブライトン。毒入りチョコを子供に持たせて、買った店で別のチョコと返品交換してもらう事でこっそり店頭商品の中に混入、気付かぬままそれを他の客が口にするというクリスティアナ・エドマンズの非道な事件は誰でも知っているほど有名だった。

 

 

それと全く同じ出来事が四ヶ月前ソドベリー・クロスで起きる。ミセス・テリーのよく繁盛している雑貨屋で売っているチョコレート・ボンボンを食べて死者が出たのだ。マージョリー・ウィルズ嬢は周辺の住民から毒を仕込んだ犯人だと思われ、不穏な状況にある。この事件捜査のため本作の狂言回し・エリオット警部がスコットランド・ヤードから村へ派遣されてきた。

 

 

一方、マージョリーの住むベルガード館。彼女の叔父マーカス・チェズニーは桃栽培の実業家で心理学の研究にもうるさい。この当主マーカスが「人の観察はいかにあてにならないか」を実証する寸劇仕立ての実験を行うと言い出す。寸劇鑑賞者はマーカスの友人であるイングラム博士、マージョリー、そして彼女のフィアンセ/ジョージ・ハーディング。ハーディングにはこの寸劇をシネカメラで映像撮影する役目も。夜も更けて邸内の一室で寸劇が始まると、シルクハットに長いレインコートそして黒サングラスとマフラーで身を包んだ誰だかわからぬ第二の演者が現れマーカスに無理やり緑色のカプセルを呑ませてしまった。

 

 

短い寸劇が終わり桃果樹園の責任者ウィルバー・エメットが第二の演者としてマーカスのヘルプをしていると思いきや一同は彼が窓の外で殴打され倒れているのを発見。その直後苦しみ出したマーカスは死亡、案の定カプセルには毒物が入っていた。外出先から急いで帰ってきたマーカスの弟ジョセフ・チェズニー医師も含めベルガード館の人間には皆アリバイがあり、小煩いクロウ本部長らを指揮しなければならない若きエリオット警部は頭を抱えてしまう。

大がかりな因縁や飛び道具も無く一見地味に受け取られそうな作品だが、寸劇に際しマーカスが用意していた十の質問の矛盾点や、ミセス・テリーの店で毒物混入が行われた本当の理由など、どれもごまかし無く説明がなされるから読み終わってスッキリする。大広間ほどに広くない暗闇の部屋で、傍にいる者に動きがあったかどうかそんなに解らないものかな?というちょっとした疑問。それと、246頁でジョセフがリボルバーを発射してしまうシーン。銃口を他人のうなじに押し当てて発射したら軽傷では済まないと思うんだが。注文を付けるとすればそのふたつ。




訳文の中で読み手が首を傾げそうな単語がある。それは筥崎丸(23頁)と早生銀(24頁)。前者は当時の日本の欧州航路客船。カーにも認知されているほどメジャーな船だったのかな。後者はマーカスが栽培している桃のうち、早めに収穫できる品種のことを言っているのでは?どちらも原文ではどう表現されているのか気になる。

 

 

ロマンスや派手な演出にあまり寄りかからず、細かい謎の論理を積み重ねて物語を面白く成立 させるワザは(残念ながら)日本の探偵小説には見られないものだ。なんで作者はわざわざマーカスに十の質問を拵えさせたり寸劇を撮影させたのか?物事には必ず意味がある。初めて読む方はタイトルになっている〝カプセル〟ばかり気を取られぬように。        

 

 

 

(銀) 事件と片想いと。エリオット警部が悩みを打ち明けるシーンでのギデオン・フェル博士のリアクションには温かみがある。これがH・Mだったらボロクソに皮肉を言われてエリオットは相談どころではなかったに違いない。



本書の帯には「名探偵フェル博士 vs ❛ 透明人間 ❜の毒殺者」と書いてあり誤解を生みそう。本作でいう透明人間というのは寸劇中にマーカスを毒殺した第二の演者の姿がまるで「H・G・ウェルズの描いた(服を着ている時の)透明人間のようだ」と譬えられている処から来ているのであってInvisible Man の姿なき殺人者がフェル博士と対決する訳ではない。


 


2021年7月5日月曜日

『断崖の悪魔』朝山蜻一

NEW !

同星出版社
1959年6月発売



★★★★★   朝山らしくもあり、らしくないところもあり




この本にはやや短めの長篇二作、表題作「断崖の悪魔」「海底の悪魔」が収録されている。
私は後者がとにかく好きなので、今日はこちらを中心に取り上げよう。

 

                   


私の書棚に無い朝山蜻一の著書に『処女真珠』1957年/榊原書店)という本があって、
調べてみたらどうやら「海底の悪魔」「処女真珠」は同一の作品に思える。
例によって、戦後貸本時代の荒っぽい売り方の中でタイトルも小見出しも変えられ、
あたかも新作であるかのような装いで再度売り出されたのだろう。
テキストにも異同があるのかは未確認。

 

 

知る限り、本作はこの二回しか単行本になってないし、初出は書下ろしなのか雑誌発表なのかもわかっていない。『処女真珠』のほうがタイトルとして魅力があるし断崖の悪魔』の二年前に刊行されているからおそらくオリジナルだと思うけれど、『処女真珠』手元に無いから「海底の悪魔」ヴァージョンを用いて話を進める。

 

                    


20201129日の当blog記事に書いたとおり、近年再発された『白昼艶夢』(出版芸術社)と『真夜中に唄う島』(扶桑社文庫)の二冊は悪趣味極まる内容で、特に長篇である後者にはついつい嫌悪感を抱いてしまう(何故なのかは後述する)。それに比べると「海底の悪魔」は、現代のようにウェットスーツなど着る習慣が無かった時代の、はち切れそうなカラダをそのまま晒して伊勢志摩真珠養殖の為に働く海女の生態が、なんとも豊かに描かれているのが素晴らしい。

 

 

朝山にしては珍しくミステリ色のある作品で、主人公の平岡順児は戦後の混乱の中、手段を選ばぬ真珠ブローカーとして財を成した青年実業家。そんな彼にとって大事な真珠の産地である南紀の海で、魚並みに泳ぎに長けている筈の海女の中の一人・君代が謎の死を遂げ、それを追うように「作業を止めろ」という脅迫状も届く。その裏には、戦争に巻き込まれた人間の醜い欲望が隠されていた・・・。

 

                     


戦後の日本には風俗探偵小説とでも呼べるような作風が芽吹き始める。朝山蜻一なんて正にその代表格みたいな人だけれども「海底の悪魔」(=「処女真珠」)は、潮の香りの中で育ち都会の事など何も知らない漁村の女性達のフェロモンが物語に彩りを添えていて、朝山作品のみならず風俗探偵小説の中でもよく出来ていると個人的に思う。
広く読まれてほしいから、適切な人が適切な再発をしてくれるのを待ちたい。
(勿論、その際には「処女真珠」ヴァージョンで)


 

 


(銀) 本日の記事は変わった装幀の本という事で樹下太郎『最後の人』(1959年/東都書房)にしようかと思っていた。この本は昭和30年代の探偵小説にちょくちょく見られるカバーの一部をくり抜いたデザインで、本体にもグリーンのセロファンが装着しているという、なかなか凝った作りが売り物だったようだ。

 

 

最近になって『最後の人』を読んだ。手短に説明するなら、卒業を目前にして酒に酔った大学生三人が、夜更けの路傍に通りかかった見ず知らずの若い女性を輪姦、その報いを受けて一人ずつ命を奪われてゆくという物語。上記の『真夜中に唄う島』にもある輪姦みたいな行為は、たとえ活字やマンガや映像のフィクションであっても、どこか不愉快な気分にさせられる。

 

 

また、この大学生が骨の髄まで腐った連中で、自分達が復讐の的にされていると気づいた途端、恐れ慄き見苦しい振る舞いをする。この長篇の謎の中心はヒロイン・入船なぎさがレイプされている時に足が竦んで助けようとしなかったなぎさの恋人、そして学生達に復讐してゆく人物とは誰だったのか?というところ。もっとも、読んでて早い段階でその正体は薄々解ってしまうからミステリ的にも優れているとは言い難い。

 

 

群れていないと一人では何もできないこの大学生どもは、SNSで一人の人間を集団リンチをしておきながら、被害者が自殺したり風向きが変わると急に履歴を削除したり手のひらを返すネット上のクズにそっくり。『最後の人』はそれがどうにも気に入らなかったから記事のメインにするのを止めて、朝山蜻一に差し換えた。




2021年7月3日土曜日

『折蘆』木々高太郎

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春秋社
1937年11月発売



★★★   評価に困る代表作




木々高太郎の書く小説の一面として(作者はそんなつもりじゃないのかもしれないが)登場人物は誰もみな emotional さがダイレクトには伝わってこず、あたかも能面のようにヒンヤリとした表情の演者達が織り成す舞台劇のような手触りがする。冷たい炎とも呼べぬ本作の空気感など、傑作か否かはさておき正に木々ワールドの好サンプル。

 

 

〝折蘆〟とは、パスカルの言葉を引用して登場人物の有り様を形容したタイトル。他にも作中にチュッチェフとかストリンドベルヒとか出てきて、理論武装ならぬ知性武装をしてしまうのも、この人の特徴。90年代に再結成したYMOが『テクノドン』を制作した時、坂本龍一がウィリアム・バロウズやウィリアム・ギブスンを参加させた例がそうだったように、ユーザー側(YMOにとってのリスナー/木々にとっての読者)からすると、大して必要の無い作意だと捉えられがちではあるが。

 

 

これは天下の『報知新聞』に半年間連載した、比較的初期の意欲作。ということは『新青年』のように探偵小説に好意的な読み手ばかりではない大舞台で勝負しなければならなかった長篇でもある。上り坂にある探偵作家はそのような場合、持ち駒の飛車角、つまり最も売り出したい自分の探偵キャラを惜しげもなく投入し、読者を獲得しようと目論んでも不思議ではない。ところが本作では志賀司馬三郎を一歩引かせた位置に置いて事件を担当させず、大心池章次も一瞬名前が出てくるだけというキャスティングからして非常に変わっている。 

 

                    

 

 
東儀四方之助は大学卒業後も研究室で愚図愚図していられるような生活が許された恵まれた環境にあり、嘉子という女と結婚はしたが、独立もせず親の家に同居したまま。嘉子がどうにも気が利かない妻ゆえ、東儀はいつもムスッとしている。怠惰な日常から脱するため私立探偵事務所を開設(最初の相談者が訪れるけれど、長くなるんでそこは省略ね)。友人の岡田警部から声を掛けられた東儀は殺人事件の捜査に参加する。

 

 

銀行家・永瀬貞吉が針金か何かで首を絞められ身体中を刀傷だらけにされて自宅の一室で死んでおり、軒下の土の上には誰かが小便をした跡が残っていた。永瀬家には脳溢血で会話もままならない貞吉の父、肺病で死期が近そうな貞吉の弟、運転手の牧山をはじめとする使用人らがおり、弟の友人など第三者の出入りもある。東儀を戸惑わせたのは自分が昔つきあっていた節子という女性が現在は貞吉の妻になっていることだった。
 
 

                     

 
 

実に木々作品らしいのだけど、この東儀が頭でっかちで好感度に欠け、物語冒頭から志賀博士の紹介で自分を頼ってきた相談者に対し〝上から目線〟で接しているように映る。さらにその相談者・福山みち子がまたハッキリしなくてモゴモゴモゴモゴしているものだから〝いらち〟な読者は「はよテキパキ喋れよ!」とジリジリしそうな滑り出しだ。

 

 

さて改めて申すまでもなく木々は本格派の作家ではない。一見なんとなく本格っぽく大きな動きも作らず事件の経過を描いてはいるが、手掛かりや伏線を提示して読み手に謎解きの挑戦を仕掛けるような fairness は望むべくもない。もっとも最初から最後まで内向きにモゴモゴしている訳ではなく、警察と東儀が寝たきりな永瀬の父を聴取する際、節子が通訳として仲介になるシーンでの、会話ができぬ老人の真に伝えたい事を節子は果たして包み隠さず通訳しているのかという心理的疑惑が渦巻くサスペンスはなかなかの名場面。

 

 

そして本格ミステリらしい手順を踏まず一旦事件は解決したかに思えたのだが、皮肉などんでん返しがあり東儀は探偵としてだけでなくひとりの男としても一敗地に塗れ、普通の探偵小説には見られぬ恥ずかしい結末に終わる。私は最初からこの主人公・東儀四方之助がいけ好かなかったから、このエンディングは快哉を呼ぶもの(?)だったけれども、世の読者はどのように感じただろうか。




「折蘆」も収録されているベリー・ベスト・オブ・木々高太郎




芸術的表現というよりもインテリ臭が鼻に付く問題点はどうやっても拭い去れず高評価は難しいけれど、上に述べたサスペンス及びどんでん返しの結末、この二点は認めたいので★3つあたりが妥当かな。それでも木々の良いものを集約した『日本探偵小説全集 〈7〉 木々高太郎集』 (創元推理文庫)には本作が選ばれているのだから考えさせられることは多い。ただ、この文庫の「折蘆」以外の収録作品はどれをとっても名作ばかりだし、逆の言い方をすれば「折蘆」をスンナリ受け入れられるのなら、その読み手は木々作品全体にアレルギーを感じず没入できるのではないか。
 
 

 

 

(銀) とどのつまり読み終わった後で木々が一番書きたいのは何だったのか、その解りにくさが厳然として残る。もしも本作の主題が東儀四方之助の挫折だったとすれば探偵小説にする必然性はあっただろうか?いや、無い。「人間を描きたい」と口にする探偵作家は木々の他にも確かに居た。思いっきりpositiveに解釈するなら、小栗虫太郎や夢野久作のように木々高太郎もまたオルタナティヴ探偵小説の担い手だったと評価もできようが、日本探偵小説に通常使われる演出やストーリーテリングと比較してしまうと相当違和感を抱く作品であるのは言を俟たない。

 

 

本日の記事の書影に使っている初刊本は木々が自ら装幀しているみたいで、函から出したハードカバー本体の〈表1〉にはご丁寧にも「私もまた、物思ふ蘆でございました。しかも、その蘆は、折れ葉となつて了つてから、初めて物思ふやうになつたのでございます(四七八頁)」とクライマックスの一行が刻印がされている凝り具合で、こんな所にも芸術性のアピールが見られる。

 

 

どんなに解りにくい作品であろうとも、日本人はエライ人の言うことに流されやすいから、戦後虫太郎と久作が再評価されたように、木々にもしつこく支持するキュレーターがいたなら、もう少し歴史は変わっていたのかもしれない。度々書いているが今木々の新刊が出そうな気運が無いのは残念だ。「折蘆」みたいなのもあるけど木々にも面白い作品はあるんだって。『「新青年」趣味』の木々特集を後押しするような記事を書くつもりが、それに見合う内容にはならなかったものの、横井司ら数少ない木々研究者の動きは今後も見守っていくつもり。







2021年6月29日火曜日

これまで『「新青年」趣味』に特集された作家達

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左上にupした書影は、まだ『新青年』研究会が結成されてすぐの1988年に刊行された懐かしい『「新青年」読本』。今でも総目次、使わせてもらってます。これが全ての始まりで、その後『新青年』研究会の機関誌『「新青年」趣味』1991年に創刊、今年もキッチリ第21号が発売された。第12号から第14号の間に八年のブランクがあり(現在のところ第13号は欠番扱い)、会員の多くは本業を持ちながら、ほぼ年一ペースでリリースを継続してきたのだから立派なものだ。初期の会員だったが今は参加していない人もいて、それが残念。





『新青年』という雑誌は戦後も存続したのだが、『「新青年」趣味』も各会員の活動も、主に戦前の『新青年』をターゲットにして研究が行われている。下記の一覧に見られるとおり、会員の偏愛から探偵作家でも『新青年』作家でもない中井英夫が『「新青年」趣味』の巻頭に特集されるという例外はあったが、今後は戦後版『新青年』への作品発表にこだわらず、戦後探偵作家へのアプローチも見られるかもしれない。

 

 

今年は『「新青年」趣味』創刊30周年でもあるし、これまでの号でどの作家が大きく特集されてきたかを振り返ってみたい。一人の作家について複数記事を組んだ大きな枠の特集を始めたのは 第4号(1996)からなので、それ以降のバック・ナンバーから集計。作家名の右側にある⦅ ⦆は特集された号をを示し、上から特集回数の多い順に並べた。別冊として刊行された『渡辺啓助100』(2001)『江戸川乱歩で行こう!』(2018)もカウントしている〝別〟と表記)。

 

 

江戸川乱歩  ⦅4⦆⦅8⦆⦅12⦆⦅16⦆⦅〝別〟⦆

渡辺啓助       ⦅7⦆〝別〟

横溝正史       ⦅10⦆⦅11⦆

佐藤春夫   ⦅6⦆

海野十三       ⦅9⦆

 

中井英夫       ⦅11⦆

森下雨村       ⦅11⦆

夢野久作       ⦅12⦆

久生十蘭       ⦅15⦆

谷崎潤一郎    ⦅16⦆

 

大下宇陀児    ⦅17⦆

小栗虫太郎    ⦅18⦆

濱尾四郎       ⦅19⦆

甲賀三郎       ⦅20⦆ 

木々高太郎    ⦅21⦆ 

 

 

この一覧に記されてない号は単独作家の特集を行っていない。やはりと言おうか、乱歩の特集が多いですな。あと渡辺啓助の記事が多いのは彼が2002年まで長寿でいてくれたのもあるだろう。この他例えば、大倉燁子の記事などは内容からして非常に読み応えのある内容で、本来なら第16号の谷崎特集よりボリュームもあるのだが、一括特集ではなく第910号に分載となったため、不本意ながら上記の一覧にカウントしなかった。執筆者の阿部崇には申し訳ない次第。



小酒井不木と大阪圭吉の大特集が無いのが意外だが、各号に分散しているものの不木の記事はちゃんと存在する。圭吉が十分読めるようになったのはつい最近の事で、盛林堂がいろいろと圭吉本を出しているから、なんとなく機会を逸したか。さて今後特集が考えられる作家は、戦前デビューの作家にこだわるなら橘外男か蘭郁二郎が予想される。そうなると蘭郁二郎に詳しいそうな研究家、すなわち三一書房版『海野十三全集』に参加したメンバーの協力が必要だろう。なんせ読めない作品が多過ぎて。



現会員には橘推しの谷口基がいるし、この夏三冊新刊が出るから橘外男のほうが手を付けやすいのかもしれない。そのためにも橘外男の代表作、もう少し手に取りやすくなってくれたら。




2021年6月28日月曜日

『探偵新聞/占領期のカストリ・探偵小説関係新聞』

NEW !

金沢文圃閣  石川巧(監修・解題)
2021年5月発売



     読み取りにくい文字、疑問の価格



敗戦から二年後、松崎尚という人物が江戸川区小岩を拠点に発行し始めた『探偵新聞』。マイナーなカストリ新聞で、普通の新聞のようにバックナンバーが図書館に所蔵される事もなく歴史の闇に消え去ってもおかしくないところだったのだが、江戸川乱歩が大部分の号を保存してくれていたので、足りない分は旧ミステリー文学資料館と国会図書館のプランゲ文庫にて補い、復刻発売に漕ぎ付けることができたと云う。私も見るのは初めて。

 

 

19477月から19493月まで旬刊ペースで全55号発行。今回第35号だけは入手できなかったそうで、完全なコンプリートではない。最終号では「終わります」とも何も告知が無く、突然のカット・アウト。タブロイド判の新聞そのものを適宜縮小して複製収録した〈本体〉と、解題・目次細目を載せた〈別冊〉の二冊セットによるリリース。(追記:本体リリース後、金沢文圃閣は欠けていた第35号の複写を頒布した。)

 

                    


本書刊行の知らせを聞いて私は、日本の探偵作家が積極的に紙面参加し当時発生した実際の犯罪に向き合ってその都度コメンテーターの役割を果たすという、そんな内容を想像していた。確かに乱歩以下探偵作家クラブがこの新聞を支えているのは間違いないが、乱歩たち探偵作家が事件にコメントしているのは意外にも一度だけ。『探偵新聞』のおおまかな紙面構成はこんな感じである。


 

創刊号は8面、第2号からは4面構成

A  その時々のホットな猟奇エログロ犯罪(トップ記事)

B  探偵作家の寄稿

C  探偵作家近況・映画・その他の情報記事

本紙のキャッチ・コピーは「社会の照魔鏡 防犯の羅針盤」と掲げられているが、防犯に役立つ記事なんてあったかな?

 

 

では何と言っても「帝銀事件」を取り上げた回数が一番多い。事件発生から半年ちょっと経った第40号に平沢貞通の名がデカデカと登場。戦後は何も悪い事をしていないのに阿部定と妻木松吉(=説教強盗)の扱いが大きいのは、この二人が戦前日本犯罪史のズバ抜けた著名人(?)である証拠。

 

は一般公募作品も含み掌編、コント、翻訳、犯罪実話もあるのだが、探偵小説として一応押さえといたほうがよさそうな作品だけ簡単に紹介しておこう。当り前だが新聞という性格上、一回分の量は雑誌に比べるとずっと少ない。(連)は連載ものを示す。

 

東震太郎 「黄色い影」「盗賊入門―死刑囚懺悔録―」
保篠龍緒 「指紋のナゾ」「窓ガラスの破片」「刑事手帖」(連)
香山滋  「呪いの古墳」(連)
城昌幸  「秘密の秘密性」(連)
楠田匡介 「雪」(連)(連)


中里十七 「五行會殺人事件」(連)
達海昇  「舞姫殺人事件」(連)
岩田賛  「花壇に降つた男」(連)
渡邉知枝 「赤い屋根の家」(連)
杉本章  「或る自殺者」(連)

 

『探偵新聞』における収穫は創作小説よりむしろ、若き中島河太郎青年のデビューとなった「日本探偵小説略史」。日本探偵小説ヒストリーを綴る彼の仕事はここからスタートしたのだ。

 

                      


他の場所なら今回の復刻を「バンザーイ、バンザーイ」と誉めそやして終わるのだろうが、私のBlogは正しい情報を伝えるのが基本姿勢なので、悪い点も指摘しておかなければ。現物の『探偵新聞』を手に取ったらまだ少しは文字が読み取りやすいのかもしれない。だが本書だと、序盤は大きめの倍率で複製され安心して読めるのだが次第に状態が粗くなり、元々組版も小さくなっていったのか、ここまで縮小しないと一冊に収まりきらなかったのか、どうにも読み取りにくい箇所が多いのには参った。冗談ではなく虫眼鏡がないと読めんわ。 



戦後のカストリ時代の印刷物は雑誌・仙花紙本問わず紙質も印刷技術も悪いから、文字の不鮮明な箇所があったり裏写りしてたりするのはよくある事で、そのような原本を使って今回のような影印本にすると、どうしてもこんな結果になってしまう。裸眼で本を読んでいる私でさえお手上げなのだから、老眼の人は一体どうするのだろう?いくら資料価値が高くても、文字が読み取れないのでは意味が無い。

 

                      


更に疑問に思うのは仕様というか価格。このような高額な復刻本だから三人社のように(『探偵小説研究 鬼 復刻版』の項を見よ)立派な函入りハードカバーなのかと思ったら、平凡社の「別冊太陽」シリーズみたいな作りで。      



発行元の金沢文圃閣は古本販売の他に書誌研究の専門書を制作販売しているし、大学の紀要の下受けも行っているらしい。だから彼らの作る本はおしなべて少部数だと思われるが、仮にこの『探偵新聞』復刻版を100部ロット(もしくはそれ以下の部数)で制作したとしても、〈別冊〉を抜きにした〈本体〉が19,800円というのは納得できる価格ではない。だって復刻した『探偵新聞』全54部の原本は今回の為にわざわざ購入した訳じゃないのだから、そこにコストはかかって無いはず。定価が約二万円になるほど一冊分の原価が本当に発生しているのか?




(銀) 例によって、またSNSで本書を入手した事を触れ回っている輩がいるけれど、こういう内容こういう価格だからネット上で購入自慢するのが目的ではなく真剣に読みたいと考えている方には残念ながら積極的に薦められない。『探偵新聞』に載っている内容を今後企画する新刊に部分収録したくなっても、正確なテキストが確定できないなら使えないじゃん。文字が殆ど読み取れるのだったら、もっと高い評価にしたのだが。



金沢文圃閣から通販で古本を買っても、発送にはゆうメールかゆうパックしか使わせてもらえずレターパックのような便利な手段は一切拒否されるという実に融通の利かない店だ。その割には今回のような新刊を買った時ゆうパックで発送されてきても(新刊の場合、送料は無料のようだが)、何ともきったないダンボールでの梱包。あれだけゆうパックを強制する割には、郵便局で売っているゆうパック専用BOXを使いもせず、Amazonとか通販サイトが送ってくるそこそこの梱包箱(の二次使用)でもない。セコい頑固さは迷惑の極みでしかない。

 




2021年6月25日金曜日

『婦人警官捕物帖』城昌幸

NEW !

春陽文庫
1952年7月発売



★★★  これでも昔は男性をムラムラさせる小説だった?



作家・城昌幸には捕物帖の顔、詩人の顔、探偵小説の顔がある。城の探偵小説は幻想的な短篇群の一部のみが再発され、「金紅樹の秘密」「死者の殺人」といった長篇は話題に上る事もない。特にあまり知られていないこの「婦人警官捕物帖」という作品は城のキャリアの中でも一際忘れ去られてしまった、いつもの彼の探偵小説とは肌合いがかなり異なる軽めの読み物。

 

 

「黑い手帳」「女性の冒險」「奇妙な戀」「誘惑」

「色ッぽい女」「不良少女」「底無し沼」

「戀の命」「指紋の謎」「大きな幸福」

(テキストは二段組/旧仮名遣い)

 

 

本書は10のエピソードから構成され、基本的には一話完結だが全体を通して連続性が持たされている。いわば戦前の木々高太郎「風水渙」みたいなものだと思って頂ければよい。若い婦人警官の久子はコンビを組む照江と共に新橋あたりの省線(今のJR)に暗躍する満員電車の掏摸を検挙するのが日々の仕事。彼女の父は警察部長まで勤めた人だったが数年前にこの世を去り、家族は母と弟の三人暮らし。そこにもう一名遠い親類に当たり、父が昔面倒を見ていて今は警部補にまで出世したナイスガイの小野寺(独身)も同居している。

 

 

「婦人警官捕物帖」の初出誌は何なのか不勉強で私は知らないけれども、物語の中で〝焼け跡〟について頻繁に言及されているし、本書前半のエピソードでは省線と言っていたのに途中から国電と呼び方が変わっているので、この作品は1949年頃書かれたのではないだろうか?

婦人警官だとバレないよう久子は若干派手めのファッションをしている事が多い。パーマで軽くウェーブを作り脚線美を見せるルックスを作者から「パンパンと間違えられそうだ」と描写されてしまうのだから、東京はまだ敗戦を引きずった横顔を見せている。久子のような女性キャラでも当時は清純キュートな妄想を殿方の読者に抱かせていたのかも。婦人警官ネタは時代がずっと下れば、どのようにでもエロく出来るものだしね。

 

 

初めて読んだ時には最初「またスリかぁ、どうして日本人はこうもスリの探偵小説が好きなのかねえ」と思った。

でも事件は単純なスリばかりでなく、麻薬を密輸入する暴力団にエッチな事をされそうになったり、いたいけな少女をやくざな道へ引きずり込もうとする不良に久子が撃たれそうになったり、夫が外地に行ったまま帰ってこない淋しさから闇屋のチンピラ・ブローカーに弄ばれる女を救おうとしたり、マンネリに陥らぬよう考えながら書いているのはよく解る。「色ッぽい女」のどんでん返しや「戀の命」のちょっとしたトリック(?)も、全体にメリハリが利いて良い効果が出ている。

 


 

(銀) この文庫は古本1,000円で買ったのだが、よく考えると当時はイカモノ小説とでも誤解され売れなかったり処分されてしまったのか、古書市場であまり見かけない。こういうのは何冊も読まされると飽きるので、文庫一冊ならばちょうど適量。城昌幸もそういえば論創ミステリ叢書でスルーされている作家だったな。平成以降に刊行された『怪奇製造人』(探偵クラブ/国書刊行会)と『みすてりい』(怪奇探偵小説傑作選4/ちくま文庫)に収録されていない探偵小説は此の儘ほったらかし?本作とか『美貌術師』とか『ひと夜の情熱』とか、その他モロモロさあ。



数年前に盛林堂書房から城昌幸の未刊ジュヴナイルが出たけれど、これが内容・時代考証ともに完全無視、何も考えていない気持ちの悪い装幀。こういう結果になるからアニオタが探偵小説に関わるのはひたすら御免蒙りたいのだ。
                                    
















2021年6月21日月曜日

『盲目の理髪師』ジョン・ディクスン・カー/三角和代(訳)

NEW !

創元推理文庫
2018年5月発売



★★★★ 「びっくり箱殺人事件」よりこっちのほうがずっとマシ



え~、赤の他人に成りすます人物といったら、我々はすぐにアルセーヌ・ルパンや怪人二十面相を思い浮かべます。あのふたりほどワンアンドオンリーの超人的七変化ではありませんが、カー作品の中にも身近な人間に見破られないぐらい変装の上手い犯罪者が果しているのやら・・・。

ファースな探偵小説は肌に合わないと自分でも自覚している。横溝正史の場合だと「びっくり箱殺人事件」。あれは正史の長篇ワースト3に入るほどくだらないと思っていて、考え方次第では小林信彦の(時代をパロディ化する)諧謔小説の元祖と呼べる部分もあるのだけど、「びっくり箱」の何がイヤって灰屋銅堂(若い人は「ハイシドードー」ってどういう意味かわかるかな?)とか登場人物のネーミングの際立つダサさに加え、物語の中に差し込まれるギャグがどれもこれも古くて黴臭いのだ。

 

 

夜遊びに忙しかった博文館時代の正史なら、自らの若さに世の中の華やかさが味方して、もっと モダンというかマシな ❛笑いの探偵小説❜ を書けたかもしれない。けれども病を持ち、外出を禁じられ、田舎に疎開していたのもあって、戦争が終わるといつの間にか老け込んでしまっていた。だから世間の流行に便乗した笑いを取ろうとしても、オヤジギャグ的というか年寄り臭さが漂ってしまう。戦後の作品はその年寄り臭くなったところがしょっちゅう露呈していてツライから、その点では戦前の正史のほうがいい。老化を問うなら乱歩も同じなんだけどね。閑話休題。

 

 

 

「盲目の理髪師」正史「びっくり箱殺人事件」を書く時に参考にしたと云うけれども、同じファースでもこちらのほうは、意外と初読時から退屈して眠りに落ちるようなことも無く受け入れられた。たぶんその理由は、読むのが恥ずかしくなるような死語(例えば今「チョベリグ」なんて口にしたらどんだけ白い目で見られることか)などを小手先で使って笑わそうとしていないからじゃないかな。レストレードやグレグスンといったホームズ物語の警部達を ❛無能さ❜ の引き合いに出す場面なんかは毎回吹き出しそうになる。

 

 

この長篇が地面の上のありきたりなシチュエーションなら評価はもっとガタ落ちしたと思うが、洋上を航行する豪華客船という限定された空間が全編のムード作りに一役買っている。

本作の芯になる謎は三つ。〝国際問題になりそうなプライベート・フィルムの盗難〟〝盗まれた筈だったのにスタートン子爵のもとへなぜか戻っていたエメラルド〟〝船室に倒れていた素性がわからぬ女の消失〟だが、呆気にとられるようなトリックは残念ながら無いので、ガチャガチャした騒ぎの中で伏線隠しとその回収がどう行われているか、そこが注意点。

ミステリ作家のヘンリー・モーガン君は前作「剣の八」に続いて本作にも登場するが、そこまで強く記憶に残るキャラでもないし、彼の連投を気に留める読者はどの程度いるかな?ギデオン・フェル博士は客船には乗っておらず、船が英国に到着後助けを乞うて来たモーガンの話を一通り聞いた上で推理を組み立てる。ドタバタ続きの流れから一転してラストに背筋も凍る真相と結末を持ってきたなら、 ❛陽❜ から ❛陰❜ への物凄いコントラストを付ける事ができるし、それはそれで別の意味でもっと笑えたような気もするけれど、なにしろカーの作品としてはトリックの見せ場が弱い。

 

 

 

(銀) 「ファースは好かん!」と言いながら、そこまで大嫌いな作品でもないので☆4つ。他のカーの高評価作品みたいに、ブツブツ言いたくなりながらもアッと驚かされるようなショックな要素がひとつでも備わってたら血迷って☆5つにしてたりして。

 

「盲目の理髪師」をウザいと感じる読者は「くだらんドタバタは前半だけにしときゃいいものを後半までやってるから疲れる」といった感想を見かける。ん~、むしろ見事なトリックを含んでいても「序盤~中盤で全く動きが無い本格には退屈する」という人には、本作は常に動きがあるのでその点はいいのかも。