2021年6月21日月曜日

『盲目の理髪師』ジョン・ディクスン・カー/三角和代(訳)

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創元推理文庫
2018年5月発売



★★★★  「びっくり箱殺人事件」よりこっちのほうがずっとマシ



え~、赤の他人に成りすます人物といったら、我々はすぐにアルセーヌ・ルパンや怪人二十面相を思い浮かべます。あのふたりほどワンアンドオンリーの超人的七変化ではありませんが、カー作品の中にも身近な人間に見破られないぐらい変装の上手い犯罪者が果しているのやら・・・。

ファースな探偵小説は肌に合わないと自分でも自覚している。横溝正史の場合だと「びっくり箱殺人事件」。あれは正史の長篇ワースト3に入るほどくだらないと思っていて、考え方次第では小林信彦の(時代をパロディ化する)諧謔小説の元祖と呼べる部分もあるのだけど、「びっくり箱」の何がイヤって灰屋銅堂(若い人は「ハイシドードー」ってどういう意味かわかるかな?)とか登場人物のネーミングの際立つダサさに加え、物語の中に差し込まれるギャグがどれもこれも古くて黴臭いのだ。

 

 

夜遊びに忙しかった博文館時代の正史なら、自らの若さに世の中の華やかさが味方して、もっと モダンというかマシな ❛笑いの探偵小説❜ を書けたかもしれない。けれども病を持ち、外出を禁じられ、田舎に疎開していたのもあって、戦争が終わるといつの間にか老け込んでしまっていた。だから世間の流行に便乗した笑いを取ろうとしても、オヤジギャグ的というか年寄り臭さが漂ってしまう。戦後の作品はその年寄り臭くなったところがしょっちゅう露呈していてツライから、その点では戦前の正史のほうがいい。老化を問うなら乱歩も同じなんだけどね。閑話休題。

 

 

 

「盲目の理髪師」正史「びっくり箱殺人事件」を書く時に参考にしたと云うけれども、同じファースでもこちらのほうは、意外と初読時から退屈して眠りに落ちるようなことも無く受け入れられた。たぶんその理由は、読むのが恥ずかしくなるような死語(例えば今「チョベリグ」なんて口にしたらどんだけ白い目で見られることか)などを小手先で使って笑わそうとしていないからじゃないかな。レストレードやグレグスンといったホームズ物語の警部達を ❛無能さ❜ の引き合いに出す場面なんかは毎回吹き出しそうになる。

 

 

この長篇が地面の上のありきたりなシチュエーションなら評価はもっとガタ落ちしたと思うが、洋上を航行する豪華客船という限定された空間が全編のムード作りに一役買っている。

本作の芯になる謎は三つ。〝国際問題になりそうなプライベート・フィルムの盗難〟〝盗まれた筈だったのにスタートン子爵のもとへなぜか戻っていたエメラルド〟〝船室に倒れていた素性がわからぬ女の消失〟だが、呆気にとられるようなトリックは残念ながら無いので、ガチャガチャした騒ぎの中で伏線隠しとその回収がどう行われているか、そこが注意点。

ミステリ作家のヘンリー・モーガン君は前作「剣の八」に続いて本作にも登場するが、そこまで強く記憶に残るキャラでもないし、彼の連投を気に留める読者はどの程度いるかな?ギデオン・フェル博士は客船には乗っておらず、船が英国に到着後助けを乞うて来たモーガンの話を一通り聞いた上で推理を組み立てる。ドタバタ続きの流れから一転してラストに背筋も凍る真相と結末を持ってきたなら、 ❛陽❜ から ❛陰❜ への物凄いコントラストを付ける事ができるし、それはそれで別の意味でもっと笑えたような気もするけれど、なにしろカーの作品としてはトリックの見せ場が弱い。

 

 

 

(銀) 「ファースは好かん!」と言いながら、そこまで大嫌いな作品でもないので☆4つ。他のカーの高評価作品みたいに、ブツブツ言いたくなりながらもアッと驚かされるようなショックな要素がひとつでも備わってたら血迷って☆5つにしてたりして。

 

「盲目の理髪師」をウザいと感じる読者は「くだらんドタバタは前半だけにしときゃいいものを後半までやってるから疲れる」といった感想を見かける。ん~、むしろ見事なトリックを含んでいても「序盤~中盤で全く動きが無い本格には退屈する」という人には、本作は常に動きがあるのでその点はいいのかも。