2021年4月23日金曜日

『秋聲翻案翻訳小説集/怪奇篇』徳田秋聲(訳)/蓜島亘(編)

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徳田秋聲記念館文庫
2021年3月発売



★★★★   金沢発のオシャレな文庫本



通販で北陸方面の古書店を利用すると、一体どういうつもりで商売しているのか腹に据えかねる店が時たまあって、その代表が石川県の金沢文圃閣。本の状態を正しく記載せずに販売している杜撰さでは日本一。昔から福井人が好きじゃないし、私は北陸とウマが合わないのかもしれん。

この店は出版業も行っており、そっち方面の業績は認められているのかどうか知らないが、古書通販の面ではなんでこんなに年中いい加減なんだ?片や、通販における古書店員の対応の無礼さNo.1はダントツで都内の古書ワルツ。青梅店・荻窪店いずれも同様に、店長の性格が捻じ曲がっているとしか思えない。






同じ金沢でも今回取り上げる文庫を発売した徳田秋聲記念館はとても感じのいい接し方だった。だいたい個人作家の記念館を経営する事だけでも困難を伴うのに、帯まで付いたシックな装幀の文庫を制作できるなんてたいしたもの。そのポテンシャルは街の人口の多さだとか作家の知名度とは全然関係なく、運営者のセンス・実行力・愛情が揃っているからここまで実践できているのに違いない。勿論、自治体など地元の金銭面バックアップも行き届いているんだろうけど。 


                    



さてさて徳田秋聲という作家について、私は全くの門外漢。
シャレたこの文庫本にはどんな小説が収められているのか、興味津々。




前半はナサニエル・ホーソン『トワイス・トウルド・テイルズ』から採られた三篇。
どれもイソップみたいな、あるいは三橋一夫「まぼろし部落」シリーズのような寓話風。




△「楓の下蔭」(原作「デイヴィッド・スワン」)翻案
本書中これだけが「~にあらずや」「~なりき」といった涙香みたいな明治調の文章なのは秋聲の師・尾崎紅葉補ゆえ?粗末な身なりだが人品賤しからぬ旅の少年が、川のせせらぎの心地良い叢で熟睡している。そこに通りかかった数組の通行者が、少年の寝姿を見つけてそれぞれ一悶着あるのだが、そんな騒ぎなど何も知らぬまま少年は目を覚まし、その場を去ってゆく。


△「霊 泉」(原作「ハイデガー博士の実験」)翻案
老境の将軍と政治家、そして昔は美人だったのに、独り者のまま汚れた身に堕ちてしまった媼。この三人に対し、仙人のような医師が〝それを飲むと昔の相貌を取り戻すという支那の霊泉〟を勧める。すると・・・。


△「人の哀」(原作「大望を抱く客」)翻案
凍える夜。前に断崖、後ろに山裾が聳える過疎の地に住む貧しい家族の住処に一人の旅人が立ち寄る。人の好い家族は旅人と打ち解け、彼の大望の話を聞いてゆくうちに・・・。 


                      

 


▲「一 念」(原作ウィルキー・コリンズ「奥様のお金」)翻案
伯爵未亡人・磯子が振り出した為替券が紛失し、磯子が目を掛けている十八の娘・美津子に容疑が向けられる。


▲「肖像画」(原作マーガレット・オリファント「肖像画」)翻案
主人公の冬吉は産まれてまもなく母を亡くしている。暫く家を空けており実家へ帰省してみると客間に一枚の肖像画が据えてある。やもめの父はそこに描かれた可憐なる少女こそお前の母親だと云うが、その絵については秘められし因縁があった。


▲「氷美人」(原作コナン・ドイル「ポール・スター号船長」)翻案
最もメジャーな作なので説明の必要も無いとは思うが、これも紹介しとこう。日本の海軍軍医・敷島太郎は英国北洋捕鯨船の一員。北極海を航行中に船長が奇怪な行動を取り始めたり、身震いするような謎の叫び声を耳にする現象が発生。ある夜、船長は誰もいる筈の無い氷上の霧に向かって突然語りかけ、そして遂には・・・。 

 

▲「ロッシア人」(原作アレクサンドル・プーキシン「その一発」)翻訳
露西亜人なのに、名を異国風にシルヴィオと呼ぶ男がいる。ピストル射撃に長けた剛の者ながら乞われた決闘に応じなかったシルヴィオは人々の尊敬を失う。数年後、この物語の語り手はさる村へ引っ込む事になり、その土地の伯爵邸でシルヴィオの名を話題に出したところ、意外な反応があった。

 

                       



【怪奇篇】とはいっても広義的で、本当にそう呼べるのは「霊泉」「氷美人」ぐらいだが、編者の蓜島亘が丁寧な解題・解説を書いてくれていて有難い。今後もこの文庫シリーズは続いていきそうな感じ。内容的に★4つにはしたけれど、徳田秋聲記念館の挑戦は諸手を挙げて支持したい。

 

 

 

(銀) これだけかぐわしい文庫がたったの1,000円で入手できるのだから、誠に素晴らしい。以前、徳島県立文学書道館が発売している「ことのは文庫」ラインナップの中の海野十三『三人の双生児』『十八時の音楽浴』を紹介したが、こんなインディーズの形で各地の文学館も今まで読めなかったマテリアルを単行本化してくれると、より楽しい。





2021年4月20日火曜日

『臨海荘事件』多々羅四郎

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春秋社
1936年5月発売



★★★★  戦前のアマチュアが挑戦した本格長篇



 

春秋社書き下ろし長篇募集企画で蒼井雄「船冨家の惨劇」北町一郎「白昼夢」と争い、二席に入選した作品。しかし過去に一度雑誌『幻影城』に再録されたのみで、2021年現在に至るも再発されそうな気配が一向に無いので救済のため古書ではあるが取り上げることにした。


            ◆


多々羅四郎という人は医者が本業で、何作かの小説をメディアに投稿した経歴はあるけれども、『新青年』『ぷろふいる』といった探偵雑誌との関わりが無い。再び注目される機会がなかったのはそういう処にもハンデがあるのだろう。「臨海荘事件」の六年前『サンデー毎日』大衆文芸一般公募枠に入選した「口火は燃える」という短篇がある。彼の小説で私が読んだ事があるのはおそらくこの二作だけだと思う。他にも別のペンネームを持ち、俳句を作ったり鉄道唱歌の本を出しているようだから、一種の投稿マニアだったのか。昭和18年病死。

 

 

「臨海荘事件」は多々羅自身が探偵作家とはいえぬアマチュアながら本格長篇にチャレンジした戦前では珍しいケースだ。東京大井町にある高級アパートメント「臨海荘」、その13号室に住む本野義高は昔鉱山関係の仕事で成功を収め今は悠々自適の日々を送っている裕福な独り者。その義高が内側から完全にロックされた自室の中で、彼の所有物である鉱石で後頭部を殴られ心臓を鋭利な刃物かなにかで刺されて息絶えているのが発見される。加えて彼が金庫の代わりとして通帳等を入れていたスーツケースが紛失していた。死体の傍の机の上には「高砂」の謡本が開いたまま放置されており、この謡本の存在は終盤まで覚えておくべきアイテムとなる。

 

 

警察サイドが容疑者として睨んだのは義高殺害当日、13号室周辺にいた次の五名。

本野義夫  (被害者である義高の甥)

大枝登   (声楽家)

秋川澄江  (映画女優)

太田耕作  (「臨海荘」の管理人)

中居村二郎 (太田に雇われている小使)

これに対し酒癖が悪いのが玉に瑕の老刑事・長瀬幸太郎が食らい付く。

 

             ◆


アマチュアのわりに文章そのものは読み易い。反面、物足りないのは登場人物や状況設定の在り方が良くも悪くも現実的で、どこか犯罪実話ものを読んでいるような気分にさせられる点。その分リアルではあるし、後半近藤医師襲撃事件が起きたり怪しい人物の尾行シーンなどサスペンスが無い訳では決してないけれど、各キャラクターのアイデンティティにもう一癖二癖あってもいいし、何よりいけないのは(ネタバレになるから詳しくは書けないのだが)13号室を密室状態にしなければならない ❛ある小道具❜ のトリックがいかにも御都合主義であること。この部分さえ誰からも文句を言わせないぐらいの真相に仕立てていれば、もっと評価をグンと上げられるのに。★4つにしているけど実質は★3.5。

 

 

地味でハッタリが少ない分、もし現行本になってもウケがあまり良くないかもしれない。ただ私の場合は『幻影城』の再録ではなくこの春秋社版初刊本で初めて接したせいか、とてもサクサク読み終えることができたし、北町一郎「白昼夢」よりはこっちのほうが好み。本格にトライした長篇だから「口火が燃える」等の短篇探偵小説をプラスして再発してもいいと思うのだけど、「臨海荘事件」は戦前に単行本で出されていながら多々羅四郎が人々の口に上がる事は不思議と無い。

 

 

 

(銀) 古書で小説を読むと、どうしても二~三割、いや時にはもっと面白く体感してしまう。だからあまりに過大評価するのは禁物・・・とはいえ、これよりずっと面白くないのに現行本になってる作家・作品はいくらでもある。なぜ誰も多々羅四郎の再発に動こうとしないのだろう?




2021年4月17日土曜日

『「新青年」名作コレクション』

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ちくま文庫  『新青年』研究会(編)
2021年4月発売



★★★★ 『永遠に「新青年」なるもの』展の図録と
                   セットで読みたい




B  現在絶賛開催中の神奈川近代文学館『永遠に「新青年」なるもの』展、2021330日の当blog記事で取り上げた企画展図録ともリンクする文庫本が発売されたんですけど、『新青年』研究会というより浜田雄介がこの本も取り仕切っているので、従来のアンロソジーとは少し差別化された内容になってますね。

 

 

A  そうだな。何はなくとも小説から見ていこうか。横溝正史は創作じゃなくてビーストンの 翻訳「決闘家倶楽部」。翻訳短篇はこれのみだけど、あと二、三作入れてもよかったかも。過去のアンソロジーにいつも入っていそうな定番創作でいうと「ニッケルの文鎮」甲賀三郎/「黄昏の告白」濱尾四郎/「空を飛ぶパラソル」夢野久作/「地獄横町」渡辺啓助/「妄想の原理」木々高太郎。

 

 

B  それ以外はどこかしら一捻りしたセレクトがされています。久山秀子「代表作家選集?」は江戸川乱歩・谷崎潤一郎・甲賀三郎・小酒井不木をネタに使ったパロディで、どっちかというと軽めのコントみたいな。城昌幸「神ぞ知食す」/渡辺温「降誕祭」は、いかにも彼らの特徴を示す掌編。

 

あと谷譲次「白い襟をした渡り鳥」/水谷準「追い駆けられた男の話」とか。本書は年代順に沿って全5章で構成されてるんですが、第3章以降から小説もマニアックなものになっていきます。まず海野十三ではなく丘丘十郎名義で書かれた「軍用鮫」、そして蘭郁二郎は「エメラルドの女主人」と渋いところを突いててちょっと嬉しいです。

 

 

A  だよな。探偵小説自粛期となる第4章以降に見られる著名探偵作家の小説は小栗虫太郎だけで、南洋ものの「血と砂」。中村美与子「聖汗山の悲歌」は『中村美与子探偵小説選』でも読めるけれど、「祖国は炎えてあり」の摂津滋和や「クレモナの秘密」の立川賢、「放浪の歌」の鈴木徹男など、大抵の読者は知らんわな~。戦後版『新青年』からはあと二作、山本周五郎の忍ぶ恋を描いた時代もの「山茶花帖」と稲村九郎名義による三橋一夫の掌編「不思議な帰宅」。ここまで来ると、もう探偵趣味なんか1mmも無いぞ。

 

 

B  いやまったく。で、収録小説をズラズラ紹介してきましたが、本書の本当の肝はそこじゃなくて小説以外の部分にあるんですよね?

 

 

A  そのとおり。アンソロジーというか単行本には載せにくい非小説/コラムの類ね。小酒井不木のエッセイ「毒及毒殺の研究より」なんかすごく面白い。もっと不木の随筆集にも光が当たってほしいもんだ。平林初之輔+ムサシ・ジロウの「未来望遠鏡」は奇しくも現在のリモート・コミュニケーションを予言(?)している。

それから『新青年』毎号巻末に編集部が一筆書いていた「編輯局より」「戸崎町より」等の編集後記もあるし、「阿呆宮一千一夜譚」のコーナーはわざわざ説明する必要もないだろ。今度このblogで、乾信一郎のコントを集めた本を記事にしてみようかな。

 

 

B  初期の頃にも課題に対するアンサーを読者から応募する企画がありましたが、ここに収録されたのは作家(大下宇陀児)+ 挿絵画家(茂田井武)の出題するテーマ【奇妙な佳人】に応えて三人の作家(久生十蘭/石黒敬七/橘外男)がアンサーを提出したショート・ショートだったり。

 

本書のように600ページ価格1,600+税というボリュームをもってしても小説をメインにせざるをえないから、それ以外の記事を載せるスペースはどうしたって限られてしまうんですが、そういった部分での〝遊び〟が『新青年』の強みでもあった訳ですから、是非とも神奈川近代文学館の企画展に行ってその魅力を掬いとってもらえたらいいですね。



A  それと大事なのは、本書に収められたテキストは単行本ヴァージョンじゃなくて(当り前なんだけど)『新青年』初出ヴァージョンであるところ。最近リリースされる探偵小説本には、昭和中期以降に出された単行本のテキストで適当にお茶を濁しているケースが多くて困る。その点も浜田雄介なら安心して任せられるかな

 

 

 

(銀) 本文では触れなかったが、本書は田所成恭「田中支隊全滅の光景」という軍記読み物で始まっている。実に場違いな内容で大正初期シベリア出兵時の話のようだが、これ実は、編集長だった森下雨村が積極的に採用したもの。最初の頃の『新青年』は海外雄飛奨励が売りだった。そしてまた、雨村の軍国主義が横溢していた事実も、この「田中支隊全滅の光景」を読むとよくわかるのである。


 


2021年4月16日金曜日

『地球の屋根』大下宇陀児

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大都書房
1943年2月発売


★★★    壮大な凡作



● 本日は大下宇陀児のトンデモ珍作をご紹介。古書で宇陀児の著書をいろいろ買ってきたが、私が最も面食らった一冊といったらこれかな。連載された雑誌は『キング』。19416月号から翌194212月号という、一年半にもわたる大長篇ではある。

 

 

● として生まれた片輪者で、周囲に村八分にされ単身山奥の谷底へ逃げてきた與吉。一方、山窩として育ってきたが仲間うちで内紛、その結果ひとり逃れてこの谷底へ流れてきたおくめ。人間文化からはほど遠い、原始的な生活を送るこの賤しい男女の間に、ひとりの男の子が誕生。戸籍など無縁な環境にある非人同然の彼は、名前を付けられる事もなく言葉もろくに覚えぬまま自然児として成長するが、與吉おくめは死んでしまう。

 

 

オープニングはまるで三角寛の山窩小説あるいは下村千秋の悲惨小説を思わせ、この調子でドロドロした暗黒物語へと突進していけば面白かったのだけど、「地球の屋根」が執筆されたのは昭和1617年。そんな内容ではお上が絶対許しちゃくれない。日本は戦争の真っ最中だし「この聖戦下に一人のルンペンもいてはならぬ!」てな注意が作家へも通達されていた時代だ。話は実に奇妙な方向へと転回する。



「地球の屋根」を読んでもらうと解るのだけど、作者・宇陀児は ❛お叱り❜ を恐れた編集者に頼まれて、急ぎ方向転換した訳では決してない。500頁近い初刊本、始まってまもない50頁の時点で早くも主人公に岐路が訪れるからだ。

一歩踏み込んで想像を逞しくしてみると「悲惨な出生であったとしても努力し、国家を背負って立つ人間にならなければならない」という当時の日本の国家政策に沿った啓蒙が含まれた構想で執筆していたことが窺える。ちなみにこの初刊本の冒頭に置かれた「作者の言葉」には次のような文章が。現代の立場から見ると、なんとも皮肉めいてますな。


生き甲斐のある世の中だ。素晴らしい時代だ。世界の整理と革新とが断行され、輝かしい大東亜建設の槌の音が響く。この偉業を完成するため、我らは常に最も叡智に富み、勇気があり、そして將来へのはろかなる(ママ)希望を持たねばならない。こゝにこの時代を行きぬく讀者諸君のために、正しく逞しき愛と智と夢と冒険との愉しい一篇の物語をささげる。

 

 


● 元小学校の校長だった篤志家の高岡順造に拾われ、主人公の運命は根底から変わってゆく。父・與吉の苗字が川端だった事実さえも判明、少年には順一郎という名が授けられた。こうして彼は立派な青年へと孵化。そこに深海開発計画を進める者達が登場して順造と順一郎はその計画に加わる流れになるけれど、アクシデントが発生し、順一郎は頭髪が真っ白に変貌する。

 

 

その後順一郎は研究者としての道を歩む。背景に世界大戦の影があるのは言うまでもない。この時代によくある防諜小説とも違うし、かといってSFストーリーと見做すのも正しくない。壮大ではあるけれど、なんか据わりの悪い長篇で、私はあまり楽しめなかった。何年も前に初めて本作を読んだ時には、「こりゃ一種の立身出世物語じゃん」と感じたものだ。

連載誌の『キング』を刊行している大日本雄辯會講談社が、このテーマを得意としているのは既に『少年倶楽部』なんかでお馴染み。あと近年の研究で、同じ宇陀児の長篇「魔人」は悪の因子の成長物語であると云われており、そういう目で見れば「地球の屋根」は善の因子の成長物語とも受け取れる。


 

 

(銀) 宇陀児作品の中で好きか嫌いかといったら、どうしても個人的ワーストなほうに入ってしまう珍品だ。この作品の再発はず~っと後回しでいいと私は思うけど、今後もしミステリ珍本全集が再開して、大下宇陀児がラインアップの候補に挙がるような事にでもなったら、本作とか晩年の「ニッポン遺跡」あたりが収録されてしまいそう。ウヘ~、「ニッポン遺跡」もあんまり好きじゃないんだよな~。




2021年4月15日木曜日

『センター通信 第15号』

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立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター
2021年3月発行



★★★   乱歩のプライベート・フィルム商品化を希望する



やることがいろいろ立て込んでいて、新刊本の消化が全然できていないから、今回は軽めのネタで。当Blogにおける20201021日『大衆文化 第二十三号』の項で紹介したように、『センター通信』というのは立教大学の江戸川乱歩センターが年1回発行している約12ページのフリーペーパーである。雑誌『大衆文化』同様、記事の内容は乱歩ばかりではなく、ジャンル的に近いもの、あるいは何の関係も無いものまで様々。さて本号はというと___。

 

 

    建築史・都市史的視点からみた旧江戸川乱歩邸   石榑督

立教大学は旧乱歩邸について2020年秋から建物の歴史的調査を行う事になったんだと。ふーん。筆者は東京理科大の人だが、立教サイドから声を掛けられてプロジェクトに参加しているそう。私は建物はどうでもいいというか関心が無いけれども、都市史にまつわる何らかの発見があるといいね。なにより立教大/乱歩センターの発行物で、特に旧乱歩邸への言及となれば、即座に「また〝幻影城〟とか、いつものデタラメ言ってんじゃねーのか?」と冷たい視線を投げ掛けるところなれど、そんな誤った表現もなくて平穏無事だった。

 

旧乱歩邸土蔵を〝幻影城〟などとのたまっているのは藤井淑禎と渡辺憲司みたいな老害だけで、大学の若い人達は誰ひとりそんな呼び方してないんだよな、実際。あの土蔵を〝幻影城〟などと呼ぶ呼ばない論争なんて、よその国土の所有権を「ここは2000年前から我らのものだ」とかホザいている中国と一緒で、何の確たる根拠も無いんだから。


 

   メディアと人によって「つくられる」怪異
  -「日本の怪異 その発生と展開について」講演会感想-   八巻詩

   「立教探訪」撮影の裏側   杉本佳奈

   乱歩の土蔵で眠っていた鳥羽造船所の蔵書   宮本祐希


 

   江戸川乱歩書き入れ旧蔵書   米山大樹

旧乱歩邸の建物研究よりも、私はこういう方面のアプローチを進めてほしい。ここに紹介されているのはウィリアム・アイリッシュ『暁の死線』軍隊版ペーパーバックへの書き込み。昔、乱歩センターにお邪魔させてもらった時に閲覧した濱尾四郎『鉄鎖殺人事件』初刊本にも、鉛筆で乱歩の書き込みがされていたのを思い出す。


 

   旅する乱歩 ~別府編~   丹羽みさと

この記事が一番面白かった。戦前の乱歩は放浪癖もあって国内のあちこちを旅しているが、その全ての行き先が明らかになっている訳ではない(当り前か)。 寒いのが嫌いな乱歩ゆえ北海道・東北方面はそんなに制覇してないかもしれないけど、西の方面だったらどこまで足を延ばしたのだろう?

 

本号にてクローズアップされたのは昭和12年春、きく(母)隆子(妻)隆太郎(息子)を連れての別府行き家族旅行。東京から大阪までは汽車で行き(?)、そこから高松→道後→別府→広島を船で遊覧するというルートだった模様。押さえておきたかったポイント温泉のようだ。ちょうど別府では国際温泉観光大博覧会が開催されている。この旅行で撮影されたプライベートな動画フィルムだけでなく、朱印帳まで残されているというのがなんとも乱歩らしい。

考えてみるとこの時期って戦前にのんびり旅行できる最後のタイミングだったろうし、別府行きの体験が実作に何らかの影響を与えているかといえば・・・例えば〝地獄めぐり〟が「大暗室」の地底のユートピアに活かされているかどうか。でも乱歩の創作バイオリズムがもう上向きとは言えない頃だから、そう解釈するのは難しいかも。


 

   捕物帳の作家たち~捕物作家クラブ展   影山亮/丹羽みさと

元は立教大学に在籍し現在はさいたま文学館の学芸員となり、もうすぐ終了する『江戸川乱歩と猟奇耽異』展の図録を「来館した人にしか販売しない」と言って、埼玉の桶川まで足を運べない人には一切買わせなくしたのが、他ならぬ影山亮。おかげでこの図録は神奈川近代文学館企画展『永遠に「新青年」なるもの』図録と一緒に、fuakl07037というIDの出品者によって悪質な高額で何冊もヤフオクにて転売されている。414日の時点でfuakl07037が出品した『江戸川乱歩と猟奇耽異』展図録は四冊落札されており、それとは別に、一冊まだ出品中。こいつはさいたま文学館で最低でも五冊は転売用に買い占めたという事になる。

 

かつて各地の文学館で探偵小説に関する企画展が開催された時、それに伴い図録などのアイテムも販売されてきたけれど、こんな問題のある図録の売り方は他に例を見ない。ヤフオク転売者のfuakl07037も、出品地域は埼玉県になっている。こんな風に性根が卑しいから埼玉県人は昔タモリに「さいたま~!?」って馬鹿にされたんだよ(もう30年以上前のネタだが)。


 

 

(銀) 国際温泉観光大博覧会の wikipediaがあって、そこにはこう記されている。

会場となった旧別府公園には、六大館と位置づけられた温泉館、観光館、産業本館、陸軍館、海軍館、電気科学館、大分県館に加え、美術館、宗教館、台湾館、朝鮮館、南洋館、農具機械館、特許実演館、善光寺館、日の丸館、三偉人館、別府館、世界一周館、ミイラ館、海女館、歴史館、ラヂオ館、非常時国防館といった多数のパビリオンが建設されたほか、野外演芸場や矢野サーカス演技場等も設けられた。期間中の有料入場者は、計467,852人にのぼった。》

思ったよりスゴそうな大イベントだったようで、これなら乱歩ならずとも行けるものなら私だって是非観てみたい。



図録の話とは別に、落合教幸がいなくなってからの立教の江戸川乱歩センターは資料のアクセスがとてもやりにくくなったと、それとなくある方から聞いていた。それが最近になって平山雄一も似たような発言を twitter上でしているのを見かけたから、困っている人が少なからず存在するのであろう。私は研究者じゃないけど、それは看過できない。

 

 

学内外を問わず、研究者の作業がスムーズに捗るよう資料を提供するのが旧乱歩邸を引き継いだ江戸川乱歩センターの役目ではなかったのか?二松学舎大学もそうだし、立教大学に至るまで毎度毎度余計な批判を書かせないでくれ。




2021年4月7日水曜日

『亜細亜の旗』小栗虫太郎④

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★★★★★   発売された事を今は素直に喜びたい





陸軍報道班員としてマレーに赴き現地で日本軍の残虐・横暴ぶりを目の当たりにした小栗虫太郎はその怒りを「海峡天地會」(1943)という作品にて表現するも、内容が「けしからん!」と当局にチェックされ憲兵どもに自宅を強襲されてしまう___。このエピソードが有名であるが故に、虫太郎という人は戦前日本の八紘一宇スローガンには元来反発していたんだろうな、と実に軽く私は考えていた。しかしそれが大きな勘違いだということを、この春陽堂書店版『亜細亜の旗』は示唆している。


 

 

本書には「亜細亜の旗」連載に先立つ予告として、紙面に載った「作者の辞」も抜かりなく収録されている。その文章の締め括りには「私は、事變の當初から現代にひきつゞいて、國策の實現に献身しつゝある人々に満腔の敬意を表しつゝ、ペンをすゝめたいと思ふ。御聲援を願ふ。」とある。こういった〝作者からの挨拶〟は往々にして、作家本人の意思とは別に編集者が勝手にでっちあげるケースもあるけれど、参考までに紹介しておく。


 

 

今回の単行本は非常に良く作られており、作品背景を探る【解説】【編集後記】に加えて虫太郎令息・小栗宣治が昭和の半ばに執筆したあの「小伝・小栗虫太郎」を再録、更には【小栗虫太郎著作目録】まで載っているので、彼の歩んできた歴史も多面的に解るよう構成されている。そんな巻末資料を眺めながら、今迄何回も読んだつもりだった「小伝・小栗虫太郎」の中にこういう一節があるのをてっきり忘れていた自分に気付いた。


「とても陛下を好きな人であった」「共産主義がきらい」

「終戦直後の共産党がやった口汚い天皇攻撃に便乗した私(小栗宣治)が、
全面賛成と得意面でそれを繰り返すと〝お前に何が分るか〟と一喝、途端に目から火が出た」

「何かをジーッと見ている人であり、軽率に言葉を吐かない人であった」 

 

息子による父の回想の一例として、竹中英太郎(父)の語り部だった竹中労(息子)の言には、誇張や虚飾めいた部分があったりもした。今回の虫太郎スペシャルにて、私は小栗宣治の言葉を全面的に信じて記事を書いているが、人間のやる事ゆえ思い違いだったり、また時には意図的に盛ったり消去したりする場合だって絶対無いとは言えない、と一言添えた上で話を進める。




共にマレーへ同行した海音寺潮五郎・井伏鱒二らがそうだったように、頑として権力に靡かない性格の虫太郎が何故陸軍報道班員になったのか?戦闘義務こそないけれど、日本軍の末端に加わる事には変わりがないではないか。

我々は戦争の悲惨な結末を知っているから何とでも言えるけれど、あの時代をリアルタイムで生きていたら、戦争そのものはどんなに嫌だろうが、開戦してしまった以上どうにか負けないでほしいと願うのは当り前の話。江戸川乱歩をはじめ、どの探偵作家も(国策協力小説を書くかどうかは個々のスタンスがあるとはいえ)みな愛国心を抱いていた筈だし、きっと虫太郎も同じだったからこそ「亜細亜の旗」という作品を書いたのだと思う。

ただその直後、南方へ行った事で虫太郎はショックを受け、かなり考えを変えざるをえなかっただろう。しかも彼を待っていたのは真珠湾攻撃の知らせ。日本は米英とも戦わざるをえない最悪の事態に陥ってゆく。


 

 

Twitterに見られる探偵小説/本好きな人々の傾向として、その殆どが体制批判というか、よその国がどんな非道な事をやっても何も言わないのに、どれだけ政治・経済について解っているのか知らんが、自民党政権の罵倒をしている発言が圧倒的に多い。残念ながら日本の政治家の能力は相当低いし品性は下劣だ。でも、なんなんだろう・・・昔のパンク・ミュージシャンでさえ言わなくなった体制批判だけしておけば賢く見られるとでも思ってるのかな?

100年前も今も、政治とか愛国心なんていうものは単純に ❛ 右 ❜ と ❛ 左 ❜ の二極で収まりがつく程幼稚なもんじゃない。小栗虫太郎に見られる政治性にだって、きっと一面だけでは切り取れない複雑な想いがあったに違いないのだ。


 

 

四回に亘って書いてきたように、発掘されたこの長篇はどうにも虫太郎らしくないし、探偵小説でもない。「亜細亜の旗」にマイナス要素を探せば、いくらでも見つかるだろう。でも決め手になる事実が出てこない限り、私はこれが虫太郎の真作だと信じたいし、山口直孝はともかく本多正一などよくわかっている人材が尽力してくれたおかげで、単行本として出すには理想的な形に仕上がったんじゃない? よって小説の内容だけの評価ではなく、一冊の本として総合的に見て★5つ進呈。心から褒めたくなる新刊は本当に久しぶり。



 

 

(銀) これまで私は戦前の国内新聞小説を探す際、国書刊行会が平成の序盤に新装版として出した『新聞小説史年表』という文献を参照してきた。ただ30年も前の本である事もあり、そこに記載されていない新聞連載探偵小説はまだまだかなり埋もれているんだなあ、と「亜細亜の旗」の出現を知って改めて認識させられた。

それにしても虫太郎の書誌を研究してきた沢田安史は『新青年』研究会の強者ながら、なにゆえ今迄本作を発見できなかったんだろう。また「亜細亜の旗」は今迄誰も発掘できなかったのに、山口直孝が偶然『九州新聞』版テキストに出くわした途端、どうして他の掲載紙も短期間の内に続々と見つける事ができたのか? これこそ最大のミステリー。

 

 

四十七都道府県の主要県立図書館と文学館がその土地の新聞のデータを徹底的に調査して、各新聞に掲載された全ての小説を(わかる範囲でかまわないから)リスト化してくれたら、発表以来長い間眠ったままの未知の小説の存在を我々は新たに知ることができるのだが・・・。現にそういう作業を積極的にやっている所もあるけど、ああいう仕事先に勤める人は所詮公務員だから、余程小説好きの奇特な人でもいない限り、そんな前向きな調査を望むのは無理ってか。





2021年4月6日火曜日

『亜細亜の旗』小栗虫太郎③

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❉   真作? 代作?



熱烈な小栗虫太郎信者ほど「亜細亜の旗」を読んで、怒ったり落胆しているかもしれない。プロットにも文章表現にも、〝らしさ〟というものが微塵も感じられないからねぇ。同じく地方新聞に連載された大下宇陀児「幽霊紳士」について、私は別の理由から「これって誰かに書かせたんじゃないの?」と、埒も無い疑問を投げかけてみた(202121日分の当blog記事を見よ)。 横溝正史「雪割草」のように生原稿の一部が残存でもしていれば一件落着するのだけど、あんな幸運は他の探偵作家には望むべくもない。果して「亜細亜の旗」は小栗虫太郎本人が書いた真作なのか? それとも誰かが書いた代作なのか?


                    



まず最初に忘れちゃいけないのは、いくら虫太郎の体臭が皆無だといっても小説自体はストレス無く読めるものであること。仮に虫太郎が叩き台だけを作ってやり、それを基に第三者が文章を考え執筆したとしても、ここまでスラスラ読める長篇をズブの素人が一から書き下ろせるとは、とても考えにくい。

本書の中でも代作疑惑について触れてあって、疑わしき数人の名前が挙がっている。上記の理由から作家でない人間は外すのが妥当だとして、いくらか可能性が残っているのは二人。まず、『ぷろふいる』編集者で上京後も虫太郎が面倒をみていたという左頭弦馬。でもなあ、数少ない短篇を読む限りではこの人の小説って稚拙だし、逆に「亜細亜の旗」レベルの長篇を書けるのであれば虫太郎だって「キミには才能が無いから郷里に帰りなさい」とは言わんだろ。 

  

 

最後に残ったのは、虫太郎の作品を代作したことがある旨、晩年告白していた九鬼紫郎。この人なら著書の数も多いし「亜細亜の旗」を書き下ろせる筆力はあるかもしれない。可能性としては最もありえる。ただ本人は〝代作したのは短篇〟と明言、さすがに短篇と長篇を取り違えたりはしないんじゃないか?それに九鬼は甲賀三郎の門下生であって、虫太郎の庇護の下にいた訳ではない。九鬼と虫太郎との接点はこの〝短篇代作発言〟以外にあまり思い当たらないから、虫太郎がわざわざ代作を頼む相手としては納得しづらいのだ。そんなこんなで強力な決定打が見つからない以上、このまま疑い続けても不毛だし、当面のところ代作説は却下しておく。

 

                    

 

さて。
おとといの記事(①)でも例に挙げたが、虫太郎の稀少な新聞連載のひとつで1938年『徳島毎日新聞』に掲載された「女人果」は後発の「人外魔境シリーズ」以上に読み易くなっており、「亜細亜の旗」に近い書き方がされている。この頃から虫太郎独特の難解な表現が使われなくなっているのがハッキリ見て取れるけれど、「女人果」ではまだ漢字単語に彼らしい特殊なルビを振る手法は健在。「亜細亜の旗」ではそのルビ遣いさえ姿を消してしまっている

 

 

 

ここで改めて虫太郎の年表を振り返る。御承知のとおり、彼は1941年(昭16)の11月になると陸軍報道班員として南方マレーに赴き、帰朝するのは翌年末。この南方派遣の話を受諾したのがいつだったのか正確にはわからないものの、日本を離れている間、作品の執筆・発表ができなくなるのは必定。『「新青年」趣味』ⅩⅧ号/特集 小栗虫太郎の著作目録を見ても、194111月~1942年12月の間に発表された小説は「海螺齋沿海州先占記」「南東貿易風」そして「北洋の守り星」、この三作しかない。これを考えると、昨日の記事()で述べた「亜細亜の旗」の各紙連載が何度も中絶している原因には、虫太郎の南方行きも少なからず影響しているのか。

 

  

 

1941年の10月あたりまでは虫太郎自ら原稿を書いて渡すことができたかもしれないが、11月に入りマレーへ出発してしまったら、現代のように執筆したデータファイルを離れた土地から一瞬にしてメール送信、なんてことはできない。それどころかコピー機さえも無い時代だし、複数の新聞社にて「亜細亜の旗」を連載させるには、その新聞社の数だけいちいち原稿を新たに書き起こして送り出さなければならない。

妻・小栗とみが虫太郎のマレー出張中に夫の原稿を書いていたという小栗宣治の貴重な回想こそ、虫太郎の置いていったオリジナル原稿の「亜細亜の旗」を手本にして各新聞社へ渡すため、とみ夫人がせっせと書き写す作業を行っていた、その立派な証左となりうる。 

 

                     

 

もう一度昨日の記事(②)を御覧頂きたい。第二の連載新聞だった『東奥日報 夕刊』は196回で連載を打ち切られたけれど、掲載最終日(1941年9月19日)には物語の結末をダイジェストにして読者に知らせたという。であれば、マレー出発前というよりも19419月のうちに虫太郎は「亜細亜の旗」最終回まで、とりあえず原稿を書き終えていたと考えることもできる。

本書【解題】【編集後記】によれば「亜細亜の旗」の執筆依頼の大元は当時国内のプロパガンダ機関として稼働していた同盟通信社からの斡旋があったのでは?と推理されている。戦意高揚の為に動いている同盟通信社が窓口となって、「プロパガンダに反しない内容を持つ小説を複数の新聞に連載させますから、小栗先生ひとつお願いできますか?」みたいな執筆依頼がもしされていたならば「「亜細亜の旗」はどうしてこんなにいくつものの新聞に連載されたのか?」という疑問の答えにもなり得るのである。(本書637頁に京都日日新聞社/東奥日報社/伊予新報社/防長新聞社、これらはみな同盟社員新聞社であった事が資料より引用されている)




家族に貧乏をさせても気に入らない仕事は絶対しなかった虫太郎が、長期マレー行きで執筆収入の滞る事が無いよう、同盟出版社のオファーを受けたというのも考えられない行動だ。「亜細亜の旗」の仕事は金が目的だったと見るより昭和16年時の日本の拡大政策に一役買うつもりで引き受けたのだと解釈したほうが齟齬が少ないのではないか。虫太郎は最初から皇軍に反発したり大陸への進出を全否定していたのではなかったのだから。




④につづく。