2011年9月8日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

山田風太郎が参加した連作小説コンピレーション。こういった珍品群は、大物でも各自の著書にその書き手の分しか収録されなかったりするので、時が経ち絶版にでもなってしまうと入手が厄介になる。在庫があるうちに買っておきたい。
■「白薔薇殺人事件」 香山滋 → 島田一男 → 山田風太郎
→ 楠田匡介 → 岩田賛 → 高木彬光
■「悪霊物語」 江戸川乱歩
→ 角田喜久雄 → 山田風太郎
■「生きている影」 角田喜久雄
→ 山田風太郎 → 大河内常平
■「十三の階段」 山田風太郎 → 島田一男 → 岡田鯱彦 → 高木彬光
■「怪盗七面相」 島田一男 → 香住春吾 → 三橋一夫 → 高木彬光
→ 武田武彦 → 島久平 → 山田風太郎
■「夜の皇太子」 山田風太郎 → 武田武彦 → 香住春吾 → 山村正夫
→ 香山滋 → 大河内常平 → 高木彬光
「十三の階段」で全篇活躍する神津恭介は他にも本書のあちこちに登場するのでお楽しみに。「悪霊物語」では風太郎が明智小五郎・加賀美敬介を登用。「怪盗七面相」には荊木歓喜ら参加作家のお抱え探偵キャラ達が各話に出演(ただ敵役七面相ってのがショボい)。少年もの「夜の皇太子」はなんとか初出誌が揃ったそうで、初の全話単行本収録。
連作は雑誌の話題作りが目的ゆえ統一性が無いなどと云われるが、なかなかどうして最初の四篇は緊迫感を楽しめた。アジャパーなんて時代を感じる当時の流行語がお気楽に使われてたりするのも連作ゆえの遊びかしらん。こんなテーマでもやっぱり角田喜久雄は小説が上手いし、風太郎と高木彬光はトップもしくはラストを任される事が多いんだね。いや満喫。痒い処にまで行き届いた、出版芸術社による気の利いた企画だった。
でも乱歩、風太郎と連作ものを纏めた単行本があって、なぜ横溝正史のそれは未だにないのか、この辺がよくわからない。

「一九五〇=昭和25年」が探偵小説界にとってどういう年だったか、本書でそれを象徴しているのは小説よりも、江戸川乱歩派 vs 木々高太郎派の論争をレポートする二つの随筆「抜打座談会を評す」(江戸川乱歩)「信天翁通信」(木々高太郎)だと思うのだが、論争が起こるきっかけとなった「抜打座談会」そのものが未収録なのはいただけない。底本を『宝石』のみに限定してしまった為に、『新青年』に掲載された「抜打座談会」は収録できなくなってしまった。これは失敗だったんじゃないかなぁ。
『悪魔黙示録/「新青年」一九三八』レビューに書いたとおり、探偵小説年鑑みたいに一年単位で区切ってフォーカスするアイディアはGood。ただ、掲載するテキストの底本とする雑誌を一年一誌とはせず、また探偵雑誌からだけではなく良い作品があれば大衆雑誌からも採ったってよかったのでは?なんだかミステリー文学資料館に蔵書があるものからしかテキストを選ぶ気がなさそうなんだよね、最近。 山前譲・新保博久のご両人及び光文社文庫の担当編集者殿、その辺なんとかなりませんか?
もうひとつ。前回も思ったけど、クロニクルなのだから時事も絡めて、解説をもう少し熱っぽく書いてほしいな。なぜ〈その年〉に注目したのか、そして〈その年〉の社会情勢はどうで、探偵小説界はどういう状況で、収録された作家はどういう活動をしていたかを。でないと、昭和25年の『宝石』にはこんなのが載ってましたよってだけのアンソロジーに思われてしまう。このシリーズの方針を改めて明確にするためにも、次巻での巻き返しに期待する。
(銀) 前回の『悪魔黙示録/「新青年」一九三八』と本書をもって、ミステリ・クロニクル・シリーズは終了してしまった。『「宝石」一九五〇/牟家殺人事件』は作品の選択があまりにもマニアック過ぎて一般層は手を出しにくかったのかな? 自分的には『麺’s ミステリー倶楽部』『古書ミステリー倶楽部』みたいなつまらない企画よりよっぽど良いと思ったのだが。
不幸にも元来、児童向け探偵小説本はユーザー・研究者の両方から粗雑に扱われてきた。だから本書の刊行には多大な期待を寄せていた。
まず通読して思ったのは、一冊分の書影が大きすぎて掲載冊数が少ない事。各書影を小さくしてかまわないから、特に稀少で人気の高い(第二〜三展示室に掲載されている)昭和45年までの各全集は可能な限り全ての書影を並べてもらいたかった。この分量ではあまりに物足りない。
また巻末に全集リストが付いているが、タイトルと作者名だけがメインでは簡素すぎる。本書は上質なハードカバー製なので増頁して価格を上げたくない事情は解るけれど、紙質のコストを抑える等の工夫をしてでも書誌データ(頁数、装幀・挿絵画家名、収録作品詳細、前書・後書・解説・函カバーの有無、発行日、等)はキッチリ明記するべきだった。
書かれた文章を読んで感じるのだが「この全集のうちどれがキキメ(入手難)」などと悪い意味でのコレクター臭がある。喜国雅彦らと繋がっている森英俊を編者にするとこうなるから駄目なのだ。資料として後世に残す愛情があるなら、そんな古本キチガイの蘊蓄よりも優先すべき情報がある筈だろうが。その点、発刊当時の関係者の一人である内田庶の証言は意味があった。
本書を読んで現物が欲しくなった方に申し上げる。ただでさえ投機の対象になっている探偵小説古本、まして児童書は近年その筆頭。上記第二〜三展示室掲載の多くの古書は5桁、ものによっては6桁もする。火傷をしたくないなら2011年秋『少年小説コレクション』をスタートする論創社のような、テキストを改悪しない良識出版社に復刊リクエストをよせるのもいいかもしれない。
評伝『別名S・S・ヴァン・ダイン』を出したばかりの藤原編集室の本書立案は評価できるが、全ての現物を所有するのが相当困難なのは誰の目にも明らかなだけに、編集内容は★★。本当に惜しい。森英俊と、協力した古本屋には★1つの資格もなし。
(銀) 藤原編集室と森英俊。真っ当な編集者と転売が日課の古本乞食とが一緒に仕事をする、現代の探偵小説業界が芯から腐敗しているのを象徴するような組み合わせだ。
今となっては嘘みたいな話だが、昔の古書目録をひっぱり出して見てみると1999年頃までは本書で扱われているジュヴナイル古書は、稀少なものでも(超レア・アイテムを除けば)度が過ぎる価格は付けられてはいなかったのがわかる。だが本来、少年少女探偵小説の旧い単行本や雑誌はコドモが買ってもらうものだから、やたらと名前や住所だったり意味の無い落書きが書き込まれている場合が多い。コドモが成長すると親は彼らが大事にしていた本や雑誌を捨ててしまうため後世まで生き残る数が少ない上、書込み・痛みの無いものとなると本当に珍しくなる。
それに目を付けた〈ミステリ専門店を名乗る古本屋〉が、「新しいカモを見つけた」とばかりに法外な価格に吊り上げていく。おまけに森英俊のような奴らがレアなジュヴナイルを必要以上に持ち上げて騒ぎ立てるので、結局ある種のものなんて一冊何万円もするようになってしまった。ぶっちゃけたことを書いてしまうけれども、ジュヴナイルに読む価値など無いなんて言うつもりは毛頭ないが、だからといってこんなトチ狂った金額の古本を買い集めてまで読むほどの必要があるなんて、とても思えない。
古書市場におけるレア度が異常に高く、本書刊行に待ち草臥れたファンも多いことだろう。探偵小説処女作「妖影」が昭和9年。探偵文壇への登場は早くはないので意外に思われるだろうが、実はこの人江戸川乱歩・横溝正史、更には小酒井不木・森下雨村・夢野久作よりも年上の明治19年生まれ。国学者・物集高見の娘で二葉亭四迷や中村吉蔵に師事、平塚らいてうとも交流があるという毛並の良さもあり、贅沢なデビューの場を用意された。
点在するアンソロジーの収録作や初出雑誌を個別に読んでも大倉燁子の芸風はよくわからなかったが、一冊に纏められた本書を通読してみて、ようやく彼女の作品像がおぼろげに見えてきた気がする。ビーストン/ルヴェル風味がベースにあったり、S夫人シリーズ(「妖影」「消えた霊媒女」「情鬼」「蛇性の執念」「鉄の処女」「機密の魅惑」「耳香水」)には外交官夫人としてのセレブな経験が色濃く、よく云われる心霊・霊媒趣味な作は思ったよりも少なくて、全篇通して女の〈念〉が最も強い印象を残す。
ただ、初期の長篇「殺人流線型」が今回オミットされたのが非常に不満。この叢書に唯一注文をつけるとしたら長・中篇をなかなか収録してくれない事。「作品の質の問題」とか「一冊としての構成バランス」を考慮した上でのチョイスなのだろう、とは容易に想像できるのだが・・・。第47巻/水谷準の時も中途半端な「瓢庵先生 〜 人形佐七」コラボ集にするぐらいなら、「獣人の獄」やその他の探偵ものの長篇を採ってほしかったし。(瓢庵先生ものは春陽文庫あたりから全作を集成して刊行すべきだ。閑話休題。)
(銀) ここに書いているとおり第50巻までの論創ミステリ叢書は長篇を収録してくれなくて、それが当時とても腑に落ちなかったものだ。
大倉燁子と水谷準、このふたりはこのあと一冊も単独著書が出ていない。「瓢庵先生ものは春陽文庫から全作を集成して刊行すべき」などと書いているが、これからそういうものを企画するとしても、春陽堂書店ではなくインディーズで頑張っている捕物出版からのリリースのほうが期待できるのかもしれない。なにせ現在『完本人形佐七捕物帳』を刊行している春陽堂は信用できないところがあるからな。ただ捕物出版のハンデは、本を買える窓口がごく一部に限られてしまうのと、プリント・オン・デマンド(POD)ゆえ装幀が貧弱だということ。
NEW !

(ユ)= ユーモア (国)= 国策
■「ちくてん奇談」(時)
その他、随筆・アンケート回答六篇の詳細は省略。
(銀) ミステリ珍本全集『死の快走船』についてのレビューをこのBlogに載せるのはもう少し先のことになりそう。
改めて本書の内容を眺めると、少女ものを書いたり時代ものを書いたり戦争が起これば防諜ものを書いて御国の為に協力せざるをえなかったり・・・。純粋な探偵小説だけを書いて生きてゆくことができぬ、昭和前半の日本の探偵小説家の侘しい処世術のサンプルを一冊で見せられているような気分にもなる。
NEW !

命にかかわるような危険な毒薬にも普通の人が知らないような特性を持つものがあります。我々が医者から処方される薬にもそれぞれ摂取の仕方があるように、毒薬を殺人に用いる場合にも、事前に使用上の注意を踏まえていれば優れた効果が得られるのです・・・。
▼
▼
実業家アラン・マントリング卿の住む邸には〈後家部屋〉と呼ばれるあかずの間がある。複数の人数なら問題は無いのに、その部屋にひとりでいると毒死して命を落とした先祖が何人もおり、今日に至るまでそのカラクリを知る者は誰もいない。とある春の晩、トランプ・カードを引いて選ばれた者ひとりがこの部屋で肝試しをするというゲームが発案され、マントリング家の人々にヘンリ・メリヴェール卿を含むゲストを加えた顔ぶれの中で、肝試しの役に当たったのはアランの妹ジュディスと婚約しているアーノルド博士の友人ラルフ・ベンダー。
〈後家部屋〉にひとり閉じこもって二時間過ごすというルールで10時にゲーム開始。他の面々は廊下を隔てた食堂におり15分ごとに声をかけつつ、離れた部屋の中にいるベンダーからの返事を聞いて無事を確認していた。ところがゲーム終了の12時を迎えても〈後家部屋〉から出てこないベンダーに不安を覚えた一同が扉を開けて中に入ってみると、なんと彼は一時間も前に絶命していたではないか。では〈後家部屋〉の中から返事をしていたのは・・・?
●
代々伝わる恐ろしい謂れに巻き込まれるフォーマットは二年前に書かれたフェル博士もの『妖女の隠れ家』に準じている。本作は『弓弦城殺人事件』後日譚に該当するエピソードで、犯罪学者ジョン・ゴーントと共に活躍したマイクル・テアレン博士が再び登場。そして会話の中で修道院殺人事件(『白い僧院の殺人』)に触れられていることからも、この辺の作中の時間軸は発表順とシンクロしている。
また、H・M達があの部屋でなぜ人が死ぬのか議論しているシーンで言及される《カリオストロの箱》事件といい、H・Mが過去に手こずった捜査の一例としてハンフリイ・マスターズ警部が挙げている《ロイヤル・スカーレット》事件といい、いわゆる〝書かれざる事件〟が紹介されているのも小ネタとして注目。
『赤後家の殺人』はいくつかの謎の解凍がひとつの行きつく結論に収束しきれていないのでは?という点で疑問視される傾向にある。最初のうちは〈後家部屋〉の恐怖が主題だったところを、後半になって或る人物と或る人物のもつれによる思惑と工作へ視点が移ってしまい、それまでの殺人部屋伝説がやや宙ぶらりんになっている気もする。
もし〈後家部屋〉の因縁ネタ一本で押し切ってしまうと、それはそれで謎の提示としては単調になってしまう懼れもありうる。物語のちょうど折り返し地点でアランの弟ガイが語り出す〈後家部屋〉の長い由来が挿入されたり、ガタついたところはあっても、絡まる要素を複数盛り込んだおかげで物語に厚みが出たと言えるのかもしれない。
▽
▽
探偵役がH・Mだから、さほど悪い読後感を持たなかったのかな。最後まで楽しく読み通せたとはいえ、カー作品の中で出来栄えとしてはA級の下クラスか。
(銀) 『白い僧院の殺人』に続く1935年のH・Mシリーズ第三長篇。今回Blogの執筆に使用したテキストは2000年8月発行の26版で、カバーデザインこそトランプをあしらった山田維史の新しいイラストに変わってはいるが、解説は懐かしい中島河太郎のもの。
再読してみると〈気ちがい〉というワードがけっこう頻出している感じがした。新訳版が出る際いらぬ手心が加えられなければいいが。振り返ってみると本作も東京創元社・世界推理小説全集時代の宇野利泰以降、一度も新しく改訳されていないのが信じられん。
以上、盆休みを利用して一週間ぶっ通しでカーを取り上げた。明日からはまた通常のスタイルに戻る予定。