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2023年9月6日水曜日

『推理文壇戦後史〈Ⅰ〉』山村正夫

NEW !

双葉文庫
1984年4月発売


★★★★★   復刊するすると論創社が吹聴しながら
               口だけで終わってしまったもの




『推理文壇戦後史』シリーズは単行本で〈Ⅰ〉~〈Ⅳ〉まで刊行されたけれど、その後双葉文庫に入る際〈Ⅳ〉だけは文庫化されなかった。山村正夫が直に接してき探偵作家ひとりひとりの項を立てて一冊の本にしたのが『わが懐旧的探偵作家論』だとすると(最下段の関連記事リンクを見よ)、こちらは年度を追って個人の話題に捉われる事なく探偵小説界に起きたトピックについて著者の視点や体験を交えながら書き連ねた、業界ドキュメンタリーとも呼べる内容。





本書〈Ⅰ〉にて語られている事柄のうち、それほど有名でもないネタを拾っておくと、戦後に様々なグループが生まれた中で阿部主計/二宮英三/渡辺健治(ママ)/中島河太郎/萩原光雄/古沢仁/楠田匡介らの集まりは辛辣な批評というか悪口を臆面もなく発していたので、「青酸カリグループ」という物騒な名称が付けられたそうだ。





他にも〝あとむF〟と名乗る挑発的な探偵文壇時評を書く匿名者が現れ、探偵作家達にキツめの発言を投げかけた。その正体は木々高太郎。そういう発言をする者が業界内におり、しかもあの「抜打座談会」に象徴される本格派vs文学派対立の火種は続いていたから、高木彬光にとって大坪砂男だけでなく年長の木々も憎悪の標的になる。





それから先日このBlogで取り上げた島田一男『中国大陸横断〈満洲日報時代の思い出〉』(☜)に関する逸話もある。島田は敗戦後内地に戻ってくると『大陸情報通信』というガリ版刷りの地下新聞を発行、この新聞は五月蠅い検閲を無視して引揚者ニュースや進駐軍誹謗の記事を載せるため、たびたび進駐軍とバトルに。『満洲日報』の関係者が内地に引き揚げてくれば彼らの就職活動のために自分の生活は棚に上げて奔走した硬骨漢・島田一男が探偵小説に取り組むのは『宝石』創刊後のこと。





〈Ⅰ〉の後半は大坪砂男に関する項が多いので、大坪の読者は読んでおいたほうがいい。私にはたいして重要な活動ではないが、昔の探偵作家たちは嬉々として文士劇に興じることもあり、江戸川乱歩一座の内幕を記して本書はclose。こういうのを書き残すってのは文学座に居た山村正夫の趣味っぽい。






(銀) こちらのtwitterのスクショを見てほしい。
















これだけ論創社と日下三蔵は『推理文壇戦後史』シリーズを復刊すると言っておきながら、この話はすっかり無かったことにされている。発売を楽しみに待っていた人達は今頃どう思っているのか、一度でも考えたことがあるのか是非訊いてみたい。原稿データをほぼ仕上げ発売直前までこぎ着けている訳でもないのに、調子に乗ってユーザーを煽り立ててばかりいるからこのザマだ。




制作サイドが「論創ミステリ・ライブラリ」と呼んでいるシリーズの第一弾・鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて【完全版】』の編集方針が疑義の念を抱くものだったために(私以外からの購入者からも)批判を浴び、すっかりつむじを曲げて彼らはこの企画を放棄した・・・と思っていたけれど、上に挙げた(三番目の)論創社が出したツイートを見ると、少なくとも2021年4月まではまだ『推理文壇戦後史』シリーズを出したい気持ちが一応残っていたのか。イヤ、おそらく口先だけだろうな。





■ 山村正夫 関連記事 ■














2021年1月22日金曜日

『幻の探偵作家を求めて【完全版】下』鮎川哲也

2020年5月19日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ・ライブラリ  日下三蔵(編)
2020年5月発売



★     論創社とミステリ業界の堕落



前回の上巻から一年近くも経って下巻発売。これだけ時間をかけたのだから今度こそテキストはほぼノーミスなんだろうなと不安を抱きつつ読んでいったら、やっぱりおかしな箇所が。



ぼんやり者の私でさえ目に付いた誤字の一部がこちら  


 

26頁/  城崎竜子 ハルピンお竜行状記→ ×    城崎龍子 ハルピンお龍行状記→ 〇

250頁/『詰めパラ』→ ×          『詰パラ』→ 〇
  


268頁/ 寶石    雑誌『宝石』の表記について

間違いではないが、引用文扱いでもないし他は石〟表記なのになぜ統一しない?


305頁/ 用人棒→ ×             用心棒→ 〇

313頁/ 言 薬→ ×             言 葉→ 〇

341頁/ 靴時中→ ×             戦時中→ 〇



杉山平一の阪神・淡路大震災体験記なんて50行にも及ぶのに、全く同じ文章が本文273頁と解題476頁に意味もなく二度も掲載されており、トータルなゲラの最終チェックを誰もしていないのが見え見えだ。

 

 

編者・日下三蔵は「上巻の校正担当者がミステリに詳しくなかったので下巻の校正は浜田知明に頼んだ」と言うが、『甲賀三郎探偵小説選 Ⅳ 』のレビューにて指摘したとおり浜田は漢字の〝龍〟と〝竜〟の区別がつかないらしい。

 

 

城崎龍子の場合は初出にて〝竜〟と書いてあったのを踏襲したのかもしれないけど、この「ハルピンお龍行状記」はつい最近同人出版されたばかりなので、それを読んだ人は〝龍〟のほうが正しいと御存知の筈。しかも同じく浜田が校正をしている刊行中の春陽堂『完本人形佐七捕物帳』でも〝佐七〟を〝左七〟としている箇所があった。校正スケジュールがタイト過ぎるのか、それとも老いて集中力が衰えてしまったか。

 

                   🦇



そして下巻には本来予定に無かった〈索引〉が付けられたが、それも呆れるような経緯なので、今後探偵小説関係の新刊書が制作される時に、こんな事が繰り返されない為の参考として記しておく。

 

- ある日のSNSでのやりとり(大意)-

 

▽ 新保博久

東雅夫との会話の中で「最近は索引の必要性が軽んじられている」という話題になり、鮎川哲也のこの復刊においても「付録を削ってでも索引を優先すべきでは?」と日下三蔵へ問いかけ


▼ 日下三蔵  

「索引作成するには金がかかる訳で」「大した金額でなければ付けていますよ」と反論

 

▽ 新保博久  

金額・分量・日数を仮定し「索引が全然ないより遥かに望ましいのでは?」と再度問いかけ

 

▼ 日下三蔵  

「そこまでおっしゃるなら上下巻共通の索引を下巻に付けますので、ぜひ作成をお願いします」

 


こんなやりとりがあってシンポ教授は上下巻共通の〈索引〉を作らされる立場に。〈索引〉作成が面倒な作業なのは素人とて理解できるけれど、日下が編集費の半分を新保に支払うったって、他者へ丸投げするその厚かましさが私には信じられん。 編集者と日下の最初の打ち合わせで、〈索引〉の作成はそんなにもウザがられたんだろうか?

 

 

外部からの口出しだったかもしれないけれど、鮎川哲也の「幻の探偵作家を求めて」シリーズは単なる尋訪記に終わらない資料性を内包する内容だから、新保の言い分のほうが100%正しいと私は思う。今回の論創社版では付録、つまりボーナス収録の扱いで鮎川の〈アンソロジー解説〉まで載せてしまい、シリーズのコンセプトが見えにくくなったことは上巻のレビューで述べた。下巻は紙幅の都合で、92年以降の〈アンソロジー解説〉は全てスルーしたと日下は言うが、鮎川マニアなら当然それらだって読みたかっただろうに。

 

 

だ・か・ら今回は〈アンソロジー解説〉なんて無理して収録せずに、将来企画されるべき(「幻の探偵作家を求めて」シリーズ以外の)『鮎川哲也随筆集成』みたいな本のリリースまで待って、一気に纏めるほうが理想的だったのだ。で、こう書けば日下一人が悪いように見えるけれど問題はそう単純じゃない。

 

                    🦇


ここ最近、もう何回「頼むから誤字の無い本にしてくれ」と論創社に言い続けただろう? 
横井司と過去の担当者が論創ミステリ叢書の立ち上げ時からずっと築き上げてきた、信頼に足る論創社の本作りは崩壊しつつある。

 

 

より適切な収録内容にするための〝なあなあ〟ではない編纂者との意見交換、正確なテキストを作る校正者の人選とそのスケジュール管理、そして最終チェック。そういったディレクションの必要さを現在の論創社編集担当と上層部の人間は理解しているのか?日下のような立場の編纂者がどんなに頑張っても、出版社側の人間が無能では最終的に全てが駄目になる。

 

 

少年小説コレクションは放り出し、鮎川の少年ものを論創ミステリ叢書へ押し込んでしまって、あんな復刻の仕方で鮎川ファンは本当に喜んだろうか?そして今回の『幻の探偵作家を求めて【完全版】』・・・。アンソロジー採録に際し、他人の作品でさえ納得がいかなかったら加筆や訂正を提案する程の気概を持っていた鮎川哲也。その鮎川スピリットを論創社と日下三蔵は少しも継承していない。





(銀) 『鮎川哲也探偵小説選 Ⅱ/Ⅲ 』について、上記で「あんな復刻の仕方で鮎川ファンは本当に喜んだろうか?」と書いたのには理由がある。この二冊、発売後しばらくして(他の巻に比べると)中古本として出回ってるのを一時よく目にしたのだ。それらは単に私の気のせいで、買った人がつまらなくて次々と手放したのでなければいいけれど。

 

 

今回の企画でも校正者として情けない結果しか残せなかった浜田知明と、論創社の作る日本探偵小説関連書籍への信頼をすっかり地に落としてしまった編集部員・黒田明。これまで彼らは横溝正史だけでなくルパン/高木彬光の研究でも、ニコイチで名前を見かけてきた。偏見でも何でもなく、二松学舎大学のセンセイにしろ横溝専門家と見做されている顔ぶれには、「仕事が出来るなあ」と感心できる人材がひとりもいないのは何故なんだろう? 謎だ。





2021年1月21日木曜日

『幻の探偵作家を求めて【完全版】上』鮎川哲也

2019年7月2日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ・ライブラリ  日下三蔵(編)
2019年6月発売



★      鮎川哲也と幻の探偵作家達に
       もっとリスペクトを込めて復刊してほしかった



鮎川哲也の仕事として小説以上の大功績であり、日本探偵小説評論書 Best 3に入る永遠の名著。あまりに遅すぎた復刊を心から喜びたかったのに・・・逆に怒りさえ感じている。

 

*        *        *        *        *

 

昭和40年代の時点で現行本入手不可だったり忘却されていた不遇な国内の探偵作家を、鮎川哲也と島崎博が(バディ役は後に交代する)苦心して彼らの消息を調べ、珍道中よろしく各地を尋訪するというシリーズ。

 

 

音楽/映像ソフトでも、再発時のボーナス・コンテンツはそりゃあ無いよりあったほうが嬉しいに決まっている。しかし今回は本書全体の半分近いページ数を無駄に使用し、鮎川が生前監修した各種〈日本探偵小説アンソロジー〉の為に書き下された〈解説〉までボーナス収録してしまい、あまりにもその量が多すぎて、「幻の探偵作家を求めて」シリーズ本来のコンセプトがすっかり 見えにくくなってしまった。

 

 

その膨大な〈アンソロジー解説〉で扱われているのが本書とリンクする〝幻の探偵作家〟ばかりならまだしも、誰もが知ってるメジャーな大物:江戸川乱歩/横溝正史/海野十三/夢野久作らまで出てくる。鮎川の書いたものなら洗いざらいブチこんでやれという、いかにも日下三蔵的なやり方で、全体の構成を無視してでも鮎川ファンが喜ぶならそれもいいだろう。

 

                    🦇


とにかく誤字が多い。それも本編よりボーナス収録した〈アンソロジー解説〉部分のほうが顕著に多い。従来、作家の書き癖を活かすために引用する底本で変な物言いがあってもそのまま復刊することは別に間違いではない。けれども本書は小説ではないし、引用する底本に鮎川の書き癖とは思えない明らかな間違いがあるのなら、それは訂正してあげるべきでは?最終決定稿ならぬ「完全版」と名乗っているのだから。

 

 

「辛(つら)い」を「幸(さいわ)い」とか、その程度のタイプミス数か所だったらそこまで気にしなかったろう。「高橋鐵」→「高橋鉄」もありがちだし許す。でも「山禾太郎」→「山禾太郎」「小松龍之」→「小松龍之」ほか、こんなにも固有名詞の間違いが多いと、さして目ざとい人間でもない私でさえ読んでいてどうしても気になる。最も酷いのはアルセーヌ・ルパンのイニシャル「A・L」を「AN」と間違えていたり、これじゃあ初めて本書を読む人がいたら「鮎川哲也という人はアルファベットもろくに知らず、なんと粗雑な作家だろう」と誤解されてしまうではないか。

 

                      

新刊本を買っても twitterで入手アピールしたらそれっきり、ちゃんと読まない人が多い。
(何が「本が届いた。今日は良い日だ。」だ)
加えてこの業界は厳しい事をいう人がおらず〝なあなあ〟な空気が蔓延しているせいだろうか、制作側に緊張感が欠落しているとしか思えない。他ジャンルの本で、ここまで酷いミスに出会うなんてまず有り得ないし。

 

                   🦇 


論創社の担当者に言う。決定もしないうちから早々にtwitter「今後この作家をこの収録内容で刊行します」などとふれ回ったり、一般発売日よりもずっと前から神保町の一部書店等で新刊を先行発売して、そこへ買いに行けない人達の飢餓感を煽ったりするヒマがあったら、まず最初に信頼できるテキストの本を作れ!

 

 

そもそも本書のみならず、復刊仕事をなんでもかんでも日下三蔵と論創社にばかり依存していて大丈夫なのか? 日下が急にポックリ逝ってしまわないとも限らないし論創社が突然傾く事だって「無い」とはいえない。現に光文社グループの厄介者扱いされていたのか、ミステリー文学資料館は閉館が決定してしまったではないか。これでいいのか?





(銀) 当Blogをスタートさせて、事あるごとに最悪の例として触れてきたこの本の記事を書くところまでようやく辿り着いたか。ネタではなくマジに、『幻の探偵作家を求めて【完全版】』の編集・構成・校訂に関わった人間が、揃って鮎川哲也の著作権継承者に訴えられようが土下座を要求されようが、不思議でも何でも無い。



なにより驚くのは、 論創ミステリ叢書という企画の原点ともいえる鮎川哲也の稀代の名著が日下三蔵と論創社によってこんな酷い復刊にされて貶められたのに、私以外誰一人として何も疑義を唱えない事だ。(正確にはAmazonのレビューで私の他にも酷評している人は一人いたし、新保博久は「なぜ索引を付けないのか?」と指摘したのだが、それが仇となって彼は索引作成仕事を丸投げされる羽目に)



いずれにせよ皮肉にも今回の件で、私のAmazonカスタマー・レビュー(2020年12月30日蒼社廉三『殺人交響曲』の記事を見よ)に「日下三蔵に対して悪意を含んでいる」などと言っていたさかえたかしや千野帽子をはじめとする頭の悪い日下三蔵信者、またミステリ・マニアと名乗っている人種の目がどれだけ節穴か、滑稽なぐらいハッキリしたようだ。