2023年9月6日水曜日
『推理文壇戦後史〈Ⅰ〉』山村正夫
2021年1月22日金曜日
『幻の探偵作家を求めて【完全版】下』鮎川哲也
前回の上巻から一年近くも経って下巻発売。これだけ時間をかけたのだから今度こそテキストはほぼノーミスなんだろうなと不安を抱きつつ読んでいったら、やっぱりおかしな箇所が。
ぼんやり者の私でさえ目に付いた誤字の一部がこちら ⤵
26頁/ 城崎竜子 ハルピンお竜行状記→ × 城崎龍子 ハルピンお龍行状記→ 〇
305頁/ 用人棒→ × 用心棒→ 〇
313頁/ 言 薬→ × 言 葉→ 〇
341頁/ 靴時中→ × 戦時中→ 〇
杉山平一の阪神・淡路大震災体験記なんて50行にも及ぶのに、全く同じ文章が本文273頁と解題476頁に意味もなく二度も掲載されており、トータルなゲラの最終チェックを誰もしていないのが見え見えだ。
編者・日下三蔵は「上巻の校正担当者がミステリに詳しくなかったので下巻の校正は浜田知明に頼んだ」と言うが、『甲賀三郎探偵小説選
Ⅳ 』のレビューにて指摘したとおり浜田は漢字の〝龍〟と〝竜〟の区別がつかないらしい。
城崎龍子の場合は初出にて〝竜〟と書いてあったのを踏襲したのかもしれないけど、この「ハルピンお龍行状記」はつい最近同人出版されたばかりなので、それを読んだ人は〝龍〟のほうが正しいと御存知の筈。しかも同じく浜田が校正をしている刊行中の春陽堂『完本人形佐七捕物帳』でも〝佐七〟を〝左七〟としている箇所があった。校正スケジュールがタイト過ぎるのか、それとも老いて集中力が衰えてしまったか。
そして下巻には本来予定に無かった〈索引〉が付けられたが、それも呆れるような経緯なので、今後探偵小説関係の新刊書が制作される時に、こんな事が繰り返されない為の参考として記しておく。
- ある日のSNSでのやりとり(大意)-
▽ 新保博久
東雅夫との会話の中で「最近は索引の必要性が軽んじられている」という話題になり、鮎川哲也のこの復刊においても「付録を削ってでも索引を優先すべきでは?」と日下三蔵へ問いかけ
▼ 日下三蔵
「索引作成するには金がかかる訳で」「大した金額でなければ付けていますよ」と反論
▽ 新保博久
金額・分量・日数を仮定し「索引が全然ないより遥かに望ましいのでは?」と再度問いかけ
▼ 日下三蔵
「そこまでおっしゃるなら上下巻共通の索引を下巻に付けますので、ぜひ作成をお願いします」
こんなやりとりがあってシンポ教授は上下巻共通の〈索引〉を作らされる立場に。〈索引〉作成が面倒な作業なのは素人とて理解できるけれど、日下が編集費の半分を新保に支払うったって、他者へ丸投げするその厚かましさが私には信じられん。 編集者と日下の最初の打ち合わせで、〈索引〉の作成はそんなにもウザがられたんだろうか?
外部からの口出しだったかもしれないけれど、鮎川哲也の「幻の探偵作家を求めて」シリーズは単なる尋訪記に終わらない資料性を内包する内容だから、新保の言い分のほうが100%正しいと私は思う。今回の論創社版では付録、つまりボーナス収録の扱いで鮎川の〈アンソロジー解説〉まで載せてしまい、シリーズのコンセプトが見えにくくなったことは上巻のレビューで述べた。下巻は紙幅の都合で、92年以降の〈アンソロジー解説〉は全てスルーしたと日下は言うが、鮎川マニアなら当然それらだって読みたかっただろうに。
だ・か・ら今回は〈アンソロジー解説〉なんて無理して収録せずに、将来企画されるべき(「幻の探偵作家を求めて」シリーズ以外の)『鮎川哲也随筆集成』みたいな本のリリースまで待って、一気に纏めるほうが理想的だったのだ。で、こう書けば日下一人が悪いように見えるけれど問題はそう単純じゃない。
より適切な収録内容にするための〝なあなあ〟ではない編纂者との意見交換、正確なテキストを作る校正者の人選とそのスケジュール管理、そして最終チェック。そういったディレクションの必要さを現在の論創社編集担当と上層部の人間は理解しているのか?日下のような立場の編纂者がどんなに頑張っても、出版社側の人間が無能では最終的に全てが駄目になる。
少年小説コレクションは放り出し、鮎川の少年ものを論創ミステリ叢書へ押し込んでしまって、あんな復刻の仕方で鮎川ファンは本当に喜んだろうか?そして今回の『幻の探偵作家を求めて【完全版】』・・・。アンソロジー採録に際し、他人の作品でさえ納得がいかなかったら加筆や訂正を提案する程の気概を持っていた鮎川哲也。その鮎川スピリットを論創社と日下三蔵は少しも継承していない。
(銀) 『鮎川哲也探偵小説選 Ⅱ/Ⅲ 』について、上記で「あんな復刻の仕方で鮎川ファンは本当に喜んだろうか?」と書いたのには理由がある。この二冊、発売後しばらくして(他の巻に比べると)中古本として出回ってるのを一時よく目にしたのだ。それらは単に私の気のせいで、買った人がつまらなくて次々と手放したのでなければいいけれど。
今回の企画でも校正者として情けない結果しか残せなかった浜田知明と、論創社の作る日本探偵小説関連書籍への信頼をすっかり地に落としてしまった編集部員・黒田明。これまで彼らは横溝正史だけでなくルパン/高木彬光の研究でも、ニコイチで名前を見かけてきた。偏見でも何でもなく、二松学舎大学のセンセイにしろ横溝専門家と見做されている顔ぶれには、「仕事が出来るなあ」と感心できる人材がひとりもいないのは何故なんだろう?
謎だ。
2021年1月21日木曜日
『幻の探偵作家を求めて【完全版】上』鮎川哲也
鮎川哲也の仕事として小説以上の大功績であり、日本探偵小説評論書 Best 3に入る永遠の名著。あまりに遅すぎた復刊を心から喜びたかったのに・・・逆に怒りさえ感じている。
* *
昭和40年代の時点で現行本入手不可だったり忘却されていた不遇な国内の探偵作家を、鮎川哲也と島崎博が(バディ役は後に交代する)苦心して彼らの消息を調べ、珍道中よろしく各地を尋訪するというシリーズ。
音楽/映像ソフトでも、再発時のボーナス・コンテンツはそりゃあ無いよりあったほうが嬉しいに決まっている。しかし今回は本書全体の半分近いページ数を無駄に使用し、鮎川が生前監修した各種〈日本探偵小説アンソロジー〉の為に書き下された〈解説〉までボーナス収録してしまい、あまりにもその量が多すぎて、「幻の探偵作家を求めて」シリーズ本来のコンセプトがすっかり 見えにくくなってしまった。
その膨大な〈アンソロジー解説〉で扱われているのが本書とリンクする〝幻の探偵作家〟ばかりならまだしも、誰もが知ってるメジャーな大物:江戸川乱歩/横溝正史/海野十三/夢野久作らまで出てくる。鮎川の書いたものなら洗いざらいブチこんでやれという、いかにも日下三蔵的なやり方で、全体の構成を無視してでも鮎川ファンが喜ぶならそれもいいだろう。
とにかく誤字が多い。それも本編よりボーナス収録した〈アンソロジー解説〉部分のほうが顕著に多い。従来、作家の書き癖を活かすために引用する底本で変な物言いがあってもそのまま復刊することは別に間違いではない。けれども本書は小説ではないし、引用する底本に鮎川の書き癖とは思えない明らかな間違いがあるのなら、それは訂正してあげるべきでは?最終決定稿ならぬ「完全版」と名乗っているのだから。
「辛(つら)い」を「幸(さいわ)い」とか、その程度のタイプミス数か所だったらそこまで気にしなかったろう。「高橋鐵」→「高橋鉄」もありがちだし許す。でも「山本禾太郎」→「山木禾太郎」「小松龍之介」→「小松龍之助」ほか、こんなにも固有名詞の間違いが多いと、さして目ざとい人間でもない私でさえ読んでいてどうしても気になる。最も酷いのはアルセーヌ・ルパンのイニシャル「A・L」を「A・N」と間違えていたり、これじゃあ初めて本書を読む人がいたら「鮎川哲也という人はアルファベットもろくに知らず、なんと粗雑な作家だろう」と誤解されてしまうではないか。
論創社の担当者に言う。決定もしないうちから早々にtwitterで「今後この作家をこの収録内容で刊行します」などとふれ回ったり、一般発売日よりもずっと前から神保町の一部書店等で新刊を先行発売して、そこへ買いに行けない人達の飢餓感を煽ったりするヒマがあったら、まず最初に信頼できるテキストの本を作れ!
そもそも本書のみならず、復刊仕事をなんでもかんでも日下三蔵と論創社にばかり依存していて大丈夫なのか?
日下が急にポックリ逝ってしまわないとも限らないし論創社が突然傾く事だって「無い」とはいえない。現に光文社グループの厄介者扱いされていたのか、ミステリー文学資料館は閉館が決定してしまったではないか。これでいいのか?
(銀) 当Blogをスタートさせて、事あるごとに最悪の例として触れてきたこの本の記事を書くところまでようやく辿り着いたか。ネタではなくマジに、『幻の探偵作家を求めて【完全版】』の編集・構成・校訂に関わった人間が、揃って鮎川哲也の著作権継承者に訴えられようが土下座を要求されようが、不思議でも何でも無い。
なにより驚くのは、 論創ミステリ叢書という企画の原点ともいえる鮎川哲也の稀代の名著が日下三蔵と論創社によってこんな酷い復刊にされて貶められたのに、私以外誰一人として何も疑義を唱えない事だ。(正確にはAmazonのレビューで私の他にも酷評している人は一人いたし、新保博久は「なぜ索引を付けないのか?」と指摘したのだが、それが仇となって彼は索引作成仕事を丸投げされる羽目に)
いずれにせよ皮肉にも今回の件で、私のAmazonカスタマー・レビュー(2020年12月30日蒼社廉三『殺人交響曲』の記事を見よ)に「日下三蔵に対して悪意を含んでいる」などと言っていたさかえたかしや千野帽子をはじめとする頭の悪い日下三蔵信者、またミステリ・マニアと名乗っている人種の目がどれだけ節穴か、滑稽なぐらいハッキリしたようだ。