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★★★ 「勝敗」と「病院坂の首縊りの家」の因果関係
◆「真珠夫人」(大正9年)の成功を機に通俗路線へ転身したと評される菊池寛。彼にとっての通俗小説とは例えば(「蜘蛛男」以降の)江戸川乱歩みたいなものなのか、あるいはもっと意味合いが異なるのか、説明できるほど菊池作品を精読している訳ではない。ただそんな私でさえ、恋愛や結婚について苦悩したり翻弄されたり、貞操の危機に直面したりする女性キャラクターの話が多いことは聞き及んでいる。本書収録の長篇「勝敗」/中篇「壊れゆく珠」共、その路線にどっぷり準拠した内容だと思って頂いて構わない。
◆『病院坂の首縊りの家』初刊本(角川書店)「あとがき」における、横溝正史のこんな発言を御記憶だろうか?
〝この小説の発想はこうである。昔、もちろん戦前のことだが、新聞に連載されていた菊池寛の「勝敗」という小説を読んだことがある。おなじ年かっこうの本妻の娘と妾腹の娘が、相反発し、敵視しあいながら、一人の男を中心に勝敗を争うというのだが、どちらが勝ったか負けたかはいまの私には記憶がない。
(中略)
しかし、この腹案はその後永く私の脳裡でくすぶりつづけていた。捨ててしまうには惜しいと思いつづけてきた。それが今度「病院坂の首縊りの家」と、いささか題を改めて完成したのがこの小説である。〟
◆昭和6年7月~12月『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』連載、翌昭和7年には島津保次郎・監督/北村小松・脚色で映画化された菊池寛の「勝敗」。
肺炎にかかり急死した貴族院子爵・若江高道には三人の子供がいた。何ひとつ不自由の無いブルジョアな環境に育った鳥子(本妻が産んだ一人娘)。そして妾の子ゆえに、世間から高道の親族だと認めてもらえない町子と美年子(かつて小間使いだった彼女達の母と高道の愛は純粋なものであったけれど、高道の身辺整理が必要になり、別れさせられた)。町子・美年子姉妹は庶子として若江の戸籍に入れてもらえず、母方の苗字・佐伯を名乗り、日陰の身に甘んじながら暮している。
母の頼みを受け、父と最後の別れをすべく町子と美年子は若江の家を訪ねた。高道の出棺はもう間近、近しい親族しか死顔に対面できない。二人は血の繋がった子供だと口に出せず、初対面の鳥子をはじめ若江家の人々から屈辱的な扱いを受ける。その若江家だが、直系は鳥子唯一人しか残っていないため、華族令に従い限られた良家の男性と結婚し、養子に迎えなければ華族の地位を失う。選り好みの激しい鳥子が養子結婚の候補として付き合っているのが井上健二。名門だけあって家柄は申し分なく好青年なのだが、彼は警察に目を付けられてもおかしくない左翼活動家のマルクス・ボーイだった。
若江家での邂逅以来、奇遇にも再会した町子と健二。男性と知り合うきっかけの無かった町子は健二の人柄にほだされ、健二もまた、鳥子とは真逆な町子の慎ましさに惹かれ、逢瀬を重ねつつ彼らは愛情を深める。その一方、生活のため恥を忍んでダンサーの仕事に就いていた美年子は、ダンスホールにやって来た鳥子から辱めを受けていた。自分達腹違いの姉妹に冷酷な態度を取る鳥子に対し、町子は胸の内に秘めていた怒りを抑えることができず、子爵夫人になる為に鳥子が必要としている健二を絶対渡さないばかりか、美年子サイドからも鳥子へ復讐せんと画策するのである。
◆「勝敗」の素晴らしいところは、同時代の探偵小説とは比べものにならないぐらい、登場人物が身に付けている服や小物のディティール/東京のちょっとした街並み/サービス業の相場等、昭和初期の風俗が豊かに描かれている点だと思う。以前、園田てる子の非探偵小説(☜)を紹介したが、本作はあれ以上にミステリ色が無い。しかし、さすがは菊池寛。バタ臭くなり過ぎず、日本人の好むメロドラマの嚆矢たる見事なストーリーテリングを披露してくれて、そこには何の淀みも無い。
★4つにしたかった。そうしなかったのは読み終わってモヤモヤが残るから。これから読む方の為に詳細は書かないでおくが、町子を襲う終盤の悲劇はあまりにヘビーで救いが無く、それなのに敵対してきた鳥子のほうは決定的ダメージを受けた印象が薄いままラスト・シーンに至り、突然一条の光が差したかのように幕は下りる。う~ん、大団円であれバッド・エンディングであれ、見え見えな終り方だとつまらないのは百も承知とはいえ、松沢病院での鳥子の変化は唐突だし、あの心境に辿り着くまでの過程をもう少し書き込んでいたなら・・・。併録の「壊れゆく珠」にしてもカットアウトするような終わり方でね。
こうして見ると探偵小説は(基本)、犯罪が打ち砕かれて終わるのが宿命ゆえ、
憎々しく思っている主要人物が痛い目に遭わないまま終わる他ジャンルの小説を読むと、どこかムズムズしがちな自分がいるようだ。
◆本日の記事のタイトルは【「勝敗」と「病院坂の首縊りの家」の因果関係】としている。横溝正史が菊池寛(一般文壇)から受けたかもしれない影響については、谷口基が自著にて言及しているからそちらを見てもらうとして、上段にて引用した ❛二人の女性が一人の男性をめぐって闘争する❜ ようなイメージはそれほど「病院坂」から伝わってこず、結局のところ横溝正史のトラウマとも言うべき複雑な家庭環境の要素しか「勝敗」との共通項は感じられない。
昭和29年の時点で「病院坂の首縊りの家」の原型版「病院横町の首縊りの家」を完成させていたなら、「勝敗」のこの感じが色濃く残る可能性もあったろう。が、なにせ「病院坂の首縊りの家」はオーバーフロー気味な大作と化し、正史のイメージしていた「勝敗」的な趣向はすっかり霞んでしまう。それに、 ❛一人の男をめぐる二人の女の闘争❜ となると女版「鬼火」みたいな二番煎じになる懼れだって有り得る。ここは一度「病院坂」から離れて、〝菊池寛の「真珠夫人」が横溝正史作品に与えている影響は決して小さくはない〟と述べる谷口基の批評を頭に置き、菊池作品に接するのがベターな読み方ではないだろうか。
(銀) 江戸川乱歩が ❛一人二役/胎内回帰願望❜ というテーマに絡め取られていたように、横溝正史も死ぬまで ❛腹違いの子供達が背負う宿命❜ から逃れることはできなかった。
正史の場合は業(ごう)というしかないですな。
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