8月15日付『朱夏No.13/特集〈探偵小説のアジア体験〉』の記事(☜)にて予告したとおり、鳴りを潜めていた せらび書房から出来立てホヤホヤの新刊が届いた。それがこの『耶止説夫作品集』だ。まだ年末でもないのに、今年刊行されて最も昂奮した一冊となると、この本以外に思い当たるものが無い。何はともあれ、無事リリースされただけで★5つ確定。
本書の副題には〝八切止夫〟の名も見える。そのペンネームを名乗っていた昭和後半、既に耶止は探偵小説と疎遠になっていたので「このクレジットは不要じゃない?」とも思うが、当時八切止夫名義で発表した歴史書は結構売れたらしい(あいにく私は一冊も読んだことがない)。それゆえ せらび書房からすると、そっち方面の購買層にも手に取ってもらう為のアイキャッチなのだろう。
今回初お目見えの【せらび探偵小説セレクション】はこれまでのアンソロジーと異なり、一冊につき一人の作家をフューチャーする方針のようだ。とはいえ、外地を舞台に書かれた作品を対象とする基本コンセプトはそのまま継続されそう。ここに収録された十四短篇を彩る地域は多岐に亘っており、作品によっては幾つもの人種が複雑に入り乱れることもあって、物語の状況をしっかり把握するには各短篇冒頭に添えられた「舞台解説」、そして巻末にある「編者解題」の助けが欠かせない。
「海豹髭中尉」「聖主復活事件」
まずはソロモン諸島を含む豪州。この二作は海面を利用した馬鹿馬鹿しいからくりが見どころ。「海豹髭中尉」のクライマックスに「シャゼン、シャゼン」という耳慣れぬ日本語が出てきて、若い読者は何のことだか全く解らないだろうから一言申し添えておくと・・・・・その昔「丹下左膳」という時代劇映画が大流行しましてな。主演の大河内傳次郎が劇中の決めゼリフで「姓は丹下、名は左膳」と口にする際に、〝左膳〟を〝サゼン〟ではなく〝シャゼン〟と発音する訳。それが日本全国津々浦々に浸透してたんで、耶止の小説にも引用されているのであります。
「マカッサル海峡」「熱帯氷山」「笑う地球」
今でいうインドネシア方面が舞台。「熱帯氷山」は邦人達が南方にて掘り出した石油を輸送船で内地へ送り届けようとするも、その都度 謎の出火が起きるので何者かの妨害疑惑が浮上するストーリー。現実社会の日本も今のうちに石油の輸送ルートを安全な経路に変更しとかないと、中国共産党によって海峡封鎖されたら後の祭りだかんね。
「銀座安南人」
中にはこんな、帝都で働く若い女性の話もある。日本へ間諜を送り込んでくる国は様々あるが、本作にて暗躍する間諜の出所は、我々現代人からすれば我が国と敵対していたイメージがあまり無い方面なので、少々意外かも。
「ボルネオ怪談」
女探偵に憧れている萩原道江。女学校を卒業後、丸の内の事務所に就職した彼女だが興信所並みの仕事ばかりでクサってしまい、兄の赴任先・昭南島へくっ付いて行き、異国の地でスリルのある事件に出くわすことを期待している。萩原兄妹の起用は『外地探偵小説集/南方篇』(☜)に収録されていた「南方探偵局」と共通。小栗虫太郎や香山滋よろしく、耶止作品にまで有尾人が登場するのか?しないのか?
「漂う星座」「異変潮流」
これまた海洋もの。題材は「海豹髭中尉」「聖主復活事件」のようにのんびりしたものではなく日本への謀略。海中のプランクトンに目を付け、スケールの大きな悪事を考案する耶止の発想がユニーク。
「外国小包」
面白い化学的暗号通信。本当に実現可能ならスゴイけど、藤田知浩の解題を読むと、どうやら絵に描いた餅みたいね。
「沙漠の掟」「青海爆撃隊」
耶止説夫にはシリーズ・キャラとまで行かないものの、同じ登場人物が再び顔を見せるケースがある。この二作ではワダと名乗る青年が活躍、彼の造形は桜田十九郎作品に見られる日本男児と近い。
「曲線街の街」「瞑る屍体」
やっぱり耶止に満洲は外せない。どちらもニーナという女性が出てくるが別人。唯一戦後に発表された背景もあってか男と女の愛と悲しみをエモーショナルに演出したり、煽情的な要素もあったり、他の作品とはかなり毛色が違う「瞑る屍体」はある意味、本書の中で最も印象深い。
(銀) せらび探偵小説セレクションの次巻は宮野叢子だそうで、自分達が何をすべきなのか、彼らは実によくわかってらっしゃる。「外地探偵小説集」の続き共々、早く読みたい。