俗っぽい言い方をするなら、二世タレントならぬ二世作家。この本の初刊は戦前の1940年に出た大元社版になるそうで、母親である大倉燁子がまだ現役なうちから、娘の松井玲子も小説を書き始めていた。山下武『「新青年」をめぐる作家たち』によれば、1947年『アサヒグラフ』の取材にて玲子は〝目下は乱歩氏の下に探偵小説修業に通っている〟とレポートされているというけどホントかな?
大倉燁子・初の著書『踊る影絵』(柳香書院)は1935年、森下雨村/中村吉蔵/岡本綺堂/長谷川伸/大下宇陀児/甲賀三郎/江戸川乱歩といった豪華な面々の寄稿によって下駄を履かされ、華々しいデビューを飾った。
「ピアノの先生」「根ツ子大盡」「遺言狀」「卒業」
「盆栽の花」「大人の世界」「犠牲」
若さゆえか、1940年頃の日本を象徴する風俗や世相の描写は見当たらない。犯罪のような題材もなく、日常における少女のちょっとした心の綾を描いているため、母が大倉燁子だとか、その手の予備知識を一切知らずに読んだら、シンプルな少女小説としか映らないだろうな。でも作品の根底に流れる不穏な女性心理に母・大倉燁子との共通性を僅かでも嗅ぎ取れるのであれば、それなりに探偵小説として読める。
ここで松井玲子の生年に触れておこう。本日の記事を書くにあたり、最も参考にさせてもらった『「新青年」趣味Ⅹ』に掲載されている阿部崇【伝説・大倉燁子-奥田恵瑞氏・物集快氏が語る「物集芳子」の肖像-】では、玲子の生まれた年を1917年(大正6年)としている。一方、webサイト『夢現半球』の大倉燁子の項には、玲子の生年は1926年(大正15年=昭和元年)とあり「ハテ、どちらが正しいのかナ?」と迷ってしまった。
上段にて紹介した永和書館版『大人は怖い』/「序にかえて」の北村小松の寄稿をよく見ると、玲子について「今年廿歳(註/二十歳)になる年若いこの作者」と述べられている。なにげに私、昔から永和書館版『大人は怖い』は大元社版の初刊本に使われていた紙型を流用しているかも・・・とテキトーに考えていた。玲子が1926年の生まれだとすれば、『大人は怖い』初刊本の大元社版が発売された1940年の時点で、まだ十四歳。いくら彼女が早熟だったとしても、これでは無理がある。
同じく上段にて言及した1947年の『アサヒグラフ』記事には、玲子は二十九歳だと記載されているらしい。これなら1917年生まれ説とは矛盾しないので、どうやらwebサイト『夢現半球』のほうが間違いだったみたい。ちなみに阿部崇の調査によれば、松井玲子は1976年に五十九歳で亡くなったとのこと。玲子の生年が1917年だと納得できたところで、話を『大人は怖い』に戻そう。
当Blogでは、わざわざ松井玲子単独のラベル(=タグ)を設定するまでもないので、大倉燁子のカテゴリーの中に一緒に入れておく。