2024年4月25日木曜日

『私は前科者である』橘外男

NEW !

新潮社
1955年11月発売



★★★    雌伏の時代




橘外男には自伝的な作品がいくつかある。ところが、それらを付け合わせてみても、必ずどこかしらに矛盾が生じるらしく、「これぞ絶対に正しい!」と言い切れるレベルにまで彼の履歴を確定させるのはかなり難しいみたい。本日の記事を書くにあたり、本書と他の著書を見比べながら一致する部分と異なる部分を洗い出そうかとも思ったけれど、泥沼にハマりそうなので止めた。

 

 

 

公的に流布している橘外男ヒストリーみたいなものはひとまず横に置き、
ここでは本書に沿って彼の青春時代を見てゆくとしよう。
家族の中で一人だけ出来損ないだった十八歳の主人公(=橘外男)を、
昔気質で厳格な陸軍大佐の父親は見放してしまい、
鐡道管理局長の職に就いている(外男にとっての)叔父の住む札幌へと放逐、
そこで監獄にブチ込まれたところから物語は始まる。
(芸者に入れ込んで官金を横領してしまう件については、
ほんの一言二言程度しか触れられていない)

 

 

 

一年ほど〝お勤め〟を課せられたあと、
要視察人扱いながら娑婆に戻った彼(この時点では二十二歳)。
どうにかこうにか、内幸町で瑞西(スイス)人の社長が経営している「外國商館」にもぐり込むものの、〝前科あり〟の身であることが発覚。
それ以降、「淋病専門の薬屋」「傳通院の洋食屋」「待合となんら変わりない割烹旅館」「日雇い労働の土方」「書籍/雑誌・取次會社の返品部」などを転々、人並みの扱いをしてもらえず、社会の底辺を這いずるその惨状ぶりはまるで悲惨小説のよう。

 

 

 

昔を思い出しながら自分自身のことを綴ってゆく作業というのは、想像の産物である小説を創作する以上に頭に血がのぼるのか、話の視点があっち行ったりこっち行ったりしがちだし、なぜか私は『まいど!横山です ― ど根性漫才記』など、横山やすしの自伝を連想した。作家デビューに至るまでの物語だから、明治後期から大正時代なのは確かなんだが、その都度発生する出来事の年度を特定できるほど明らかな手掛かりが逐一記されておらず、その点、曖昧な感じもする。

 

 

 

獄中の顔見知りで、結果的に残虐な殺人を犯してしまう男とはいえ、
共感を抱ける相手に対しては親愛の情を示す。
外國商館・モーリエル商會にて彼のことを色眼鏡で見ずに、
唯一味方になってくれた秘書のクレール嬢、またしかり。
逆に、自分を嵌めたり貶めた者への怒りは消えることがない。

橘外男という人は常に感情表現が白黒ハッキリしているので、
仮面を被り、知らぬ存ぜぬな顔で犯行を続ける探偵小説みたいなものは書けないだろうなあと、つくづく思う。

 

 

 

モーリエル商會の社長と再会、将来の展望がようやく見えてきたところで本書は終わる。若い頃の己の最悪の時代を売りにしたいというより、過去に過ちを犯し行き場を失くしている人達にも何がしかの希望を持ってもらいたい、そんな動機でこの本は書かれているような感想を持った。

 

 

 

(銀) 今日の記事では昭和30年の初刊を用いているけれど、現在でも2010年に出た復刊本(インパクト選書3)にて入手可能。ネックなのは、その版元がインパクト出版会というマイナー出版社ゆえ、実店舗にはあまり置いてないだろうしネット上でも目立たない点。とかくAmazonに在庫が無いだけで、よく調べもせず「その本は現行で流通していない」などと早合点する人が多くて。






■ 橘外男 関連記事 ■