◆ 女中を雇えるほど裕福な戦前の家庭に育った彼は、どう見てもいいとこのボンボン。TBSのプロデューサー・演出家だけでなく、のちに作家としても名を成した久世光彦が、自分の愛する作家について雑誌などに執筆したエッセイを一冊に纏めたのが、この本。
Ⅰ
亂歩に還る(1991年『銀花』に発表)
悪い夢~私の乱歩(1993年『鳩よ!』に発表)
明智小五郎は二人いる(1995年 講談社文庫〈大衆文学館〉『明智小五郎全集』に発表)
はじめに挿絵ありき~小説誌のなかに見る乱歩(1994年『小説新潮』に発表)
乱歩の洋館(1994年『太陽』に発表)
異形たちの蜜月(1995年『別冊太陽』に発表)
ぬばたまの丸の内~海野十三の深夜の散歩(1993年『銀花』に発表)
去年の魔都 いまいずこ~久生十蘭「魔都」(1995年 朝日文芸文庫『魔都』に発表)
キネオラマの幻景~稲垣足穂(1991年『太陽』に発表)
外題がよければ、それでいい~私の鏡花(1992年『鳩よ!』に発表)
半七老の語り口~岡本綺堂『半七捕物帳』(1992年『小説新潮』に発表)
鏡の中に何かいる~岸田理生(1993年 角川ホラー文庫『最後の子』に発表)
陽炎小路はどこにある~虹二(ママ/虹児の間違い)・華宵・夢二
(1994年 『大正・昭和のロマン画家たち』に発表)
覗き機械、のぞいてみれば~佐伯俊男(1995年 『佐伯俊男作品集・痴虫』に発表)
不良の文学、または作家の死~伊集院静と松井邦雄
(1993年 講談社文庫『乳房』に発表)
ほんとに咲いてる花よりも~山口瞳『木槿の花』
(1994年 新潮文庫『木槿の花』に発表)
たぶん一度死んだ人~山本夏彦という人
(1994年 中公文庫『ダメの人』に発表)
Ⅱ
吾輩は『猫』を読む(1993年『ノーサイド』に発表)
漱石が笑った(1994年『プレジデント』に発表)
『吾輩は猫である』の愉しみ(1993~94年『ドゥマゴ通信』に発表)
隠れ太宰(1992年『週刊文春』に発表)
隠れ野菊はいまもいる~伊藤左千夫『野菊の墓』
(1991年 集英社文庫『野菊の墓』に発表)
人に教えたくない一冊~小島政二郎『俳句の天才-久保田万太郎』
(1994年『波』に発表)
『珈琲挽き』に思うこと~小沼丹(1994年『新潮』に発表)
眩しい少年たち~大江健三郎(1994年『文藝春秋』に発表)
Ⅲ
書物の夢 夢の書物~その壱・その弐
(1989年『SPA!』/1995年『トランヴェール』に発表)
Ⅳ
ドン・ファンの末裔たち(1989年『週刊文春』に発表)
私の読書日記(1992年『オール讀物』に発表)
本の森の散策(1994年『読売新聞』に発表)
題名のはなし(1993年『新刊ニュース』に発表)
遊びをせむとや(1994年『小説新潮』に発表)
あとがき
◆ 江戸川乱歩への思い入れでは人後に落ちない久世。
彼にとっての乱歩とはあくまで初期短篇、「蜘蛛男」やら講談社系の雑誌に書くようになる前のものに限ると強調。1935年(=昭和10年)の生まれなのに、「赤い部屋」「踊る一寸法師」「鏡地獄」なんかより世代的にジャストな筈の「少年探偵団」シリーズには〝こんなものを読んでいたら、可愛らしい子供向きの夢を見てしまいそうではないか〟と、大層ひねくれた事をおっしゃる。
そのわりに「人間豹」「緑衣の鬼」の挿絵を描いていたのは嶺田弘だなんて、挿絵画家のことも詳しい。本書の出た95年頃だと、普通の人はまだこんな初出情報を手軽に知ることはできなかった訳で、な~んだ、通俗長篇の乱歩もしっかり雑誌で読んでるじゃないスか。
久世の最も愛する乱歩本は、当時の人が読んだと一様に口にする1931年(=昭和6年)に配本が開始された『江戸川亂歩全集』ではなく、その四年前(1927年=昭和2年)同じ平凡社から出た『現代大衆文学全集第三巻/江戸川亂歩集』。さりげなく岩田準一の話を持ち出すあたり、なんちゃって乱歩ファンの有名人とは違うね。
◆ 上段に記した本書の目次につき、(乱歩を含め)当Blogの趣味にフィットする項は色文字にしておいたが、それ以外に探偵小説とは関係なさそうな項の中でも、渡辺温/小栗虫太郎/夢野久作/長谷部史親/ウォールポールといった名前がポンポン出てきて楽しめる。私は久世と同世代の作家はどうでもよく、中でも大江健三郎なんて死ぬまで決して読むことはないと言い切れるけれど、久世がプラトニックな想い(?)を寄せていた向田邦子を巡り山口瞳への嫉妬を綴った文章あたりはなぜだか引き込まれるし、共感が持てる。
小沼丹について、私に影響を与えたのも本書。
いくらミステリの角書きが付いた『黒いハンカチ』『春風コンビお手柄帳』が現行本で出たところで、「村のエトランジェ」ほどに感じるものが無いのは久世のせい。
「孤島の鬼」の挿絵画家を岩田専太郎としていたり、本書の中に些細なミスが無い訳ではない。伊集院静や山本夏彦あたりはバッサリ切り捨てて、昭和前期以前の作家に絞った内容だったら、もっとヨカッタ。このエッセイは蔵書自慢厨とは真逆の、本を読むことがなによりも好きな気持ちがストレートに伝わってくるのがいい。
(銀) 天地真理の「♪ ひとりじゃないって~ すてきなことね~」とか、
ジュリーの「♪ 足早に過ぎて行く この秋の中で~ あなたを見失いたくないのです~」の詞を手掛けているのが実は久世であることは、ペンネームを使っていることもあってか、あまり知られていない。
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