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出版芸術社
2008年5月発売
★★★★ やがて寂しき家族かな
高木彬光の長女・晶子による、一家の内幕を綴ったエッセイ。
内容は【第一章 作家高木彬光の周辺】【第二章 引っ越し話】【第三章 父・母・兄をめぐるエピソード】の3パートにて構成。言わずもがな、最も興味を惹かれるのは第一章。
なにせ私は北国生まれではなく住んだ経験もないので、青森には旅先での良いイメージしかないけれど、高木彬光からしたら冬が長いばかりか、早くに実母を亡くし継母とは確執の毎日だったため、さっさと縁を切りたい暗い故郷でしかなかったようだ。
昭和24年に天城一から彬光へ送られてきた「〝刺青殺人事件〟評」が高木家に保管されていて、それがそのまま紹介されているのだが、天城の物言いたるやKTSC(関西探偵作家クラブ)の一員らしく、どうにも口さがない。
「戦前戦後を問わず〝日本探偵小説界に於ける最良の作〟の一語につきる。しかし」
「〝刺青〟にはなんとVan Dineがノサバリ通っているのだろう!」
「殊に、小生の如き神経過敏のDSマニアにとって、許し難いのは、
貴兄の提起された古今未曾有・天上天下唯我独尊の名探偵神津恭介君の独創性の不足である。」
「この作を海外の佳品と比較して、(中略)小生の評価は、傑・佳・凡・愚・悪の五作に分ける。(中略)貴兄の作は凡作である。」
天城一のほうが一歳年上ながらも、ステイタス的には彬光のほうが上なのに、代表作をここまでとやかく言われるのだから、探偵作家という稼業も楽じゃない。
第二章では、晶子の生まれた宇都宮から都内へ高木家が移り住み、経堂~桜上水~豪徳寺~駒場~初台にて暮らした日々が語られている。時代が異なるとはいえ、私も長らく経堂に住んでいたので、ここいらはどこも勝手知ったる街だし、もう親近感しかない。だが鎌倉腰越に居を構えて以降の高木家は良い事ばかりでなく、昭和53年には代々木へ戻ってくるものの、今度は彬光が脳梗塞を患うばかりか、足を切断せざるをえないところまで病が悪化してしまう。
誰かが他界したり闘病に追い込まれる話は読んでいてツライ。それゆえ第三章の、トンカツ好きなエピソードや父・彬光の遺品整理をボヤくページに至るとほっこりする。彬光は占いにも没頭したので、そっち関連の裏話に頁が多く割かれるのかなと思ったら、一般的に男性より女性のほうが占いに頼りがちな傾向があるとはいえ、晶子は何事も占いに左右される彬光が大嫌いだったそうだ。その気持ち、よくわかる。度が過ぎて信心深くなったり、一度嵌まってしまうと身近な人の忠告も耳に入らなくなるから危ない。
あとがきで著者は、こう締めくくっている。
「自己中心で我が儘そのものだった父、親であることより妻であることを優先した母、
喧嘩もしなかったけれど仲も良くなかった兄・・・みんな嫌いだったけど、
でも死なれてみると好きだったのかな・・・なんて・・・
決して仲の良い家族ではなかったが、三人を看取った私の、
これは高木家へのレクイエムである。」
う~ん、含みのある言葉だなあ。いやでも晶子さん、誰ひとり仲違いせず、ひたすら幸せしか知らない家族なんて、きっとこの世にはいない筈ですから。
(銀) そろそろ高木彬光作品を記事にしなくちゃな・・・と思いつつ、探していた本がライブラリーにて見つからなかったので、前にも少々触れたことのある、このエッセイに差し替えた。高木晶子氏は今でもご健在と聞いている。
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