2021年12月12日日曜日

『能面殺人事件』高木彬光

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春陽文庫
1952年9月発売




★★★★★   密室トリック以外の部分が良かったりする




この作品に使われている或る殺人方法と同様の手口を使って、人を殺めた女が逮捕されたというニュースが数日前からテレビで流れている。「能面殺人事件」の内容をよく御存知の方なら余計な説明をせずとも、「ああ、あの事件ね」とすぐに気付いてくれるだろう。


本作を発表した当時、高木彬光は「この手口が捜査側にバレない筈がない」とさんざん突っ込まれたらしく、初刊にあたる岩谷選書版『能面殺人事件』のあとがきで自ら反論、みたいな後日談もある。現実社会の中で実行されたこの殺人がどういうものなのか、種明かしなんて勿論しないけれど、タイムリーだなと思ったので今回は若き高木彬光がハングリーな熱い気持ちでガツガツしながら書き上げた第二長篇の話をしたい。

 

 

 

♠ 「もしも彼が生きていて研究の為の施設/資金/資材が十全に與えられていたら、日本は米国より先に原子爆弾を開発できていたかもしれない」と作者が紹介するほどの、放射能化学分野における権威だった千鶴井壮一郎博士は、実験中に器具が爆発して負傷し、心臓麻痺によって落命。そのショックによるものか博士の妻・香代子は以来精神病院に入院したっきり。そして十年の年月のうちに、日本人は未曾有の戦争によって何もかも失うことになった。

 

                   *

 

 昭和21年夏、神奈川県三浦半島H町。名門・千鶴井の本家には、東京で焼け出された壮一郎の弟・千鶴井泰次郎たちが移り住んでいる。彼を筆頭に、その長男・麟太郎/次男・洋二郎と、いずれも蝮のような者ばかり。娘の佐和子だけが唯一常識を持ち合わせた存在で、


壮一郎と泰次郎の母・園枝(中風で体が不自由)
壮一郎の娘・緋紗子
(女学生の頃より美人でピアノ演奏にも優れていたのに戦時中発狂、そのまま現在に至る)
壮一郎の息子・賢吉(小学六年生/心臓弁膜症を病み、先は長くない)


この三人は泰次郎一家に面倒を見てもらっている状態。そして、本作メインキャストのひとりである柳光一は以前緋紗子の家庭教師を受け持っていた縁もあり、復員後は千鶴井家に住まわせてもらっている。

 

 

 

 柳光一は偶然にも父の親友・石狩弘之(現在、神奈川地方次席検事)と再会。彼らは千鶴井邸の窓に、狂女緋紗子の奏でるピアノの旋律をBGMにして鬼女の如く邪気を放つ、般若の面を被った何者かの姿を目撃する。それがあたかも呪いの序曲だったかのごとく、泰次郎を皮切りに、千鶴井家の人間が一人ずつ始末されてゆく連続殺人の幕が上がった。柳光一は旧友の高木彬光(作者本人!)に助力を求める。

 

 

 

海外古典ミステリのネタを無防備に割っているとかトリックが二番煎じっぽいだとか、世間ではなんだかんだ批判も多いと聞く。私は別に評論家じゃないし、そこまで悪い印象はないけどな。自分的にはむしろ、処女作「刺青殺人事件」のほうが若干拒否反応があるかも(だって〝刺青〟って、ちっとも美しくないじゃん、タトゥーを入れる人の気持がさっぱりわからん)。


探偵作家として世に出てまだ間もないし、文章に向上すべき点は確かにあるものの、感情をむき出しにした筆の若さには、幾つかの欠点をも蹴散らしてしまう怒濤の勢いがある。もしかしたら彬光作品の中で、なにげに一番好きかも。法で裁けない罪に対し、取らざるをえなかった行動、人間の業に揺れるクライマックス。理化学トリック(?)まで盛り込んであるのだから、つまらなくなりようがない。

 

 

 

〝感情むき出し〟と書いたけれど、不思議なもので今回紹介している昭和27年の春陽文庫版(初刊から数えて三番目の単行本)しかり、当時の旧仮名のテキストで本作を読み返していると、戦争を引き起こした日本国家に対する、言い知れぬ彬光の怒りが行間から滲み出てくる気がして、探偵作家なだけではない一人の日本人・高木彬光の深層心理さえも改めて見えてくる。


本格ものがいろいろ手厳しく粗探しされるのは昔も今も一緒。途中ダレることなく終盤で犯人の正体が暴露されたと思いきや、そこからまた急転回、登場人物たちはそれぞれの宿命に抗う事ができない。なぜ名探偵神津恭介が起用されなかったのか?なぜ物語の途中で高木彬光は退場してしまうのか?そこにこそ本作の醍醐味がある。  




(銀) まごうことなき本格探偵小説なんだけど、密室状態にするトリックの解明よりも、千鶴井香代子が呟いた謎の言葉「八十二の中の八十八」の意味が明らかになる場面のほうが、私には面白かった。

  

 

「能面殺人事件」の最も直近の版といったら、おそらく2006年に出た光文社文庫版「高木彬光コレクション」になると思うのだが、今回の記事に使用している1952年刊春陽文庫版と比べて異同が見られる。


光文社文庫版は冒頭の章題が「プロローグ」となっていて〝昭和二十一年、終戦の翌年の夏、〟で始まる。ところが春陽文庫の最も古い版である本書では「プロローグ」なんて章はなく、普通に「序章 月明の夜の怪異」としてスタートしている。本文も〝終戦の翌年の夏、〟から始まって〝昭和二十一年、〟の部分は存在しない。更に、上記にて述べたとおり冒頭で柳が石狩検事と再会して近況を語る会話の中で、春陽文庫版では賢吉少年が小学校の六年生だとハッキリ書いてあるのに、光文社文庫版ではその設定表記が無かったりする。



また、春陽文庫版の最後の章は「終章 千鶴井家の崩壊」とされているのに、光文社文庫版だと「高木彬光君、僕は君に柳君の手記とともに、僕の告白を託する。」以降の数ページ分が「密封されていた石狩弘之の手紙」という新たな章扱いになっている。

 


その上、光文社文庫版の各章題の末尾を見ると、柳光一が書いた手記にあたるそれぞれの章には〈柳光一の手記〉、石狩検事が書いた手記の章には〈石狩弘之の手記〉と記されている。ただでさえ忙しいこの年末に、面倒臭いテキスト異同チェックなんかしたくないからここまでで止めておくが、ただ昭和27年時点での春陽文庫は、見苦しく漢字を開くといった意味不明な悪しきテキストいじりはまだやり始めていないように思えた。