仙仁堂
2024年2月発売
★★ リン・ブロックは知らなくても
ゴア大佐の名前には見覚えがある筈
♖ 日本ではリン・ブロックの作家名より、むしろゴア大佐というキャラクター名のほうで記憶されてきたんじゃないかな。
昭和10年、柳香書院からオファーを受けた江戸川乱歩は「世界探偵小説傑作叢書」と名付けられた一大企画に携わる。乱歩は海外ミステリの普及に貢献すべく、森下雨村と組んで積極的に作品選定・編集作業を行い、井上良夫にも助力を要請するほどの力の入れようだった。当初この叢書は全三十巻のリリースが予定されていた。しかし、フィルポッツ『赤毛のレドメイン一家』クリスティ『十二の刺傷』ミルン『赤色館の秘密』ノックス『陸橋殺人事件』メイスン『矢の家』の五冊を出したっきり、版元の事情で惜しくも中絶してしまう。
(本を買い込んだまま積んでいるだけの本の亡者と違って)純粋に読書を楽しむミステリ・ファンは江戸川乱歩の著書を読み耽り、「世界探偵小説傑作叢書」ラインナップの中に含まれていた「ゴア大佐の推理」とはどういう作品なのか、長年思いを馳せてきたに違いない。そのわりには海外ミステリをいつも取り扱っている商業出版社でさえ、リン・ブロックの作品を刊行する動きは(論創海外ミステリ『醜聞の館』の他には)皆無。戦前の刊行予定から遅れること約九十年、プライベート・レーベル仙仁堂が出したペーパーバックによって日本語訳の「ゴア大佐の推理」がやっと読めるようになった。簡素な本の造りは、POD(プリント・オン・デマンド)ではないらしい。
♖ これがワイカム・ゴア大佐ものの第一長篇。四十二歳の彼はそれほど若くもない年齢だが、この時点ではまだ探偵ではない。軍人の一家に生まれ育ったゴアは恵まれた青年時代を過ごし、第一次大戦が終わって退役したあとローデシアで暮らしたり、中央アフリカ探検隊に加わったりして充実した日々を送っていた。そこへ伯母の莫大な遺産が(彼を含む甥姪へ)分割相続される話が舞い込み、久しぶりに母国イギリスの地を踏む。
ゴアの幼なじみバーバラも今では、話下手でお堅い医師シドニー・メルウィシュの妻。そんな彼女だが、ありし日の軽率な男女関係が明るみになる手紙を握られてしまい、自分の旧友エセルの亭主になった男から強請られ続けている。夫へ実情を打ち明けることができないバーバラに泣きつかれるゴア。その矢先、バーバラを強請っていた男は車の中で奇妙な死に方をしていた。
車はメルウィシュ家のそばに駐まっていたので、死体はゴア達によってメルウィシュ家へ運び込まれる。妻バーバラがゴアに助けを求めているとは露知らず、夫シドニー・メルウィシュは周りに誰もいない自分の診療室で、死体の手の引っ掻き傷を拡大鏡で調べていたところ、一旦メルウィシュ家を発ったとばかり思っていたゴアが急に戻ってきたため、あらぬ動揺を見せる・・・。
♖ 本書をきっかけにゴア大佐シリーズを初めて体験したほうが、5~6ページにある主要登場人物21人のうち、主人公のゴアを除いた1/3ほどの人々に疑わしい裏の面があるよう感じられて、謎解きをフルに楽しめると思う。というのも、シリーズ第二作以降再び登場してくるサブキャラ達の行く末を知ってしまって本作を読むと、容疑の範囲が狭まり興味を削がれるからだ。
全体を俯瞰すれば、これはリンウッドの街の一角に限定された事件であり、スケール感や度肝を抜く派手な仕掛けは無い。ゴアをはじめ人間臭い登場人物たちの描写は、メロウになり過ぎると厭きてしまうが、その辺は抑制が効いていて、古典ミステリに興味のある人なら、そこそこ楽しめるだろう。
やっぱり気になるのは作品そのものよりも、プライベート・レーベルゆえの翻訳テキストだな。訳者の白石肇について、私は何も情報を持っていない。本書「あとがき」を読むとワセダ・ミステリ・クラブ出身の人らしい。ここでの翻訳文は極力易しい表現を選びつつ、それなりに語彙を使おうとしている痕跡も確かに見受けられる。
近年乱造され続けている非常識も甚だしい同人本のおかげで、この手のものには反射的に警戒心を抱いてしまうのだが、Amazonにおける本書の版元・仙仁堂の販売ページを見てみると〝過去に出した本が「誤字脱字が多い」とレビューを受けたので、再版時に全体の見直しと修正を行った。〟と述べてあった。「どれだけミスがあろうが自分は悪くない。イヤなら買うな!」などとホザくどこぞの老人と違って、この制作者にはまだ誠意が感じられるし、本書にも誤字はあったけれど、それには目をつぶりたい。
とはいえ、東京創元社とか商業出版社のミステリ本でも時折見られる事例なんだが、「ゴア大佐の推理」は1924年(日本だと大正13年)発表作品なのに、その訳文の中で〝ドタキャン〟(252ページ)なんて言葉を使われると、食事の最中に口の中でジャリッと砂を噛んだような違和感が残る。旧い海外小説を何冊も翻訳し、一応プロっぽい顔をしている訳者でさえ時代を無視した言葉遣いをしているケースはあったりするから、翻訳業を生業にしている訳ではなさそうな白石肇を責めるのは、ちと酷かもしれない。然は然り乍ら、こういうのをいたずらに見過ごしていると、その作品と発表された時代との共振性はどんどん失われてゆくんじゃないか?
もうひとつ。バーティー・チャロナー(男性)という登場人物が出てくるのだけど、地の文にて何度も〝チャロナーくん〟と訳されていているのには、どうにも首を傾げてしまう。会話の中で誰かにそう呼ばれるのならともかく、普通は〝チャロナー〟と記すべきだろう。
原文に〝 Mr. Gore 〟とあれば、日本人なら〝ゴア氏〟〝ゴアさん〟などと訳すのが通例。ひょっとすると原文には〝くん〟に相当する英単語が存在している?一~二箇所程度ならばケアレスミスだと判断もできるが、本書には〝チャロナー〟表記と〝チャロナーくん〟表記が少なからず混在していたので、原文を確認するすべの無い私は非常に疑問に思ったのであった。
(銀) これから先、昔のミステリやSFが新訳で発売されるたび、その作品の書かれた時代に全くそぐわない言葉で訳された本が増えていくのだろうか。翻訳者の仕事が並以上なら良いけど、ハズレな場合も当然ある訳で、そんな風に翻訳者によって作品の印象を左右されるのが好きじゃないから、意識的に私は海外ものにはどっぷりハマらないようにしてきた。
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