🔥 昭和13年1月の『徳島毎日新聞』を皮切りに、『鹿児島朝日新聞』→『海南新聞』→『秋田魁新報夕刊』→『山梨毎日新聞』→『新潟毎日新聞』→『四国民報』→『大分新聞』と、各地方新聞へ順次掲載された小栗虫太郎長篇「女人果」。「作者の言葉」では新時代の恋愛を描きたいような抱負を述べていて、ローカルな読者層も少しは意識したのか、代名詞ともいうべき文章の晦渋さは殆ど無く、総じて取っ付きやすい。その反面、虫太郎に一家言ある人達からは「過去の作品をサンプリングするってどうなのよ?」などと訝られ、高評価とはゆかぬまま今日に至っている。
(更なるマイルド路線へ舵を切り、「亜細亜の旗」(☜)を発表するのは三年後の話)
(台湾の西方にあたる)福建省/銅山に近い海峡を、開戦の火蓋が切られた上海に向けて航行中の大汽船・穂高丸。和賀船長と二等運転士・西塔靖吉のもとへ届いた連絡によれば、✕国の女間諜が船内に紛れ込んでいるらしい。極東汽船社長・三藤十八郎の娘・弓子は灯火管制に従わないぐらい高飛車で世間知らず。彼女の引き起こすちょっとした騒ぎが序盤のペースメーカーになる訳だが、弓子付きの美しい女中・吹江伸子が自殺を図ったことから、遺書がてらノートに記されていた吹江家の暗い過去へと時間軸は遡り、南支湖南省の奥地・八仙寨で展開するエピソードが滅法面白い。元は大陸浪人だった三藤十八郎が頭角を現し、好色な裏の顔を見せ始めるあたり、その後の波乱を大いに期待させる。
しかし話が再び現代の穂高丸へと戻って、あれだけ性格の悪かった弓子がだんだん良い人になるに従い、ストーリーのテンションは逆に落ちてくる。吹江一家に禍を成した三藤十八郎はこの後どんな見せ場を作ってくれるか楽しみにしてたら、何の予兆も無く突然退場してしまうし、オープニングで触れたまま放置されていた女間諜の秘密こそ追求されるとはいえ、結末に向けて西塔靖吉と対峙する死の商人クロード・シャルパンティエには三藤十八郎ほどの存在感が無く、若干盛り下がり気味のままThe Endになるのが惜しい。
加えて、これまで流通してきた「女人果」の単行本は連載最終回が抜け落ちていたというから、尚更据わりが悪い。我々に馴染みの深い「女人果」のエンディングは〝そうして間もなく、黄浦江の水を切り、日本駆逐艦へさして泳ぐ、弓子と靖吉の姿がみられたのである。〟と結んで幕が下りていたが、今回の春陽文庫には幻の最終回がボーナストラックとして追加収録されている。大白書房の初刊本を発売する際、なぜ虫太郎は最終回の欠落に気が付かなかったのだろう?それとも意図して最終回を削ったのか、真相は藪の中。
🔥 それにしても今回の春陽文庫版『女人果』には、声を大にして文句を言いたい。
かつて書下ろしだと思われていたこの長篇も研究者達の尽力により、今では新聞連載作品だった事実が判明していて、編者・日下三蔵は本書444ページにて次のように語っている。
〝また、単行本では新聞連載時の文章が、かなり省かれていることも判明したが、初刊本は著者生前の本であるため、その意向が反映されていると見なして、初出の復元は見送った。ただ、最終回だけはまるまるカットされており、最終節の章題「篤志看護婦」の由来が不明となってしまっているので、巻末資料として再録しておいた。〟
本書をお読みになられた皆さん、この文章を読んで「???」と思いませんでしたか?
まず、どの程度の分量か定かではなくとも、歴代単行本テキストと新聞連載時のテキストを比較したら、それなりの異同が見つかるのは確からしい。『幻の探偵作家を求めて 完全版』(☜)での労を厭う姿勢を引き合いに出すまでもなく、日下がマメに「女人果」の新聞連載テキストを検証しているとは思えず、これらの情報は沢田安史からの親切なアシストによるものであろう。
からきし意味不明なのは〝初刊本は著者生前の本であるため、その意向が反映されていると見なして、初出の復元は見送った。〟という文言。おいおい、横井司がきっちり監修していた時代の論創ミステリ叢書だけじゃなく、それまで流通してきた単行本テキストとの違いをセールスポイントにする為、あえて初出テキストを採用した物故作家の復刊本はいくらでもあるぞ。
生前の虫太郎が〝「女人果」を本にする時は絶対初出テキストは使わないでくれ〟と言い遺していたとか、遺族の方々がそのように望んでおられるというのならまだ承服できるが、今回の春陽文庫版に限り〝初刊本は著者生前の本であるため、その意向が反映されていると見なして、初出の復元は見送った。〟って、どういうこと?
仮にこまごました異同であれ、全体に亘って新聞連載時のテキストと既出単行本テキストに明らかな違いがあると最初から分かっているならば、さんざん流通してきた後者ではなく、どうして前者を底本に使わないのか理解できない。「女人果」掲載紙を全て照合しても欠落する回が沢山あってどうにもならないなど、誰が見ても仕方のない諸事情があるなら私だってこんな事は言わない。そんなさしたる理由も無いまま、〝初刊本は著者生前の本であるため、その意向が反映されていると見なして、初出の復元は見送った。〟とだけペラッと書かれていたんじゃ疑問に思うのは当り前だよ。
(銀) 何かしらクリアできぬ問題があったのなら止むを得ないけれど、それならそれで読者にも伝わるよう明記してくれないと、今までの事例が幾つもある以上、「また日下の手抜きか」とこちらは悪い風に受け取ってしまう。同じ春陽堂の本でも、本多正一/山口直孝/沢田安史らが丁寧に作った『亜細亜の旗』は素晴らしかっただけに、「女人果」もあの顔ぶれで新聞連載時のテキストを用いて復刊してほしかった。
私のような疑問を持つ者が誰一人おらず、どんな酷い本でも出ればひたすら有難がるミステリ・マニアの老人達というのは、百田尚樹信者の集まりと揶揄される日本保守党員とまんま同じなんだろうなあ。この前の衆院選後、百田の子宮摘出発言に対する批判がネットニュース上に溢れているのを見たけど、「あれ?百田の発言ってなんかおかしいぞ」って考える余白が日本保守党員には全然無いみたいで、百田に扇動されるがまま、百田が「叩け!」と指示した標的(例えば飯山あかり)をひたすらリンチしているとも耳にした。
百田が支持していた故・安倍晋三の学友にあたる馬場康夫(ホイチョイ・プロダクション)とかチャラくて政治的発言をしなさそうな人でさえ、youtube番組で「百田の人間性は全く受け入れられない」と苦言を呈しているのにね。ミステリ・マニア及び日本保守党員のように、おかしなものをおかしいと感じられなくなってしまったら、人間終わりだ。
■ 日下三蔵 関連記事 ■