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中公文庫
2024年10月発売
★★★ 本格長篇で成功を収められなかった乱歩の副産物
私はこのBlogを、「自分の持っている本を売ったらいくら儲かるか」、それしか頭にない底辺のミステリマニアなオッサン連中とは何の関わりも無い、「X」なんてものに無駄な時間を浪費することなく静かに読書を楽しんでいる人達に見てもらいたくて、随時更新している。
だから気になるのだが、国内外のミステリ作品に用いられた各種トリックのみを抽出、それらをあたかも見本市のごとく並べて見せる評論書が発売されて、「読んでみようかな」と思う一般層の読者が今時どれぐらいいるのか、見当も付かない。例えば、ミステリ小説を二十冊未満ぐらいしか所有していない人が、江戸川乱歩のネームバリューに頼りつつも本書に興味を持ってくれるだろうか?中公文庫にしてはやや専門性の高い内容なので、つい考えてしまう。
この本は Ⅰ【類別トリック集成】そして Ⅱ【探偵小説の「謎」】をベースに、過去のどの乱歩本とも異なる独自の編集がされており、【資料】篇以外の底本に使われているのは光文社文庫版『江戸川乱歩全集』/河出文庫版『江戸川乱歩コレクション』(全六巻)/講談社版『江戸川乱歩推理文庫』の三種だ。『江戸川乱歩推理文庫』なんて底本にするにはあまり相応しくない粗い仕上がりなのだが、Ⅲ【トリック各論・補遺】と Ⅳ【トリック総論】の二章は乱歩生前の著書に入っていない随筆が含まれ、また光文社文庫版『江戸川乱歩全集』に未収録の随筆が少なからず存在するため、『江戸川乱歩コレクション』及び『江戸川乱歩推理文庫』から適宜補填している模様。
なにしろ仕込まれたトリックだけでなく、場合によっては犯人の正体まで明かしているのだし、ここにピックアップされた作品をこれから読もうと楽しみにしている人達にとってはネタバレのオンパレードでしかない。とはいえ、世の中そこまで目くじら立てて文句を言う人がいる訳でもなく、トリックを指標としたミステリガイドブックとして利用することもできる。Ⅰ【類別トリック集成】も Ⅱ【探偵小説の「謎」】もトリックに対する知識の有無に関係なく私はあれこれ楽しめるけれども、初めて本書でお読みになられた方、如何ですか?
トリックの紹介ばかりでなく、Ⅱ【探偵小説の「謎」】における「スリルの説」の章は、スリルというものが探偵小説を成り立たせる大事な要素のひとつであることを解り易く論じていて役に立つ。以前私は園田てる子『黒い妖精』(☜)の記事にて、「探偵小説ではないのに何故か読ませてしまうsomethingがある」と述べた。どうしてそう思ったのか、乱歩の文章を読んでいると「なるほどな」と腑に落ちるし、非探偵小説で面白いものに出会った時、何故自分はその作品に引き込まれたのか、分析の手助けにもなる。
「スリルの説」の章にはもうひとつ、着目すべき箇所あり。時々乱歩は文豪ドストエフスキーについて言及することがあるのだが、本章にて触れている「カラマゾフの兄弟」序盤の決闘シーンがいたくお気に入りのようで、或るセリフなどは自らの長篇「吸血鬼」冒頭での岡田道彦と三谷房夫決闘の場面にそっくりそのまま引用されているのが、乱歩作品をよく読み込んでいる人ならすぐ分かるはず。乱歩ファンだったら、やっぱり一度はドストエフスキーも読んでおかなければならない。
最後に【資料】篇。乱歩と横溝正史、昭和24年の対談は良いとして、乱歩の没後に中島河太郎と山村正夫が「類別トリック集成」のフォーマットに則り、新しく「トリック分類表」を作成しているのだが、これが新保博久・解説の指摘どおり個々の説明がくどくなってしまい、煩わしい事この上ない。「トリック分類表」は乱歩本人が関わっていないボーナストラック的扱いであれ、オリジナルの「類別トリック集成」が読み易く書かれているその証左にはなっても、ごく普通の読者からすれば蛇足だったか。
本書の帯には「トリックは無限にある。心配することはない。」という乱歩の言葉(392頁)がデカデカと引用されている。結果的に戦後の乱歩は、切れ味鋭いトリックを活かした本格長篇で大成功を収めることができず、日本の探偵小説界も終戦直後に横溝正史/高木彬光/角田喜久雄が一瞬本格の風を起こしてみせたけれど、その後はなんとなく尻窄みになってゆき海外ミステリとの差を縮める程の成果は生み出せなかった。
(銀) 10月14日の記事にて、本書と同じ中央公論新社の新刊『下山事件~封印された記憶』(☜)を取り上げた。下山事件に踏み込む新刊を今出すなら、日本の探偵作家が下山事件に言及している座談会や各人のエッセイを纏め、あの時代彼らが一人一人どんな見解を示していたか、詳らかにする書籍も一緒に刊行してくれると嬉しかった。
でも江戸川乱歩関係の書誌・文献データはwebサイト『名張人外境』で長年中相作氏が調査してくれているからそれを参照すればいいが、他の作家がどの文献で下山事件について発言しているかは不明な部分が多く、一点ずつ資料を見つけ出してゆくとなるとハードルは高い。さりとて、これがもし一冊の本になったら、他に類を見ないものになるのは間違いない。
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