2021年11月25日木曜日

『街の毒草』大下宇陀児

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自由出版 DS選書
1946年10月発売



★★★★★   全ての作に傑作感はなくとも
             溢れる宇陀児らしさが好ましい

 

 

90年代以降いろいろ再発されている大下宇陀児の作品だが、このDS選書に収められているものは残念ながら、いまだ新刊に収録してもらえない状態にある。あと、そんなに重要な事ではないが、この本の初版の表紙はビル街の夜景だったのに、今回紹介している再版の表紙では、女性と悪漢をイメージしたデザインへ変更されていて、どういう理由で昔の人はコロコロ装幀を変えていたのか誰か教えてくれんかな。初出誌情報は『「新青年」趣味ⅩⅦ 特集 大下宇陀児』の著作目録を引用させてもらった。




「街の毒草」(『婦人倶楽部』昭和7812月号)

(昔でいう)中學四年生になる佐村淸二郎少年は自宅二階の窓から萬年筆を落っことし、ペン先が偶然窓の下を通りかかった妖艶な美女の足に刺さってしまった小さな偶然から、謎めく異性の存在が彼の頭の中を占めてしまう。だが、その女・山路愛子には子供ごときじゃとても渡り合えぬ、蛇のような狡猾さを持った色と欲の監視が常に注がれていた。愛子の為に、やってはいけない行為をしでかしてしまう淸二郎。のっぴきならない状況へ追い込まれ二人は当てのない道行きに・・・。

 

 

宇陀児の得意とする子供目線で描かれた中篇。婦人雑誌読者の母性本能をくすぐるには恰好のストーリーだし、ですます調の文体も年上の女性に対する少年の思慕を表現するのに効果的。正木不如丘を模した淺木不如山という名前が出てきてニヤッとさせられたり、宇陀児の数少ないレギュラー・キャラクター俵巌弁護士も出演しているが、同業探偵作家の探偵キャラと違って、彼は表舞台で目立つような役割ではない。古めかしさが味わい深い一品ではあるが、ラストのセリフを読むと淸二郎の両親は楽天家っちゅうかC調っぽい。

 

 

 

「指」(『オール読物』昭和125月臨時増刊号)

神田のカフェの女給だった貞代は菓子屋・鳳月堂の主人である好漢の虎太に見染められ、老舗ゆえ親戚中から猛反対はあったけれど、無事、彼の妻になる事ができた。虎太には黙っていたが、貞代には以前僅かながら時計職人の秋田禮吉という男と同棲した嫌な過去がある。せっかく幸せな夫婦生活を送っていたのに貞代は禮吉に現状を知られてしまい、ストーカーされるかも・・・という不安が心の中に広がり始める。

 

 

ある晩、既に寝入っていた虎太が匕首のようなものでズタズタに襲われ殺されてしまう。貞代に横恋慕する禮吉こそが下手人と思われたが、事態は実に意外な方向へ。こういう肩透かしを喰わせる些細なヒネリが戦後日本探偵小説ではあまり見られなくなった。宇陀児好きの読者であってもすぐ頭に浮かんでくる作品ではないし、これも素材として古さは否めないけれども、そのちょっとした佳作っぽさがイイのである。

 

 

 

「狂氣ホテル」(『冨士』昭和13年夏の増刊号)

もうすぐ我々現代人の暮しの中で、当り前な存在になってゆくかもしれないAIロボット。それを宇陀児はこの時代にもう着想しており、ホテルの給仕用人造人間として登場させている。ゆえにSFものとして見る事もできるのだが、話の展開はいまいちSF的ではない珍作。なんてったって、ここで事件に利用されるロボットはボディ内部の精密機械をくり抜いた、といえば聞こえはいいが、単なるハリボテ状態な扱いだし全力脱力するのは必至なのだから。「狂氣ホテル」しかり本書に収録されている作品はどれも、宇陀児の健在な時代においても、こののち著書に収められる機会が無くなっていく。

 

 

 

「地底の樂園」(『奥の奥』昭和1145月号)

身寄りのない菱村家の姉妹。妹・春代は濃硫酸を大量に飲んで自殺を図り、姉の砂貴子が駆け付けた時にはすでに遅く、血を吐き苦悶するばかりの状況で、姉に何か言い残す事もできぬまま妹は断末魔を迎えた。春代の部屋からは「自分は桐澤という色魔に弄ばれ、妊娠させられたまま捨てられたゆえ、斯様な道を選ばざるをえなかった」と書かれた遺書が見つかる。S飛行機制作所の若手専務として好き放題女を食い散らかしている桐澤に鉄槌を下すべく、砂貴子は藤枝洋子なる有閑マダムに化けて桐澤に近付いてゆく。

 

 

言わずもがなの復讐譚ではあるが、砂貴子をたったひとり犯罪者にさせないあたり人情派・宇陀児の面目躍如ってとこか。それとこれはマニアックなチェック・ポイントだけど、上に記したように「地底の樂園」は戦前に書かれた作品であり、エンディングに「陸軍省」「機密圖面」なる単語が出てくるのだが、戦前の日本軍部を連想させるワードは敗戦後に出た本では軒並み削除されるのが常道なのに、本書ではなぜか生き残っている。GHQの小うるさい検閲がチェックしそこなったのか、あるいは「この程度ならOK」とスルーしたのか、どっちだろう?

 

 

 

(銀) 神奈川県大磯で実際に起きた坂田山事件(昭和75月)の悲劇に乗っかった松竹が、『天国に結ぶ恋』という映画を急ピッチで制作。それが大当たりしてメディアも騒いだものだから、この頃恋人同士の〝心中〟が流行した。発表時期を考えると「街の毒草」も、この流行の波をかぶっているのは間違いない。

 

 

片や「地底の樂園」もそうかといえば坂田山から四年の時が過ぎているし、宇陀児自身、あまりに不幸な主人公・砂貴子を救ってやりたくて、救いのあるラストにしたものと見ゆる。昭和4年の西條八十が作詞した有名なヒット曲「東京行進曲」にても、「♪ シネマ見ましょか お茶のみましょか いっそ小田急で逃げましょか」と歌われていて、たとえ心中の流行が無くっても当時の恋人達には「どこかへ逃げたい」願望があったようだ。





2021年11月18日木曜日

『怪談/獨逸篇』小松太郎/菅藤高德(訳)

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先進社 世界怪談叢書
1931年3月発売



★★★★    函の下から見つめている黒猫の目




戦前の西洋怪談翻訳アンソロジーで、次の五作品を収録している。


 

 「笑ふ猶太人」

ハンス・ハインツ・エーヴエルス/作   小松太郎/譯

 

 「トフアルの花嫁」

ハンス・ハインツ・エーヴエルス/作   小松太郎/譯

 

 「蜘 蛛」

ハンス・ハインツ・エーヴエルス/作   菅藤高德/譯

 

 「標 本」

グスタアフ・マイリング/作       小松太郎/譯

 

 「月夜狂」(原題 世襲領)

エ・テ・ア・ホツフマン/作       菅藤高德/譯

 

 

「笑ふ猶太人」はエンディングの見せ方にそれほど強いインパクトが無かったり、「月夜狂」は中篇並みにページ数がたっぷりあるわりには最も短い「標本」より退屈だったり、内容として全ての作品が優れている訳ではないと私は思うのだが、好事家の間ではクラシックな怪談本の名著とされていて、その理由は装幀にあり。

 

 

左上の書影をクリックしてもらって、どの位わかってもらえるか定かではないが、ハードカヴァーの本体オモテ表紙と全く同じように函のオモテにも黒猫の姿があしらわれ、函における猫の目の部分はその形のままにくり抜かれているので、本体を函に入れた時に本体表紙の猫の金色の目がギョロリと目立つような、なんとも洒落たデザインに仕上がっているのだ。挿絵と装幀担当者のクレジットは三岸好太郎。本書は〈世界怪談叢書〉の第一弾として刊行され、あと『英米篇』『仏蘭西篇』がある。

 

 

 

このアンソロジーの内容とは関係のない話だが、巻末に載っている先進社発行図書目録についても触れておこう。先進社というのは短い間しか実働しておらず、「先進社大衆文庫」というシリーズから出された江戸川乱歩『名探偵明智小五郎』と甲賀三郎『神木の空洞』の古書を、ちゃんとカヴァーが付いている状態で見つけるのはほぼ絶望的といえるほど残存数は少ない。

そんな「先進社大衆文庫」の紙型を数年後に福洋社という名の会社が流用、本来カヴァー付きの文庫だったものを外装/装幀を全く無視し、函入りハードカヴァー本として再発している。そのいかがわしい福洋社版までもが、上記の二冊は数万もの値で取引されているのだから困ったものだ。

 

 

のちのち誰かの役に立つかもしれないし、本書巻末に載っている「先進社大衆文庫」のリストをここに書いておく。実際、全ての本が刊行されたかどうかまでは調べていない。探偵小説関係は上に述べたとおり、乱歩と甲賀だけ。

 

1『かげらふ噺』        大佛次郎

2『女來也』            吉川英治

3『淸川八郎(上巻)』          三上於菟吉

4『刃影走馬燈』          佐々木味津三

5『名探偵明智小五郎』          江戸川乱歩

 

6『神木の空洞』                    甲賀三郎

7『獄門首土藏』             行友李友

8『生死卍巴』            国枝史郎

9『遊侠男一代』                     林 和

10『荒木又右衞門』           直木三十五

 

11『旅鳥國定忠治』            土師清二

12『淸川八郎(下巻)』         三上於菟吉

 

 

 

(銀) 先進社〈世界怪談叢書〉については、2020912日の当Blog記事で取り上げた『怪樹の腕~〈ウィアード・テールズ〉戦前邦訳傑作選』でも紹介されている。




2021年11月14日日曜日

『謎の二重体』段沙児

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泰山堂
1947年6月発売



★★★★     ダンセイニをもじったような筆名





いささかカタめの文体にはどことなく前回の記事で取り上げた木々高太郎っぽさが。『謎の二重体』なる書名の前には〝推理小説〟の角書きが付いており、敗戦二年目にして〝探偵小説〟ではなく新しいこの名称を使っているのはわりと早いほうかも。木々が〝推理小説〟というネーミングを提唱したのは本書が刊行されるちょうど前年の事だし、この作者は木々にシンパシーを抱いていたのだろうか。




段沙児もその正体はハッキリしておらず、若狭邦男は『探偵作家発見100』にて「段沙児とは(1940年代に)キングストン/ウェルズ/ヴェルヌ等を翻訳した清水暉吉だ」と申し述べ、それまで流布していた久野豊彦説を否定した。本書収録作品以外だと段沙児の探偵小説はロード・ダンセイニの作品を翻訳したとみられる「二本の調味料」だけしか見つかっておらず、戦後はエログロ犯罪実話の執筆が多くなるのが残念。本書に収められた五短篇は下記に挙げる固定キャラクター三名を中心に動かした、実話ものではなく創作である。仮に翻案があったとしても全部ではないように思える。

 

野島龍三  ・・・・・・・・・・・・・・・・ 数学者/素人探偵(三十八歳)

石田順之助 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 野島の友人/生物学者(三十七歳)

吉川作太郎 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 野島の友人/警視庁警部(三十九歳)


 

 

 「謎の二重體」

両親のいない資産家の一人息子である末方青年には、セクシーなカラダを持ちながらも控え目で貞淑というダンサーのカノジョ=今井夢子がいるのだが、彼は神経を病んでコカイン中毒な上、「自分は夢子をイカせられないのではないか?」とインポテンツの不安に脅え、いまだ彼女を抱けず、距離を置いて交際している。そのうち夢子は末方の二重体(ドッペルゲンガー)なるものを度々目撃するようになって、その不安を野島龍三に相談するのだが・・・。この時代、後背位で行うSexは獣のような姿態であり極めて変態的であったそうな。               

 

 

 

 「木喰仙人怪死」

半年ほど前から町に流れきて、トタン張りの小屋を建て住み着いていた木喰仙人という綽名の乞食が自らの小屋で絞殺されているのが発見される。解剖に廻したところ、死体の仙人髭が実はつけ髭であったと判明。一方、野島と石田順之助は養新堂という写真屋の店主が断崖から飛び込み自殺をしたとの話を吉川警部から聞かされるが、養新堂では一年前にも若い番頭が全く同じ場所で自殺していた。この三つの事件の要因に辿り着く迄はよかったが、野島は勇み足で人を死なせてしまう。ラストシーンの手紙による野島の悲痛な告白は演出としてGoodな反面、すぐに会って話せる身近な立場の吉川警部にわざわざ真相を書面で伝えようとする行為は不自然な気も。

 

 

 

 「波型の靴底」

石田は妻のお供で親戚の子供の運動会の応援のため小学校へ足を運ぶと、吉川警部が運動会の委員らしき数人の紳士と真剣な顔でヒソヒソ話し込んでいた。学校周りを走るマラソン競技に参加していた男子生徒の一人が、人気の無い場所の多いコースの途中で行方不明になったというのだ。作者の頭にはドイルの「プライオリ学校」があったのかどうか(私はつい連想した)、動機の面に独自の発想があればよかった。

 

 

 

 「結婚綺談」

石田と野島は高等学校時代の恩師である大代氏の娘の結婚式に出席。そのめでたい式場の中に、ボーイに変装した吉川警部の姿が。式が終わって彼らが警部の指定した場所に向かうと、大代家の末娘である当夜の花嫁+男兄弟七人が揃っている。そこで語られた奇妙な話というのは、速達小包で届いたシガレット・ケースから飛び出した刃によって掌を負傷したり、寄席の帰り際に靴を履こうとして靴の中に入れられていた刃で足の裏を負傷したり、このところ不審な出来事が大代家の男兄弟七人に限って起きているというもの。ただ、その刃に即死させるような毒は塗られてはいなかったので死者は出ておらず。 


結局どういう着地をするのか?という点ではこの作が一番興味深かったが、現行本で出すとなると、ポリコレにビビる大手出版社はきっと収録をいやがるのだろう。これ読んで真相を知ったら九州の人は怒るかな。

 

 

 

 「蜜蜂の巣箱」

一番最後に収録されているが、石田と吉川警部が初めて出会う内容なので本来なら本書トップに来るべき作。石田が助手を勤めている今村教授がなにかの中毒で死に、眼の下に焼き鏝のようなもので押した烙印が残されていた。養蜂といい殺人方法といい、これもドイルの影響あり。

 

 

 

(銀) 最初に段沙児は木々高太郎寄りの人かなと書いたけれど、ことさら人間を描く事に傾倒した路線ではなく、謎解きを見せるプロットが組まれている。そのテクニックはすごく上手い訳ではないけれど、せっかくならエログロ犯罪実話などへ走らず、探偵小説の創作にトライすればよかったのに。




2021年11月9日火曜日

『或る光線/木々高太郎科学小説集』木々高太郎

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盛林堂ミステリアス文庫
2021年10月発売



★★★    解説の執筆者は真面目に人選してもらいたい




「作者の言葉」にて木々高太郎本人が語っているように、本書に収められている短篇のすべてが科学小説ではない。『或る光線』の元本は昭和13年刊行だから日中戦争はすでに始まっており、トップを飾る「或る光線」とはいわゆる敵国兵を倒す殺人光線の話なのか、と想像なされた方もおられようが、それは半分正解で半分ハズレ。海野十三の「十八時の音楽浴」とは一味違った木々の描く未来社会イメージがなんともユニークな反面、戦争を題材に扱っていたため敗戦後は一切単行本に入らなかった。当時ラジオ番組の台本として書き下ろされたというが、何分ぐらいのドラマだったのだろう。

 

 

 

続く「跛行文明」も戦争兵器こそテーマにしてはいないが、人類の進歩を警告する内容。戦後の木々の著書では『落花』(一聯社/昭和22年)にも収められている。ここまでの二作は木々が申すところの〈文明批評〉を押し出した未来小説だが、「蝸牛の足」からはいよいよお待ちかねのレギュラー・キャラクター志賀博士登場。二組の犬狂いな金満家が海外から優れた犬を輸入しては品評会で争っている。その片方である山辺氏イチ推しの犬が失踪してしまい、志賀博士はちょうど遊びに来ていた友人の息子・圭一君の示唆から犬のゆくえを探し当てる。

 

 

 

「糸の瞳」も志賀博士が担当。本来の旧漢字表記だと「絲の瞳」。これも理系知識を巧妙に使った一篇。この作を気に入った方は(昔の汲み取り式便所のような)悪臭のする場所のそばに炭を一個放置しておき、しばらく時間が経ったらその炭を別の臭くないところに持っていって、火鉢かなんかで炙ると本当に炭から臭い匂いがしてくるのか、ぜひ実験して頂きたい。

 

 

 

さて「債権」は大心池先生の出番。彼のクリニックへ一組の夫婦が診察を希望して訪れた。細君は「夫が何事にも病的に金銭勘定する精神病になっているのでは?」と心配するが、特に要治療とはならず。後日、古沼にてその夫が溺死しているのが発見される。大心池は死体の口から吐き出されたものに目を付け、謎の溺死の裏にある企みを見抜く。会話の中に志賀博士の名前が出てくるが、本人は登場しない。

 

 

 

「死人に口あり」は志賀博士の事件。死んだ人間が霊界から何通も送ってくる手紙。しかもそれは、誰かが代筆しているものでは絶対にないと云う。バカバカしいトリックをいつもの堅苦しい口調で淡々と書き進める木々。
「秋夜鬼」はあっさりしたノン・シリーズの短い怪談。
「実印」も同じく、志賀も大心池も出てこない掌編。同じ短篇であっても、後者はもっと枚数を増やしてじっくり書き込んだらよかったのに。
印」も『落花』(一聯社/昭和22年)に収録。

 

 

 

最後の二作は残念ながら、いまいち。
「封建性」は『新青年』に載ったもので、先祖の話はちょんまげ時代まで遡り、
信濃守猛理が女の髪の毛を一束むしゃむしゃ喰ってしまうところなど、部分的には悪くない。
「親友」は冒頭の「或る光線」と同じく戯曲風の構成を取っているが、
この二作は作者の言いたい事がもうひとつ伝わりづらいのが難点。

 

 

 

毎度このBlogで書いてきたように、どこの商業出版社も木々を出す気はさらさら無さそうだから『或る光線』が文庫サイズの新刊で一冊まるごと復活するのはいいんだけど、なんで解説の執筆を木々について詳しくもない彩古(古書いろどり)にやらせるんだ?研究者でも何でもない只の古本ゴロではないか。

382ページ5行目は『木々高太郎傑作選集』って書くとビギナーは個人選集だと間違えそうだから正確には『甲賀・大下・木々傑作選集』と記すべきだし、388ページで「蝸牛の足」「債権」「死人に口あり」「秋夜鬼」「封建性」以外は本書の初刊本(ラヂオ科学社版)に収録されたっきり、ずっと埋もれていたと彩古は書いているけれど、「跛行文明」「実印」は戦後の仙花紙本に収録されている。上記で『落花』(一聯社/昭和22年)に収められている作を書いておいたのはその為だ。

誰それのどの本はレアだから儲かるとか、あの本の古書市場価格はどれぐらいだとか、そういう知識しか頭にない人間に良質な解説など書けるはずがない。誰もが納得できる人に解説は書いてもらいたい。それゆえの減点。

 

 

 

 

(銀) 「債権」の中にこんな一節がある。

 

落合警部は、大心池博士の冒険的な行動は、これが始めてであった。

志賀博士については、何度か危険な捕物に従ったことがあったが、
大心池先生は、この反対に、いつも遠くから推理を辿って、
釣をするように針を投げるだけであった。
志賀博士のように、狩猟的ではなかったことを、よく知っていた。 


これから木々を読み始めようとしている方々には、この二人の探偵キャラの個性の違いを、なんとなくでも覚えてもらえたら嬉しい。落合警部も木々作品によく登場するレギュラー・キャラクターである。





2021年11月3日水曜日

『影を持つ女』鷲尾三郎

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東都我刊我書房 善渡爾宗衛(編)
2021年10月発売




★     三冊連続でテキスト入力ミスが多過ぎ




Q夫人と猫』『葬られた女』よりも収録ボリュームを増量したというが、本の厚みは上記の既刊二冊とあまり変わりなくて、フォント・サイズを縮小することにより文字数を多く詰め込んでいる。改めて説明するまでもなく★1つの根拠は前回前々回と同様、本書編纂者の制作姿勢に対して。今回収録された四作の底本には全て初出誌テキストを採用、それぞれの作が当時の単行本に収録された時には以下のようなタイトル変更がされていた。


 

 

【初出時のタイトル = 本書】
♦「俺が法律だ」

【初刊本収録時のタイトル】
♦「俺が相手だ」(『俺が相手だ』東方社)

 

警察を辞め私立探偵になった男が敗戦後の混乱に乗じ私腹を肥やしてきた犯罪一味に立ち向かう暴力と性を売りにした中篇。初出誌『探偵倶楽部』の編集部は和製スピレーンと謳って本作をプッシュしていたようだ。戦後になって日本でも一気に流行りだしたこの手のハードボイルド/アクション小説はさまざま映画化されていたから、大衆の注目とニーズがあったことは間違いない。ただ残念ながら探偵趣味の魅力を湛えているとは私にはあまり思えないし、江戸川乱歩もこういったものを新時代の探偵小説の潮流として認め支援はしていたろうが、内心きっと「自分の愛する探偵小説とは違う」みたいな複雑な気持だったのでは?と想像する。

 

 

 

【初出時のタイトル = 本書】
♦「蒼い黴」

【初刊本収録時のタイトル】
♦「青の恐怖」(『青の恐怖』同光社出版)

 

金が欲しい地方出の大学生・内田真吉は偶然鉢合わせた事件現場に残されていた大金に目が眩み、つい自分のものにしてしまったことから行き当たりばったり連続して人を殺めてしまって、その大金を狙う悪漢そして彼の周辺を嗅ぎ回る警察と、ふたつの敵に対峙せねばならない状況へ追い詰められてゆく。戦後派のケツの青い若者が引き起こす無軌道さばかりが目立ち、謎のインプットは一切無い中篇クライム・ストーリー。本書巻末解説で初刊本収録時の改題タイトルを「蒼の恐怖」と書いているが〈蒼〉じゃなく〈青〉では?

 

 

 

【初出時のタイトル = 本書】
♦「誰かが見ている」

【二度目の単行本収録時のタイトル】
♦「何処かで見ている」(『恐怖の扉』同光社出版)

 

今回収録されている作はどれも昔、古書で一度読んではいたが内容をまるっきり忘却。でもこの中篇「誰かが見ている」だけはタイトルこそ平凡そのものだけど、謎解き要素を持ち合わせているし犯行現場のシチュエーションが特異なので記憶に残っていた。


戦後の日本の消防士は進駐軍に廃止しろと云われながらも、大きな火災発生を防止する目的にて火見櫓的な望楼からの夜間監視を続けていた。主人公・矢代正司が日々監視に立つ望楼のそばには、戦争で家主の消息も知れず瓦礫と高いコンクリート壁だけになった豪邸跡が残っている。ある晩矢代は望楼の上から、この屋敷跡へ車でやってきた三人組の不審な行動を目撃、加えて彼らのうち一人がコンクリート壁の中へ投げ込んだカバンの中身に興味を抱いたことから予期せぬ危難が次々と彼を襲う。


死体消失をはじめここにはトリックがあって安心するし、何度も読みたいとは思わない先の二作とは違ってディティールを再確認したり何度も楽しめる。それに「俺が法律だ」「蒼い黴」は一気に読めるけれど私にとって快作ではないもんで、これと次の「影を持つ女」は結末の後味が良く口直しにもなる。本作改題時のタイトルは「何処かで見ている」が正しく、本解説で編者は「何処で見ている」と誤記。

 

 

 

【初出時のタイトル = 本書】
♦「影を持つ女」

【初刊本収録時のタイトル
「影のある女」(『地獄の罠』光風社)

【二度目の単行本収録時のタイトル】
♦「悪の敗北」(『刑事捜査』章書房)

 

短篇。戦災で両親を失った女学生の〝わたし〟は神戸でひとり生きてゆくだけで精一杯だった。そんな時、彼女は逸見信祐という男に「楽な、いい金もうけができる」と誘われるが、実は逸見は麻薬密売に関わっており警察から目を付けられていた。〝わたし〟の申告で逸見は獄にブチこまれ、その後東京に出た彼女はある男性に見初められて社長夫人となり、誰よりも倖せな年月を過ごしてきた。


八年の時が過ぎ、出所して彼女の居場所を突き止めた逸見はかつての神戸時代の写真をネタに彼女を恐喝する。悪人の飼い犬である筈のドーベルマン/ネロと〝わたし〟の心の交流が犬好きにはグッとくる。鷲尾三郎には「影を持つ男」という作品もあってまぎらわしい。


 

 

 

〈鷲尾三郎傑作撰〉も三冊目だし、テキストの入力ミスが無くなっているのを心から願ったが、今回も入力後のチェックは一切されていないようで、上記にて挙げた傍線部分の巻末解説における誤りだけでなく本文中も入力ミスは多し。(下記に数えたものが全てではない)

 

「ペンシャコ」(36頁下段) ✕    →   「ペシャンコ」 ○

「しかしったい」(49頁上段) ✕   →   「しかしいったい」 ○

「血まみの腸」(50頁上段) ✕    →   「血まみれの腸」 ○


「美くしいものはすぐに」(68頁下段) ✕  →  「美しいものはすぐに」 ○

本書は変な送り字が非常に目に付くが、それはみな初出誌編集部のせいかもしれないので、一応この例だけ挙げておく。


「瞞されてい車輪の下敷に」(87頁上段) ✕  →  「瞞されて車輪の下敷に」 ○ 

 

                   


「それはいった誰だね?」(92頁上段) ✕   →  「それはいったい誰だね?」 ○

「そいつなナイフの刃を」(100頁下段) ✕   →  「そいつはナイフの刃を」 ○

「邪魔物」(103頁上段) ✕          →  「邪魔者」 ○

「また新の記事へ目を」(156頁上段) ✕    →  「また新聞の記事へ目を」 ○

僕にどしろというんだ?」(168頁上段) ✕  →  「僕にどうしろと言うんだ?」○




古本ゴロどものせいで、ただでさえ古書としての残存数が少なく読むのが困難な鷲尾三郎を同人出版とはいえこうやって新刊で読みたい人が読めるようにするのはとても良い事なのに、なぜ善渡爾宗衛は不正確な入力のままテキストを見直すこともせずに本を発売するのか、そこがワカンナイんだよなあ。一冊にもっとゆっくり時間を掛けて制作するのは嫌なのか?そんなに慌てて次々新刊を連発しなければならない事情って何?もしかして善渡爾自身は毎回打ちあがったテキストを逐一確認しているつもりなのかもしれんが、間違いの存在に一向気が付けてないのか。

 

 

 


(銀) こんなテキスト入力ミスだらけの新刊を三冊も出しながら、来春にはまた鷲尾三郎の新刊を出す善渡爾宗衛は予告している。鷲尾だけじゃなく、近々盛林堂から出そうな善渡爾の手掛ける新刊が同様の酷いことにならないといいのだけど。



性格の悪いこの私でさえ、これでも気を使って氏にヤンワリお願いしてきたつもりなんだが、探偵小説業界や古本の世界の人達はこういう状況に何も考えたり感じたりしないのかな。所詮皆見て見ぬフリ、本もひたすら読んだフリってのが関の山なのかねぇ