2025年4月18日金曜日

『おかしな小説《ニッポン遺跡》』大下宇陀児

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養神書院
1967年10月発売



★  古色蒼然とした宇陀児作品のほうがいい




昭和418月、大下宇陀児逝去。その翌年刊行された遺稿長篇がこの『ニッポン遺跡』である。本書カバー袖にある星新一のコメントを見てもらいたい。 

〝大下先生の最後の作品、しかも、きわめて異色の作品である。ユーモアと風刺と警告と文明批評とでおりなした、わが国で珍しいタイプの小説といえる。

冷凍冬眠を試みたある日本の男が、六十七万年後に目ざめ、未来生物と交際をはじめるのだ。こっちは交際してやってるつもりだが、むこうは人間を調査しているのである。

そこに、さまざまな食いちがいと笑いとがうまれる。同時に、人間とはなにかという問題が浮かびあがり、迫ってもくる。

本書の副題は「おかしな小説」となっている。たしかに、おかしい。とんでもなさプラスまともさのおかしさである。しかし読んでいるうちに、おかしいのは現在のわれわれそのものじゃないかと気づくのである。未来という鏡にうつしてみると、現代や人間や文化といったたぐいは、こうも奇妙な形なのかと、あらためて、あきれる思いにさせられてしまう。〟

 

 

大正末期から活躍しているベテラン作家が戦後も探偵小説を書き続けた場合、風俗面もそうだし感性の世代間ギャップしかり、ネックになるのが時代とのズレ。だが作品の舞台を御一新以前の大昔、あるいは逆に未来の世界へ持っていけば、その問題は回避できる。宇陀児は時代小説こそ手掛けなかったけれども、未来には関心を抱き、SFテイストの小説を時折発表していた。「ニッポン遺跡」は決して晩年の作者に生じた突然変異な作品ではない。でもまあ、誰かに面白いか面白くないかと問われたら、アンサーは後者。もし褒められる点があるとしたら六十七万年後の話ゆえ、作者の老境ぶりを時代遅れと感じさせずユーモラスなメソッドで表現できていることだろうか。

 

 

この作品における超未来の世界は地球に地軸異変が起きたため既に人類は滅亡しており、ケール族/トリイ族/コオモリイ族といった生物が繁栄している。ところが六十七万年の時を経て冷凍状態にあった一人の人間(ニッポン人)が再び地上に現れ、なぜか日本語を喋っている未来生物たちと珍妙な交流を持つ。最終章、固く厚い氷の下に閉じ込められていたニッポンの地層に発掘隊が辿り着き、例のニッポン人が涙を流して遠い過去を懐かしみエンディングを迎えるものの、全体を通して筋らしい筋がある訳じゃなし、私など「11 売春とオンボー」の章だけ抜き出して何かの昭和風俗アンソロジーに再録したらいいんじゃない?と思ったぐらいだ。

 

 

文明批評もので真っ先に連想する探偵作家は海野十三だけど、「ニッポン遺跡」も戦前に書かれていたら20世紀初頭なりのアフォリズムが発信され、21世紀を生きる我々からすれば、より新鮮だったに違いない。昭和も中期になると新しい世代のSF作家がシーンに鎮座してるし、どうも分が悪い。やはり私はロマンティック・リアリズム/情操派の大下宇陀児が好きなので「盲地獄」「決闘介添人」「情獄」「奇怪な剥製師」「悪女」「不貞聖母」「危険なる姉妹」と同じ作者が書いているとは到底思えぬこの作品はちょっと肌に合わない。まだ「女性軌道」(☜)のほうが再読を欲する気持ちになれる。





ただ、「本格志向」「名探偵の存在に頼る作風」を厭った宇陀児の遺作がこのような内容に行き着く流れはわからんでもない。星新一/筒井康隆的な小説が好きな人なら自然に受け入れられると思う。





(銀) 巻末収録「大下氏の遺稿」にて中島河太郎は〝晩年の宇陀児は作品の選別を行い、戦後のエッセイを整理していた様子があり、あるいは選集の計画でもあって、その中の一巻に「ニッポン遺跡」を充てるつもりだったのかも・・・〟と述べている。本書の二ヶ月後、同じ版元の養神書院より随筆集『釣・花・味』は刊行されたが選集の企画は立ち消えてしまったのか、宇陀児の死後三十年の間、彼の功績が顧みられる機会は訪れなかった。

 

 

 

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