昭和41年8月、大下宇陀児逝去。その翌年刊行された遺稿長篇がこの『ニッポン遺跡』である。本書カバー袖にある星新一のコメントを見てもらいたい。
〝大下先生の最後の作品、しかも、きわめて異色の作品である。ユーモアと風刺と警告と文明批評とでおりなした、わが国で珍しいタイプの小説といえる。
冷凍冬眠を試みたある日本の男が、六十七万年後に目ざめ、未来生物と交際をはじめるのだ。こっちは交際してやってるつもりだが、むこうは人間を調査しているのである。
そこに、さまざまな食いちがいと笑いとがうまれる。同時に、人間とはなにかという問題が浮かびあがり、迫ってもくる。
本書の副題は「おかしな小説」となっている。たしかに、おかしい。とんでもなさプラスまともさのおかしさである。しかし読んでいるうちに、おかしいのは現在のわれわれそのものじゃないかと気づくのである。未来という鏡にうつしてみると、現代や人間や文化といったたぐいは、こうも奇妙な形なのかと、あらためて、あきれる思いにさせられてしまう。〟
大正末期から活躍しているベテラン作家が戦後も探偵小説を書き続けた場合、風俗面もそうだし感性の世代間ギャップしかり、ネックになるのが時代とのズレ。だが作品の舞台を御一新以前の大昔、あるいは逆に未来の世界へ持っていけば、その問題は回避できる。宇陀児は時代小説こそ手掛けなかったけれども、未来には関心を抱き、SFテイストの小説を時折発表していた。「ニッポン遺跡」は決して晩年の作者に生じた突然変異な作品ではない。でもまあ、誰かに面白いか面白くないかと問われたら、アンサーは後者。もし褒められる点があるとしたら六十七万年後の話ゆえ、作者の老境ぶりを時代遅れと感じさせずユーモラスなメソッドで表現できていることだろうか。
この作品における超未来の世界は地球に地軸異変が起きたため既に人類は滅亡しており、ケール族/トリイ族/コオモリイ族といった生物が繁栄している。ところが六十七万年の時を経て冷凍状態にあった一人の人間(ニッポン人)が再び地上に現れ、なぜか日本語を喋っている未来生物たちと珍妙な交流を持つ。最終章、固く厚い氷の下に閉じ込められていたニッポンの地層に発掘隊が辿り着き、例のニッポン人が涙を流して遠い過去を懐かしみエンディングを迎えるものの、全体を通して筋らしい筋がある訳じゃなし、私など「11 売春とオンボー」の章だけ抜き出して何かの昭和風俗アンソロジーに再録したらいいんじゃない?と思ったぐらいだ。
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