2024年4月20日土曜日

美輪さんの横溝正史嫌いは本当だった➋

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一昨日の記事(☜)のつづき。
令和5年11月に立教大学/江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが行った美輪明宏インタビューについて、前回入りきらなかった部分をフォローする。美輪さんを含むゲスト十八組の聞き手を務めたのは、江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの後藤隆基。

 

 

 

「横溝正史は好きではない」とおっしゃる美輪さん。
その他には、以下のような発言が私の気を引いた。

 

 

三島由紀夫が「黒蜥蜴の役を演じてほしい」と最初にオファーしてきた時、
初代・黒蜥蜴(昭和37年)を演じた水谷八重子の娘・水谷良重と交友があった美輪さんは、遠慮して一度は断っている。

 

 

黒蜥蜴の役を引き受ける前から乱歩の原作を読んでいた美輪さんの目には、三島由紀夫が脚色し水谷八重子(黒蜥蜴)/芥川比呂志(明智小五郎)が演じた舞台版の「黒蜥蜴」は、自分が頭に描いていたものとはギャップがあったらしい。

 

 

一度断られたら三島由紀夫はそれっきり話を振ってこない人なのに、美輪さんには二度三度と頼みにきたので、根負けして黒蜥蜴役を引き受けることにした。勿論この頃はまだ美輪明宏ではなく丸山明宏名義の時代であるが、便宜上ここでは通して〝美輪さん〟と呼ばせて頂く。

 

 

こうして黒蜥蜴を演じることに相成った美輪さん。初演時の相手役は天知茂。ただ美輪さんからすると明智小五郎に天知茂をキャスティングするのは反対で、満足いかなかったそうだ。以前の記事(☜)でも述べているが、なぜ天知茂が明智小五郎なのか私もしっくりこない。のちに彼はテレ朝系列のドラマ「江戸川乱歩の美女シリーズ」で明智小五郎を八年間演じるけれど、どちらかといえばA&Aプロダクションを設立する前の怪優っぷりというか、ドロリと睨みを利かせた役柄のほうが、はるかに魅力を感じる。

 

 

江戸川乱歩がこの世を去るのは昭和40年。輪さんの黒蜥蜴初演は昭和43年。
美輪さんの黒蜥蜴を観ることなく、乱歩は旅立った。

 

 

 

 

以後、美輪明宏版舞台「黒蜥蜴」の明智役が次々変わってゆくのは、美輪さんが「これぞ!」と惚れ込める男優がいなかったからっぽい。さもありなん。ちなみに初めて私が美輪さんの「黒蜥蜴」を観劇した時、明智小五郎を演じていたのは名高達男。

 

 

このインタビュー、美輪さんの言うことはどれもウンウンと頷きながら読んだ私だが、(美輪さんの求める明智の風貌は)岡譲司や上原謙みたいな整った顔だそうで、うーん、この点だけはピンと来ないな。いまBlogの記事を書きながら、ネットで岡譲司と上原謙の若い時の姿を眺めているのだけど、ご両人とも名探偵に相応しい雰囲気を持ち合わせているようには、どうしても見えない。ただ私はこの二人の全盛期をリアルタイムで体験していないし、彼らの良さを理解できないのも仕方ないかもな。上原謙の息子・加山雄三とて、私が物心ついた頃には既に中年だったのだから。

 

 

「大阪松竹少女歌劇団の出身だから黒タイツで踊ったりしたんだろうけど、黒蜥蜴はそういう女じゃないから、私は〝ああ、残念なことだな〟と思った」と、井上梅次監督による昭和37年の映画『黒蜥蜴』で主演を務めた京マチ子にも容赦なくダメ出し。このあたり、いかにも美輪さんらしい。

 

 

とはいえ、自分が主演を演じた昭和43年の映画『黒蜥蜴』の監督に深作欣二を呼んだのはいいが、美術のディティールがショボくて自分でも「失敗作だった」と認めている。

 

 

結局のところ美輪さんが舞台でいつまで「黒蜥蜴」を演じたかというと、今のところ平成27年の公演が最後。最近の美輪さんはNHK – Eテレ『愛のモヤモヤ相談室』で見かけるぐらいだが、百歳になるまで、あと十二年もある。長寿でいてもらいたい。

 

 

 

 

(銀) 一昨日の記事 (☜)の中に、たまたま加藤和彦の名前が出てきた。
ザ・フォーク・クルセイダーズ、サディスティック・ミカ・バンド、そしてソロ・・・・加藤が録音した曲の中で私のfavorite No.1は、スネークマンショー1stアルバムにドクター・ケスラーの名で収録されている美輪さんの代表曲「メケ・メケ」のカバーだ。

 

 

サディスティック・ミカ・バンドは2ndアルバム『黒船』の頃、昭和2030年代の日本の歌謡曲をカバーしたアルバム『駅前旅館』を制作しようとしていたが、曲の使用許諾問題によって実現せず。加藤和彦が美輪さんの「メケ・メケ」をカバーしたのは、『駅前旅館』でボツったアイディアに再びトライするのが目的だったとも解釈できる。