2022年4月1日金曜日

『南総里見八犬伝㊂』曲亭馬琴

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岩波書店 小池藤五郎(校訂)
1985年1月発売



★★★★★    仇討刺客



 犬士の中には親の仇を取るべく、刺客として生きてきた者もある。それはピュアな孝行心から来る行動なのだが、いつしか他の犬士達をも巻き込む事態に陥ってゆく。




◕ 心の汚れた人間ではあれ、自分の主人には違いない蟇六/亀篠夫婦を斬り殺した陣代・簸上宮六を討った額蔵(=犬川荘助)は筋違いな数々の濡れ衣を着せられ、拷問の果てに処刑されようとしていた。しかし犬飼現八(=見八)/犬田小文吾、そして故郷の大塚へ帰ってきた犬塚信乃が額蔵を救出。何かと味方になってくれた矠平という船頭の提案で、追われる身の彼らは(関東の北西部に位置する)上野國荒芽山へとひた走る。

 

 

 

◕ その上野國、白井城下。
上野~信濃~越後を領有している管領・扇谷定正は現在この地に居り、近臣を従え狩競べに出ていた。その帰り道に「宝刀を買い取ってほしい」と待ち構えていたのは〝大出太郎〟を名乗る下総千葉の浪人、これぞ名刀村雨を手にした犬山道節。一瞬の隙を突いて、父・犬山道策を殺した仇の総帥である扇谷定正の首を刎ねたかに思えたが、(『新八犬伝』でも定正の知恵袋として八犬士の前に立ちはだかる)巨田薪六郎助友の罠に嵌まってしまい、そこへやってきた信乃/荘助/現八/小文吾も道節の一味と決めつけられ、巻き添えを食う。


ここで非常に興味深いのは、本巻195頁に犬川荘助のこんなセリフがある事。
「彼定正は大敵なり。(中略)又定正を討んとならば、八犬士具足の日に、里見殿を相佐けて、思ひの随なる軍をしつべし。今はその時ならず。」
まだ犬士達は里見義実に一度も会っていないし、安房にいる義実は自分の知らないところでこんな事件が起こっていようとは露ほども知りえぬ初期〈第五輯〉の段階なのに、作者馬琴は早くも斯様な最終決戦が物語終盤で勃発するかもしれないよという伏線をチラ見せしているのだ。心憎い演出なり。

 

 

 

四犬士が目指す荒芽山に住む音音(おとね)という老婆は実は道節の乳母で、本当は彼女の夫である前述の矠平こと姨雪世四郎はかつて犬山家の若党だった。以前円塚山で敵対した荘助と道節は、音音の庵にてようやくお互いの事情を知り、あの時入れ替わっていた「義」の玉と「忠」の玉を相手に戻す。


この庵の一幕で犬士達はなぜかあまり顔を見せず、姨雪世四郎/音音の子で四犬士を救う為に大塚で戦死した力二郎/尺八郎兄弟の幽霊及び彼らの嫁・曳手/単節の一家情愛が中心になるのはどういう理由だろう?道節が妹・浜路の許嫁である信乃に初対面して、村雨を返還するところを描いたほうが盛り上がるような気がするのだが、馬琴には何か考えがあったのか?

 

 

 

◕ 音音の家も巨田薪六郎に知られてしまい、荒芽山は火に包まれる。押し寄せる敵に苦戦する犬士達は皆バラバラに。曳手と単節を守る役目だった犬田小文吾は彼女達を見失い、ひとり武蔵方面へ戻ってきた。ここで鷗尻の並四郎/妻の船虫という悪漢夫婦に関わった不運から、石浜城主・千葉介自胤の極悪家老・馬加大記によって一年近くも座敷牢に囚われの身とされてしまう。そんな小文吾を救い出したのは美形の女田楽師・旦開野。実は馬加大記によって滅ぼされた粟飯原胤度の一子、犬阪毛野は男でござる。何も知らない小文吾が「諸々の事が片付いたら妻として迎えたい」なんて口にするぐらいだから、よほど美しい娘姿だったのだろう。


いよいよ現れたる悪女船虫。原作ではどのように描写されているかというと、
〝年歳も三十のうへを、六ッ七ッにやなりぬべからん、物のいひざま進止まで、よろづ男めきたるが、さりとて容貌の醜きにもあらず。〟
『南総里見八犬伝』における他の小悪党とは違って、船虫はその名のとおりチョロチョロしぶとく生き残り、この後のエピソードでも悪事を働く要注意キャラクターである。

 

 

 

かくて対牛楼での毛野の復讐はドラマティックに成し遂げられたが、玉や痣の確認をする暇も無く小文吾は毛野と離れ離れに。行徳へ帰った小文吾は父の文五兵衛が病で亡くなっており、甥っ子の幼い犬江親兵衛も神隠しにあったという不幸な出来事を聞かされる。


話変わって、犬飼現八は他の犬士を探して西へ行き、京で三年も武芸指南をして生計を立てていた。このままズルズルと此処に居てはいけないと思い直した現八は再び東国へ向かい、下野網苧の里に立ち寄る。庚申山の奥深く、胎内竇に現れた妖怪の眼を弓矢で射た現八は世にも不思議な亡霊の頼みを引き受け、犬村角太郎の草庵を訪れた。


其処には又甚麼(いか)なる話説(ものがたり)かある。そは次回の記事に解分るを見て知らん。といったところで第三巻はここまで。

 

 

 

 

(銀) 『南総里見八犬伝』の記事を書き始めて知ったのだが、岩波書店版『南総里見八犬伝』は函入り単行本ではさすがにもう売っていないのは当然としても、まさか文庫まで新刊書店から消えているとは思わなんだ。もっとも2000年を過ぎて新潮社版の単行本が新しくリリースされていたのだし、その頃から岩波文庫は再版されず新刊で買えなくなっていたのかもしれないが。

おまけに「南総里見八犬伝」と並んで曲亭馬琴の代表作である「椿説弓張月」もまた、岩波書店『南総里見八犬伝』の新版が文庫になったのと同じ頃に岩波文庫旧版が再発されてはいたけれどそれっきりで、今は他の版元からもオリジナル文語体テキストでの現行本は出ていない。


 

 

「椿説弓張月」は「南総里見八犬伝」ほど長い小説ではない(旧岩波文庫で全三巻)。しかも現在私が記事に使用している岩波書店の『南総里見八犬伝』は新版となった時に挿絵を全て収録し直しているのに対し、旧岩波文庫版の『椿説弓張月』は挿絵未収録。今、新刊で馬琴を読もうとしても『南総里見八犬伝』と『近世説美少年録』は(あまり手軽ではない価格の単行本しかないが)とりあえず読むことはできる。けれども当時の挿絵を全て収めた『椿説弓張月』の現行本が無いというのは大問題だ。

どこかの出版社がオリジナル文語体によるテキストで、なおかつ挿絵を完備した『椿説弓張月』を新しくリリースしてほしいと思う。そして岩波文庫の『南総里見八犬伝』も定期的に再版してくれなければ。


 

 

そういう現状に気付いたので、この第三巻の記事までは新版函入り単行本の岩波書店『南総里見八犬伝』を使ってきたが、版元が早く文庫を再版するよう、次回第四巻からは新版岩波文庫を用いる事にする。たぶんテキストの紙型は函入り単行本とほぼ同じの筈。