2022年3月7日月曜日

『南総里見八犬伝㊀』曲亭馬琴

NEW !

岩波書店 小池藤五郎(校訂)
1984年11月発売



★★★★★   如是畜生発菩提心




 岩波書店版『南総里見八犬伝』全十巻には函入り単行本と文庫の二形態がある。小池藤五郎の校訂による岩波版はもともと戦前に刊行されていたもので、それを昭和59年に改訂版として再発。テキスト本文は旧仮名遣い表記のまま変えず、漢字を新字体に手直ししたり誤植を訂正するだけでなく原書の挿絵を漏れなく収めたので、我々は江戸期におけるこの長篇伝奇小説をより深く味わえるようになった。

 

オリジナルどおりの文語体テキストで近年流通している「南総里見八犬伝」はこの岩波書店版の他に新潮社版もあるけれど、現代語に訳されたものになるとどうしても抄訳が多く、これぞ現代語完訳の決定版!といえそうな書籍はいまだに無い。私のBlogで『南総里見八犬伝』を取り上げるなら現代語訳のほうが理解され易いのだろうが、やっぱり原書どおりの内容を押さえている本でないと嫌なので、ここでは岩波版を使う。

 

 

 

◕ 曲亭馬琴が書いたオリジナル「南総里見八犬伝」には沢山の口絵・挿絵が入っている。それだけなら珍しくもないけれど、本を作る際に馬琴は挿絵画家へ入念な指示をしていたようで、物語の文中に言い表されていない情報が挿絵の中に巧妙に込められている箇所も見られる。この事を馬琴は〝文外の画、画中の文〟と呼び、挿絵の意味も解読するよう読者に求めた。〈読本〉と呼ぶにふさわしい七五調のリズミカルな文章に加え、絵の謎を読み解く楽しみが隠されているといった趣向だ。

 

ひとつ例を挙げてみよう。
この第一巻の冒頭には〈両手を広げて微笑む丶大法師(=金碗大輔孝徳)、それに相寄る幼児期の八犬士〉を描いた口絵がある。この絵が描かれた〈肇輯〉はまだ伏姫八房譚の真っ最中で、犬江真平やら犬山道松などと名付けられている八人の幼児がいったい何者なのか、当時の読者は何も知らされていない。つまりここでの口絵はその時点で物語に現れていない、長く壮大な物語を彩る犬士たちの登場を暗に予告しているのだ。タイトな締め切りに追われ、時には画家がやっつけな挿絵を描かざるをえないこともあった近代の雑誌・新聞連載小説とは全く異なり、実に手の込んだ演出ではないか。その口絵がこちら。












◕ 第一巻は結城合戦に敗れた里見義実が主従と共に安房へ逃れるところから始まる。源氏の流れを汲む里見。奇しくも、房総半島に渡って再起を図るパターンは源頼朝とそっくり。オリジナルを読めばあまり知られていない、義実が滝田城主になるまでのエピソードもじっくり描かれていて、そういうとこがまた面白い。金碗八郎孝吉と出会い暴君・山下定包を討ち取り、定包と共に悪業の張本人であった玉梓に対し義実は「命だけは助ける」と一度は伝えるも、金碗八郎の諫言によって元通り毒婦は斬首の刑に。これを聞いて玉梓曰く「殺さば殺せ。児孫まで、畜生道に導きて、この世からなる煩悩の、犬となさん。」

『新八犬伝』では最終回まで登場する玉梓だが、本来の出番は序盤のみ。犬士たちの行く手を阻むため「われこそは玉梓が怨霊~ッ」なんて言って度々出てくるシーンは原作には存在しない。


伏姫が役の行者から授かった数珠に連なっている八つの玉にはもともと「仁義礼智忠信孝悌」の文字が浮き出ていたのだが、八房と共に伏姫が城を出る時に従来の文字が消え、「如是畜生発菩提心」の不吉な文言が・・・・。


かくして富山における悲劇の名場面を迎え、物語はいよいよ犬士列伝へ。
第一の犬士・「孝」の玉持つ犬塚信乃が生まれる前の話、すなわち祖父・大塚匠作三戌もまた結城合戦に敗れた者のひとりで、里見義実とは近い関係にあった事が読者に知らされる。本巻では父・犬塚番作を失った信乃が蟇六・亀篠夫婦の下男にされていた額蔵(=のちの犬川荘助)と打ち解け、彼が「義」の玉を持つ兄弟であることを知るところまでを収録。




(銀) こうして原作を見てゆくと白井喬二の現代語訳版(河出文庫)などより、ついつい『新八犬伝』と比べてしまいがち。例えば原作では里見義実の奥方・五十子は娘・伏姫の身を案じて早々に亡くなっているし、それとは逆に伏姫の弟・里見義成は原作ではこのプロローグ編から顔を見せている。本巻で玉梓の斬首を進言するのは金碗八郎孝吉であるが、人形劇では八郎の息子である金碗大輔孝徳が父の役回りまでも担っていた。