◕ 八人の犬士の中で犬塚信乃がダントツの人気を誇るのは、一番最初に登場するだけでなく、暫くの間ずっと物語の中心に置かれるのだから当然といえば当然。私は断片的にしか読んでいないが、戦前の『少年倶楽部』では佐藤紅緑が序盤の信乃パートだけを独立させた「犬塚信乃」という連載小説を執筆している。あれは一体どういう始まり方をして、どういう終わり方をしたのだろう。
第二巻の核となるのは、元来足利家に伝わる宝として大塚匠作から犬塚番作へと受け継がれ「滸我公方成氏へ献上せよ」と信乃に手渡された名刀村雨(〝村雨丸〟と表記される時もある)。NHKの連続人形劇で坂本九がいつも「抜けば玉散る氷の刃!」と口にしていたアレですな。
◕ 孤児になった信乃を引き取った腹黒き蟇六・亀篠夫婦は名刀村雨を着服すべく網乾左母二郎の手を借り、ニセのなまくら刀と村雨とをまんまとすり替えたつもりだったが、一枚上手な左母二郎はこっそり村雨を横取りしてしまう。
この左母二郎だが『新八犬伝』では木枯らし紋次郎のような姿の人形が拵えられ、手に持つ瓢箪がトレードマークの〝さもしい浪人〟へとアレンジ。(玉梓や船虫がそうだったように)脚本の石山透が悪役達にも愛情を持っていたのか、原作とは違って最後まで生き残り、小悪党ながらも後半ではちょっとだけ良い人な面さえ見せた。だが馬琴の書いた左母二郎には好感を抱けるような余地は微塵も無い。
意外に思われるだろうが原作の左母二郎はかつて管領・扇谷定正の近習で、便佞なものだから周囲の信用が得られず追放されてしまって浪人の身にある。美男であり遊芸などにも通じているという、まあなんというか色悪でイヤな奴なのだ。その冷酷ぶりを存分に見せつけるのが本郷円塚山で自分の意のままにならない浜路を嬲り殺しにするシーンであろう。
其処に寂莫道人肩柳が現れるので少しは救いがあるものの、「南総里見八犬伝」の中では最も凄惨な一幕といえる。左母二郎の活躍(?)の場は残念ながらこの第二巻のみ。
◕ 一方、なまくら刀を持たされたまま滸我の足利成氏に接見した犬塚信乃が執権・横堀在村に間諜者と曲解され芳流閣屋上に追い詰められる有名なくだりは説明の必要もあるまい。
そこから舞台は葛飾行徳へ移り、犬飼見八に次いで(見八と乳兄弟でもある)犬田小文吾登場。どの犬士も両親を失くし悲しい出自を背負っているのに、小文吾だけは父・文五兵衛が健在で、妹の沼藺が産んだ甥っ子の真平(物語の中では〝大八〟と呼ばれている)の開かなかった片方の掌からは「仁」の玉が出現、この幼子もまた犬士の一人だと判明するのだから、なぜか例外的に恵まれた境遇にある。信乃も額蔵も見八も道節も不幸な青春だもんなあ。
伏姫が亡くなり、安房を後にしてから二十余年。金碗大輔の丶大法師もようやくここで犬士たちと巡り合うことができた。破傷風で動けず滸我からの追手に苦しめられていた信乃も、山林房八と沼藺の尊い犠牲によって窮地を救われ、見八・小文吾と三人で大塚にいる犬川荘助(=額蔵)のもとへ向かう。
しかし丶大法師の指示を受けた里見家の家臣・蜑崎十一郎照文/文五兵衛/房八の母・妙真に守られて、安房へ逃げのびようとしていた大八の真平(=犬江親兵衛)は土地のならず者・暴風舵九郎一味に襲撃され絶体絶命。その時突然雷鳴が轟き、竜巻が悪党どもを吹き飛ばすが同時に大八は神隠しにあってしまい・・・といったところで第二巻は終了。
◕ 何故「南総里見八犬伝」は最初のほうが面白いかというと、犬士達がひとり又ひとり姿を現し、色々な登場人物にも意外な繋がりがあるのが明らかになるといったドラマ性もあるけれど、如何せんまだ若い犬士達が悪の存在にネチネチ苦しめられたり、更には道節と荘助/信乃と見八のようにお互いが兄弟であることを知らず、犬士同士で戦うシーンがあったりするからじゃなかろうか。
(銀) 滸我に発つ前の晩、将来の妻となる自分に何の言葉もかけてくれない信乃に泣き崩れる浜路が痛ましい。「なんて信乃は血も涙も無い奴なんだ」と思ってしまうけれども、八犬伝研究者の高田衛によれば、女への情より立身出世をはるかに重んじるような考え方は、明治の頃までの男性は普通に持っていたそうだ。
前回(第一巻)の項で、「南総里見八犬伝」には〝文中の画、画中の文〟という楽しみがあると書いた。この第二巻のラストにも竜巻が親兵衛を攫っていく挿絵があるのだが、その挿絵には文中にまだ記されていない〝ある存在〟がハッキリと描き込まれている。ここではその正体を説明しないでおくから是非本を眺めて確かめて頂きたい。
まだ第二巻なのに、すでに六人の犬士が登場(といっても一人は幼子だが)。結構ハイペースである。