横溝正史少年小説コレクションの最終巻が出た。 この巻には短篇のひとつに等々力警部が顔を見せるだけで、 シリーズ・キャラクターは一切出てこない。逆にそれゆえの楽しみ方もあるのだ。
▼ 「南海の太陽児」
太平洋戦争直前に発表された秘境探検小説。熊谷書房の初刊(昭和17年)が出たっきり、 単行本では一度だけ『少年小説大系 第18巻 少年SF傑作集』(平成4年)に編入されるも、 その版元・三一書房が何かと語句改変をやらかしてしまうブラック出版社であったため、 信用できぬテキストに変えられてしまっていた。それもあって今回は価値ある再発。
正史は「幽霊鉄仮面」(昭和12年)の後半でも、敵を追って蒙古の奥地に向かう展開にしていたけれど、本作が連載されていた頃の日本はもはや犯罪を描写する探偵小説など許される状況にはなく、主人公が自分のルーツを求めて南方へと旅立つ全編冒険調の長篇にせざるをえなかった。 H・R・ハガード作品を引用しているのだが、かの人外魔境の地の果てに倭寇の子孫が築き上げた 〝やまと王国〟なる別世界が存在し、その住民及び文明はなんと旧世紀の日本そっくりだったという設定がキッチュでヘンテコ。横田順彌は非常に面白がっていたっけ。
いつもの事ながら、横溝正史の筆に読みにくいところは無い。 ただ、タイトルにもなっているぐらいだから〝南海の太陽児〟こと東海林龍太郎は主人公としてバリバリ動き回るべきなんだが、マラリアになって寝込んだり何かと影が薄く、クライマックスの攻防でも活躍の場は少ない。むしろ前線に出て常に物語を牽引しているのは降矢木大佐と寺木中尉のほう。それに当時の日本は石油不足問題を抱えていたせいか、寺木中尉が〝燃える水〟を探すくだりにはじっくり頁が割かれているのに対し、日姫軍の逆襲で盛り上がるべき「ヒアテの裏切」からThe Endまでの肝心な終局があっさり終わってしまうのにはやや不満が残る。
それでも私は初出誌を飾っていた玉井徳太郎の挿絵が本書に収録されて大変嬉しい。 横溝正史少年小説コレクション①~⑥に入っていた他の挿絵とは存在感がまるで異なり、 彼の挿絵はことさらコッテリしてバタ臭い。渡辺啓助「沙漠の白鳥」江戸川乱歩「偉大なる夢」小栗虫太郎「地軸二万哩」木村荘十「印度は叫ぶ」等々、彼の長いキャリアの中では昭和10年代の仕事が最も強烈に印象深い。探偵小説に提供された挿絵を纏めた画集が欲しい画家の一人だ。
▼ 「南海囚人塔」
ずっと単行本未収録だったので、この作品を目当てにしていた人も多かろう。 主役を務める二少年の乗った定期客船/上海丸が南シナ海を日本へ向かう途中、 オランダの幽霊船と遭遇。そこへ黄衣海賊団が襲いかかり危難に陥るという、 これも海の冒険ストーリー。こちらは昭和6年発表で、まだ自粛規制が無かった時期なんだけど 月刊誌八回連載にしてはボリュームが少なく、 内容も挿絵(嶺田弘)も「南海の太陽児」よりはずっと劣る。 この年、正史は「仮面の怪賊」「笑ふ紳士」「鋼鉄仮面王」といった少年物も書いてはいるが、 博文館在籍時には出来の良いジュブナイルをまだ生み出せていない。
▼ 「黒薔薇荘の秘密」(昭和24年) ▼ 「謎の五十銭銀貨」(昭和25年)
▼ 「悪魔の画像」(昭和27年) ▼ 「あかずの間」(昭和32年)
いずれも戦後発表の短篇。 「あかずの間」だけは『姿なき怪人』に『奇妙な味の菜館(アンソロジー)』と、 過去に収録されていた本がいずれも角川文庫ばかりだったから、 テキスト改悪の懸念が無い出版社の本に入ったのは意外にも初めて。
▼ 「少年探偵長」 海野十三
これはあくまでも海野十三の長篇であって、ボーナス・トラック的なイレギュラー収録。 横溝正史と同じ肺結核の持病を抱えていた海野十三だったが、昭和24年に入ると自分でも薄々 迫りつつある死期に気付いているような素振りを見せるほど体調は良くなかったらしく、 執筆は旺盛ながらも外出は一切控え摂生していた。折しも親しい仲の正史が前年岡山から東京に 戻って、海野の住む三軒茶屋とはそれほど遠くない成城に居を構えていたし、 たまたま調子が良かったのか安静の禁を破って海野は5月14日に横溝邸を訪問したのだが、 これがまずかった。
その三日後の5月17日、自宅で突然の大喀血を起こし気管を詰まらせて窒息、 不幸にも海野は51歳の若さで急死してしまう。 そんな痛ましい経緯があったからこそ、自分とて病身かつ多忙だったにもかかわらず、 正史は連載途中だった「少年探偵長」が完結するまでの残りの執筆を引き受けたに違いない。 それと、この作品がもろSF調ではなく少年探偵活躍譚だったのもあるだろうけれど。
前段にて述べたような事情があり、決して海野も正史も責められないのを前提とした上で、 誰も指摘してこなかった本作の疵瑕を今回は見直してみたい。 いくら子供向けに荒唐無稽であっても、小説として看過できない箇所というのはある。
【 注意 !! 】 海野十三「少年探偵長」を未読ゆえ絶対ネタバレされたくないとおっしゃる方は ここから下(⤵)は、くれぐれもお読み飛ばし下さい。
➊ 最初は物語全体にさして支障の無いところから。 冒頭にて主人公・春木清少年は〝本来は東京暮らしなのに、 家庭の事情で本作の舞台である関西の港町(おそらく神戸)の伯母さんの家へあずけられ、 牛丸平太郎のいる中学へ転校した〟とある。 だが、その理由は「いずれ後でのべる時があるからここには説明しない」(本書301頁)と 書かれながら、最後までフォローされていない。 こんな感じのちょっとした問題点はいくつも見つかる。シンドかったんだな・・・海野。
❷ 次は中クラスの矛盾ふたつ。 牛丸平太郎少年は敵の頭目・四馬剣尺の手下に誘拐され山塞(アジト)に閉じ込められる。 その山塞へ賊どもはヘリコプターで移動しているので神戸の街からは相当離れた山奥の筈。 そこへ何の伏線も無く突然春木清がたった一人で助けにくるのだが(本書378頁)、 彼はこの山塞の場所をどうやって知り、どうやって地下巣窟まで辿り着けたのか? これまた後のシーンでの説明が無い。
それに監房へ食事を運んでくる唖で聾の五十男・小竹デク公にしても、 やはり囚われの身であった戸倉八十丸老人が春木/牛丸二少年を連れて山塞を脱出する際、 どうやって戸倉老人が小竹を丸め込んで味方にしたのか不明なまま。
❸ 最後は重大な(?)矛盾。これも物語の始めの方のエピソードで、 四馬剣尺のアジトに猫女が初めて現れるシーンをじっくり見て頂きたい(本書329頁)。 四馬剣尺は六尺近い巨躯を支那服に包み、頭に被った冠から三重の紗幕を垂らし顔を隠しているので、手下でさえもその正体を知らない謎のベールに包まれた怪人だ。
この場面で四馬剣尺と女賊・猫女は完全に相対し、猫女がメダルを奪い去ろうとするので、 四馬剣尺は部下を引き連れ、逃げる猫女を追おうとしており、決してヨチヨチ歩きではない。 という事はこの時の四馬剣尺は歩くのを見られても構わない〝二人羽織〟状態な筈だから、 猫女と四馬剣尺とは、全く別々の存在でなければならない。(こう書いても未読だとさっぱり 伝わらんだろうけど、要するにここでいう〝二人羽織〟とは例えば『バイオレンスジャック』/鉄の城編の兜甲児とジム・マジンガの姿を連想してもらいたい)
ところが話が進むにつれ、いつの間にか猫女は〝二人羽織〟の片割れとして確定してしまうため 序盤におけるこの猫女初登場シーンの矛盾はどうにも解釈できなくなってしまった。
山口直孝は『横溝正史研究6』にて、擬音表記が〝ひらがな〟から〝カタカナ〟へ変わったのを 根拠に、横溝正史が「少年探偵長」の代筆を始めたのは連載第七回(「燃えあがる山塞」)からではないかと推測している。 念の為、旧い版の『少年探偵長』も用いて何度か読み返してみたが、 この推測は間違ってはいないように思えた。 四馬剣尺初登場の章題が「男装の頭目」とされていたり、連載第五回で四馬剣尺に裏切り行為 をした机博士のエックス線装置によって頭目の骨格が露顕する場面を見ても、 当初海野が四馬剣尺の正体をどのように考えていたのか、いまいち判断が付かない。
でも敵の首領の正体を〝二人羽織〟にするアイディアはメチャクチャ優れているし、 海野の探偵小説ならばそのバカバカしさも許される。これはもしかして江戸川乱歩「魔術師」の 大入道からイメージしたのかもしれない。海野と正史、二人がかりで無理やり完結させたわりに ツッコミどころ満載でも意外と読ませてしまうのは、この四馬剣尺というキャラクターあっての事だとも思う。もう少しだけ海野が元気でいてくれて一人で本作を書き上げるか、 あるいは青鷺幽鬼みたいに最初から海野十三+横溝正史の共作で完成させていたなら、 矛盾点を正史が補正してくれたかもなあ、と楽しい妄想が頭の中を駆け巡ったりもした。
(銀) 巻末資料ページに「横溝問答」なんていう、 「カー問答」を真似た日下三蔵の雑文が入っている。 本人も認めているとおり、これが書かれた90年代にはまだ判明していなかった事も多く、 今読むと新しい読者に間違った情報を与えてしまいそうだから、 こういうものを載せる必要などなかった。そんな適切な判断ができず、 せっかく本編は楽しめるのに、やみくもに何でも追加収録してしまうのが日下の思慮の無さ。 なんにせよ〈横溝正史ミステリ短篇コレクション〉〈由利・三津木探偵小説集成〉そして、 〈横溝正史少年小説コレクション〉と、あまり高くなり過ぎない価格で発売してくれた柏書房は褒めてもいい。