長きに渡る七十余年のクロニクルなので自伝と呼ぶにはざっくりしていて、「ああ、ここはもうちょっと枚数を費やしてほしいな」と思う処もあるが、戦後どっぷりはまったミステリへ、そして後年ある意味原点回帰なのではないかと思える幻想・怪奇文学へ傾倒する体験の数々。最初は読者だった立場が徐々に評論・紹介をする側へ、更に書物を制作する側へと変わってゆく。大伴昌司と平井呈一、この二名に興味がある人などは to buy。畏友だった大伴になんともあっけなく交流解消されてしまうくだりはやるせないが・・・。
それから古書蒐集者達の狂った世界に自分は同列に並びたくないという呟きに大いに共感。本書では山下武の奇矯が描かれているが、ネット社会の陰で古書を小金儲けのネタにしている北原尚彦や森英俊のような古本ゴロと著者の決定的に違う点は、紀田の書く評論・紹介には愛情を感じるし、時には口が悪くともそれはちゃんと本の中身を読んだ上での発言なのに対し、古本ゴロどもはしこたま買い込んだ積読本の見苦しい蔵書自慢をして(キレイ事ばかり言いながら)本心は自分の持っている古書の市場価が上昇するのを喜んでいる賤しさしか感じられないところだ。
書物話の合間にそっと、もう今では誰も語る人がいなくなってしまった昔の日本人の慣習を書き残しておいた箇所もある。最終章には木々高太郎/佐野英(海野十三夫人)/中島河太郎/鮎川哲也/厚木淳/竹内博らの個別な思い出話。
(銀) 本書の二年後には、より終活的な意味合いを持つ『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』を上梓。そして紀田は自身のホームページも閉鎖したようだ。これで最後といわず、紀田にはもうひと仕事してもらいたい。
推理・幻想文学とは別の分野で印象的な彼の著書というと『東京の下層社会』がある。 今でもちくま学芸文庫で入手可能なので、若く新しい読者にも是非読まれてほしい。