書店で婦人雑誌が幅を利かしているのは戦前もあまり変わりなかったようでして。そんな女性誌の売上をも引き離すほどの存在だった総合娯楽雑誌、その月刊誌の名は『キング』。『講談倶楽部』での通俗長篇「蜘蛛男」によって一般大衆読者の凄まじい支持を得ることになった江戸川乱歩。その乱歩が同じ大日本雄辯會講談社の『キング』に「黄金仮面」を執筆すると、更にこんな現象へエスカレートする。
> 殊に『キング』のほうは読者から来る手紙が多いのに一驚を喫した。
> 私の郷里などでは『キング』に書くようになったとは
お前もえらくなったものだといわれたものである。
> 一方、お茶屋やカフェでもチヤホヤされるようになった。
(江戸川乱歩『探偵小説四十年』より)
大乱歩の著書を読んで、これまで私が漠然と認識していたのは、
□ 都会より地方、それも山間僻地まで、
講談社の中でも『キング』の売上は群を抜いて行き渡っていた
□ 講談社員は他の出版社と比べ作家に対しグッと鄭重で、
家庭を犠牲にしている程働いているようだった
□ 講談社雑誌の新聞広告がこれまた他社と比べてド派手なものだった
という講談社の〝 社風 〟であったが、それにしても、なにゆえ戦前の『キング』の発行部数は突出していたのか?(戦後の『キング』はここでの評論対象ではない)
本書は講談社とその帝王・野間清治の主義/ismを主軸に『キング』を研究するもので、『キング』の基本コンセプトをすごく乱暴に並べるとこうなる。
1. 「貧しい者でも努力すれば成功できる」という〝立身出世〟教育の浸透
2. 『講談倶楽部』『婦人倶楽部』『雄辯』から
『少年倶楽部』『少女倶楽部』に至る講談社のノウハウを結集
3. レコードの発売など大衆に口コミを発動するような、
今でいうところのメディア戦略を仕掛ける戦後の角川春樹の無節操な
マルチ・メディア商法の鋳型(原点)
乱歩が回想している「講談社に書くということは作家として魂を売るようなもの」みたいな〝講談社批判〟はいつどこから発生してきたのか、その辺の事情は本書を読めばなんとなく掴める。著者はドイツ史研究をしていたからか『少年倶楽部』における少国民の育成をヒトラー・ユーゲントに喩えてノマ・ユーゲントと書いたり、全体を貫いているのは思想的論考であって書誌的な論考を求めたらガッカリする。
一度目はそれなりに興味を持って読み終えられるけれど、二度三度読み返す気は起きてこない。要するに『キング』に掲載されていた小説(とその作家)にはどんなものがあったのか?そんな実用性のあるデータは残念ながら少ない。文庫化にあたり増頁して価格が上がってでも、巻末に詳細な掲載小説目録でも載せていれば評価はグンと上がったの思うのだが。
(銀) 自分が『キング』を集めている訳ではないのでそう感じるのかもしれないが、他の戦前の総合月刊誌に比べると『キング』は古書市場で見かける機会が多いような気もするし、古書価格もそんなに高くなさそうなイメージがある。「『キング』をコンプリートしようとしている人はそこまで苦労しなさそうでいいなあ」なんて思うのだが、実際やってみるとなかなか見つからない号があったりするのだろう。