本の中で謳ってこそいないが、論創ミステリ叢書は基本的に日本国内(戦前の植民地等も含む)の媒体で発表され、必ずしも日本人でなくても構わないが明治~昭和30年辺り迄にデビューした作家が日本語で書いたレトロスペクティブな日本の探偵小説を集成するものだと思っていた。
第50巻と第51巻の間に出た『怪盗対名探偵初期翻案集』は畑違いな内容だったが、本巻も通常と様子が違う。朝鮮(現:韓国)出身の金来成は昭和6年に日本留学する前から江戸川乱歩や日本/西洋の探偵小説に惹かれていたそうで、昭和10年『ぷろふいる』に二短篇「楕円形の鏡」「探偵小説家の殺人」を、『モダン日本』には掌編「綺譚・恋文往来」を発表している。日本語で執筆された小説はたったこれだけしかない。『ぷろふいる』出身のアマチュア作品は金来成といい、左頭弦馬その他といい「出来の悪いものしかないなあ」という印象がある。
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で、本書の殆どを占める長篇「思想の薔薇」は日本語で執筆(未発表)→ 韓国語で戦後改稿して発表 → 今回(著者・金来成ではない)第三者により再び日本語に翻訳され本巻に収められるというややこしい経過を辿っているのだが、ハッキリしているのは当初の原稿は日本語だったかもしれないが、結局は韓国語で書き上げられ韓国にて発表された作品だということ。
精神不安定で、母の持金で生活し、気位ばかり高く他人を信用できない男性主人公・白秀は先代からの悲恋の宿命に悩み、唯一の友人であるお人好しの司法官試補・劉準を振り回す。女優殺しを告白し「友情って何だ!」「愛とは何だ!」と理屈ばかりを捏ね回し、あげくに拳銃を奪い、酒場のマダムを掻っ攫って逃走。そんなドンキホーテな主人公に加え大仰な「思想」というワードを乱用する著者にこちらは全く感情移入できない。トリックめいた部分もない訳じゃないが、木々高太郎風に人間を描く韓国人的芸術派作品は私にとって滑稽すぎた。
内容が戴けないのは他の巻の日本人作家でもある事だし、百歩譲ってこの長篇も著者自らが再翻訳したものだったらまだ解るが、他人の訳述であるのなら論創海外ミステリやその他で出すべきでは? 金来成が探偵作家として認められたのはあくまで母国・韓国での話。いくら日本探偵小説の落穂拾いを表明しているからといって、日本人作家を押し退けてまで論創ミステリ叢書でわざわざ一巻使う必然性が無い。どうしても出したいのなら上記に挙げた日本語による三短篇と随筆だけを第50巻『戦前探偵小説四人集』のように他の作家と抱き合わせにするだけで充分だった。
(銀) 論創ミステリ叢書で朝鮮人作家を取り上げるのならば、戦後の日本で探偵小説を幾つか発表した野口赫宙(=張赫宙)のほうが金来成よりもまだ読む意味がある。探偵小説に分類可能な彼の著書では『黒い真昼』と『湖上の不死鳥』があるが、なぜか短篇は本になっていないので纏めて読んでみたい。