この叢書では海野十三でさえ(企画もの『風間光枝探偵日記』はあれど)単独名義の巻は100巻を過ぎた現段階でも相変わらず出ていない。編集サイドがSF系をあまり好みではないのかな?とさえ思っていたので、今回の蘭郁二郎は嬉しい。彼のパーソナルな体臭を最も放っているのは、ちくま文庫『魔像』に収録された初期の被虐的かつフェティッシュなダーク・ファンタジーなのだが、本書収録作はそれ以降、つまり作品発表の場を同人誌からメジャー大衆雑誌路線へと踏み出した時期のもの。
「月澤俊平の事件簿」(10短篇+長篇「南海の毒盃」)
善悪どちらが本当の顔なのかよく判らない謎の怪男児。時局悪化につれ、その造形に度々変化が施される。昭和15〜19年という戦時下、スパイ科学小説のイメージはあっても、探偵小説らしい謎の提示は意外に織り込まれている。蘭は破天荒な設定をしない人なので海野十三よりもむしろ良い時の甲賀三郎に近い印象。
「南海の毒盃」では終盤の沖縄の舞台が戦前探偵小説では珍しかったり、老刑事・記者・博士と次々に現れる登場人物の中で真の探偵役は誰なのか二転三転。国家機密の下に従事する原子工業研究所チームに降りかかる怪事件。大下宇陀児「蛭川博士」の如き、砂浜での衆人環視の中での殺人。犯人のトリック・動機は?
殺された謎の美少女・折口一枝とは何者? 彼女が生前寝言で呟いた「ア、ウォ、モ、リ・・・」の意味するものは?
10短篇のタイトルはこちら 「闇に溶ける男」「南風荘の客」「指環と探偵」「妙な錠前屋」「慈雨の殺人」「発明相談所」「火星の荒野」「新兵器出現」「海底探検余聞」「林檎と名探偵」
初読の方のため詳細は伏せておくが、通俗タッチとはいえ読み応えのある内容、かつ蘭にこんなフーダニットな要素があるのか・・・と、従来の認識をリロードできて大満足。それにしても、横井司の本書解題をはじめ最近の新青年研究会の一部の人は「戦時下において探偵小説は軍部に弾圧されていたのではなく、作家や版元が表面的に自粛していたのだ」という説をくどいほどに強調してくるね。
最後に別名義・林田葩子での二篇「花形作家」「第百一回目」。蘭郁二郎もまた戦後長く正当な評価を受けられず、埋没の憂き目にあってきた人なので、横田順彌/長山靖生SF評論の読者にも是非。次回配本『Ⅱ』が待ち遠しい。
(銀) 「夢鬼」など初期の作品が大好きで、自分的には全ての作品を紙の書籍で読めるようになってほしい作家。没後にリイシューされていないものが多く、彼の作品を読もうにも古書市場に戦前の単行本が出回ること自体、稀。海野十三の弟分的ポジションと云われながら ❛ 知る人ぞ知る作家 ❜ 扱いなのは納得がいかない。
意外と盲点になっている戦後の蘭作品収録書籍を挙げると、三一書房『少年小説大系第十七巻 平田晋策・蘭郁二郎集』には「地底大陸」と共に「珊瑚城」「秘境の日輪旗」というレアものが入っている。しかしこの『少年小説大系』は元の定価が高額なわりに、テキストは〈言葉狩り〉デフォルトで制作されているため、シリーズのうちレアなジュヴナイル探偵小説を収録していてチェックしておくべき巻もいくつかあるが、上記の理由があって勧められない。言葉狩りされた本や映像ソフトは欠陥品でしかないからね。