昭和25〜28年頃の岡村雄輔は失職や度重なる身内の不幸で苦悩していた。「本業をしっかり終えた後でないとペンが取れない」と公言する性分だから、この時期の執筆に影響が及んだのは間違いないだろう。
本巻収録作は「王座よさらば」「斜陽の小径」「黄薔薇殺人事件」「盲魚荘事件」「幻女殺人事件」「通り魔」「ビーバーを捕えろ」+随筆五篇。解題に度々引用される「暗い海 白い花」は『Ⅰ』『Ⅱ』には収録されなかったが、『甦る推理雑誌 10 「宝石」傑作選』(光文社文庫)で読む事ができる。
前巻『Ⅰ』収録作は少々の綻びも押しきる勢いがあったが、本巻では何か焦点が定まっていない気がする。名探偵秋水魚太郎はそれ迄のようにプロットの軸となって事件を解決する事が減ってしまい存在感が薄い。片や脇役からメインに昇格した熊座警部は「知」でなく「情」の人でありそれ以外の登場人物によって謎が解明されたりして、解決のカタルシスがどうしても弱くなる。
また、徐々に岡村が大下宇陀児や木々高太郎らのリアリズム志向に惹きつけられていった気配もうかがえる。謎解き要素を残してはいるが、重心がトリックの見せ方から人間の悲哀へと変化。ゲーム性の強い秋水探偵・最後の事件「ビーバーを捕えろ」のラストでさえ、登場人物のセリフを用いて己の心情を吐露していると見るのは穿ち過ぎだろうか。
岡村の状況がどん底だった頃、江戸川乱歩との初対面を果たすも「このおひとは私たち労働者と異質のおかたなんだ」と後年の随筆の中で告白している。これは勿論、乱歩逝去からしばらく経った昭和53年『幻影城』誌上での回想だが、後輩作家が乱歩との距離をこんな風に吐露した例はついぞ知らない。それだけに岡村の鬱屈・混乱が痛々しい。
作風が変わる事は他の作家でもある訳だし、そこまで気にしないけれども、熊座警部の役職名や「盲魚荘事件」「ビーバーを捕えろ」に登場する女流作家・貝塚魚絵など、キャラの設定だけは齟齬なく描いていればな・・・という思いが残った。
(銀) 完成度はちっとも高くなかったけどそのテンションの高さに心揺さぶられた前巻『Ⅰ』収録作と比較したら、それまで放っていた粗削りな魅力がフェイド・アウトしてしまい、お行儀よくなってしまったのは残念。
江戸川乱歩と自分との、どうにもならない身分の違いを知って落ち込む岡村雄輔。小林信彦がこんな事を書いていたっけ。大家となってからの乱歩は電車など乗る機会が無かったので、小林信彦・泰彦に向って「電車って、きみ、大工や左官が乗るもんだろう」と乱歩は言ったという。 その場に同席していた城昌幸と小林兄弟は乱歩の世間の知らなさに思わず笑ったそうだが、 乱歩と対面した頃の岡村はそういうのを聞き流せるような悠長な気分ではなかったのだろう。