2020年8月13日木曜日

『皇帝のかぎ煙草入れ』ジョン・ディクスン・カー/駒月雅子(訳)

2020年4月11日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

創元推理文庫
2012年5月発売



★★★★   向いの邸の窓の殺人現場を
           目撃したヒロインにまさかの容疑が



〝 かぎ煙草入れ 〟とはどういう用途のものでどんな形状をしているか知らない人のほうが多いでしょう。初読の方はあらかじめ知った上で読めば、知らずに読んだ人より満足を得られるかもしれません。でも〝 かぎ煙草入れ 〟でググると本作のネタバレを書いたサイトを開いてしまうかもしれないのでご注意を・・・。

若くして父の遺産を相続し、容貌も良いけれどオトコを見極める目がないのが欠点の主人公イヴ・ニール。彼女は魅力があって頭は切れるが問題の多い前の夫ネッド・アトウッドと別れ、ローズ家の息子で銀行勤めのトビイを知る。


 

イヴはトビイと婚約しローズ家でも信頼を得ていたが、ある晩イヴの部屋に離婚した筈のネッドが現れる。新しい幸福を失いたくないイヴと、不法侵入をしておきながら「元鞘に戻れ」と迫るネッドが揉めていたところ、ふたりは目の前の邸の窓辺にローズ家の長/サー・モーリスの異変を目撃し・・・。


 

その後いろいろあってイヴはサー・モーリス殺しの容疑をかけられ孤立無援の立場に追い込まれるのだが、例によってカーのあくどいトリックが殺人目撃シーンにおける細かいセリフのやりとりに仕込まれており、そこの部分で煙幕を張る演出は評価できる。運悪く日本の超有名探偵作家の 某作品を先に読んでなければフーダニットの面でもハウダニットの面でも「おお~」とビックリできるかもしれない。


 

イヴの窮地を救うため行動を開始するのは、顔の片側に手術の跡があるので外見は怖く見えるがジェントルで思慮深いダーモット・キンロス博士。


 

たいていの作品でツッコミどころの多いカーではあるけれど、本作の中でどんなに寛容にみても私がしっくりこない点がふたつある。


まず、ひとつめ。いくら近所だからって、別々の家族が住んでいる邸の×が(一応、探偵小説のマナーとして伏せておく)共通して使えるなんて、1940年代のフランスでは普通のことだったのかもしれんけど、私はどうしても首を傾げてしまう。

 

ふたつめ。ネッドとトビイ、最初は対照的に思えた男ども。イヴにからむ場面が全くスマートに非ずクドい。カーがドラマを盛り上げたいというか笑いをとりたいのかもしれないが、この二人の言うことが鬱陶しくてトリック以外の物語の部分に少しかったるさを覚えた。いつの世であれしつこい男はみっともない。

総評として、ジョン・ディクスン・カー名義で執筆された非シリーズものなら、これよりも『火刑法廷』のほうに軍配を上げたい。




(銀) 発表は1942年。カーはH・Mものを続けて書いていた時期で『仮面荘の怪事件』と同時期の作品。

本作で使用されているトリックが初めて披露された時、読者はさぞかし驚いたことだろう。乱歩の高評価がその後も長く影響を及ぼした作品のひとつだ。


 

確かに人間のちょっとした隙を衝くトリックそのものは巧妙で面白い。しかし、本文にも書いたとおりヒロインをとりまく二人の男の言動がいけすかないし、人より少し疑り深い自分としてはトリックに関わる根幹、すなわち「暗示にかかりやすい」という部分が、安易とまでは言わないけれど、やや都合が良すぎるかも。



探偵役のダーモット・キンロス博士はアクの強いカーの他の探偵達に比べると、優しくて良い人なぶん印象が薄く、なんだか損している感じも。結局のところネッド・アトウッドとトビイ・ローズだけでなくヒロインのイヴ・ニールを含めたトライアングルといい、私は本作のキャラクターの設定がそんなに好きじゃないんだな、きっと。