本書収録小説でもトリックのアイディアこそ目を引くものがあるのに、それ以外の文章的な部分がおそまつで、いつ読んでも睡魔に襲われる。天城を褒める人達は、それこそ長らく著書にならなかった彼の小説を、「難解だが余計な部分を削ぎ落した〝原液〟のようなもの」だとか「関西在住だから作品を雑誌に掲載してもらうのに不利だった」「数学者という本業があって忙しかった」と持ち上げたり擁護したりしているけれど、残念ながら〈物語る力〉を持ち合わせていなかっただけなのでは?
PartⅠとPartⅢの小説パートにおいて、言葉の運びがなんだか変。
同一セリフの中で、「・・・です。・・・です。・・・です。」「~サ。
~サ。 ~サ。」と、同じ語尾を何度となく繰り返し過ぎるのはどうにも見栄えが悪いし、場面場面での状況や各登場人物の有り様もわかりにくい。
( ❛ 裸足 ❜ が ❛ ハダし ❜ になっていたり誤植もあるのでイラッとする)
ところが、PartⅡや巻末の密室作法〔 改訂 〕といった評論パートは読みにくいどころか、むしろ滅茶苦茶面白い。ただ、自作に対して弁解が多いのは潔くない。国内外さまざまな作家の作品にも触れているので、やはり探偵小説の読書量が多い人でないと薦めにくい。
「朝凪の悲歌」における牡丹野雪子はヒロインとして印象的だし、GHQのヴィンセンスなどは他の作家にはあまり見られないキャラ素材だから、存在感をもっとふくらませて、準レギュラーにでも仕立てれば独特のものが出来たのでは・・・と惜しい気持ちになる。江戸川乱歩から「探偵小説のスタイルの極北としては、学術論文とほとんど同じものが考えられる」と言われて「盗まれた手紙」を書いたそうだが、これは乱歩が普通の小説スタイルでうまく書けない天城を傷つけないように、そういう表現方法を提案したとしか思えない。
「このミス第3位」「本格ミステリ大賞受賞」とか、誰かの煽り文句に左右されずに読んでみて、自分の感性で面白ければ結構だし、面白くなければ面白くなくっても別にいいじゃないか。誰かが評価しているから知ったかぶりして、自分も褒めるフリをするのが一番カッコ悪い。自称ミステリマニアでそういう人、きっといそう。
(銀) わかりにくいものを何度もリピートしてみる愉しみ、なんてことは音楽の世界でもよくある。実際私が普段聴いているCDはそういうものが多いけれど、小説の場合はどうだろう?
海外の良く出来た本格ものなどは再読時に伏線を再確認して愉しめたりするが、土台となる文章がしっかりしていなければ、いくら魅力的なトリックを持つ内容でも、再読する気がなかなか起こらぬものだ。チェスタートンに近い?言わんとすることは解るけど、ブラウン神父はここまで読みにくくはないんじゃないか。天城一の文章を〈彼のスタイル〉として良い風に見做すほど、私は盲目的な肯定はできないな。