2020年7月15日水曜日

探偵小説と古本の闇(一)

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【一】 探偵小説の古本を金儲けの道具だと思っている輩





Amazon.co.jpカスタマー・レビューの管理担当者に不当に削除された文章の中で、このBlogにてどうしても供養しておきたい、というかそのレビューの要旨を書き残しておきたいものが二つある。そのレビューで取り上げた二冊の駄本に絡め、「探偵小説と古本」というテーマについて話そうと思う。




探偵小説の世界にはまり込むと、現行本では読めないものに必ずぶち当たってしまう。SFなど、他のジャンルでも在り得るのかもしれないが、探偵小説のレアな本・雑誌となると特に珍重され昔から古書価は高めに扱われてきた。ただでさえそんな状況だったところ、元号が昭和から平成へと変わり、国内景気の急上昇と急降下の影で、探偵小説専門店を名乗る古書店に(今はなき)芳林文庫のような、自分の店の販売目録を発行し、それまで以上に法外な値付けをする店が現れ始める。

 

 

 

● 芳林文庫の店主はいつだったか「このような値付けをしたので中傷も浴びた」と述べていたが、値付けだけが原因で中傷されたんじゃないのでは?と私は見ている。たかが私ごときでも、古書価がお高い専門店と付き合いが無い訳じゃない。高額店でも長く付き合っている店はある。のちに芳林文庫は店主が息子を使ってネット・オークションでも古本を売り飛ばしていた。素性を知らぬまま、偶然私も落札した時があったが、その息子が「自分はカネに執着しているから、支払いは銀行振込でなく現金書留にしろ」などと突拍子もないことをほざいてきたので、この店について良い印象はかけらも無い。





一方、お宝鑑定バラエティ番組がヒットし、インターネットの普及からYahooオークションが生まれ、〝モノ〟をなるだけ高く転売して儲けるというさもしい考えが、それまでとは比べものにならないほど大衆に蔓延。そして探偵小説の古本周辺にもそんなさもしさを撒き散らしたのが、喜国雅彦という田舎者まるだしのマンガ家と、彼の本の中に登場してくる古本ゴロ。



喜国は論外として、古本ゴロ連中も最初は本当にミステリが好きで、読んで楽しむ為に本を買っていたのだろうし、それに飽き足らなくなって古本へも手を伸ばしていったに違いない。しかし彼らのネット等での古本に対する浅ましい言動を見るにつけ、喜国とその古本ゴロ仲間は自分が所有している古本を自慢することで、それに釣られて古書価が上昇するのが嬉しいのであって、読書を楽しむ純粋なミステリ好きだとは到底受け取れなかった。

 

 

それを真似して、セドリ気取りで古本を漁り転売する輩、更に滑稽なほど高額に叩き合ってまで探偵小説古本のオークションにカネをつっこむ輩が後を絶えない。すると古書市場での相場は、かなり珍しいものだとキリがなく青天井になってゆく。この悪しき連鎖によって普通の一読者は勿論、必要な文献を必要としている篤実なミステリ研究者でさえ、世間に「稀少」だと知られてしまった本の入手は殆ど出来なくなった。お名前は明かさないでおくが、ミステリ業界のある高名な方に憂うべきこの状況を話したところ、多いに同意され「旧い本がこれだけ買えなくなるとどうしようもない」と言っておられたのを今でも鮮明に思い出す。






● 装幀が異なる/収録内容がどこか異なる/それまで持っていたものは傷みがひどかった/函やカバーの外装が欠けていた、だから買い直すというのは理解できるけれど、「相場より安かったから」「そこに本があったから」とか、既に所有している全く同じ古本を何冊も買う理由って何なんだ?






「え?本って読むもんなの? 集めちゃいけないの?」

「同じ本を何冊買おうと、個人の自由だろう?」

「いま自分が買っとかないと、処分されるかもしれないだろ?」

古本ゴロが反論する時の常套句だ。どれだけ彼らが屁理屈や綺麗事をほざこうと、結局はレアな本(古本に限らず新刊本でも)を持っていたら、いざという時に転売すりゃカネになる骨董的な資産だから この魂胆、その一点にすぎない。だから喜国雅彦は自著の中でよく「儲かった!」とか「売ったら相当な金額になる」とか書いてるでしょ。ホームズやルパンといった、ミステリ読者なら誰でも知っている基礎知識さえ喜国は知らないのを、本日の記事左上に書影を挙げた『本棚探偵の生還』という駄本の中で愚かにも露呈している。本の内容には興味など無くて、頭の中にあるのは古本の相場や値段だけ。





日下三蔵にしても「どんな作品でもいつの時代にも読めるようにしておかないと、その作品の存在は歴史の中に埋もれてしまう」というような趣旨の発言をしており、実に立派な姿勢である。でもさ、日下の家は本で溢れかえっているのに何で既に持っている古本を何冊も買い占め続ける必要が?日下の肩書は古本を売る職業じゃなくて、一応編集者・評論家じゃなかったっけ?

 

 

書誌的な知識は異常に詳しいけれど、本の中身を熟知してないと書けないストレートな評論仕事が、この人には全然無い。日下の作る本の解説・解題は書誌データの充実が売りになっていて、別にそれは悪い事じゃない。買い込んだ本をちゃんと読んでいるのなら読者をうならせるぐらいの評論書も一度は出してほしいものだが、毎日ネットのチェック、それもSNSのチェック(いやエゴサかな)に忙しくて、自分の作った本の索引さえ他人に指摘されて作成を丸投げするほどだから、まあ無理だろうな。精神科医の先生の話では、毎日(特にネットで)何かを限りなくポチって購入し続けていないといられない人は明らかに依存症というか、ある種のビョーキらしい。



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話を戻して、喜国とその回りの古本ゴロが拡散させた〈探偵小説の古本=金になる〉という風潮が胸糞悪かったので、喜国の当時の新刊だった『本棚探偵の生還』Amazonレビューにて、誰も言わないから私がハッキリと批判を投下した訳である。暫くして意外にも「参考になった」票が多く寄せられたので、喜国(の本)を否定的に見ている人はいたようだ。




だが、ある日気が付くと私のレビューはAmazon側によって削除され、跡形も無くなっていた。おそらく喜国か出版社サイドが裏から手を回したに違いない。成程後ろ暗いところがあるから、都合の悪い事実を突っつかれ「このままだとヤバイ」と思ってこのような手段をとったのだな。もし喜国側の申告でレビューが削除されたのであれば、図らずも私の指摘した事が正しかったと認めたようなものだ。






探偵小説の先人たちはこんなさもしい状況を作りたくて、探偵作家クラブ(現在の日本推理作家協会)を苦労して運営してきた訳じゃない。そもそも喜国や北原尚彦、ただ本をネタにワーワー言っているだけの奴らがどうして日本推理作家協会員になったり賞を受賞しているのか?今の協会はアタマがどうかしてるんじゃないのか?

 

 

探偵小説。古本。それそのものはとても良いものだ。でも、ここに述べてきたような理由があるから、これまでもこれからも探偵小説マニアや書痴だと自ら名乗っている輩とは一切関わりたくない。たまに離れた知人と探偵小説話をするような事はあるけれど、SNS依存症者の仲間になったところで時間の無駄でしかない。探偵小説や古本はひとり静かに楽しんでいるのが正しいように思う。

 

 

 

【二】につづく。